「ナサニエルさんは、父のこと、何も知らないでしょう?」
 ニーナが天井のそばから降りてきて、あたしの目の前で赤くちかちか光っている。光にあおられて、あたしのイライラがかさを増す。
 ユキさんが息を呑む気配があった。勘の鋭い人だから、あたしの怒りやいらだちを見抜いてしまったんだろう。

 ナサニエルさんは平然としていた。
「一ノ瀬教授について、いくらかは知ってるよ。今年の秋学期では、おれも、一ノ瀬教授の少人数授業を受けている。意見交換の活発な授業だから、教授ともたくさん話をしている」

「あの人の授業?」
「響告大学には、文系や理系、学部や専攻といった壁を取り払うことが目的の、全学共通の交流型の授業シリーズがある。一ノ瀬教授はいちばん人気で、抽選で受講者をピックアップした。受講できるおれは、ラッキーだったというわけ」

 文学部の大学院生であるナサニエルさんは、社会学を専門にしている。
 生まれ故郷のオーストラリアと留学先である日本とを比較して分析する結果をもとに、これから訪れる未来について、理想的なモデルを提案していくのが研究テーマらしい。

 父の授業を受けるのも、自分の研究テーマのためだという。
 情報工学やコンピュータやAIは今、社会に大きな影響を与えている。これからますますその存在感は大きくなるはずだから、社会学を研究する身として、必ず知っておかないといけないんだって。

「先週の授業で、マドカのことが出てきたよ。うちの娘は見事なデジタル・ネイティヴで、どんな機械も、何の説明もないのに、いきなり使えてしまうんだ、と」
「デジタル・ネイティヴ?」
「生まれたころから、パソコンやゲーム機やスマホみたいなデジタル・デヴァイスが身の回りにあって、誰かに教わらなくても、いつの間にか使えるようになる。そういう人間のこと」

「あたしがデジタル・ネイティヴだっていうなら、それは父のせいです。うちの中、紙の本がないし。おもちゃは、父が開発したゲーム機しかなかった。ソフトは市販のやつだったけど」

 世界に一台しかないデヴァイスなんだぞ、と父は何度も自慢していた。
 父が作ったデヴァイスは、簡単に言えば、現実の自分の姿をトレースして、画面の中に3Dで再現する機械だ。画面の中の自分のことをアバタと呼んで、ゲーム用のコントローラやコンピュータのキーボード、あるいは、父が作ったヘッドギアで操作する。

 あたしが小さいころにプレイしたゲームには、当時のあたしの姿をしたアバタがセーヴされている。あのデヴァイスがあれば、あたしは、アイトの黒い部屋にログインするんだけど。