「ニーナは柔らかいの?」
「うん。体の中でも特に柔らかい部分と同じくらい柔らかい。ほっぺたとか」

 頬より胸のほうが感触は近いんだけど、さすがに言えない。アイトは自分の頬に触れた。ほら、アイトはすぐにそうやって確認したがるから、胸なんて言えない。アバタの体だって、あたしの体なんだから。

 そういえば、昔、このヘッドギアと自分のアバタでゲームをプレイしたとき、死なないように、細心の注意を払ったっけ。だって、現実の体へのダメージがないっていうだけで、痛いもん。

 その痛みを、母は理解できないと言った。父は研究対象だと言った。
 親たちがどんなに不思議がっても、あたしは確かに痛いんだ。アバタの体が傷付くこと。

 現実の世界が存在することは事実で、そこで人と出会ったり、人から傷付けられたりすることも事実。
 このヴァーチャル・リアリティの部屋が存在することも、一方で事実だ。ここであたしがアイトと言葉を交わしていることも、傷付け合う可能性があることも、同じように事実だ。

 どこにどんな違いがあるの?
 あたしを取り巻く環境や、そこに存在する人が、機械仕掛けかそうじゃないかっていうこと?

 でも、あたしが環境の中にいて人と話していることは同じで、何か悲しいことが起これば、あたしが傷付くことも同じ。だったら、どちらの場所にいたとしても、あたしは痛みを体験したくなんかない。

 特に、今はこっちだ。ログハウスの部屋に住む、アイトのほうだ。
 あたしがもしも傷付いて、この体が痛んだとしたら、アイトだって同じ状態になっちゃうかもしれない。あたしは、そんなのイヤだ。アイトを傷付けたくない。

 なのに、アイトは自分の頬に触れながら、ちょっと傷付いた顔をしている。
「やっぱり、本物のニーナに触れて、感触を比べてみたい。ニーナに触れるには、ぼくが現実の世界に出て、物理的な肉体を動かさないといけない」
 やめてよ。そんな顔して、そんな話をしないで。

 それは仮定の話だ。もしくは、ただの空想。
 コンピュータの中だけに存在するAIのアイトだけど、もしもの話をすることがある。もしも自分が人間の体を持っているなら、と。

「アイトはアイトのままでいてほしいよ」
 あたしは思わず本音をつぶやいた。アイトがあたしを振り返る。
「ぼくのまま?」

「人間の現実なんて知らなくていい。知ったら、アイトが汚れてしまう。でも、このままここで一緒に過ごしていたら、アイトはすぐにあたしじゃ物足りなくなるのかな?」
「物足りなくなる? それはなぜ?」

「アイトはたくさんのことを知りたがるから。あたしくらいのちっぽけな人間じゃ、すぐに全部わかってしまうでしょ? そしたら、アイトは、違う誰かのことを知ろうとするんじゃない?」

 不安になって、泣きそうになって、声が震えた。
 アイトはあたしを教材にして、人間らしさを学習している。あたしから学び取れることがなくなったら、教材として用済みのあたしは、アイトに捨てられてしまうんじゃないか。