告白されたら、君を忘れる

 久世湊は、僕のスマホの中に存在していなかった。

 連絡先。

 メッセージ。

 写真。

 SNS。

 検索履歴。

 全部調べた。

 それでも、どこにもいない。

 昨夜、ベッドに寝転がりながら一時間以上スマホをいじった。

 久世。

 湊。

 KUZE。

 MINATO。

 思いつく限りの言葉を入れた。

 何も出てこない。

 唯一あるのはクラスの集合写真くらいだ。

 二年三組、三十六人。

 当然、久世も写っている。

 でもそれだけだった。

 昨日まで付き合っていた。

 そう本人は言う。

 それどころか、僕は三回も久世を忘れているらしい。

 なのに。

 証拠がない。

 まるで最初から、僕と久世の間には何もなかったみたいに。

 午前零時を過ぎても眠れなかった。

 検索をやめる。

 ホーム画面に戻る。

 またメッセージアプリを開く。

 同じことの繰り返し。

 僕は自分でも馬鹿みたいだと思いながら、今度は去年のトーク履歴を一つずつ遡った。

 松岡。

 母さん。

 部活を辞めた先輩。

 中学の友達。

 クラスのグループ。

 図書委員。

 知らない広告アカウント。

 久世はいない。

 でも。

 一つだけ変なものがあった。

 昨年十一月三日。

 午後九時十四分。

 僕は誰かとのトークを削除していた。

 削除した履歴そのものは残らない。

 ただ、その日のスクリーンタイムを見ると、メッセージアプリを二時間四十七分も使っている。

 僕にしては長い。

 普段は多くても一時間程度だ。

 その日は文化の日で学校は休みだった。

 何をしていた?

 思い出す。

 午前中は家にいた。

 午後は図書館へ行った。

 たぶん。

 いや。

 本当に?

 記憶を辿ろうとすると、霧の向こうを見るみたいに輪郭がぼやける。

 その日のことだけじゃない。

 去年の秋。

 十月。

 十一月。

 十二月。

 ところどころ、妙に薄い。

 覚えていることはある。

 テスト。

 文化祭。

 冬休み前の面談。

 でも、その間をつなぐものがない。

 毎日学校へ行って、帰って、飯を食って、寝た。

 そういう普通の日々の記憶が、ごっそり抜けている。

 それ自体は珍しくないのかもしれない。

 半年前の水曜日に何をしていたかなんて、普通は覚えていない。

 でも。

 もし、その日に誰かを好きだったなら?

 その人と何度も話していたなら?

 手をつないだり。

 笑ったり。

 喧嘩したり。

 そういうことまで、全部忘れるものなんだろうか。

 画面が暗くなる。

 そこに自分の顔が映った。

「……僕、本当に久世のこと好きだったのかな」

 口に出してみた。

 誰も答えない。

 当然だ。

 なのに胸だけが、妙にざわついた。

     *

 翌朝。

 教室へ入った瞬間、僕は無意識に窓際を見た。

 久世はもう来ていた。

 自分の席で本を読んでいる。

 昨日と同じ。

 僕には目も向けない。

 なんだ。

 と思った。

 何が「なんだ」なのか、自分でもわからなかった。

「おはよ」

 松岡が後ろから来た。

「おはよう」

「顔死んでるぞ」

「寝不足」

「ゲーム?」

「違う」

 僕は鞄を机に置いた。

「松岡」

「ん?」

「僕と久世って、いつ頃から仲良かった?」

 松岡が露骨に嫌そうな顔をした。

「まだそれやってんの?」

「大事なんだよ」

「本人に聞けばいいだろ」

「本人はあんまり話してくれない」

「そりゃそうだろ」

「なんで」

「お前があんな態度だったら俺でもへこむわ」

「僕、そんな悪かった?」

「かなり」

 松岡は椅子を引いて座った。

「久世、お前のこと好きなんだろ」

「知ってたの?」

「知らねえよ」

「今言ったじゃん」

「見てりゃわかるって意味」

 僕は思わず久世を見る。

 目が合った。

 久世は一瞬だけこちらを見て、すぐ本へ視線を落とした。

「どこが?」

「全部」

「雑すぎる」

「じゃあ逆に聞くけど」

 松岡が僕を指差した。

「お前、久世相手だと明らかに態度違ったぞ」

「どう違った」

「距離近い」

「僕、誰とでもこんな感じじゃない?」

「違う」

「例えば?」

「久世が机に突っ伏して寝てたら、勝手に前髪触ってた」

「……僕が?」

「あと昼休みになると毎回久世の席行ってた」

「何しに」

「知らん。喋ってた」

「どんなこと」

「そこまで覚えてねえ」

「役に立たないな」

「うるせえ」

 松岡は僕の肩を叩いた。

「それより本人に聞けよ」

「聞いても教えてくれないって」

「じゃあ思い出さなくていいんじゃね?」

「え?」

「だってさ」

 松岡が何でもないことみたいに言った。

「昔仲良かったとしても、今のお前は覚えてないんだろ。だったら、また仲良くなればいいじゃん」

 僕は答えなかった。

 簡単に言う。

 でも、それが妙に引っかかった。

 また仲良くなる。

 それならできるのかもしれない。

 昨日まで付き合っていたとか。

 三回忘れたとか。

 そんなのはいったん置いておいて。

 僕は今、久世を知らない。

 だったら知ればいい。

 それだけだ。

「松岡」

「何」

「たまにいいこと言うね」

「たまに余計だよ」

     *

 昼休み。

 僕はクリームパンを二つ買った。

 牛乳も二本。

 昨日と同じ組み合わせ。

 久世の席へ行く。

「これ」

 机の上に置いた。

 久世が本から顔を上げる。

「何」

「昨日のお返し」

「百八十六円だったけど」

「細かいこと言わない」

「二つある」

「一個は久世の」

「なんで」

「一緒に食べようと思って」

 久世の眉がわずかに動いた。

「嫌?」

「嫌じゃない」

「じゃあ食べよう」

「ここで?」

「ここで」

 向かいの席の椅子を借りる。

 久世はしばらく僕を見ていた。

「何」

「いや」

「言いたいことあるなら言えば」

「それ昨日も聞いた」

「昨日?」

「……忘れて」

 僕はパンの袋を開けた。

 端を折る。

 一回。

 二回。

 三回。

 きれいな三角になる。

 何気なくやっただけだった。

 すると久世の手が止まった。

「何?」

「その折り方」

「これ?」

「誰に教わった」

「誰って」

 僕は袋を見る。

「知らない。昔からこうしてる」

「昔から?」

「たぶん」

 久世は何も言わない。

「何なの」

「俺が教えた」

 指が止まった。

「……いつ」

「去年」

 まただ。

 僕が知らない僕の習慣。

「久世はどう折るの」

「こう」

 久世も自分の袋を折る。

 僕とまったく同じ。

「すご」

「何が」

「揃ってる」

「前も毎回そう言ってた」

「僕が?」

「ああ」

「何か気持ち悪いね」

「お前が言うな」

 初めて少しだけ、普通の会話になった。

 僕はクリームパンをかじる。

 甘い。

「聞いていい?」

「何」

「僕と久世、どこで知り合った?」

「図書室」

「去年の?」

「ああ」

「何月?」

「六月」

「僕、一年の時は三組だった」

「俺は五組」

「図書委員でもない」

「俺も違う」

「じゃあ何で図書室?」

「お前が寝てた」

「図書室で?」

「窓際の席」

「最悪」

「口開いてた」

「嘘」

「写真あるぞ」

「あるの?」

 僕は身を乗り出した。

 久世が固まる。

「見せて」

「消した」

「またそれ?」

「お前に言われたから」

「僕、何でそんなに消させてるの」

「知らない」

「本当に?」

「本当」

「昨日も言ってたよね。僕が消してって言ったから写真もメッセージも消したって」

「ああ」

「どうして僕は消してって言ったの」

 久世は牛乳のストローを刺した。

「聞かないほうがいい」

「なんで」

「知らないほうがいいこともある」

「それ、知ってる側の人間しか言えない台詞だよ」

 久世は黙った。

「僕のスマホに、久世がいないんだ」

 彼の指が止まった。

「昨日ずっと探した」

「探した?」

「うん」

「なんで」

「なんでって」

 逆に聞かれて困った。

 どうしてだろう。

 付き合っていたと言われたから?

 自分の記憶がおかしいから?

 それとも。

「気になるから」

 正直に答えた。

 久世は僕を見た。

「久世のこと」

 一瞬、空気が変わった。

 まずい。

 そう思った。

 昨日の話を考えれば、こういう言い方は誤解を招く。

「違う。そういう意味じゃなくて」

「わかってる」

 久世はすぐに言った。

 その早さが、逆に胸に刺さった。

「僕と久世の間に本当に何かあったなら、痕跡くらい残っててもいいだろ」

「消したから」

「全部?」

「ああ」

「写真も?」

「全部」

「メッセージも?」

「全部」

「SNSも?」

「外した」

「何でそこまで」

 久世の目がわずかに揺れた。

「二回目のあと」

「僕が久世を忘れた二回目?」

「ああ」

「その時?」

「お前が言った」

「何て」

 久世は少し迷った。

「次また忘れたら、俺が苦しくなるから」

 胸が詰まった。

「俺のほうにだけ思い出が残るのはずるいって」

 僕は言葉を失った。

 それは。

 僕が言いそうな気がした。

「だから全部消した」

「久世のスマホも?」

「ああ」

「一枚もない?」

「ない」

「本当に?」

「本当に」

「後悔した?」

 久世は答えない。

 でも。

 その沈黙だけで十分だった。

「ごめん」

 また謝っていた。

「だから何でお前が謝るんだよ」

「だって僕が言ったんだろ」

「覚えてないだろ」

「覚えてなくても」

「それなら」

 久世が僕を見る。

「お前は何も悪くない」

 その言葉が妙に優しくて、苦しかった。

「久世」

「何」

「どうしてそこまで僕の言うこと聞いたの」

 答えなんてわかっている。

 昨日聞いた。

 それでも聞いた。

 久世は答えなかった。

 好きだから。

 そう言えばいいのに。

 でも彼はもう言わないと決めている。

 僕に忘れられないために。

 その事実に気づいた瞬間。

 僕はなぜか、少しだけ寂しくなった。

     *

 放課後、図書室へ行った。

 久世はいない。

 一人で。

 去年、僕たちが初めて会ったという場所。

 窓際の席。

 どこだろう。

 久世は窓際と言っていた。

 図書室の東側には四人掛けの机が三つ並んでいる。

 僕は順番に座ってみた。

 一番奥。

 違う気がする。

 真ん中。

 これも違う。

 一番手前。

 椅子を引く。

 座った瞬間。

 妙な感覚がした。

 知っている。

 机の傷。

 窓から見える体育館の屋根。

 午後になると差し込む光。

 何度もここに座った。

 そのことは覚えている。

 僕は去年、よくこの席で本を読んでいた。

 でも。

 一人だった?

 本当に?

 机の向かい側を見る。

 空席。

 そこに誰かがいたような気がする。

 黒い髪。

 本を読む横顔。

 低い声。

 顔までは見えない。

 頭の奥が痛む。

「っ……」

 額を押さえた。

 思い出そうとするほど痛む。

 やめた。

 深呼吸する。

 そのとき。

 机の裏に何か書いてあるのが見えた。

 落書き?

 椅子から少し身体をずらして覗く。

 シャープペンで、小さく文字が書かれていた。

『飲めないなら買うな』

 その下に別の字。

『新商品だったから』

 さらに下。

『炭酸だって書いてある』

『見てなかった』

『馬鹿』

『うるさい』

 僕は息を止めた。

 二人分の筆跡。

 片方。

 見覚えがある。

 僕の字だった。

「……何これ」

 指でなぞる。

 消えかけている。

 かなり前に書かれたものだ。

 飲めないなら買うな。

 新商品だったから。

 炭酸だって書いてある。

 見てなかった。

 馬鹿。

 うるさい。

 昨日の朝。

 僕の机に炭酸水があった。

 久世はそれを見ていた。

 偶然?

 違う。

 たぶん。

 これは僕と久世だ。

 僕たちはここで話していた。

 こんなくだらないことを。

 何度も。

 胸の奥が熱くなった。

 証拠。

 初めて見つけた。

 スマホにはない。

 久世のスマホにもない。

 でも。

 消し忘れたものがあった。

 僕はすぐスマホを出した。

 久世の連絡先はない。

 だからクラスのグループから探す。

 久世湊。

 プロフィールを開く。

 個別メッセージ。

 指が止まる。

 何て送ればいい。

 少し考えてから打った。

『図書室にいる』

 送信。

 既読はすぐについた。

『何してる』

『来て』

『なんで』

『いいから』

 一分。

 二分。

 返事がない。

 五分後。

 図書室の入口に久世が現れた。

 走ってきたのか、少し息が切れている。

「何」

 僕は机の下を指差した。

「これ」

 久世がしゃがむ。

 文字を見る。

 表情が変わった。

「……残ってたのか」

「やっぱり僕たち?」

「ああ」

「どっちが僕」

「『新商品だったから』」

「その下も?」

「『見てなかった』と『うるさい』」

「子どもだな」

「お前がな」

「久世も馬鹿って書いてるじゃん」

「馬鹿だったから」

「ひど」

 僕は笑った。

 久世も少しだけ笑った。

 その瞬間。

 また。

 胸の奥が動いた。

 この人の笑顔を知っている。

 はっきりそう思った。

「久世」

「何」

「ここで何してたの」

「本読んでた」

「毎日?」

「だいたい」

「二人で?」

「ああ」

「どんな話してた?」

「本の話」

「ほかは」

「くだらない話」

「例えば」

「お前が朝飯食わないとか」

「それは昨日も聞いた」

「犬が嫌いとか」

「それも」

「兄貴の話とか」

 僕の身体が固まった。

 久世も気づいた。

「悪い」

「いや」

「無理に聞かなくていい」

「……兄の話、僕からしたんだよね」

「ああ」

「どんなふうに」

「それは」

「聞きたい」

 久世は僕の顔を見る。

「本当に?」

「うん」

「後悔するかもしれない」

「それでも」

 しばらくして、久世は向かいの椅子に座った。

「お前、兄貴のこと」

 一度言葉を切る。

「自分のせいで死んだって言ってた」

 心臓が強く鳴った。

「……え?」

「ずっとそう思ってるって」

「僕が?」

「ああ」

「そんなこと」

 知らない。

 そんなふうに考えたことなんて。

 いや。

 本当に?

 頭の奥。

 何かが動く。

 雨。

 道路。

 赤い傘。

 誰かの声。

 律。

 目を閉じた。

「朝倉」

「大丈夫」

「顔色悪い」

「大丈夫だから」

 額に汗が滲む。

 思い出せない。

 兄の事故の日。

 僕は九歳だった。

 兄は十四歳。

 そこまでは知っている。

 事故だった。

 雨の日だった。

 でも。

 どういう事故だった?

 どこで?

 兄はなぜそこにいた?

 僕は?

 僕はそのとき何をしていた?

「久世」

「何」

「兄が死んだ日のこと、僕、話した?」

 返事がない。

「久世?」

「ああ」

「知ってる?」

「少し」

「教えて」

「今日はやめろ」

「なんで」

「顔見ればわかる」

「平気だって」

「平気じゃない」

「久世」

「駄目」

 きっぱり言われた。

 腹が立った。

「僕の話だろ」

「だからだよ」

「僕が知りたいって言ってる」

「今のお前に話していいかわからない」

「何それ」

 立ち上がる。

「久世は全部知ってるくせに」

「全部じゃない」

「僕より知ってるだろ!」

 図書室に声が響いた。

 司書の先生がこちらを見る。

 僕は声を落とした。

「自分のことなのに、僕だけ何も知らない」

「朝倉」

「久世のことも。兄のことも」

 唇が震えた。

「僕の記憶なのに」

 久世は黙っていた。

 やがて、静かに言った。

「だから怖いんだよ」

「何が」

「お前が知らなくていいって決めたことを、俺が勝手に戻すのが」

「僕が決めた?」

「ああ」

「いつ」

「二回目に俺を忘れたあと」

 胸がざわつく。

「そのとき、お前は言った」

「何て」

 久世の目が僕を捉える。

「忘れるのには理由があるかもしれないって」

「……」

「だから、無理に思い出させないでくれって」

 僕は椅子に座り直した。

「そんなこと言ったの」

「ああ」

「それで久世は」

「約束した」

「僕に?」

「ああ」

 僕は机の下の落書きを見た。

 消えかけた会話。

 たぶん。

 この程度のものなら大丈夫だった。

 でも写真は消した。

 メッセージも消した。

 全部。

 僕が望んだから。

「じゃあ」

 声がかすれた。

「久世が僕との写真を持ってないのも」

「ああ」

「メッセージがないのも」

「ああ」

「全部僕のせい?」

「せいじゃない」

「でも僕が頼んだ」

「俺が決めてやった」

「同じだよ」

「違う」

 久世の声が強くなった。

「お前だけのせいにするな」

 初めて怒られた気がした。

 でも不思議と怖くなかった。

「俺も納得した」

「なんで」

「そのほうがいいと思ったから」

「本当に?」

「ああ」

「嘘」

 久世の右手を見る。

 親指。

 握っている。

「またそれ」

「癖だから仕方ないだろ」

「じゃあ本当は?」

 久世は黙る。

「本当は消したくなかった?」

 答えない。

「写真」

「……」

「メッセージ」

「……」

「僕とのやつ」

「やめろ」

「久世」

「やめてくれ」

 その声で、ようやく気づいた。

 僕は。

 またこの人を傷つけている。

「ごめん」

「だから謝るな」

「でも」

「覚えてないお前に謝られるのが一番きつい」

 何も言えなくなった。

 図書室にページをめくる音がする。

 遠くで椅子が動いた。

「帰る」

 久世が立つ。

「待って」

「今日はもういい」

「一個だけ」

 僕も立ち上がった。

「何」

「連絡先」

 久世が振り返る。

「教えて」

「……クラスのグループから送れるだろ」

「そうじゃなくて」

 スマホを出す。

「ちゃんと登録したい」

 久世は動かない。

「僕のスマホに」

 画面を差し出す。

「久世がいないから」

 ほんの少し。

 彼の目が揺れた。

「また消すかもしれない」

「その時はその時」

「朝倉」

「今の僕は消さない」

「でも」

「過去の僕が何を決めたか知らないけど」

 自分でも、こんなことを言うとは思わなかった。

「今の僕は、久世を知りたい」

 久世はしばらく何も言わなかった。

 やがてスマホを取り出す。

「QR出せ」

「うん」

 読み取る。

 画面に表示された。

 久世湊。

 シンプルな名前。

 アイコンは夜の海。

 僕は連絡先に追加した。

 ただそれだけ。

 それなのに。

 何か大事なことをした気がした。

「できた」

「ああ」

「送る」

『よろしく』

 既読。

 久世が僕を見る。

「何、その文章」

「初めてだから」

「何が」

「今の僕たちは」

 少し迷ってから言った。

「今日から知り合い直すんだろ」

 久世の顔が固まった。

 それから。

 笑った。

 本当に少しだけ。

「……そうだな」

 僕のスマホが震えた。

 久世から。

『よろしく』

 たった四文字。

 僕はそれを何度も見た。

 久世湊。

 初めて。

 僕のスマホの中に、彼がいた。