十二支の家・序列第一は九頭竜家で、だから困難な妖怪祓いの任務ほど、九頭竜家にまわってくる。
 だから、俺が十五歳の時、――父は任務の際に受けた傷が悪化して死んだ。


「十夜さま! 当主さまがお呼びです」
「ああ。すぐにいく」

 使用人が俺を呼び、俺は、当主である祖父さまの屋敷へとむかった。

 九頭竜家の広大な敷地には、四つの屋敷があったが、俺以外誰もいなくなった自宅の屋敷はとても広かった。幸い、俺は能力も高く、すでに実戦経験も積んでいたし、当主の祖父さまにも評価されていた。母もすでにいなかったが、使用人は変わらず俺に仕えてくれて、俺は不自由なく暮らすことが出来た。
 次期当主の座は叔父へいくかと思ったが、意外にも祖父さまは俺を指名した。俺は祖父や父と同じく『白龍の腕』を持っていたが、叔父にはそれがないからだと、祖父さまは言った。
 祖父さまは、自分が経営する会社にも、俺専用の執務室を用意してくれると約束してくれた。

 衣食住、そして将来まで、俺は何不自由なく暮らすことはできたが、かわりに夜中に目が覚めることが多くなった。
 妖怪を祓う任務の後は、その時の光景がフラッシュバックして、俺はいつでも戦場の中だった。
 ――別に、怖かったわけでも、苦戦したわけでもないのに。
 どうしてそうなのかは分からないが、しかし俺はそれでも通常通りに、それまでと変わらずに生活できた。意外にも、この睡眠不足だろうものは、俺の仕事にはたいして影響しないようだった。



 ある日、『眠れない夜は、羊を数えるといい』――そんなまじないがあると聞いた。
でも、そんなものは嘘っぱちだ。噂を聞いたその晩、俺はそう思った。
 数を数えたところで、なんだというのか。余計に頭が覚醒するだけじゃないか。
 俺は三千匹を数えたところで、そのまじないを信じるのをやめた。
 ――こんなもので、眠れるわけがない。

 
 眠れないのは、両親の思い出の影がある屋敷が悪いのかもしれない。
 だから、二十歳になった時に、屋敷を建て直すことにした。
 次期当主の俺は、俺が思うより評価されていたらしい。祖父さまの許可は簡単に降りて、俺は九頭竜家の敷地内に新しい屋敷を建てた。


 家の設計は設計士に任せていた。だから、俺が気付いたときには、俺の部屋のすぐ近くに、妻になる女の部屋が完成していた。
 できあがった屋敷を見に来た俺は、自室と廊下を挟んですぐの位置に、豪華な部屋ができていることに驚いた。

「……妻の部屋は、もっとあっちの……大きな建物のほうにあるものじゃないのか? 渡り廊下の先は、俺の部屋だけではないのか」
「若さま。この方が、未来の花嫁さまと近くで暮らせますよ」

 そう建築士は言った。――こいつは、なにを言っているんだ?

「そんな女はいない」
「まあ、今はそうでしょうけれど。いずれは若さまも、花嫁さまをお迎えになられますでしょうし」
「……はぁ。お前達、そればかりだな」

 二十歳を超えてから、この手の話は多くなった。
 満成なんかは早くから婚約者が決まっているし、十二支の家は子どものうちから婚約者を決めている家も多い。
 俺も当然勧められはするが、どの女を見ても大して興味は湧かないままだ。かといって俺は九頭竜家の次期当主だ、適当に選ぶことはしたくない。

 そのまま、月日は流れていった。



 二十三歳になってしばらくが経った時、とうとう祖父さまの命で作られた『お見合い相手の候補リスト』が渡された。
 十二支の家の、未婚の女が載っているリストだ。……驚いたことに、有力な家の令嬢は、婚約者がいても載っていた。どうやら、九頭竜なら奪えると、本気で思っているらしい。

「こんなものを渡されたところでな……」

 リストをばさりと、机に置く。――まだ、結婚なんて考えられない。

 机に広がったリストの中で、ふと、ピンボケの写真が目に入った。その紙を一枚抜き取って、眺める。

「なんだこれは……? ……羊垣内、伊織……?」

 聞いたことのない名だった。あまり情報のない簡素なプロフィールと、隠し撮りのような写真があるだけの紙だ。こんな情報量では、祖父さまたちのオススメではないらしい。勧める気があるなら、もっとぎっしり――この彩女のプロフィールのように、書いてくるはずだ。
 俺は、リストの一番上にあった、彩女のプロフィールをちらりと見る。

「……はぁ」

 自然と、ため息が出た。
 どうにも、序列二位の『虎』の家との婚姻を推し進めたいらしい。――ご苦労なことだ。
 俺はまた、手に取った紙に目を戻した。

「羊、か……」

 序列十二位の、『羊』の家。十二支の家の未婚の令嬢だから入れられただけで、祖父さまは『羊』なんて望んでいないのだろう――。

 まあ、なんにせよ。俺は今、結婚する気はない。
 俺は、リストを机に放った。
 昨日までと同じく、この話は引き延ばすつもりだった。

 ――そのつもりだったんだ。



「あの……。その……十夜さまのお帰りまで、待っているなんて、……ご迷惑でしたか……?」
「ん? いいや。帰るのが遅くなってすまない」
「いえ、お、お疲れ様です……っ」

 彼女は――伊織は、そう言って小さくお辞儀をした。

 あの日見つけた、俺の天使だ。
 彼女が顔を上げる。少し、安堵したような表情をした。それを見るとまた、俺も安堵する。

 伊織が俺の屋敷に来て、六日が経った。

 俺は彼女に一度だって怒ったことはないが、常になにかに怯えている。それが、彼女があの夜に湖にいた理由なのは、容易に想像が付くが――……。
 初めて、俺の手で守ってやりたいと思った女の子。小さくて、気弱そうで、でも、俺の役に立ちたいのだと、何度も伝えてくる女の子。
 あの夜、俺が一番最初に彼女を見つけることが出来て、本当によかったと思う。そのおかげで、彼女は今も俺の屋敷にいるのだ。


 建築士が勝手に用意したあの部屋を、サキたちが勝手に整えて、伊織に与えてしまった。俺の妻の部屋として用意された、あの部屋を、伊織はなんの疑いもなく、客室だと思って使っている。――そして俺は、その誤解を解かない。
 あの部屋に彼女がいるのだと思うと、仕事も任務も、なにもかもが苦ではない。


 いつも通り俺の寝室にやってきた伊織は、いつも通り俺の手を握った。小さな手がぷるぷる震えているのもいつも通りで、なんだかそれがかわいくて、いつまでもそうしていて欲しかった。

「で、では、いきます……!」
「ああ。頼む」

 布団の中で俺が頷くと、彼女と繋いだ手の中から、淡い光が瞬いた。伊織の羊の能力が発動したのだ。すぐに、眠気がやってきた。これで、今夜も俺はぐっすりと眠れるだろう。
 そう思った時、視界の端で、伊織の姿がぐらりと倒れるの見た。だから、俺はいつものように、それを捕まえて俺の布団へといれてやる。

 ……本当は、彼女の部屋に運ぶべきなのだ。それは分かっている。だが、あまりにも眠たくて、立ち上がるなんてできるわけもなく、これが限界だった。――というのは、きっと……言い訳なのだ。
 俺のために力を使ったのに、自分の方が先に眠ってしまった彼女の頬を撫でる。

 もうすぐ俺にも、深い眠りが訪れる。それは彼女が与えてくれた恩恵だけれど、でも、せっかく俺の腕の中にいる彼女を感じずに、このまま寝るのもなんだか惜しい気もして――。


 そう思っているうちに、俺はすっかり眠ってしまった。