でも、怖い。

 あんなに頑張り屋でみんなの人望もあって、親切だった松本くんが、今となっては惟怖い。

 足を前に出す。右、左、右……。しかし傾斜は無残にも秒を追うごとに角度を増す。

 わたしの足取りなど無駄な抵抗に過ぎないとあざ笑うかのように。

「小神!」

 気付いたときにはギュッと目をつぶり、わたしはその名を叫んでいた。もちろん、ここは松本くんの夢の中の世界。届くはずはない――

 そう分かっていながらも、小神の名を叫ばずにはいられなかったのだ。

 その時のわたしにはもう小神しかいないも同然だったのだから。

「――さん! 星野さん!」

 暗闇の向こう側から、耳馴染みのある声がわたしの名を呼ぶ。

 切実味を帯びた、けれども冷静さをどこか含ませた声。

 幻聴だ、これは。だってここは松本くんの夢の世界の中だもの。

 ここにいるはずがない――期待を裏切られることを恐れ、予防線を張りつつ眼を開くとそこには、

「星野さん、掴まってください!」

ほっそりした白い顔に細縁の眼鏡――小神忠作が、間違いなくわたしに向かって手を差し出していた。

 一目見て一瞬、別人かと思うような真剣で切羽詰まったまなざし。