“兄が何を考えてたかくらい、想像つきます。バカな人”
『バカですか…』
“バカです。でも兄の想いは、兄のものです。彼が決めたんなら、貫くべきです”
『それがどんなことでも、ですか』
“善悪なんて、しょせん人が決めたものでしょう”
全部を知っているはずはないのに。
それでもああ言いきる強さ。
先輩への揺るがない信頼に、心を打たれた。
声の代わりに、手に入れたものなんだろうか。
失声症は、長くても半年ほどで回復する病気のはずで、千歳さんも、どうしてかわからないと明るく首をひねっていた。
心の傷を、全部声と一緒にしまいこんで。
だからこそあんなふうに、強く笑っていられるのかもしれない。
そう思った。
帰り道、彼女が持たせてくれた一通の手紙を、くり返し眺めた。
読む、というほどの内容ではなかった。
アイボリーの便箋に書きとめられた、メモみたいな文面。
先輩が穏やかに微笑んで、毎晩つづっていたのは、これだ。
“日がのびたよね”とか“ゴルフボールみたいなヒョウがふったよ”とか、日常のごくささやかなことが、ぱらぱらと書き連ねてある。
文字の方向すら適当で、罫線のない便箋の上に、あっちこっちを向いている。
たぶん強く頭にあったことは大きな字で、そうでもないことは普通のサイズで。
そんなふうに好きに書きこまれた便箋は、その時その時の先輩の頭の中の、ヒートマップみたいになっていた。
漢字が少ないのは、きっと一歩くんにも読めるようにだ。
先輩は本来、すごく筆不精なのだと千歳さんは言っていた。
メールだとそれがさらにひどくなり、あまりにそっけないので、定期的に手紙をくれと彼女がせがんだらしい。
“これ、あなたでしょう?”と彼女がくれた手紙には、隅のほうに大きめの文字で、おもしろい子に会ったよ、と書かれていた。
消印は、私が初めて先輩の部屋に泊めてもらった、あの付近の日付。