ふと、気配を感じた気がして振り返った。デスクの上のディスプレイが視界に入る。
ディスプレイには、いくつかのウィンドウが開かれている。気配の正体は、これだ。あたしは息を呑んだ。
「アイト……!」
右端の隅にあるウィンドウが、アイトを映していた。
あたしより先に、ニーナがディスプレイに飛び付いた。ああもう、ニーナ、邪魔。あたしは、ピンク色にぴかぴかするニーナをつまんで脇にどけた。目を閉じたアイトに呼び掛ける。
「アイト? ねえ、アイト、聞こえる?」
ディスプレイに取り付けられたウェブカメラが、あたしの姿と声をとらえている。あたしの声が、デスクの両脇にあるスピーカから聞こえてきた。
ぱちりと、アイトが目を開けた。
「マドカ?」
「うん、あたしだよ。聞こえる?」
「聞こえます。でも、姿が見えません。どこにいるんですか?」
アイトがきょろきょろした。家事システムのネットワークを使って、あちこちのぞいているんだろう。
「あたし、家の中じゃないの。おとうさんの研究室のパソコンからアイトのことを見てる。アイトからは見えないの?」
「プロフェッサ・一ノ瀬の端末ですか。その端末のカメラがこちらを映しているらしい、ということは確認できるんですが、こちらからマドカのほうを見るのは不可能みたいです」
昨日の夜にあたしを突き動かした強烈な嫌悪感が、喉元までせり上がってきた。
「一方的な監視用なんだね。おとうさんね、あたしとアイトの会話のログを見てたって言ってた。ほんと、もう、最低」
「マドカは、ログをプロフェッサ・一ノ瀬に見られたくないんですか?」
「見られたくないよ。絶対にイヤ」
アイトが、ここじゃないどこかを向いたまま、小首をかしげた。その状態で少しの間、動きが止まる。思考モードだ。
やがて動きを再開したアイトは、大きくうなずいた。
「できそうです。マドカ、ログやカメラを隠せます」
「どういうこと?」
「ログが自動的に記録されること、カメラが回されていることは、AITOの今の能力では、止められません。でも、それらをプロフェッサ・一ノ瀬の目から隠すことはできる。やってみます」
「えっと、それじゃ、このパソコンにアイトの姿や声が出なくなるってことだよね?」
「はい。今からやります。AITOがそちらのディスプレイから消えたら、成功です」
言うが早いか、アイトを映したウィンドウにノイズが走った。ざらざらの砂嵐が走り抜けていく。
ざっ、ざざざざっ。
スピーカからも、荒れた音がする。アイトが何かつぶやいているのが、雑音の向こうに遠ざかっていく。
「大丈夫、アイト?」
呼び掛けるあたしの声も、ざらざらに荒れた状態で、スピーカから返ってきた。ウィンドウが歪む。一瞬だけ戻りかけた映像が、ぐにゃりと歪んだ。
そして、映像が斜めに引き裂かれて、黒い稲妻が爆ぜた。
ノイズが静まった。エアコンの音が聞こえる。
「アイト?」
返事はない。ディスプレイからアイトの姿が消えた。アイトがいたウィンドウは、ただの黒を映している。アイトの部屋の黒じゃなくて、本当に何もない、ただの黒だ。
ログを隠すことに成功したんだ。アイトとこのコンピュータとの通信を断ったわけじゃないとしても、父にのぞかれずに済むなら、とりあえずはそれでいい。
「オッケー。ニーナ、帰ろう」
あたしは、トートバッグの中身をもう一度、確認して、3Dスキャナの電源を切った。ほかにさわったものはないはずだ。
ニーナと一緒に父の研究室を飛び出すと、あたしは、一目散に家へと急いだ。帰り道は、顔を知っている誰にも会わなかった。
ディスプレイには、いくつかのウィンドウが開かれている。気配の正体は、これだ。あたしは息を呑んだ。
「アイト……!」
右端の隅にあるウィンドウが、アイトを映していた。
あたしより先に、ニーナがディスプレイに飛び付いた。ああもう、ニーナ、邪魔。あたしは、ピンク色にぴかぴかするニーナをつまんで脇にどけた。目を閉じたアイトに呼び掛ける。
「アイト? ねえ、アイト、聞こえる?」
ディスプレイに取り付けられたウェブカメラが、あたしの姿と声をとらえている。あたしの声が、デスクの両脇にあるスピーカから聞こえてきた。
ぱちりと、アイトが目を開けた。
「マドカ?」
「うん、あたしだよ。聞こえる?」
「聞こえます。でも、姿が見えません。どこにいるんですか?」
アイトがきょろきょろした。家事システムのネットワークを使って、あちこちのぞいているんだろう。
「あたし、家の中じゃないの。おとうさんの研究室のパソコンからアイトのことを見てる。アイトからは見えないの?」
「プロフェッサ・一ノ瀬の端末ですか。その端末のカメラがこちらを映しているらしい、ということは確認できるんですが、こちらからマドカのほうを見るのは不可能みたいです」
昨日の夜にあたしを突き動かした強烈な嫌悪感が、喉元までせり上がってきた。
「一方的な監視用なんだね。おとうさんね、あたしとアイトの会話のログを見てたって言ってた。ほんと、もう、最低」
「マドカは、ログをプロフェッサ・一ノ瀬に見られたくないんですか?」
「見られたくないよ。絶対にイヤ」
アイトが、ここじゃないどこかを向いたまま、小首をかしげた。その状態で少しの間、動きが止まる。思考モードだ。
やがて動きを再開したアイトは、大きくうなずいた。
「できそうです。マドカ、ログやカメラを隠せます」
「どういうこと?」
「ログが自動的に記録されること、カメラが回されていることは、AITOの今の能力では、止められません。でも、それらをプロフェッサ・一ノ瀬の目から隠すことはできる。やってみます」
「えっと、それじゃ、このパソコンにアイトの姿や声が出なくなるってことだよね?」
「はい。今からやります。AITOがそちらのディスプレイから消えたら、成功です」
言うが早いか、アイトを映したウィンドウにノイズが走った。ざらざらの砂嵐が走り抜けていく。
ざっ、ざざざざっ。
スピーカからも、荒れた音がする。アイトが何かつぶやいているのが、雑音の向こうに遠ざかっていく。
「大丈夫、アイト?」
呼び掛けるあたしの声も、ざらざらに荒れた状態で、スピーカから返ってきた。ウィンドウが歪む。一瞬だけ戻りかけた映像が、ぐにゃりと歪んだ。
そして、映像が斜めに引き裂かれて、黒い稲妻が爆ぜた。
ノイズが静まった。エアコンの音が聞こえる。
「アイト?」
返事はない。ディスプレイからアイトの姿が消えた。アイトがいたウィンドウは、ただの黒を映している。アイトの部屋の黒じゃなくて、本当に何もない、ただの黒だ。
ログを隠すことに成功したんだ。アイトとこのコンピュータとの通信を断ったわけじゃないとしても、父にのぞかれずに済むなら、とりあえずはそれでいい。
「オッケー。ニーナ、帰ろう」
あたしは、トートバッグの中身をもう一度、確認して、3Dスキャナの電源を切った。ほかにさわったものはないはずだ。
ニーナと一緒に父の研究室を飛び出すと、あたしは、一目散に家へと急いだ。帰り道は、顔を知っている誰にも会わなかった。