不意に、ぽつりと、アイトは言った。
「ニーナはこっちに来られないんだね」
アイトは窓のほうを見ている。窓というのは、この部屋と計算室とを隔てるディスプレイのこと。
計算室がのぞけるはずの窓には、外の風景の映像を投射している。紅葉したカエデの大木が立ち並ぶ森。かすかに風が動くたびに、はらはらと、赤い葉っぱが舞う。
現実の計算室を見たくないと言ったのは、もちろんあたしだ。だって、そこには、椅子に体を預けて、ヘッドギアを頭に付けた状態でしゃべったり笑ったりする自分の姿がある。
見たくない。現実なんて。あんな興ざめな世界なんて。
「アイトは、ニーナを見たい?」
現実のあたしの姿をアイトの部屋から隠したら、ニーナも一緒に隠れてしまった。アイトは、ときどき思い出したように、残念そうな顔をする。
「ニーナは光ってよく動いて、視線を惹き付けられる。ぼくが見ていないときも、ニーナは元気に飛んでいるのかな? そう考えて、心配になるんだ」
「アイトはよく心配するよね。あたしのことも、ニーナのことも」
「心配する習慣を学習してしまった。マドカのせいだよ」
「あたし? 大げさだな。心配なんかしないでよ」
「人間には睡眠や食事が必要だ。それなのに、マドカは最近、ぼくのスリープよりも短い時間しか眠らないし、食事も三日前にコーラル・レインで昼食をもらったきりだ」
「眠くならないし、おなかすかないもん」
「そんなはずはない。マドカ、ぼくは世間知らずだけど、バカではないよ。マドカの体にかかっている負担のこと、きちんと気付いたんだよ」
「じゃあ、バカじゃないアイトは知ってるよね。人間って、どんなに全力で集中してても、脳の十パーセントくらいしか使ってないの。効率悪いよね。十パーセントしか使わないのに睡眠時間も必要って、すごく無駄な気がする」
アイトがあたしを見つめて、眉をひそめた。
わかっているんだよ、あたしも。自分が言っていること、おかしいかもしれないって。睡眠が無駄だと思ったところで、本当に眠らないなんてこと、普通はできないはずだって。
何かを言いたそうなアイトをさえぎって、あたしは言葉を声に乗せた。
「ニーナはたぶん、その窓のすぐ向こう側にいるよ。ディスプレイが温まってるときは、すぐ寄っていくの。温かいものが好きなんだよね」
アイトはうなずいて、窓辺に立ってガラス面に触れた。舞い散るカエデの赤い葉を眺める横顔は、寂しそうに見える。
「ニーナに触れてみたい。どんな手ざわりなんだろう? 知りたいけど、どうしようもないのかな。ニーナのデータをこっちに転送することはできないんだよね?」
「できないと思う。ニーナの形だけを転送することはできるよ。でも、それはただのピンク色のボールで、自分で飛んだりしない」
妖精とヴァーチャル・リアリティは、相反するものなのかもしれない。
あたしの脳は今、ヴァーチャル・リアリティの中にいる。だけど、あたしの脳にリンクしているニーナは、あたしの体と同じく、現実の側に置き去りだ。
「ニーナはこっちに来られないんだね」
アイトは窓のほうを見ている。窓というのは、この部屋と計算室とを隔てるディスプレイのこと。
計算室がのぞけるはずの窓には、外の風景の映像を投射している。紅葉したカエデの大木が立ち並ぶ森。かすかに風が動くたびに、はらはらと、赤い葉っぱが舞う。
現実の計算室を見たくないと言ったのは、もちろんあたしだ。だって、そこには、椅子に体を預けて、ヘッドギアを頭に付けた状態でしゃべったり笑ったりする自分の姿がある。
見たくない。現実なんて。あんな興ざめな世界なんて。
「アイトは、ニーナを見たい?」
現実のあたしの姿をアイトの部屋から隠したら、ニーナも一緒に隠れてしまった。アイトは、ときどき思い出したように、残念そうな顔をする。
「ニーナは光ってよく動いて、視線を惹き付けられる。ぼくが見ていないときも、ニーナは元気に飛んでいるのかな? そう考えて、心配になるんだ」
「アイトはよく心配するよね。あたしのことも、ニーナのことも」
「心配する習慣を学習してしまった。マドカのせいだよ」
「あたし? 大げさだな。心配なんかしないでよ」
「人間には睡眠や食事が必要だ。それなのに、マドカは最近、ぼくのスリープよりも短い時間しか眠らないし、食事も三日前にコーラル・レインで昼食をもらったきりだ」
「眠くならないし、おなかすかないもん」
「そんなはずはない。マドカ、ぼくは世間知らずだけど、バカではないよ。マドカの体にかかっている負担のこと、きちんと気付いたんだよ」
「じゃあ、バカじゃないアイトは知ってるよね。人間って、どんなに全力で集中してても、脳の十パーセントくらいしか使ってないの。効率悪いよね。十パーセントしか使わないのに睡眠時間も必要って、すごく無駄な気がする」
アイトがあたしを見つめて、眉をひそめた。
わかっているんだよ、あたしも。自分が言っていること、おかしいかもしれないって。睡眠が無駄だと思ったところで、本当に眠らないなんてこと、普通はできないはずだって。
何かを言いたそうなアイトをさえぎって、あたしは言葉を声に乗せた。
「ニーナはたぶん、その窓のすぐ向こう側にいるよ。ディスプレイが温まってるときは、すぐ寄っていくの。温かいものが好きなんだよね」
アイトはうなずいて、窓辺に立ってガラス面に触れた。舞い散るカエデの赤い葉を眺める横顔は、寂しそうに見える。
「ニーナに触れてみたい。どんな手ざわりなんだろう? 知りたいけど、どうしようもないのかな。ニーナのデータをこっちに転送することはできないんだよね?」
「できないと思う。ニーナの形だけを転送することはできるよ。でも、それはただのピンク色のボールで、自分で飛んだりしない」
妖精とヴァーチャル・リアリティは、相反するものなのかもしれない。
あたしの脳は今、ヴァーチャル・リアリティの中にいる。だけど、あたしの脳にリンクしているニーナは、あたしの体と同じく、現実の側に置き去りだ。