あたしは何となく窓のほうを向いた。赤いカエデの葉っぱが、はらはらと舞っている。
「マドカ、外に出たい?」

「どうしてそんなこと訊くの?」
「窓の外の景色は、ぼくが記憶した紅葉の森の画像に、ぼくが計算した軌道の落葉の映像を投影しているだけだよ。窓は開かないし、窓から森に出ていくこともできない。その向こうには何もない」

 カエデの葉がどれだけ舞っても、すべて散って木が裸になることはない。紅葉した森は、ずっと美しい色をしたままで、窓に映し出されている。

「あたしはこのままでいいよ。どこかに行くなら、アイトと一緒がいい」
「それは不可能だよ。このインターフェイスを維持するコンピュータは、同時にこの部屋を構築するだけで、メモリの大半を使ってる。これ以外の空間を構築するには、メモリが足りない」

「このコンピュータ、かなりメモリが大きいのに。もしかして、あたしがここにいるぶんも、負担になってるの?」
「いや、マドカのぶんは全然、負担が掛かってこない。マドカ自身の脳のメモリを使っているんじゃないかな?」
「だったらいいけど。あたしのせいで、アイトがキャパオーバーになって止まっちゃったりしたら、申し訳ないどころの話じゃないもん」

 アイトは眉間にしわを寄せた。
「実は、奇妙な現象が起こってるんだ。マドカが部屋に来ている間、ぼくの側が負担すべき計算が、ぼくが何もしないうちから処理されていることがある」
「それって、あたしの脳がコンピュータにメモリを提供してるってこと? コンピュータを二台並列してるみたいに、できる仕事の量が増えてるってことだよね?」

 ぱちり、と、あたしの中でピースがはまる音がした。あたしが念じるだけで自分のアバタを完璧に操作できる理由、これかもしれない。
 あたしは、自分の脳とコンピュータを完全にリンクできる。そうやって、現実に体を置き去りにしてアバタの体で活動する今、あたしはコンピュータと人間の中間的な存在になっている。

 こんなことができるのは、ニーナのせいかもしれない。
 あたしの脳とリンクしているニーナは、つねにあたしの脳の外側に存在する。だから、あたしの脳は、自分以外の存在とつながることに慣れている。
 いや、理屈は何だっていい。重要なのは、あたしの脳が使い物になるんじゃないかってことだ。あたしは息せき切って言った。

「ねえ、アイト。人間の脳は普段、十パーセントくらいしか動いてないんだよね」
「そうだね」
「百パーセント動かしたら、何ができると思う?」
「それは、データがない。人間の脳を百パーセント使うなんて」
「アイトにもわからないんだ? あたしにもわからない。でも、今、ここでならできる気がするんだ。何でもできるよ、きっと」

 あたしは椅子から立ち上がった。何もない壁に手を触れる。硬い、冷えた感触。この向こう側を、あたしが構築する。
 ドアを開けよう。
 その向こうにあるはずの、現実とは違う姿かたちを持った世界。プログラミング言語によるソースコードのカーテンと、それをめくったら出会えるはずの、宇宙みたいにどこまでも広がって続く1と0。

 何をどうすればいいかなんてわからない。でも、念じるだけで、あたしはここで自由になれるから。それに、ここでのあたしは、一人ぼっちなんかじゃないから。
 また心配そうに顔を曇らせるアイトに、あたしは笑いかけた。

「外に出ようよ。あたしのメモリが造る世界に、一緒に行こう」

 思い描いた風景を、グラフィック・プログラムとして、ソースコードに焼き付ける。外に出るためのドアをちょうだい。アイトと二人で出掛けるの。
 ちりちりと、頭の中で小さな光が爆ぜる。痛がゆいような刺激とともに、頭の中の全部が光に染まっていく。

 とても明るい。目を閉じたら、光だけが見える。
 今まで、寝ぼけていたようなものだったんだ。あたしの頭の中、本当は、こんなに広かった。
 壁に触れた指先からかすかに感じる、1と0の羅列。あたしは、指示を念じるだけでいい。あたしはこの世界と直接つながっている。

 世界が、あたしの前に答えを導き出す。
 ログハウスの壁に、唐突に、明るい色のドアが現れた。あたしはアイトを振り返る。
「見て! あたしにもできたよ」

 アイトは目を見張っていた。ぶつぶつとつぶやかれる言葉は、可能と不可能の境界の検証。
 ねえ、そんなのどうだっていい。念じるだけで自由になれるってわかった。無意識下でどんな計算をしているかなんて、五感でキャッチできる世界の中には必要ないでしょう?