一回目の僕は、僕よりずっと信用できた。
少なくとも。
今の僕に向けて、
『久世湊を疑わないで』
と書き残すくらいには。
朝。
教室へ入る。
湊はもう来ていた。
昨日置いた付箋が、透明なスマホケースの中に入っている。
「それ」
僕が指差す。
湊がスマホを伏せた。
「何」
「入れたの?」
「何を」
「付箋」
「……捨てるのもあれだから」
「嬉しかった?」
「別に」
右手。
「親指」
「朝からうるさい」
「嬉しかったんだ」
「授業始まるぞ」
「まだ十五分ある」
「寝る」
机に伏せる。
逃げた。
僕は笑った。
昨日までなら。
こういう時間が嬉しいだけだった。
でも今は。
一つ知るたびに。
その向こうに、もう一つ疑問が出てくる。
一回目。
十月十七日。
告白。
十月十八日。
僕は湊を忘れた。
その後。
僕はもう一度湊を知った。
また好きになった。
そして二回目。
また忘れた。
さらに三回目。
今回。
どうして。
三回も。
同じことが起きる。
「湊」
机に伏せたまま。
「何」
「二回目はいつ?」
動きが止まった。
「何が」
「僕が湊を忘れた日」
沈黙。
「昨日聞いたら、途中でやめただろ」
「今聞くのか」
「今聞きたい」
湊が顔を上げる。
「律」
「一回目の僕が手紙残してた」
「知ってる」
「なら、もう少し知ってもいいと思う」
「その紙に二回目のことは?」
「書いてない」
「じゃあ」
「だから聞いてる」
湊はしばらく僕を見る。
「十二月二十五日」
僕は思わず眉を上げた。
「クリスマス?」
「ああ」
「最悪の日だな」
「そうだな」
「何があった?」
「朝だった」
「また?」
「ああ」
「前の日は?」
湊の視線が逸れる。
「湊」
「十二月二十四日」
「それはわかる」
「放課後」
「うん」
「お前に」
言葉が止まる。
「何?」
「二回目に好きって言った」
胸の奥が沈んだ。
やっぱり。
一回目と同じ。
「どうして?」
「お前が聞いた」
「また?」
「ああ」
「僕、毎回言わせてるじゃん」
「そうだな」
「学習しないな」
「お前が言うな」
そう言った湊は。
笑わなかった。
「二回目の僕も、湊を好きだった?」
「ああ」
「告白する前から?」
「ああ」
「付き合ってた?」
少し間。
「まだ」
「また?」
「一回目のあと、お前が慎重になった」
「そりゃそうか」
一回忘れたんだから。
「だから」
湊が続ける。
「二回目は、ずっと曖昧だった」
「曖昧?」
「毎日一緒にいた」
「うん」
「手つないだ」
「え」
「お前から」
「そこ重要?」
「事実」
顔が熱くなる。
「でも付き合ってない」
「ああ」
「何それ」
「俺が告白しなかった」
「何で」
「怖かったから」
湊の声が低くなる。
「一回目のことがあったから」
当然だ。
好きと言った翌日。
僕は忘れた。
「でもクリスマスイブに言った」
「ああ」
「僕が言わせた?」
「ああ」
「どうやって」
「聞かなくていい」
「知りたい」
「嫌だ」
「湊」
「本当に嫌だ」
そこまで言われると。
逆に気になる。
「恥ずかしいやつ?」
「違う」
「じゃあ何」
「お前が」
湊は僕を見る。
「泣いた」
呼吸が止まる。
「僕が?」
「ああ」
「また?」
「雨の日とは別」
「何で」
「俺が」
声がかすかに揺れた。
「好きって言わなかったから」
僕は何も言えなくなった。
「そんなことで?」
「お前にとっては、そんなことだったんだろうな」
「いや」
たぶん。
そんなことじゃなかった。
昔の僕にとって。
「二回目の俺は」
湊がゆっくり言う。
「言わないつもりだった」
「うん」
「ずっと」
「うん」
「お前が好きでも」
胸が鳴った。
「言わなければ、忘れないと思ったから」
今と。
同じ。
「でも」
「僕が?」
「ああ」
「言わせた」
「そう」
「何て」
湊は顔を背ける。
「それは言いたくない」
「何で」
「覚えてないお前に、俺が言うのは違う」
「またそれ」
「じゃあ自分で探せ」
その言葉に。
僕は顔を上げた。
「探せるの?」
「知らない」
「何か残ってる?」
「俺は消した」
「でも僕は?」
「二回目のあとに全部消した」
なら。
その前。
十二月二十四日。
どこかに。
何か。
*
昼休み。
松岡を廊下へ連れ出した。
「何だよ」
「聞きたいことある」
「久世?」
「何でわかるの」
「最近それしかないじゃん」
否定できない。
「去年のクリスマスイブ」
「急だな」
「僕と久世、何してた?」
「知らねえよ」
「見てない?」
「去年のイブって学校あったっけ」
「終業式」
「ああ」
松岡が天井を見る。
「そういや」
「何」
「お前、放課後すげえ機嫌悪かった」
「僕が?」
「うん」
「何で」
「久世と喧嘩したとか言ってたような」
「僕が言った?」
「たぶん」
「どんな喧嘩」
「知らねえ」
「思い出して」
「無茶言うな」
腕を組んで考える。
「でも」
「何」
「お前、俺に変なこと聞いた」
「何を」
「好きなやつに好きって言われないのって、振られてんのと同じかって」
僕は固まった。
「……僕が?」
「ああ」
「何て答えた?」
「知らんって言った」
「役に立たない」
「高校生男子に恋愛相談すんなよ」
「それもそう」
「あと」
「まだある?」
「久世に言うなって言われた気がする」
「僕に?」
「お前に」
「湊が?」
「違う。お前が。久世には絶対言うなって」
僕は頭を抱えた。
「めんどくさいな、過去の僕」
「今もだろ」
「うるさい」
「でも夜には仲直りしたんじゃね?」
「何で」
「写真」
「写真?」
「次の日くらいに見せられた」
身体が固まる。
「何の」
「イルミネーション」
「二人で?」
「たぶん」
「どこ」
「駅前じゃね」
「僕のスマホにはない」
「消したんだろ」
「それが」
言いかけて。
やめる。
松岡は一回目の忘却を知っている。
でも。
二回目も知っていたのか。
「ねえ」
「何」
「十二月二十五日の僕って、変だった?」
松岡が僕を見る。
「……またか?」
「何」
「前もそうだったよな」
心臓が強く鳴る。
「松岡」
「十月くらい」
「一回目」
「朝、久世見て『誰だっけ』って」
「覚えてる?」
「そりゃ気味悪かったからな」
「二回目も?」
松岡の顔が変わる。
「お前」
僕は黙る。
「マジで何なの」
「僕もわからない」
「十二月も」
松岡の声が低くなる。
「朝、同じこと言ってた」
「何て」
「久世とそんな仲良かったっけ、って」
胸が沈む。
「やっぱり」
「その時、久世が」
松岡は言葉を止める。
「何」
「殴りそうな顔してた」
「僕を?」
「自分を」
その言葉。
一回目と同じ。
「それで?」
「お前ら放課後どっか行った」
「どこ」
「知らねえ」
「その後は」
「冬休み入っただろ」
「連絡は?」
「お前から何回か来た」
「何て」
「覚えてない」
「見せて」
「残ってるかな」
松岡がスマホを出した。
去年の十二月。
トーク履歴を遡る。
「あった」
僕は覗き込む。
十二月二十五日。
午後六時十九分。
僕から。
『久世ってどんな奴だった?』
文字を見た瞬間。
喉が詰まった。
松岡。
『お前それまた?』
僕。
『またって何』
松岡。
『前も忘れてただろ』
僕。
『何の話』
松岡。
『久世に聞け』
僕。
『あいつ何も言わない』
松岡。
『じゃあ俺も言わない』
僕。
『役立たず』
松岡。
『うるせえ』
そこから少し間。
午後九時三十二分。
僕。
『僕って久世のこと好きだった?』
指先が冷たくなった。
「こんなの送ってたの」
「覚えてねえ」
「返事」
下を見る。
松岡。
『本人に聞け』
僕。
『答えない』
松岡。
『じゃあたぶん好きだったんじゃね』
僕。
『何で』
松岡。
『お前があいつ見る時だけ顔違ったから』
僕は画面から目を離した。
「顔って」
「知らんよ」
「松岡」
「半年以上前だぞ」
スマホを返す。
「ありがと」
「律」
「何」
珍しく。
松岡が名前で呼んだ。
「病院行ったほうがいいんじゃね」
冗談じゃなかった。
「行ったらしい」
「らしいって」
「一回目に」
「異常なし?」
「うん」
「じゃあもう一回」
「考えてる」
嘘だった。
考えていない。
病院より。
今は。
過去の僕が何をしたのか知りたかった。
「久世に全部背負わせんなよ」
松岡が言った。
「え?」
「あいつ」
一度言葉を切る。
「たぶん、お前以上にやばいから」
「何が」
「顔」
「顔?」
「お前に忘れられた日の」
松岡は笑わなかった。
「二回とも、見てられなかった」
*
放課後。
僕は湊に言わず。
駅前へ行った。
クリスマスイブ。
イルミネーション。
松岡の話。
どこか。
駅前の広場。
十二月なら、大きなツリーが置かれる。
今は何もない。
ベンチ。
時計。
噴水。
歩き回る。
何も思い出さない。
スマホを見る。
去年の十二月二十四日。
写真は。
ない。
でも。
別のもの。
位置情報の履歴。
僕は普段、地図アプリの履歴なんて見ない。
開く。
十二月二十四日。
午後五時十二分。
駅前。
五時四十九分。
北口。
六時十八分。
河川敷。
「河川敷?」
駅から徒歩十五分。
僕は向かった。
夕方。
風が冷たい。
堤防を下りる。
川沿い。
ベンチが三つ。
真ん中。
近づいた瞬間。
胸がざわついた。
ここ。
知っている。
座る。
目の前は川。
向こう岸。
冬のイルミネーションなら。
たぶんここから見えた。
目を閉じる。
風。
冷たい。
でも。
あの日。
もっと寒かった。
手。
誰かの手。
あたたかい。
『冷たい』
声。
僕?
『手袋しないお前が悪い』
湊。
『貸して』
『片方だけ?』
『片方ずつ』
笑い声。
目を開けた。
「今の」
思い出した?
想像?
わからない。
でも。
すごく自然だった。
僕はベンチの周りを見る。
何もない。
当たり前だ。
半年以上前。
それでも。
足元。
ベンチの裏。
何か。
マーカーの跡。
黒。
しゃがむ。
『K 12/24 A』
小さな文字。
誰かの落書き。
久世。
朝倉。
いや。
そんな都合よく。
スマホが震えた。
湊。
『どこいる』
どうして。
『駅』
既読。
『嘘』
右手が見えなくても。
僕も嘘が下手なのか。
『河川敷』
電話。
「もしもし」
『そこで待ってろ』
「何で」
『行く』
「湊」
切れた。
*
十分後。
湊は走ってきた。
「何してる」
息を切らして。
怒っている。
「調べてた」
「一人で?」
「うん」
「何で言わない」
「言ったら止めるから」
「当たり前だろ」
「何で」
「ここは」
湊が言葉を止める。
「何」
「……二回目の場所だから」
胸が鳴った。
「やっぱり」
「松岡に聞いた?」
「少し」
「何て」
「僕がクリスマスイブに湊と喧嘩したって」
「喧嘩じゃない」
「じゃあ何」
湊は僕を見る。
「お前が怒った」
「何で」
「俺が好きって言わなかったから」
「それは聞いた」
「誰に」
「湊から」
「ああ」
「でも詳しくは聞いてない」
僕はベンチを指す。
「ここ?」
「ああ」
「ここで?」
「ああ」
「一度目と同じ?」
「違う」
「どう違う」
湊は座らない。
立ったまま。
「一度目は」
「うん」
「お前に言われて」
「うん」
「言った」
「二度目は?」
「俺が」
ゆっくり息を吐く。
「言わないって決めてた」
「どうしても?」
「ああ」
「僕が好きでも?」
「ああ」
「何で」
「忘れるから」
その答え。
わかっていた。
「それで僕が泣いた」
「……ああ」
「何て言った?」
「律」
「教えて」
「やめろ」
「お願い」
湊の顔を見る。
「僕のことだから」
「そう言うと思った」
「じゃあ」
「お前は」
苦しそうに。
言った。
「俺に、卑怯だって言った」
「僕が?」
「ああ」
「何で」
「好きなくせに言わないのは卑怯だって」
胸に刺さる。
「俺は、言った」
湊の声が低い。
「お前のためだって」
「うん」
「そしたらお前が」
少しだけ。
湊は笑った。
笑いというより。
傷の跡みたいな。
「勝手に決めるなって」
僕は。
黙った。
『僕が忘れるかもしれないからって、僕の気持ちまで勝手に決めるな』
声。
頭の中。
僕。
『忘れたら、その時考えればいい』
湊。
『お前は忘れるから言えるんだよ』
僕。
『じゃあ湊は?』
『俺?』
『湊は僕を好きじゃなくなるの?』
胸が苦しい。
『ならない』
『じゃあ何で言わないの』
『……』
『僕だけ忘れるなら』
泣いている。
声。
『湊が覚えててよ』
僕は目を開けた。
息が荒い。
「今」
湊が僕を見る。
「何」
「思い出した?」
「少し」
「何を」
「僕」
喉が震える。
「湊に」
その先。
言うのが怖い。
「覚えててって言った?」
湊の顔が。
変わった。
「……ああ」
「本当に?」
「ああ」
「僕だけ忘れるなら、湊が覚えててって」
「言った」
胸の奥。
熱い。
苦しい。
「それで?」
「俺が言った」
「何を」
「好きだって」
風が吹く。
川面が揺れる。
「そのあと?」
「お前が」
湊の声がかすれる。
「笑った」
「泣いてたのに?」
「泣きながら」
「何て」
「知ってるって」
僕は顔を覆った。
「最悪」
「何が」
「恥ずかしい」
「お前が聞いたんだろ」
「でも」
顔を上げる。
「それで翌朝」
「ああ」
「忘れた」
「ああ」
湊を見る。
「湊は?」
「何」
「どうしたの」
「普通に学校行った」
「嘘」
「本当」
「それから」
「お前に話した」
「一回目と同じ?」
「ああ」
「僕は?」
「信じなかった」
胸が痛い。
「また?」
「また」
「写真見せた?」
「ああ」
「イルミネーション」
「ああ」
「手つないでた?」
湊が一瞬黙る。
「……ああ」
「それでも?」
「駄目だった」
「僕は何て」
「こんなの自分じゃないって」
身体が固まった。
「え」
「写真の中のお前を見て」
湊が静かに言う。
「そんな顔するはずないって」
松岡が言った。
久世を見る時だけ顔が違った。
「どんな顔」
「笑ってた」
「僕いつも笑うけど」
「違う」
「何が」
湊は少し迷う。
「嬉しそうだった」
胸が。
ずきんと痛んだ。
「それで二回目の僕は」
「写真全部消してくれって言った」
「……」
「俺が持ってると」
湊は手を握る。
「俺だけ前のお前を見続けることになるからって」
「だから消した」
「ああ」
「全部」
「ああ」
僕が頼んだ。
湊が消した。
二人の思い出を。
「そのあと僕は?」
「また俺を知ろうとした」
驚かない。
もう。
「また好きになった?」
「ああ」
「三回目」
「ああ」
「昨日まで」
「ああ」
僕はベンチに座る。
「僕」
笑うしかなかった。
「ほんと馬鹿だ」
「何で」
「二回忘れてるのに」
「うん」
「三回目も湊を好きになった」
「そうだな」
「毎回」
「ああ」
「同じ人」
湊が僕を見る。
「律」
「何」
「それを」
言葉を止める。
「喜んでいいのかわからない」
胸が詰まった。
そうだ。
僕にとっては。
少し。
ロマンチックに見える。
忘れても。
何度でも同じ人を好きになる。
でも。
湊にとっては。
毎回。
好きになった僕を失っている。
「ごめん」
「謝るな」
「でも」
「何回言わせる」
「じゃあ」
僕は湊を見る。
「怒って」
「は?」
「僕に」
「無理」
「何で」
「お前のせいじゃない」
「それが嫌」
「律」
「松岡に聞いた」
「何を」
「僕が忘れた日の湊」
彼の顔が強張る。
「見てられなかったって」
「松岡余計なこと」
「僕は見てない」
「何を」
「湊が傷ついたところ」
声が震える。
「全部忘れてるから」
僕は立ち上がる。
「だから湊だけが」
一歩近づく。
「全部持ってる」
「……」
「好きになった僕も」
「律」
「忘れた僕も」
もう一歩。
「湊を傷つけた僕も」
「やめろ」
「全部」
「やめろって」
「僕は何も持ってない」
「違う」
「何が」
「今のお前がいるだろ」
強い声。
初めて。
湊が僕の腕を掴んだ。
「前のお前じゃなくて」
痛いくらい。
「今のお前が」
僕は。
湊を見る。
「それでいい」
「湊は」
「何」
「それでいいの?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
「僕がまた忘れても?」
湊の手が。
少し緩んだ。
「それは」
右手。
親指。
握れない。
僕の腕を掴んでいるから。
「答えて」
「……嫌だ」
初めて。
聞いた。
「嫌だよ」
湊の声が。
震えた。
「もう忘れられたくない」
息が止まる。
「三回で十分だ」
僕は。
何も言えない。
「毎回」
湊は僕の腕を離す。
「朝、お前の顔見て」
俯く。
「今日は覚えてるかって考えるの」
声が小さい。
「もう嫌だ」
胸が痛い。
「教室入ってきて」
湊の右手。
親指を握っている。
「俺見て笑ったら安心して」
「……」
「名字で呼ばれたら怖くなって」
「湊」
「それで」
声が途切れた。
「本当に忘れてた時」
目を伏せる。
「何回やっても慣れない」
僕は。
初めて。
この人の痛みを。
少しだけ見た。
「ごめん」
「だから」
「これは言わせて」
湊が黙る。
「ごめん」
一度。
ちゃんと。
「僕は覚えてないけど」
胸の前で。
拳を握る。
「湊は三回、僕を失ったんだよね」
湊は何も言わない。
「それは」
声が揺れる。
「ごめん」
しばらく。
川の音だけ。
「……卑怯だな」
湊が言った。
「何が」
「覚えてない奴に謝られたら」
少し笑う。
「怒れないだろ」
「怒っていいよ」
「無理」
「じゃあ殴る?」
「もっと無理」
「湊なら避けられそう」
「お前が殴るんじゃないのかよ」
少し。
二人で笑った。
それだけで。
胸の痛みが。
ほんの少し軽くなる。
*
帰り道。
僕たちは並んで歩いた。
「ねえ」
「何」
「三回目」
「ああ」
「今回」
「うん」
「いつ好きって言った?」
湊の足が止まった。
「昨日聞いたけど」
「……」
「公園?」
「ああ」
「何時?」
「五時四十二分」
「付き合ったの五時四十三分って言ってた」
「ああ」
「一分後?」
「そう」
「早」
「お前が即答した」
「何て」
「俺も好きって」
「本当に毎回同じだな」
「そうだな」
でも。
一つ。
引っかかる。
「三回とも」
「何」
「好きって言った翌日?」
湊が黙る。
一回目。
十月十七日。
告白。
十八日。
忘却。
二回目。
十二月二十四日。
告白。
二十五日。
忘却。
三回目。
一昨日。
告白。
翌朝。
忘却。
「偶然じゃない」
口から出た。
湊が僕を見る。
「律」
「三回」
「……」
「全部同じ」
「わかってる」
「わかってたの?」
「ああ」
「じゃあ何で三回目に言ったんだよ」
責めるつもりはなかった。
でも。
声が強くなった。
「二回も同じこと起きてるなら!」
「だから言わないつもりだった!」
湊も声を上げた。
道の途中。
二人とも止まる。
「じゃあ何で」
「お前が」
「僕が何」
「好きだって言ったから」
息が止まる。
「え?」
「三回目は」
湊が僕を見る。
「お前が先だった」
知らない。
「僕が?」
「ああ」
「昨日は、湊が告白したって」
「正確には」
一度息を吐く。
「お前が先に言った」
「何て」
「好きかもしれないって」
胸が鳴る。
「それで俺が」
「好きって言った」
「ああ」
「僕が」
「俺もって」
湊は苦しそうに笑う。
「それで」
「付き合った」
「ああ」
「翌朝」
「忘れた」
僕は。
しばらく何も言えなかった。
そして。
一つ。
怖い考えが浮かぶ。
「告白されたら」
湊が僕を見る。
「何」
「僕」
喉が乾く。
「湊に好きって言われたら」
口にするのが怖い。
「忘れる?」
湊は。
答えなかった。
でも。
その沈黙が。
答えだった。
「だから」
僕は続ける。
「もう言わないって」
「ああ」
「昨日、言った」
「ああ」
ようやく。
わかった。
『大丈夫。もう言わないから』
『何を?』
『好きって』
あの言葉。
あれは。
僕への気遣いだけじゃなかった。
湊自身の。
決意。
「じゃあ」
僕は立ち止まったまま聞く。
「今も?」
湊の顔が強張る。
「何が」
「僕のこと」
「律」
「好き?」
「聞くな」
「どうして」
「わかるだろ」
「聞きたい」
「駄目」
「一回だけ」
「駄目」
「でも」
「言わない」
湊が。
はっきり言った。
「もう絶対に」
胸が。
ちくりと痛む。
「お前が何回聞いても」
湊の目。
まっすぐ。
「俺はもう、好きって言わない」
その言葉は。
僕を守るためのものだった。
なのに。
どうしてだろう。
僕には。
振られたみたいに聞こえた。
少なくとも。
今の僕に向けて、
『久世湊を疑わないで』
と書き残すくらいには。
朝。
教室へ入る。
湊はもう来ていた。
昨日置いた付箋が、透明なスマホケースの中に入っている。
「それ」
僕が指差す。
湊がスマホを伏せた。
「何」
「入れたの?」
「何を」
「付箋」
「……捨てるのもあれだから」
「嬉しかった?」
「別に」
右手。
「親指」
「朝からうるさい」
「嬉しかったんだ」
「授業始まるぞ」
「まだ十五分ある」
「寝る」
机に伏せる。
逃げた。
僕は笑った。
昨日までなら。
こういう時間が嬉しいだけだった。
でも今は。
一つ知るたびに。
その向こうに、もう一つ疑問が出てくる。
一回目。
十月十七日。
告白。
十月十八日。
僕は湊を忘れた。
その後。
僕はもう一度湊を知った。
また好きになった。
そして二回目。
また忘れた。
さらに三回目。
今回。
どうして。
三回も。
同じことが起きる。
「湊」
机に伏せたまま。
「何」
「二回目はいつ?」
動きが止まった。
「何が」
「僕が湊を忘れた日」
沈黙。
「昨日聞いたら、途中でやめただろ」
「今聞くのか」
「今聞きたい」
湊が顔を上げる。
「律」
「一回目の僕が手紙残してた」
「知ってる」
「なら、もう少し知ってもいいと思う」
「その紙に二回目のことは?」
「書いてない」
「じゃあ」
「だから聞いてる」
湊はしばらく僕を見る。
「十二月二十五日」
僕は思わず眉を上げた。
「クリスマス?」
「ああ」
「最悪の日だな」
「そうだな」
「何があった?」
「朝だった」
「また?」
「ああ」
「前の日は?」
湊の視線が逸れる。
「湊」
「十二月二十四日」
「それはわかる」
「放課後」
「うん」
「お前に」
言葉が止まる。
「何?」
「二回目に好きって言った」
胸の奥が沈んだ。
やっぱり。
一回目と同じ。
「どうして?」
「お前が聞いた」
「また?」
「ああ」
「僕、毎回言わせてるじゃん」
「そうだな」
「学習しないな」
「お前が言うな」
そう言った湊は。
笑わなかった。
「二回目の僕も、湊を好きだった?」
「ああ」
「告白する前から?」
「ああ」
「付き合ってた?」
少し間。
「まだ」
「また?」
「一回目のあと、お前が慎重になった」
「そりゃそうか」
一回忘れたんだから。
「だから」
湊が続ける。
「二回目は、ずっと曖昧だった」
「曖昧?」
「毎日一緒にいた」
「うん」
「手つないだ」
「え」
「お前から」
「そこ重要?」
「事実」
顔が熱くなる。
「でも付き合ってない」
「ああ」
「何それ」
「俺が告白しなかった」
「何で」
「怖かったから」
湊の声が低くなる。
「一回目のことがあったから」
当然だ。
好きと言った翌日。
僕は忘れた。
「でもクリスマスイブに言った」
「ああ」
「僕が言わせた?」
「ああ」
「どうやって」
「聞かなくていい」
「知りたい」
「嫌だ」
「湊」
「本当に嫌だ」
そこまで言われると。
逆に気になる。
「恥ずかしいやつ?」
「違う」
「じゃあ何」
「お前が」
湊は僕を見る。
「泣いた」
呼吸が止まる。
「僕が?」
「ああ」
「また?」
「雨の日とは別」
「何で」
「俺が」
声がかすかに揺れた。
「好きって言わなかったから」
僕は何も言えなくなった。
「そんなことで?」
「お前にとっては、そんなことだったんだろうな」
「いや」
たぶん。
そんなことじゃなかった。
昔の僕にとって。
「二回目の俺は」
湊がゆっくり言う。
「言わないつもりだった」
「うん」
「ずっと」
「うん」
「お前が好きでも」
胸が鳴った。
「言わなければ、忘れないと思ったから」
今と。
同じ。
「でも」
「僕が?」
「ああ」
「言わせた」
「そう」
「何て」
湊は顔を背ける。
「それは言いたくない」
「何で」
「覚えてないお前に、俺が言うのは違う」
「またそれ」
「じゃあ自分で探せ」
その言葉に。
僕は顔を上げた。
「探せるの?」
「知らない」
「何か残ってる?」
「俺は消した」
「でも僕は?」
「二回目のあとに全部消した」
なら。
その前。
十二月二十四日。
どこかに。
何か。
*
昼休み。
松岡を廊下へ連れ出した。
「何だよ」
「聞きたいことある」
「久世?」
「何でわかるの」
「最近それしかないじゃん」
否定できない。
「去年のクリスマスイブ」
「急だな」
「僕と久世、何してた?」
「知らねえよ」
「見てない?」
「去年のイブって学校あったっけ」
「終業式」
「ああ」
松岡が天井を見る。
「そういや」
「何」
「お前、放課後すげえ機嫌悪かった」
「僕が?」
「うん」
「何で」
「久世と喧嘩したとか言ってたような」
「僕が言った?」
「たぶん」
「どんな喧嘩」
「知らねえ」
「思い出して」
「無茶言うな」
腕を組んで考える。
「でも」
「何」
「お前、俺に変なこと聞いた」
「何を」
「好きなやつに好きって言われないのって、振られてんのと同じかって」
僕は固まった。
「……僕が?」
「ああ」
「何て答えた?」
「知らんって言った」
「役に立たない」
「高校生男子に恋愛相談すんなよ」
「それもそう」
「あと」
「まだある?」
「久世に言うなって言われた気がする」
「僕に?」
「お前に」
「湊が?」
「違う。お前が。久世には絶対言うなって」
僕は頭を抱えた。
「めんどくさいな、過去の僕」
「今もだろ」
「うるさい」
「でも夜には仲直りしたんじゃね?」
「何で」
「写真」
「写真?」
「次の日くらいに見せられた」
身体が固まる。
「何の」
「イルミネーション」
「二人で?」
「たぶん」
「どこ」
「駅前じゃね」
「僕のスマホにはない」
「消したんだろ」
「それが」
言いかけて。
やめる。
松岡は一回目の忘却を知っている。
でも。
二回目も知っていたのか。
「ねえ」
「何」
「十二月二十五日の僕って、変だった?」
松岡が僕を見る。
「……またか?」
「何」
「前もそうだったよな」
心臓が強く鳴る。
「松岡」
「十月くらい」
「一回目」
「朝、久世見て『誰だっけ』って」
「覚えてる?」
「そりゃ気味悪かったからな」
「二回目も?」
松岡の顔が変わる。
「お前」
僕は黙る。
「マジで何なの」
「僕もわからない」
「十二月も」
松岡の声が低くなる。
「朝、同じこと言ってた」
「何て」
「久世とそんな仲良かったっけ、って」
胸が沈む。
「やっぱり」
「その時、久世が」
松岡は言葉を止める。
「何」
「殴りそうな顔してた」
「僕を?」
「自分を」
その言葉。
一回目と同じ。
「それで?」
「お前ら放課後どっか行った」
「どこ」
「知らねえ」
「その後は」
「冬休み入っただろ」
「連絡は?」
「お前から何回か来た」
「何て」
「覚えてない」
「見せて」
「残ってるかな」
松岡がスマホを出した。
去年の十二月。
トーク履歴を遡る。
「あった」
僕は覗き込む。
十二月二十五日。
午後六時十九分。
僕から。
『久世ってどんな奴だった?』
文字を見た瞬間。
喉が詰まった。
松岡。
『お前それまた?』
僕。
『またって何』
松岡。
『前も忘れてただろ』
僕。
『何の話』
松岡。
『久世に聞け』
僕。
『あいつ何も言わない』
松岡。
『じゃあ俺も言わない』
僕。
『役立たず』
松岡。
『うるせえ』
そこから少し間。
午後九時三十二分。
僕。
『僕って久世のこと好きだった?』
指先が冷たくなった。
「こんなの送ってたの」
「覚えてねえ」
「返事」
下を見る。
松岡。
『本人に聞け』
僕。
『答えない』
松岡。
『じゃあたぶん好きだったんじゃね』
僕。
『何で』
松岡。
『お前があいつ見る時だけ顔違ったから』
僕は画面から目を離した。
「顔って」
「知らんよ」
「松岡」
「半年以上前だぞ」
スマホを返す。
「ありがと」
「律」
「何」
珍しく。
松岡が名前で呼んだ。
「病院行ったほうがいいんじゃね」
冗談じゃなかった。
「行ったらしい」
「らしいって」
「一回目に」
「異常なし?」
「うん」
「じゃあもう一回」
「考えてる」
嘘だった。
考えていない。
病院より。
今は。
過去の僕が何をしたのか知りたかった。
「久世に全部背負わせんなよ」
松岡が言った。
「え?」
「あいつ」
一度言葉を切る。
「たぶん、お前以上にやばいから」
「何が」
「顔」
「顔?」
「お前に忘れられた日の」
松岡は笑わなかった。
「二回とも、見てられなかった」
*
放課後。
僕は湊に言わず。
駅前へ行った。
クリスマスイブ。
イルミネーション。
松岡の話。
どこか。
駅前の広場。
十二月なら、大きなツリーが置かれる。
今は何もない。
ベンチ。
時計。
噴水。
歩き回る。
何も思い出さない。
スマホを見る。
去年の十二月二十四日。
写真は。
ない。
でも。
別のもの。
位置情報の履歴。
僕は普段、地図アプリの履歴なんて見ない。
開く。
十二月二十四日。
午後五時十二分。
駅前。
五時四十九分。
北口。
六時十八分。
河川敷。
「河川敷?」
駅から徒歩十五分。
僕は向かった。
夕方。
風が冷たい。
堤防を下りる。
川沿い。
ベンチが三つ。
真ん中。
近づいた瞬間。
胸がざわついた。
ここ。
知っている。
座る。
目の前は川。
向こう岸。
冬のイルミネーションなら。
たぶんここから見えた。
目を閉じる。
風。
冷たい。
でも。
あの日。
もっと寒かった。
手。
誰かの手。
あたたかい。
『冷たい』
声。
僕?
『手袋しないお前が悪い』
湊。
『貸して』
『片方だけ?』
『片方ずつ』
笑い声。
目を開けた。
「今の」
思い出した?
想像?
わからない。
でも。
すごく自然だった。
僕はベンチの周りを見る。
何もない。
当たり前だ。
半年以上前。
それでも。
足元。
ベンチの裏。
何か。
マーカーの跡。
黒。
しゃがむ。
『K 12/24 A』
小さな文字。
誰かの落書き。
久世。
朝倉。
いや。
そんな都合よく。
スマホが震えた。
湊。
『どこいる』
どうして。
『駅』
既読。
『嘘』
右手が見えなくても。
僕も嘘が下手なのか。
『河川敷』
電話。
「もしもし」
『そこで待ってろ』
「何で」
『行く』
「湊」
切れた。
*
十分後。
湊は走ってきた。
「何してる」
息を切らして。
怒っている。
「調べてた」
「一人で?」
「うん」
「何で言わない」
「言ったら止めるから」
「当たり前だろ」
「何で」
「ここは」
湊が言葉を止める。
「何」
「……二回目の場所だから」
胸が鳴った。
「やっぱり」
「松岡に聞いた?」
「少し」
「何て」
「僕がクリスマスイブに湊と喧嘩したって」
「喧嘩じゃない」
「じゃあ何」
湊は僕を見る。
「お前が怒った」
「何で」
「俺が好きって言わなかったから」
「それは聞いた」
「誰に」
「湊から」
「ああ」
「でも詳しくは聞いてない」
僕はベンチを指す。
「ここ?」
「ああ」
「ここで?」
「ああ」
「一度目と同じ?」
「違う」
「どう違う」
湊は座らない。
立ったまま。
「一度目は」
「うん」
「お前に言われて」
「うん」
「言った」
「二度目は?」
「俺が」
ゆっくり息を吐く。
「言わないって決めてた」
「どうしても?」
「ああ」
「僕が好きでも?」
「ああ」
「何で」
「忘れるから」
その答え。
わかっていた。
「それで僕が泣いた」
「……ああ」
「何て言った?」
「律」
「教えて」
「やめろ」
「お願い」
湊の顔を見る。
「僕のことだから」
「そう言うと思った」
「じゃあ」
「お前は」
苦しそうに。
言った。
「俺に、卑怯だって言った」
「僕が?」
「ああ」
「何で」
「好きなくせに言わないのは卑怯だって」
胸に刺さる。
「俺は、言った」
湊の声が低い。
「お前のためだって」
「うん」
「そしたらお前が」
少しだけ。
湊は笑った。
笑いというより。
傷の跡みたいな。
「勝手に決めるなって」
僕は。
黙った。
『僕が忘れるかもしれないからって、僕の気持ちまで勝手に決めるな』
声。
頭の中。
僕。
『忘れたら、その時考えればいい』
湊。
『お前は忘れるから言えるんだよ』
僕。
『じゃあ湊は?』
『俺?』
『湊は僕を好きじゃなくなるの?』
胸が苦しい。
『ならない』
『じゃあ何で言わないの』
『……』
『僕だけ忘れるなら』
泣いている。
声。
『湊が覚えててよ』
僕は目を開けた。
息が荒い。
「今」
湊が僕を見る。
「何」
「思い出した?」
「少し」
「何を」
「僕」
喉が震える。
「湊に」
その先。
言うのが怖い。
「覚えててって言った?」
湊の顔が。
変わった。
「……ああ」
「本当に?」
「ああ」
「僕だけ忘れるなら、湊が覚えててって」
「言った」
胸の奥。
熱い。
苦しい。
「それで?」
「俺が言った」
「何を」
「好きだって」
風が吹く。
川面が揺れる。
「そのあと?」
「お前が」
湊の声がかすれる。
「笑った」
「泣いてたのに?」
「泣きながら」
「何て」
「知ってるって」
僕は顔を覆った。
「最悪」
「何が」
「恥ずかしい」
「お前が聞いたんだろ」
「でも」
顔を上げる。
「それで翌朝」
「ああ」
「忘れた」
「ああ」
湊を見る。
「湊は?」
「何」
「どうしたの」
「普通に学校行った」
「嘘」
「本当」
「それから」
「お前に話した」
「一回目と同じ?」
「ああ」
「僕は?」
「信じなかった」
胸が痛い。
「また?」
「また」
「写真見せた?」
「ああ」
「イルミネーション」
「ああ」
「手つないでた?」
湊が一瞬黙る。
「……ああ」
「それでも?」
「駄目だった」
「僕は何て」
「こんなの自分じゃないって」
身体が固まった。
「え」
「写真の中のお前を見て」
湊が静かに言う。
「そんな顔するはずないって」
松岡が言った。
久世を見る時だけ顔が違った。
「どんな顔」
「笑ってた」
「僕いつも笑うけど」
「違う」
「何が」
湊は少し迷う。
「嬉しそうだった」
胸が。
ずきんと痛んだ。
「それで二回目の僕は」
「写真全部消してくれって言った」
「……」
「俺が持ってると」
湊は手を握る。
「俺だけ前のお前を見続けることになるからって」
「だから消した」
「ああ」
「全部」
「ああ」
僕が頼んだ。
湊が消した。
二人の思い出を。
「そのあと僕は?」
「また俺を知ろうとした」
驚かない。
もう。
「また好きになった?」
「ああ」
「三回目」
「ああ」
「昨日まで」
「ああ」
僕はベンチに座る。
「僕」
笑うしかなかった。
「ほんと馬鹿だ」
「何で」
「二回忘れてるのに」
「うん」
「三回目も湊を好きになった」
「そうだな」
「毎回」
「ああ」
「同じ人」
湊が僕を見る。
「律」
「何」
「それを」
言葉を止める。
「喜んでいいのかわからない」
胸が詰まった。
そうだ。
僕にとっては。
少し。
ロマンチックに見える。
忘れても。
何度でも同じ人を好きになる。
でも。
湊にとっては。
毎回。
好きになった僕を失っている。
「ごめん」
「謝るな」
「でも」
「何回言わせる」
「じゃあ」
僕は湊を見る。
「怒って」
「は?」
「僕に」
「無理」
「何で」
「お前のせいじゃない」
「それが嫌」
「律」
「松岡に聞いた」
「何を」
「僕が忘れた日の湊」
彼の顔が強張る。
「見てられなかったって」
「松岡余計なこと」
「僕は見てない」
「何を」
「湊が傷ついたところ」
声が震える。
「全部忘れてるから」
僕は立ち上がる。
「だから湊だけが」
一歩近づく。
「全部持ってる」
「……」
「好きになった僕も」
「律」
「忘れた僕も」
もう一歩。
「湊を傷つけた僕も」
「やめろ」
「全部」
「やめろって」
「僕は何も持ってない」
「違う」
「何が」
「今のお前がいるだろ」
強い声。
初めて。
湊が僕の腕を掴んだ。
「前のお前じゃなくて」
痛いくらい。
「今のお前が」
僕は。
湊を見る。
「それでいい」
「湊は」
「何」
「それでいいの?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
「僕がまた忘れても?」
湊の手が。
少し緩んだ。
「それは」
右手。
親指。
握れない。
僕の腕を掴んでいるから。
「答えて」
「……嫌だ」
初めて。
聞いた。
「嫌だよ」
湊の声が。
震えた。
「もう忘れられたくない」
息が止まる。
「三回で十分だ」
僕は。
何も言えない。
「毎回」
湊は僕の腕を離す。
「朝、お前の顔見て」
俯く。
「今日は覚えてるかって考えるの」
声が小さい。
「もう嫌だ」
胸が痛い。
「教室入ってきて」
湊の右手。
親指を握っている。
「俺見て笑ったら安心して」
「……」
「名字で呼ばれたら怖くなって」
「湊」
「それで」
声が途切れた。
「本当に忘れてた時」
目を伏せる。
「何回やっても慣れない」
僕は。
初めて。
この人の痛みを。
少しだけ見た。
「ごめん」
「だから」
「これは言わせて」
湊が黙る。
「ごめん」
一度。
ちゃんと。
「僕は覚えてないけど」
胸の前で。
拳を握る。
「湊は三回、僕を失ったんだよね」
湊は何も言わない。
「それは」
声が揺れる。
「ごめん」
しばらく。
川の音だけ。
「……卑怯だな」
湊が言った。
「何が」
「覚えてない奴に謝られたら」
少し笑う。
「怒れないだろ」
「怒っていいよ」
「無理」
「じゃあ殴る?」
「もっと無理」
「湊なら避けられそう」
「お前が殴るんじゃないのかよ」
少し。
二人で笑った。
それだけで。
胸の痛みが。
ほんの少し軽くなる。
*
帰り道。
僕たちは並んで歩いた。
「ねえ」
「何」
「三回目」
「ああ」
「今回」
「うん」
「いつ好きって言った?」
湊の足が止まった。
「昨日聞いたけど」
「……」
「公園?」
「ああ」
「何時?」
「五時四十二分」
「付き合ったの五時四十三分って言ってた」
「ああ」
「一分後?」
「そう」
「早」
「お前が即答した」
「何て」
「俺も好きって」
「本当に毎回同じだな」
「そうだな」
でも。
一つ。
引っかかる。
「三回とも」
「何」
「好きって言った翌日?」
湊が黙る。
一回目。
十月十七日。
告白。
十八日。
忘却。
二回目。
十二月二十四日。
告白。
二十五日。
忘却。
三回目。
一昨日。
告白。
翌朝。
忘却。
「偶然じゃない」
口から出た。
湊が僕を見る。
「律」
「三回」
「……」
「全部同じ」
「わかってる」
「わかってたの?」
「ああ」
「じゃあ何で三回目に言ったんだよ」
責めるつもりはなかった。
でも。
声が強くなった。
「二回も同じこと起きてるなら!」
「だから言わないつもりだった!」
湊も声を上げた。
道の途中。
二人とも止まる。
「じゃあ何で」
「お前が」
「僕が何」
「好きだって言ったから」
息が止まる。
「え?」
「三回目は」
湊が僕を見る。
「お前が先だった」
知らない。
「僕が?」
「ああ」
「昨日は、湊が告白したって」
「正確には」
一度息を吐く。
「お前が先に言った」
「何て」
「好きかもしれないって」
胸が鳴る。
「それで俺が」
「好きって言った」
「ああ」
「僕が」
「俺もって」
湊は苦しそうに笑う。
「それで」
「付き合った」
「ああ」
「翌朝」
「忘れた」
僕は。
しばらく何も言えなかった。
そして。
一つ。
怖い考えが浮かぶ。
「告白されたら」
湊が僕を見る。
「何」
「僕」
喉が乾く。
「湊に好きって言われたら」
口にするのが怖い。
「忘れる?」
湊は。
答えなかった。
でも。
その沈黙が。
答えだった。
「だから」
僕は続ける。
「もう言わないって」
「ああ」
「昨日、言った」
「ああ」
ようやく。
わかった。
『大丈夫。もう言わないから』
『何を?』
『好きって』
あの言葉。
あれは。
僕への気遣いだけじゃなかった。
湊自身の。
決意。
「じゃあ」
僕は立ち止まったまま聞く。
「今も?」
湊の顔が強張る。
「何が」
「僕のこと」
「律」
「好き?」
「聞くな」
「どうして」
「わかるだろ」
「聞きたい」
「駄目」
「一回だけ」
「駄目」
「でも」
「言わない」
湊が。
はっきり言った。
「もう絶対に」
胸が。
ちくりと痛む。
「お前が何回聞いても」
湊の目。
まっすぐ。
「俺はもう、好きって言わない」
その言葉は。
僕を守るためのものだった。
なのに。
どうしてだろう。
僕には。
振られたみたいに聞こえた。



