六月に入り、写真部には新しい風が吹き込んだ。
もうひとりの新入生、経済学部の「佐野」という男子が入部してきたのだ。
初日、部室の扉を開くなり『失礼しまーす! え、ここめっちゃ雰囲気良くないですか?』と快活な声を響かせた登場の仕方は、誰がどう見ても愛すべき陽キャのそれだった。物怖じしない性格で、その場にいた全員をあっという間に巻き込んでいく姿は、人見知りでコミュ障な自分からすれば別世界の住人でしかない。
――そして、それからわずか数日が経った現在。佐野はすっかり部のムードメーカーになっていた。
「温、お疲れ! 今日の課題、もう終わった?」
部室に入るなり、佐野は当然のように俺の肩にぽんと腕を回してくる。
俺はそのあまりに狭いパーソナルスペースに戸惑いながらも、『う、ううん……まだ途中』と引きつった顔で返すのがやっとだ。
そんな強い引力を持った佐野が加わったことで、部室の空気は以前よりもずっと賑やかになった。けれど、その明るさが増すほどに、隅の席に座る俺の影はどんどん薄くなっていく気がする。
何より苦しかったのは、佐野が斗澤先輩に対しても物怖じせず、――下手をしたら、俺よりもずっと自然で親密な距離感で軽口を叩き合っていることだった。
(……そういう俺は、先輩のいったい何ポジションでこんなこと考えてるんだろう)
頭では冷めたツッコミを入れながらも、どうしても、楽しげに笑い合う二人のほうへ視線が吸い寄せられてしまう。
来週行く予定の撮影旅行のプリントをぱちん、ぱちんとホチキス留めしていると、少し離れた場所から、佐野が斗澤先輩に話しかける声が耳に届いた。
「はいはーい、ひとつ質問。斗澤先輩って、彼女とかいるんですか?」
「居ない。あんまそういうの興味ないし」
「え、意外。じゃあ今度、サシ飲みでも行きましょうよ」
「何でそうなるんだよ。てか、お前まだ一年だろうが」
「先輩の恋バナ聞きたいー。同じ学科で、先輩のこと狙ってる子めっちゃ居るし、情報収集しときたいんすよ」
「お前、俺のこと売る気だろ」
佐野が斗澤先輩の腕に軽く触れながら、からかうように笑っている。それを横目で見てしまった瞬間、肌が冷たい風で煽られたみたいに粟立つ。実際に痛むわけではないのに、腕や肩のあたりがひりひりする。
(斗澤先輩が色んな人に好かれているのは、今に始まったことじゃないだろ)
講義室で共通科目の授業を受けている時や、食堂で昼飯を食べている時もそうだ。どこから見ていても、斗澤先輩の周りにはいつも人が途切れることがなかった。気さくに声をかけられ、楽しげに笑い返す。誰に対しても分け隔てのないその姿は、いかにも人が集まる人間特有の爽やかさに満ちている。
けれど、佐野との絡みだけは、そうした遠くの景色を見るような穏やかな気持ちでは見ていられなくて、妙にざらついたモヤモヤを孕んでいた。
(なんで? 他の人と違う所があるとしたら……佐野が、あんなふうに躊躇いなくスキンシップをとるから、か……?)
その理由を頭の片隅で理解しかけて、俺はあわてて激しく首を振る。
認めてしまえば引き返せなくなりそうなその正体に気づくのが、ただひたすらに怖かった。
「……温、どうした。眉間にすげぇ皺寄ってるぞ」
「本当ですか?」
「具合悪い、とかじゃないんだよな?」
心配そうに斗澤先輩に顔を覗き込まれると、至近距離で目が合い、思わず反射的に視線を逸らす。
「別に、何もないです。ただ……」
「ただ?」
言いかけて、俺は慌てて言葉を飲み込んだ。佐野が先輩に馴れ馴れしくしているのが面白くなかったんです、なんて口が裂けても言えるわけがない。
「……問題ありません」
「そっか」
斗澤先輩はそれ以上、深く追究してこなかった。その代わりみたいに、普段に増して俺の名前を呼んでくれる。
一緒にレンズの掃除をしようとか、次の撮影旅行の資料整理を手伝ってくれとか。何かにつけて俺を自分の隣に置くような仕事を任せてくれた。
たぶん、俺の様子がおかしいことに気づいている。というか、もうすっかり『なんかコイツ、拗ねてね?』と見透かされている気がする。なのに、自分の醜い独占欲や臆病な本心を指摘されるのが怖くて、俺は余計に素っ気ない態度をとってしまった。
「温、これってもう終わったやつ?」
「見ての通りです」
「ん、ありがとな。……で、なんでこっち向いてくれないの?」
「……作業中なので」
ちゃんと真面目に仕事をしてますから、これ以上踏み込まないでください。そう言いたげな、どこまでも可愛げのない仏頂面。
手入れのために覗き込んだカメラのレンズの向こうには、そんな、不機嫌に尖った自分の情けない顔が小さく映り込んでいる。斗澤先輩が、俺のその隠しきれない膨れっ面に気付いていたかどうかは……分からない。
おとなしい後輩の顔をして、本当はこんな「もっとこっちを見てください」という気持ちを無言で撒き散らしているって知ったら。
斗澤先輩は、俺のことをどう思うんだろう。
もうひとりの新入生、経済学部の「佐野」という男子が入部してきたのだ。
初日、部室の扉を開くなり『失礼しまーす! え、ここめっちゃ雰囲気良くないですか?』と快活な声を響かせた登場の仕方は、誰がどう見ても愛すべき陽キャのそれだった。物怖じしない性格で、その場にいた全員をあっという間に巻き込んでいく姿は、人見知りでコミュ障な自分からすれば別世界の住人でしかない。
――そして、それからわずか数日が経った現在。佐野はすっかり部のムードメーカーになっていた。
「温、お疲れ! 今日の課題、もう終わった?」
部室に入るなり、佐野は当然のように俺の肩にぽんと腕を回してくる。
俺はそのあまりに狭いパーソナルスペースに戸惑いながらも、『う、ううん……まだ途中』と引きつった顔で返すのがやっとだ。
そんな強い引力を持った佐野が加わったことで、部室の空気は以前よりもずっと賑やかになった。けれど、その明るさが増すほどに、隅の席に座る俺の影はどんどん薄くなっていく気がする。
何より苦しかったのは、佐野が斗澤先輩に対しても物怖じせず、――下手をしたら、俺よりもずっと自然で親密な距離感で軽口を叩き合っていることだった。
(……そういう俺は、先輩のいったい何ポジションでこんなこと考えてるんだろう)
頭では冷めたツッコミを入れながらも、どうしても、楽しげに笑い合う二人のほうへ視線が吸い寄せられてしまう。
来週行く予定の撮影旅行のプリントをぱちん、ぱちんとホチキス留めしていると、少し離れた場所から、佐野が斗澤先輩に話しかける声が耳に届いた。
「はいはーい、ひとつ質問。斗澤先輩って、彼女とかいるんですか?」
「居ない。あんまそういうの興味ないし」
「え、意外。じゃあ今度、サシ飲みでも行きましょうよ」
「何でそうなるんだよ。てか、お前まだ一年だろうが」
「先輩の恋バナ聞きたいー。同じ学科で、先輩のこと狙ってる子めっちゃ居るし、情報収集しときたいんすよ」
「お前、俺のこと売る気だろ」
佐野が斗澤先輩の腕に軽く触れながら、からかうように笑っている。それを横目で見てしまった瞬間、肌が冷たい風で煽られたみたいに粟立つ。実際に痛むわけではないのに、腕や肩のあたりがひりひりする。
(斗澤先輩が色んな人に好かれているのは、今に始まったことじゃないだろ)
講義室で共通科目の授業を受けている時や、食堂で昼飯を食べている時もそうだ。どこから見ていても、斗澤先輩の周りにはいつも人が途切れることがなかった。気さくに声をかけられ、楽しげに笑い返す。誰に対しても分け隔てのないその姿は、いかにも人が集まる人間特有の爽やかさに満ちている。
けれど、佐野との絡みだけは、そうした遠くの景色を見るような穏やかな気持ちでは見ていられなくて、妙にざらついたモヤモヤを孕んでいた。
(なんで? 他の人と違う所があるとしたら……佐野が、あんなふうに躊躇いなくスキンシップをとるから、か……?)
その理由を頭の片隅で理解しかけて、俺はあわてて激しく首を振る。
認めてしまえば引き返せなくなりそうなその正体に気づくのが、ただひたすらに怖かった。
「……温、どうした。眉間にすげぇ皺寄ってるぞ」
「本当ですか?」
「具合悪い、とかじゃないんだよな?」
心配そうに斗澤先輩に顔を覗き込まれると、至近距離で目が合い、思わず反射的に視線を逸らす。
「別に、何もないです。ただ……」
「ただ?」
言いかけて、俺は慌てて言葉を飲み込んだ。佐野が先輩に馴れ馴れしくしているのが面白くなかったんです、なんて口が裂けても言えるわけがない。
「……問題ありません」
「そっか」
斗澤先輩はそれ以上、深く追究してこなかった。その代わりみたいに、普段に増して俺の名前を呼んでくれる。
一緒にレンズの掃除をしようとか、次の撮影旅行の資料整理を手伝ってくれとか。何かにつけて俺を自分の隣に置くような仕事を任せてくれた。
たぶん、俺の様子がおかしいことに気づいている。というか、もうすっかり『なんかコイツ、拗ねてね?』と見透かされている気がする。なのに、自分の醜い独占欲や臆病な本心を指摘されるのが怖くて、俺は余計に素っ気ない態度をとってしまった。
「温、これってもう終わったやつ?」
「見ての通りです」
「ん、ありがとな。……で、なんでこっち向いてくれないの?」
「……作業中なので」
ちゃんと真面目に仕事をしてますから、これ以上踏み込まないでください。そう言いたげな、どこまでも可愛げのない仏頂面。
手入れのために覗き込んだカメラのレンズの向こうには、そんな、不機嫌に尖った自分の情けない顔が小さく映り込んでいる。斗澤先輩が、俺のその隠しきれない膨れっ面に気付いていたかどうかは……分からない。
おとなしい後輩の顔をして、本当はこんな「もっとこっちを見てください」という気持ちを無言で撒き散らしているって知ったら。
斗澤先輩は、俺のことをどう思うんだろう。



