なんの流れだったか、先輩に真衣子の話をしたことがある。

高校をやめても、すねもめげもせず、きっちり進学という選択肢を手に入れた真衣子の強さに、感服だと私は言った。

とりとめのない私の話を笑って聞いていた先輩は、その話になると急に反応を示して。

そういう経緯で大学に来ても、問題なさそう? ちゃんと楽しそう? と妙に熱心に訊いた。



“当面の学費と生活費を、兄は私に残してくれました。それから私が学校に行く間、この子を預かってくれる場所も”

「保育園とか、ですか?」



ひざにまとわりつく一歩くんの頭をなでながら、千歳さんが首を振って、微笑んだ。



“幼い頃出ていった、私たちの母を見つけてくれたんです”





…――妹が喋らなくなったのは、高校に上がって少しした頃でした。

妹の変化に、僕はしばらく気がつきませんでした。

当時2年だった僕はちょっと反抗的で、家のことから逃げていたのです。

祖父はそもそも寡黙な人で、最低限の会話だけの生活だったので、やっぱり気づくのが遅れました。


子供がいるとわかった時、事情を知った僕は、妹を叱りました。

アルバイトを許した覚えがなかったからです。


妹が、たぶん生涯で最も不安だった時、そんな理由で僕は、彼女を責めました。

今でも思い出すと、自分を引き裂いて捨てたくなる。


産むと決めてからの妹は、強かった。

父親のいない子の母として、誰も真似できないくらい立派に産み、育てました。


妹は今、幸せです。

けど自分が何を失ったのか、知らない。

あの家は、祖父が面倒な人づきあいから退き、海を眺めて暮らすために建てたものです。

あそこにいる限り妹は、自分が手にしてもおかしくなかった人生を、知らずに生きるでしょう。


でも僕は、妹と同じ年頃の子が、どれだけ自由で未来に満ちているか、知ってる。

妹が奪われたものを、知ってる。


たぶん、人が生きていくには、それなりの理由が必要で。

それにすがらないと生きていけないくらいには、僕は弱かったんだと。

そういうことなんだと思います。――…