先輩はまだ迷っているらしく、眉をひそめていくつかぱらぱらとコードを押さえる。

無理強いされた不満を示すように、口が少し、すねたへの字になっている。

窓の敷居に腰を下ろして、さっきまでの花火で少し煙り、火薬の匂いを残す夜空をぼんやり見つめながら。

くるくるとフレーズを移ろわせていた先輩が、ふと何か見つけたように、一筋の旋律を奏でだした。


ゆったりしたアルペジオと重なる、特徴のある、切なくて懐かしい、雨だれみたいな単音のイントロ。

懐メロと言われる時代から今まで、ずっと最前線にいるバンドの、知らない人はいない名曲だ。

真夏に交わした愛を、涙と共に思い出す歌。


まさか先輩がラブソングを選ぶとは思わなかったので、ちょっと驚いて、でもその柔らかい響きに満たされた。

メロディに入る直前、本当に歌ってくれるのか心配になって見あげると、目が合う。

疑り深い私に、さらに機嫌を損ねたらしい先輩は、まだふんぎりがつかないのか、視線を窓の外に泳がせて。

最後にちらっと私を見ると、照れくさそうに少しだけ微笑んで、口を開いた。


先輩の歌声。

穏やかで、静かで、柔らかくて。

どこまでも優しく、夏の夜の湿った空気に溶けていく。


普段から、少しぼんやりとゆるいその声は、こうしてバラードに乗ると、特徴が際立つ。

なんでも知っているふうなのに、どこか甘えているような。

哀しみを抱えながらも、幸せを抱いてるような。


控えめなのに伸びやかに響く声は、時折にじむようにかすれて潤む。

色気のあるファルセットが、私の心を揺らす。


涙が出た。

先輩はやっぱり、温かい人です。

こんな優しい人、他に知らない。


ひざに顔をうずめる私を、曲に何か思い入れがあるとでも思ってくれたのか、先輩は何も言わなかった。

サビをくり返して、原曲よりもさらに甘くゆったりと歌いきると、肩の荷が下りたのか、ふうと息をついてアウトロに専念する。


最後の一音の余韻が消えた時、窓の外から拍手が聞こえた。

はっとそちらを振り返った先輩は、いかにも悔しそうな、恥ずかしそうな顔になり。

机のティッシュボックスをとりあげて、屋根の下に向かって腹立たしげに投げつけた。

きっと善さんが、庭で聴いてたんだ。