告白されたら、君を忘れる

 一回目の僕は、僕よりずっと信用できた。

 少なくとも。

 今の僕に向けて、

『久世湊を疑わないで』

 と書き残すくらいには。

 朝。

 教室へ入る。

 湊はもう来ていた。

 昨日置いた付箋が、透明なスマホケースの中に入っている。

「それ」

 僕が指差す。

 湊がスマホを伏せた。

「何」

「入れたの?」

「何を」

「付箋」

「……捨てるのもあれだから」

「嬉しかった?」

「別に」

 右手。

「親指」

「朝からうるさい」

「嬉しかったんだ」

「授業始まるぞ」

「まだ十五分ある」

「寝る」

 机に伏せる。

 逃げた。

 僕は笑った。

 昨日までなら。

 こういう時間が嬉しいだけだった。

 でも今は。

 一つ知るたびに。

 その向こうに、もう一つ疑問が出てくる。

 一回目。

 十月十七日。

 告白。

 十月十八日。

 僕は湊を忘れた。

 その後。

 僕はもう一度湊を知った。

 また好きになった。

 そして二回目。

 また忘れた。

 さらに三回目。

 今回。

 どうして。

 三回も。

 同じことが起きる。

「湊」

 机に伏せたまま。

「何」

「二回目はいつ?」

 動きが止まった。

「何が」

「僕が湊を忘れた日」

 沈黙。

「昨日聞いたら、途中でやめただろ」

「今聞くのか」

「今聞きたい」

 湊が顔を上げる。

「律」

「一回目の僕が手紙残してた」

「知ってる」

「なら、もう少し知ってもいいと思う」

「その紙に二回目のことは?」

「書いてない」

「じゃあ」

「だから聞いてる」

 湊はしばらく僕を見る。

「十二月二十五日」

 僕は思わず眉を上げた。

「クリスマス?」

「ああ」

「最悪の日だな」

「そうだな」

「何があった?」

「朝だった」

「また?」

「ああ」

「前の日は?」

 湊の視線が逸れる。

「湊」

「十二月二十四日」

「それはわかる」

「放課後」

「うん」

「お前に」

 言葉が止まる。

「何?」

「二回目に好きって言った」

 胸の奥が沈んだ。

 やっぱり。

 一回目と同じ。

「どうして?」

「お前が聞いた」

「また?」

「ああ」

「僕、毎回言わせてるじゃん」

「そうだな」

「学習しないな」

「お前が言うな」

 そう言った湊は。

 笑わなかった。

「二回目の僕も、湊を好きだった?」

「ああ」

「告白する前から?」

「ああ」

「付き合ってた?」

 少し間。

「まだ」

「また?」

「一回目のあと、お前が慎重になった」

「そりゃそうか」

 一回忘れたんだから。

「だから」

 湊が続ける。

「二回目は、ずっと曖昧だった」

「曖昧?」

「毎日一緒にいた」

「うん」

「手つないだ」

「え」

「お前から」

「そこ重要?」

「事実」

 顔が熱くなる。

「でも付き合ってない」

「ああ」

「何それ」

「俺が告白しなかった」

「何で」

「怖かったから」

 湊の声が低くなる。

「一回目のことがあったから」

 当然だ。

 好きと言った翌日。

 僕は忘れた。

「でもクリスマスイブに言った」

「ああ」

「僕が言わせた?」

「ああ」

「どうやって」

「聞かなくていい」

「知りたい」

「嫌だ」

「湊」

「本当に嫌だ」

 そこまで言われると。

 逆に気になる。

「恥ずかしいやつ?」

「違う」

「じゃあ何」

「お前が」

 湊は僕を見る。

「泣いた」

 呼吸が止まる。

「僕が?」

「ああ」

「また?」

「雨の日とは別」

「何で」

「俺が」

 声がかすかに揺れた。

「好きって言わなかったから」

 僕は何も言えなくなった。

「そんなことで?」

「お前にとっては、そんなことだったんだろうな」

「いや」

 たぶん。

 そんなことじゃなかった。

 昔の僕にとって。

「二回目の俺は」

 湊がゆっくり言う。

「言わないつもりだった」

「うん」

「ずっと」

「うん」

「お前が好きでも」

 胸が鳴った。

「言わなければ、忘れないと思ったから」

 今と。

 同じ。

「でも」

「僕が?」

「ああ」

「言わせた」

「そう」

「何て」

 湊は顔を背ける。

「それは言いたくない」

「何で」

「覚えてないお前に、俺が言うのは違う」

「またそれ」

「じゃあ自分で探せ」

 その言葉に。

 僕は顔を上げた。

「探せるの?」

「知らない」

「何か残ってる?」

「俺は消した」

「でも僕は?」

「二回目のあとに全部消した」

 なら。

 その前。

 十二月二十四日。

 どこかに。

 何か。

     *

 昼休み。

 松岡を廊下へ連れ出した。

「何だよ」

「聞きたいことある」

「久世?」

「何でわかるの」

「最近それしかないじゃん」

 否定できない。

「去年のクリスマスイブ」

「急だな」

「僕と久世、何してた?」

「知らねえよ」

「見てない?」

「去年のイブって学校あったっけ」

「終業式」

「ああ」

 松岡が天井を見る。

「そういや」

「何」

「お前、放課後すげえ機嫌悪かった」

「僕が?」

「うん」

「何で」

「久世と喧嘩したとか言ってたような」

「僕が言った?」

「たぶん」

「どんな喧嘩」

「知らねえ」

「思い出して」

「無茶言うな」

 腕を組んで考える。

「でも」

「何」

「お前、俺に変なこと聞いた」

「何を」

「好きなやつに好きって言われないのって、振られてんのと同じかって」

 僕は固まった。

「……僕が?」

「ああ」

「何て答えた?」

「知らんって言った」

「役に立たない」

「高校生男子に恋愛相談すんなよ」

「それもそう」

「あと」

「まだある?」

「久世に言うなって言われた気がする」

「僕に?」

「お前に」

「湊が?」

「違う。お前が。久世には絶対言うなって」

 僕は頭を抱えた。

「めんどくさいな、過去の僕」

「今もだろ」

「うるさい」

「でも夜には仲直りしたんじゃね?」

「何で」

「写真」

「写真?」

「次の日くらいに見せられた」

 身体が固まる。

「何の」

「イルミネーション」

「二人で?」

「たぶん」

「どこ」

「駅前じゃね」

「僕のスマホにはない」

「消したんだろ」

「それが」

 言いかけて。

 やめる。

 松岡は一回目の忘却を知っている。

 でも。

 二回目も知っていたのか。

「ねえ」

「何」

「十二月二十五日の僕って、変だった?」

 松岡が僕を見る。

「……またか?」

「何」

「前もそうだったよな」

 心臓が強く鳴る。

「松岡」

「十月くらい」

「一回目」

「朝、久世見て『誰だっけ』って」

「覚えてる?」

「そりゃ気味悪かったからな」

「二回目も?」

 松岡の顔が変わる。

「お前」

 僕は黙る。

「マジで何なの」

「僕もわからない」

「十二月も」

 松岡の声が低くなる。

「朝、同じこと言ってた」

「何て」

「久世とそんな仲良かったっけ、って」

 胸が沈む。

「やっぱり」

「その時、久世が」

 松岡は言葉を止める。

「何」

「殴りそうな顔してた」

「僕を?」

「自分を」

 その言葉。

 一回目と同じ。

「それで?」

「お前ら放課後どっか行った」

「どこ」

「知らねえ」

「その後は」

「冬休み入っただろ」

「連絡は?」

「お前から何回か来た」

「何て」

「覚えてない」

「見せて」

「残ってるかな」

 松岡がスマホを出した。

 去年の十二月。

 トーク履歴を遡る。

「あった」

 僕は覗き込む。

 十二月二十五日。

 午後六時十九分。

 僕から。

『久世ってどんな奴だった?』

 文字を見た瞬間。

 喉が詰まった。

 松岡。

『お前それまた?』

 僕。

『またって何』

 松岡。

『前も忘れてただろ』

 僕。

『何の話』

 松岡。

『久世に聞け』

 僕。

『あいつ何も言わない』

 松岡。

『じゃあ俺も言わない』

 僕。

『役立たず』

 松岡。

『うるせえ』

 そこから少し間。

 午後九時三十二分。

 僕。

『僕って久世のこと好きだった?』

 指先が冷たくなった。

「こんなの送ってたの」

「覚えてねえ」

「返事」

 下を見る。

 松岡。

『本人に聞け』

 僕。

『答えない』

 松岡。

『じゃあたぶん好きだったんじゃね』

 僕。

『何で』

 松岡。

『お前があいつ見る時だけ顔違ったから』

 僕は画面から目を離した。

「顔って」

「知らんよ」

「松岡」

「半年以上前だぞ」

 スマホを返す。

「ありがと」

「律」

「何」

 珍しく。

 松岡が名前で呼んだ。

「病院行ったほうがいいんじゃね」

 冗談じゃなかった。

「行ったらしい」

「らしいって」

「一回目に」

「異常なし?」

「うん」

「じゃあもう一回」

「考えてる」

 嘘だった。

 考えていない。

 病院より。

 今は。

 過去の僕が何をしたのか知りたかった。

「久世に全部背負わせんなよ」

 松岡が言った。

「え?」

「あいつ」

 一度言葉を切る。

「たぶん、お前以上にやばいから」

「何が」

「顔」

「顔?」

「お前に忘れられた日の」

 松岡は笑わなかった。

「二回とも、見てられなかった」

     *

 放課後。

 僕は湊に言わず。

 駅前へ行った。

 クリスマスイブ。

 イルミネーション。

 松岡の話。

 どこか。

 駅前の広場。

 十二月なら、大きなツリーが置かれる。

 今は何もない。

 ベンチ。

 時計。

 噴水。

 歩き回る。

 何も思い出さない。

 スマホを見る。

 去年の十二月二十四日。

 写真は。

 ない。

 でも。

 別のもの。

 位置情報の履歴。

 僕は普段、地図アプリの履歴なんて見ない。

 開く。

 十二月二十四日。

 午後五時十二分。

 駅前。

 五時四十九分。

 北口。

 六時十八分。

 河川敷。

「河川敷?」

 駅から徒歩十五分。

 僕は向かった。

 夕方。

 風が冷たい。

 堤防を下りる。

 川沿い。

 ベンチが三つ。

 真ん中。

 近づいた瞬間。

 胸がざわついた。

 ここ。

 知っている。

 座る。

 目の前は川。

 向こう岸。

 冬のイルミネーションなら。

 たぶんここから見えた。

 目を閉じる。

 風。

 冷たい。

 でも。

 あの日。

 もっと寒かった。

 手。

 誰かの手。

 あたたかい。

『冷たい』

 声。

 僕?

『手袋しないお前が悪い』

 湊。

『貸して』

『片方だけ?』

『片方ずつ』

 笑い声。

 目を開けた。

「今の」

 思い出した?

 想像?

 わからない。

 でも。

 すごく自然だった。

 僕はベンチの周りを見る。

 何もない。

 当たり前だ。

 半年以上前。

 それでも。

 足元。

 ベンチの裏。

 何か。

 マーカーの跡。

 黒。

 しゃがむ。

『K 12/24 A』

 小さな文字。

 誰かの落書き。

 久世。

 朝倉。

 いや。

 そんな都合よく。

 スマホが震えた。

 湊。

『どこいる』

 どうして。

『駅』

 既読。

『嘘』

 右手が見えなくても。

 僕も嘘が下手なのか。

『河川敷』

 電話。

「もしもし」

『そこで待ってろ』

「何で」

『行く』

「湊」

 切れた。

     *

 十分後。

 湊は走ってきた。

「何してる」

 息を切らして。

 怒っている。

「調べてた」

「一人で?」

「うん」

「何で言わない」

「言ったら止めるから」

「当たり前だろ」

「何で」

「ここは」

 湊が言葉を止める。

「何」

「……二回目の場所だから」

 胸が鳴った。

「やっぱり」

「松岡に聞いた?」

「少し」

「何て」

「僕がクリスマスイブに湊と喧嘩したって」

「喧嘩じゃない」

「じゃあ何」

 湊は僕を見る。

「お前が怒った」

「何で」

「俺が好きって言わなかったから」

「それは聞いた」

「誰に」

「湊から」

「ああ」

「でも詳しくは聞いてない」

 僕はベンチを指す。

「ここ?」

「ああ」

「ここで?」

「ああ」

「一度目と同じ?」

「違う」

「どう違う」

 湊は座らない。

 立ったまま。

「一度目は」

「うん」

「お前に言われて」

「うん」

「言った」

「二度目は?」

「俺が」

 ゆっくり息を吐く。

「言わないって決めてた」

「どうしても?」

「ああ」

「僕が好きでも?」

「ああ」

「何で」

「忘れるから」

 その答え。

 わかっていた。

「それで僕が泣いた」

「……ああ」

「何て言った?」

「律」

「教えて」

「やめろ」

「お願い」

 湊の顔を見る。

「僕のことだから」

「そう言うと思った」

「じゃあ」

「お前は」

 苦しそうに。

 言った。

「俺に、卑怯だって言った」

「僕が?」

「ああ」

「何で」

「好きなくせに言わないのは卑怯だって」

 胸に刺さる。

「俺は、言った」

 湊の声が低い。

「お前のためだって」

「うん」

「そしたらお前が」

 少しだけ。

 湊は笑った。

 笑いというより。

 傷の跡みたいな。

「勝手に決めるなって」

 僕は。

 黙った。

『僕が忘れるかもしれないからって、僕の気持ちまで勝手に決めるな』

 声。

 頭の中。

 僕。

『忘れたら、その時考えればいい』

 湊。

『お前は忘れるから言えるんだよ』

 僕。

『じゃあ湊は?』

『俺?』

『湊は僕を好きじゃなくなるの?』

 胸が苦しい。

『ならない』

『じゃあ何で言わないの』

『……』

『僕だけ忘れるなら』

 泣いている。

 声。

『湊が覚えててよ』

 僕は目を開けた。

 息が荒い。

「今」

 湊が僕を見る。

「何」

「思い出した?」

「少し」

「何を」

「僕」

 喉が震える。

「湊に」

 その先。

 言うのが怖い。

「覚えててって言った?」

 湊の顔が。

 変わった。

「……ああ」

「本当に?」

「ああ」

「僕だけ忘れるなら、湊が覚えててって」

「言った」

 胸の奥。

 熱い。

 苦しい。

「それで?」

「俺が言った」

「何を」

「好きだって」

 風が吹く。

 川面が揺れる。

「そのあと?」

「お前が」

 湊の声がかすれる。

「笑った」

「泣いてたのに?」

「泣きながら」

「何て」

「知ってるって」

 僕は顔を覆った。

「最悪」

「何が」

「恥ずかしい」

「お前が聞いたんだろ」

「でも」

 顔を上げる。

「それで翌朝」

「ああ」

「忘れた」

「ああ」

 湊を見る。

「湊は?」

「何」

「どうしたの」

「普通に学校行った」

「嘘」

「本当」

「それから」

「お前に話した」

「一回目と同じ?」

「ああ」

「僕は?」

「信じなかった」

 胸が痛い。

「また?」

「また」

「写真見せた?」

「ああ」

「イルミネーション」

「ああ」

「手つないでた?」

 湊が一瞬黙る。

「……ああ」

「それでも?」

「駄目だった」

「僕は何て」

「こんなの自分じゃないって」

 身体が固まった。

「え」

「写真の中のお前を見て」

 湊が静かに言う。

「そんな顔するはずないって」

 松岡が言った。

 久世を見る時だけ顔が違った。

「どんな顔」

「笑ってた」

「僕いつも笑うけど」

「違う」

「何が」

 湊は少し迷う。

「嬉しそうだった」

 胸が。

 ずきんと痛んだ。

「それで二回目の僕は」

「写真全部消してくれって言った」

「……」

「俺が持ってると」

 湊は手を握る。

「俺だけ前のお前を見続けることになるからって」

「だから消した」

「ああ」

「全部」

「ああ」

 僕が頼んだ。

 湊が消した。

 二人の思い出を。

「そのあと僕は?」

「また俺を知ろうとした」

 驚かない。

 もう。

「また好きになった?」

「ああ」

「三回目」

「ああ」

「昨日まで」

「ああ」

 僕はベンチに座る。

「僕」

 笑うしかなかった。

「ほんと馬鹿だ」

「何で」

「二回忘れてるのに」

「うん」

「三回目も湊を好きになった」

「そうだな」

「毎回」

「ああ」

「同じ人」

 湊が僕を見る。

「律」

「何」

「それを」

 言葉を止める。

「喜んでいいのかわからない」

 胸が詰まった。

 そうだ。

 僕にとっては。

 少し。

 ロマンチックに見える。

 忘れても。

 何度でも同じ人を好きになる。

 でも。

 湊にとっては。

 毎回。

 好きになった僕を失っている。

「ごめん」

「謝るな」

「でも」

「何回言わせる」

「じゃあ」

 僕は湊を見る。

「怒って」

「は?」

「僕に」

「無理」

「何で」

「お前のせいじゃない」

「それが嫌」

「律」

「松岡に聞いた」

「何を」

「僕が忘れた日の湊」

 彼の顔が強張る。

「見てられなかったって」

「松岡余計なこと」

「僕は見てない」

「何を」

「湊が傷ついたところ」

 声が震える。

「全部忘れてるから」

 僕は立ち上がる。

「だから湊だけが」

 一歩近づく。

「全部持ってる」

「……」

「好きになった僕も」

「律」

「忘れた僕も」

 もう一歩。

「湊を傷つけた僕も」

「やめろ」

「全部」

「やめろって」

「僕は何も持ってない」

「違う」

「何が」

「今のお前がいるだろ」

 強い声。

 初めて。

 湊が僕の腕を掴んだ。

「前のお前じゃなくて」

 痛いくらい。

「今のお前が」

 僕は。

 湊を見る。

「それでいい」

「湊は」

「何」

「それでいいの?」

「ああ」

「本当に?」

「ああ」

「僕がまた忘れても?」

 湊の手が。

 少し緩んだ。

「それは」

 右手。

 親指。

 握れない。

 僕の腕を掴んでいるから。

「答えて」

「……嫌だ」

 初めて。

 聞いた。

「嫌だよ」

 湊の声が。

 震えた。

「もう忘れられたくない」

 息が止まる。

「三回で十分だ」

 僕は。

 何も言えない。

「毎回」

 湊は僕の腕を離す。

「朝、お前の顔見て」

 俯く。

「今日は覚えてるかって考えるの」

 声が小さい。

「もう嫌だ」

 胸が痛い。

「教室入ってきて」

 湊の右手。

 親指を握っている。

「俺見て笑ったら安心して」

「……」

「名字で呼ばれたら怖くなって」

「湊」

「それで」

 声が途切れた。

「本当に忘れてた時」

 目を伏せる。

「何回やっても慣れない」

 僕は。

 初めて。

 この人の痛みを。

 少しだけ見た。

「ごめん」

「だから」

「これは言わせて」

 湊が黙る。

「ごめん」

 一度。

 ちゃんと。

「僕は覚えてないけど」

 胸の前で。

 拳を握る。

「湊は三回、僕を失ったんだよね」

 湊は何も言わない。

「それは」

 声が揺れる。

「ごめん」

 しばらく。

 川の音だけ。

「……卑怯だな」

 湊が言った。

「何が」

「覚えてない奴に謝られたら」

 少し笑う。

「怒れないだろ」

「怒っていいよ」

「無理」

「じゃあ殴る?」

「もっと無理」

「湊なら避けられそう」

「お前が殴るんじゃないのかよ」

 少し。

 二人で笑った。

 それだけで。

 胸の痛みが。

 ほんの少し軽くなる。

     *

 帰り道。

 僕たちは並んで歩いた。

「ねえ」

「何」

「三回目」

「ああ」

「今回」

「うん」

「いつ好きって言った?」

 湊の足が止まった。

「昨日聞いたけど」

「……」

「公園?」

「ああ」

「何時?」

「五時四十二分」

「付き合ったの五時四十三分って言ってた」

「ああ」

「一分後?」

「そう」

「早」

「お前が即答した」

「何て」

「俺も好きって」

「本当に毎回同じだな」

「そうだな」

 でも。

 一つ。

 引っかかる。

「三回とも」

「何」

「好きって言った翌日?」

 湊が黙る。

 一回目。

 十月十七日。

 告白。

 十八日。

 忘却。

 二回目。

 十二月二十四日。

 告白。

 二十五日。

 忘却。

 三回目。

 一昨日。

 告白。

 翌朝。

 忘却。

「偶然じゃない」

 口から出た。

 湊が僕を見る。

「律」

「三回」

「……」

「全部同じ」

「わかってる」

「わかってたの?」

「ああ」

「じゃあ何で三回目に言ったんだよ」

 責めるつもりはなかった。

 でも。

 声が強くなった。

「二回も同じこと起きてるなら!」

「だから言わないつもりだった!」

 湊も声を上げた。

 道の途中。

 二人とも止まる。

「じゃあ何で」

「お前が」

「僕が何」

「好きだって言ったから」

 息が止まる。

「え?」

「三回目は」

 湊が僕を見る。

「お前が先だった」

 知らない。

「僕が?」

「ああ」

「昨日は、湊が告白したって」

「正確には」

 一度息を吐く。

「お前が先に言った」

「何て」

「好きかもしれないって」

 胸が鳴る。

「それで俺が」

「好きって言った」

「ああ」

「僕が」

「俺もって」

 湊は苦しそうに笑う。

「それで」

「付き合った」

「ああ」

「翌朝」

「忘れた」

 僕は。

 しばらく何も言えなかった。

 そして。

 一つ。

 怖い考えが浮かぶ。

「告白されたら」

 湊が僕を見る。

「何」

「僕」

 喉が乾く。

「湊に好きって言われたら」

 口にするのが怖い。

「忘れる?」

 湊は。

 答えなかった。

 でも。

 その沈黙が。

 答えだった。

「だから」

 僕は続ける。

「もう言わないって」

「ああ」

「昨日、言った」

「ああ」

 ようやく。

 わかった。

『大丈夫。もう言わないから』

『何を?』

『好きって』

 あの言葉。

 あれは。

 僕への気遣いだけじゃなかった。

 湊自身の。

 決意。

「じゃあ」

 僕は立ち止まったまま聞く。

「今も?」

 湊の顔が強張る。

「何が」

「僕のこと」

「律」

「好き?」

「聞くな」

「どうして」

「わかるだろ」

「聞きたい」

「駄目」

「一回だけ」

「駄目」

「でも」

「言わない」

 湊が。

 はっきり言った。

「もう絶対に」

 胸が。

 ちくりと痛む。

「お前が何回聞いても」

 湊の目。

 まっすぐ。

「俺はもう、好きって言わない」

 その言葉は。

 僕を守るためのものだった。

 なのに。

 どうしてだろう。

 僕には。

 振られたみたいに聞こえた。