翌朝。
僕は、目覚ましが鳴る三分前に目を覚ました。
天井。
カーテンの隙間から入る光。
机。
現代文のノート。
枕元のスマホ。
いつもと同じ部屋。
それなのに。
心臓だけが。
もう走っていた。
「今日だ」
声にする。
今日。
僕は。
湊に。
好きと言ってもらう。
怖い。
考えただけで。
胃のあたりが冷たくなる。
もし。
また。
明日の朝。
湊の顔を見て。
『誰だっけ』
と思ったら。
四回目。
僕は。
この人を。
また。
失う。
スマホを取る。
湊とのトーク。
ある。
昨日。
『ちゃんと聞くから』
『わかった』
僕は。
新しいメッセージを打った。
『おはよう、湊』
送る。
既読。
十秒。
『おはよう、律』
それだけで。
胸が少し落ち着いた。
今日も。
覚えている。
まず。
今日を始める。
*
教室。
湊は。
いつもより早く来ていた。
僕が入る。
目が合う。
「おはよう、湊」
言った。
湊の肩から。
少し。
力が抜ける。
「おはよう」
「今日も覚えてる」
「毎朝報告しなくていい」
「するって決めたから」
「いつまで」
「湊が嫌って言うまで」
「じゃあずっとかもな」
「それ」
僕は。
立ち止まる。
「未来の話?」
湊も。
少し。
止まる。
「……そうなるな」
「大丈夫」
胸の中。
少し怖い。
でも。
笑える。
「今の、そんなに怖くなかった」
「そっか」
湊は。
それ以上。
何も言わなかった。
僕も。
今日の話は。
まだしなかった。
朝から。
好きと言って。
とは。
さすがに言えない。
というか。
こんな大事な日に。
一時間目が数学なのが気に入らない。
*
昼休み。
湊の机。
「今日」
「うん」
「放課後」
「うん」
「空いてる?」
「空けてある」
僕は。
少し驚いた。
「何その返事」
「昨日、大事な話あるって言っただろ」
「言った」
「だから委員会もないようにした」
「委員会って勝手に休めるの?」
「交換した」
「誰と」
「松岡」
「松岡、美化委員じゃないけど」
「手伝い」
「何でそこまで」
湊は。
牛乳のストローを刺す。
「早く聞きたいから」
胸が。
鳴る。
「僕の質問?」
「ああ」
「怖いんじゃなかった?」
「怖い」
「でも?」
「逃げても仕方ない」
昨日。
僕が。
たどり着いたことと。
同じ。
僕だけじゃない。
湊も。
前に進もうとしている。
「じゃあ」
クリームパンを半分に割る。
「放課後」
「どこ」
「最初の場所」
「図書室?」
「違う」
「喫茶アオ」
「違う」
「じゃあ」
僕は。
パンを湊へ渡す。
「一度目の告白の場所」
湊の手が。
止まった。
「駅までの道?」
「うん」
「何で」
「始まった場所だから」
湊は。
少し黙る。
「わかった」
その一言。
僕は。
パンを食べた。
甘い。
喉が。
少し。
通りにくかった。
*
放課後まで。
時間が。
異常に遅かった。
英語。
体育。
ホームルーム。
一日は。
いつもと同じはずなのに。
チャイム一回が。
長い。
六時間目。
現代文。
僕は。
ノートを開いた。
右上。
四角を描きかけて。
やめる。
代わりに。
過去の僕が書いたページを見る。
『もしまた忘れたら読むこと』
『久世湊は悪くない。』
『湊を疑わないで。』
『怖がらないで。』
『久世湊は、僕が忘れていい人じゃない。』
そして。
そのあとに。
今の僕が書いた言葉。
『今度は、僕が決める。』
『好きになった。』
『僕から言った。』
『覚えていて。』
『好きになれば、失うかもしれない。』
『でも、好きにならなくても、失う時は失う。』
『忘れても、失わなかったことにはならない。』
『だから僕は、忘れる前に手放すのをやめる。』
僕は。
その最後に。
一行。
書いた。
『今日、湊から聞く。』
ペンを止める。
もう一行。
『怖い。』
隠さない。
書く。
『でも、聞きたい。』
そして。
最後。
『明日の僕へ。』
少し。
考える。
前は。
『覚えていて。』
だった。
今日は。
違う。
『もし忘れても、またここから始めて。』
書いた。
不思議だった。
その瞬間。
少しだけ。
怖くなくなった。
*
放課後。
僕と湊は。
駅までの道を歩いた。
一回目の告白。
十月十七日。
この道。
僕が。
『言いたいことあるなら言えば』
と言った。
湊が。
『好き』
と言った。
その翌朝。
僕は。
忘れた。
「ここ?」
僕が聞く。
「もう少し先」
「覚えてる?」
「全部」
「何歩くらい歩いたとか」
「そこまでは」
「意外」
「俺を何だと思ってる」
「僕の記録係」
「嫌な役職」
「でも八か月くらいずっとやってる」
「給料ほしい」
「クリームパンで」
「安い」
笑う。
普通に。
話せる。
でも。
二人とも。
わかっている。
もうすぐ。
その場所。
「ここ」
湊が。
立ち止まった。
駅前の交差点から。
少し手前。
古い自動販売機。
ガードレール。
特別でもなんでもない。
「本当にここ?」
「ああ」
「告白する場所としてどうなの」
「お前が止まったんだろ」
「一回目の僕、センスない」
「告白したの俺」
「じゃあ湊がない」
「帰るぞ」
「待って」
袖。
つかむ。
二人。
止まる。
「これも」
湊が。
僕の手を見る。
「一回目と同じ」
「過去禁止って言いたいけど」
僕も。
袖を見る。
「今日はいい」
一度目。
二度目。
三度目。
全部。
なかったことにはしない。
僕の過去。
僕と。
湊の。
「湊」
「うん」
「一回目」
「うん」
「ここで何て言った?」
湊が。
少し。
困った顔をする。
「知ってるだろ」
「手紙で読んだだけ」
「同じだ」
「違う」
僕は。
湊を見る。
「今度はちゃんと聞きたい」
喉。
乾く。
「湊の声で」
湊の顔が。
変わる。
「律」
「言って」
言えた。
怖い。
でも。
逃げない。
「僕に」
胸。
痛い。
「好きって言って」
湊は。
動かなかった。
車。
通る。
自転車。
高校生。
信号。
遠く。
駅のアナウンス。
世界は。
何も知らない。
僕たちだけが。
ここで。
止まっている。
「本当に?」
湊が聞く。
「うん」
「明日」
「うん」
「また」
「忘れるかもしれない」
僕から言う。
「怖くないの」
「怖い」
即答。
「すごく」
「なら」
「でも聞きたい」
「律」
「僕」
一度。
深呼吸。
「もう」
ゆっくり。
「好きって言われないことで、湊を失わないふりするのやめる」
湊の目。
揺れる。
「付き合わなければ安全とか」
「……」
「未来の約束しなければ傷つかないとか」
「……」
「そんなの」
笑う。
「無理だった」
だって。
もう。
好きだから。
「今」
続ける。
「湊が僕の前にいること」
「うん」
「明日もいるかもしれないこと」
「うん」
「来年も」
「うん」
「卒業しても」
怖い。
「いるかもしれないこと」
でも。
「それを」
僕は。
認める。
「嬉しいって思いたい」
湊が。
目を伏せた。
「だから」
僕は。
もう一度。
「言って」
長い。
沈黙。
湊の右手。
親指。
握っている。
「嘘ついてる?」
僕が聞く。
「今は」
湊。
小さく。
笑った。
「言わないって決めたのに」
「うん」
「言いたくて仕方ない」
胸が。
熱くなる。
「じゃあ」
「律」
湊が。
僕を見る。
一度目。
二度目。
三度目。
全部の湊が。
そこにいるような。
そんな。
目。
「好きだ」
世界が。
一瞬。
静かになった。
聞いた。
四度目。
湊の。
好き。
頭。
痛くない。
でも。
涙が。
出た。
「律」
「大丈夫」
「泣いてる」
「知ってる」
「大丈夫じゃないだろ」
「これは」
涙を。
手で拭く。
「嬉しいほう」
湊が。
何とも言えない顔をした。
「何でお前が泣くんだよ」
「知らない」
「俺のほうだろ」
「じゃあ湊も泣けば」
「無理」
「映画では泣いたくせに」
「まだ言う?」
「一生言う」
言って。
止まる。
一生。
未来。
以前なら。
怖かったかもしれない。
今も。
少し。
怖い。
でも。
取り消さなかった。
「一生?」
湊が。
意地悪く聞く。
「言葉の綾」
「逃げた」
「うるさい」
二人とも。
笑う。
そして。
僕は。
思い出す。
「返事」
「何」
「今度は僕」
湊が。
黙る。
「一回目も」
僕は言う。
「二回目も」
「うん」
「三回目も」
「うん」
「湊が先だった」
「三回目はお前が半分先」
「半分って何」
「好きかもしれないって」
「じゃあ正式には湊」
「まあ」
「だから」
僕は。
袖を離す。
代わりに。
湊の右手を取る。
親指。
開く。
手をつなぐ。
「四度目は」
一度。
息を吸う。
「僕から始める」
湊の目が。
少し。
見開かれる。
「久世湊くん」
「何その呼び方」
「大事なところだから」
「はい」
「僕と」
胸。
鳴る。
「付き合ってください」
言った。
僕から。
今の僕が。
過去の僕じゃない。
三回忘れた僕でもある。
でも。
今。
ここにいる僕が。
選ぶ。
湊は。
しばらく。
何も言わなかった。
「返事」
僕が催促する。
「言っていい?」
「それは言って」
「……はい」
「何その返事」
「お前が急に敬語だから」
「じゃあやり直し」
「嫌だ」
「僕はやり直し得意」
「笑えない」
「ちょっと面白かったでしょ」
「少し」
湊は。
僕の手を。
握り直す。
「付き合う」
「うん」
「今度こそ」
「それ禁止」
「何が」
「今度こそ、とか」
「何で」
「失敗前提みたいだから」
「違う」
「じゃあ?」
湊は。
少し考えて。
「今日から」
と言った。
胸に。
落ちる。
「うん」
「今日から付き合う」
僕は。
笑った。
「それがいい」
*
駅前。
別れる時間。
僕たちは。
いつもより。
ずっと。
黙っていた。
「じゃあ」
僕が言う。
「帰る」
「ああ」
でも。
動かない。
「何」
湊が聞く。
「そっちこそ」
「先行けよ」
「何で」
「見送る」
「僕も見送りたい」
「永遠に帰れない」
「じゃあ同時」
「改札違うだろ」
「そうだった」
二人。
笑う。
でも。
僕は。
怖かった。
このあと。
一人になる。
眠る。
目を覚ます。
明日。
来る。
「律」
「何」
「怖い?」
すぐ。
「うん」
答える。
もう。
平気なふりはしない。
「湊は?」
「怖い」
「そっか」
「ああ」
「一緒だ」
「そうだな」
湊が。
少し。
近づく。
手。
僕の髪。
触れそうになって。
止まる。
「何」
「……何でもない」
「触れば」
「いいの」
「髪くらい」
湊の手。
頭に。
軽く。
触れる。
撫でるというほどでもない。
でも。
優しい。
「律」
「うん」
「もし」
「うん」
「明日」
湊が。
言葉を探す。
「忘れてたら」
胸。
痛い。
でも。
聞く。
「うん」
「俺」
一度。
息を吐く。
「お前に全部話す」
「うん」
「四回目のこと」
「うん」
「今日のこと」
「うん」
「お前が先に付き合ってくれって言ったことも」
「そこ重要」
「一番」
「うん」
「それで」
湊の目。
「また知り合う」
涙。
出そう。
でも。
笑う。
「五回目?」
「そうなる」
「嫌だな」
「ああ」
「四回で終わりがいい」
「俺も」
「じゃあ」
僕は。
湊の制服の袖を。
つかむ。
「明日」
「うん」
「教室で」
「うん」
「僕が最初に言うから」
「何を」
「おはよう、湊」
湊。
目を細める。
「ああ」
「絶対」
「待ってる」
袖。
離す。
今度こそ。
改札へ。
振り返る。
湊。
まだいる。
手を振る。
湊も。
小さく。
手を上げる。
僕は。
改札を通った。
*
夜。
母さんに。
言った。
「付き合うことになった」
「誰と」
「湊」
母さん。
止まる。
「久世くん?」
「うん」
「そう」
それだけ。
「驚かないの」
「驚いてる」
「もっとあるでしょ」
「そうね」
少し考えて。
「よかったじゃない」
僕は。
拍子抜けする。
「それだけ?」
「何を期待してるの」
「もっと」
手を振る。
「男の子なの、とか」
「男の子でしょ」
「そうだけど」
「あなたが好きなんでしょ」
「……うん」
「なら」
母さん。
笑う。
「大事にしなさい」
その言葉。
胸に。
刺さる。
以前なら。
怖かったかもしれない。
「うん」
今日は。
ちゃんと。
答えられた。
「大事にする」
「してもらいなさい」
「それも?」
「当たり前」
母さんは。
冷蔵庫から。
麦茶を出す。
「恋愛って一人でするものじゃないでしょ」
その言葉。
僕は。
少し。
考えた。
そうだ。
僕は。
ずっと。
一人で。
未来の喪失まで。
引き受けようとしていた。
失ったら。
僕が苦しい。
だから。
僕が忘れる。
でも。
本当は。
湊も。
そこにいる。
「母さん」
「何」
「兄ちゃん」
「うん」
「彼女いた?」
母さんが。
麦茶をこぼしかけた。
「急に何」
「何となく」
「知らない」
「母親なのに」
「中学生男子が全部話すと思う?」
「確かに」
「でも」
母さん。
少し笑う。
「好きな子はいたみたい」
「誰」
「知らない」
「聞かなかった?」
「聞いたら逃げた」
「兄ちゃんっぽい」
言って。
止まる。
兄ちゃんっぽい。
僕。
今。
そう言った。
何が。
兄ちゃんっぽいのか。
少し。
わかる。
人にからかわれると。
耳まで赤くなった。
照れると。
急に不機嫌そうな顔をした。
「……思い出した」
母さんが。
僕を見る。
「何を」
「兄ちゃん」
笑う。
「照れると耳赤かった」
母さんも。
笑った。
「そうそう」
「湊と同じ」
「そうなの?」
「うん」
僕は。
その夜。
兄ちゃんの話を。
少しだけ。
母さんとした。
*
部屋。
十一時四十八分。
寝たくない。
眠れば。
朝が来る。
でも。
朝が来なければ。
確かめられない。
現代文のノート。
開く。
今日のページ。
『今日、湊から聞く。』
『怖い。』
『でも、聞きたい。』
『明日の僕へ。』
『もし忘れても、またここから始めて。』
その下。
僕は。
書く。
『聞いた。』
『湊は僕を好きだと言った。』
そして。
『僕から付き合ってくださいと言った。』
少し。
考える。
『今日から恋人になった。』
今日。
それが。
一番いい。
その下。
もう一行。
『明日の僕がこれを覚えているかはわからない。』
手が。
止まる。
怖い。
でも。
続ける。
『それでも、今日の僕は幸せだった。』
書いた。
その瞬間。
胸の奥。
何かが。
ほどけた。
忘れるか。
忘れないか。
明日の僕には。
まだ。
わからない。
でも。
今日の僕は。
今日。
幸せだった。
それは。
明日のために。
消さなくていい。
スマホが。
震える。
湊。
『寝ろ』
笑う。
『まだ起きてる』
『知ってる』
『何で』
『既読ついた』
『それはそう』
『怖い?』
指。
止まる。
正直に。
『怖い』
返事。
『俺も』
僕。
『じゃあ電話する?』
すぐ。
かかってくる。
「もしもし」
『寝ろ』
「電話してきて最初それ?」
『お前がしろって』
「僕が寝たら切る?」
『切る』
「先に湊寝たら?」
『寝ない』
「何で」
『見届ける』
「何を」
『お前が寝るの』
「怖い人」
『いい意味で?』
笑う。
「覚えてたんだ」
『お前が言ったことは大体』
「知ってる」
少し。
黙る。
「湊」
『何』
「好き」
言った。
さらっと。
湊。
沈黙。
「僕からは言っても平気」
『知ってる』
「返事しないの?」
『今日はもう言った』
「一日一回制?」
『お前が忘れないってわかるまでは』
「じゃあ明日」
『うん』
「覚えてたら」
少し。
怖い。
「もう一回言って」
湊。
静か。
『何回でも言う』
胸。
熱くなる。
「それ」
『何』
「未来の約束」
『駄目?』
僕は。
目を閉じる。
「ううん」
答える。
「嬉しい」
*
そのまま。
電話をつないだ。
何を話したか。
途中から。
覚えていない。
たぶん。
僕が先に寝た。
*
朝。
目覚まし。
鳴る。
手を伸ばす。
止める。
目を開ける。
天井。
光。
机。
スマホ。
数秒。
何も考えない。
それから。
胸が。
急に。
強く鳴る。
誰。
僕。
昨日。
何を。
湊。
名前。
出る。
顔。
出る。
声。
『好きだ』
駅までの道。
手。
『付き合ってください』
『付き合う』
「……湊」
覚えている。
全部。
起き上がる。
ノート。
開く。
文字。
『それでも、今日の僕は幸せだった。』
昨日の僕。
知っている。
今日の僕。
同じ。
「覚えてる」
笑う。
涙。
出る。
「覚えてる」
もう一度。
スマホ。
湊から。
メッセージはない。
時刻。
六時二十八分。
僕から。
送る。
『おはよう、湊』
一秒。
二秒。
三秒。
既読。
返事。
『おはよう、律』
そのあと。
『覚えてる?』
初めて。
湊から。
聞いた。
僕は。
指で。
打つ。
『何を?』
送信。
既読。
十秒。
電話が鳴った。
僕は。
笑いながら出る。
「もしもし」
『律』
声。
本気で。
焦っている。
『お前』
「ごめん」
『は?』
「冗談」
電話の向こう。
沈黙。
「全部覚えてる」
『……』
「昨日」
『……』
「湊が僕に好きって言った」
『……』
「僕が付き合ってくださいって言った」
『……』
「湊が付き合うって」
『……』
「あと」
笑う。
「寝るまで電話した」
長い。
長い。
沈黙。
「湊?」
『……馬鹿』
声。
震えている。
「泣いてる?」
『泣いてない』
「右手見えない」
『うるさい』
「映画では」
『切るぞ』
「ごめんごめん」
でも。
僕も。
泣いていた。
「湊」
『何』
「昨日の約束」
『……』
「覚えてたら」
胸。
鳴る。
「もう一回言って」
電話の向こう。
息。
そして。
『好きだよ』
今日。
初めて。
聞く。
怖くない。
いや。
少し。
怖い。
未来が。
あるから。
でも。
「僕も」
答える。
「好き」
*
学校。
教室。
僕は。
いつもより。
少し早く着いた。
でも。
湊は。
もっと早かった。
窓際。
座っている。
僕が入る。
顔を上げる。
一瞬。
また。
確認するような目。
でも。
今日は。
電話で。
もう知っている。
「おはよう、湊」
「おはよう」
僕は。
湊の席へ。
行く。
「はい」
机に。
クリームパン。
牛乳。
「何」
「朝ご飯」
「お前の?」
「湊の」
「朝食った」
「じゃあ昼」
「昼も買った」
「じゃあ放課後」
「いつまで持たせる気」
僕は笑う。
そして。
向かいの席。
座る。
「ねえ」
「何」
「今日」
「うん」
「放課後どこ行く?」
湊が。
僕を見る。
「昨日付き合ったばっかりでそれ?」
「付き合ったら出かけるもんじゃない?」
「知らない」
「過去の僕とは?」
「……」
「ごめん」
「何で」
「今の意地悪だった」
「自覚あるんだ」
「ある」
僕は。
少し考える。
「じゃあ」
「何」
「行ったことないところ」
「また?」
「うん」
「どこ」
「探す」
「行き当たりばったり」
「いいじゃん」
「まあ」
湊が。
少し笑う。
「今日なら」
今日。
また。
その言葉。
僕は。
好きだ。
*
昼休み。
松岡が。
僕と湊を交互に見る。
「何」
僕が聞く。
「いや」
「言いたいことあるなら」
「お前ら」
「うん」
「戻った?」
その言葉。
少し。
考える。
「戻ってない」
「は?」
「始まった」
松岡。
意味がわからない顔。
「何が」
「今日から」
僕が言う。
湊が。
横から。
「昨日から」
と訂正する。
「細かい」
「大事」
松岡。
数秒。
僕たちを見る。
そして。
「付き合った?」
「何でわかる」
「見りゃわかる」
「どこが」
「距離」
僕と湊。
見る。
別に。
いつも通り。
隣で。
パン食べてるだけ。
「変わってないけど」
「それが答えだろ」
松岡は。
呆れた顔。
「前からそれだった」
僕は。
湊を見る。
湊も。
僕を見る。
そして。
二人で。
笑った。
そうかもしれない。
僕は。
三回忘れた。
でも。
全部が。
消えたわけじゃなかった。
パンの袋の折り方。
袖をつかむ手。
名前を呼ばれた時の感覚。
わがままを言えること。
その人の前だけで。
僕が。
僕でいられること。
記憶より先に。
残っていたものが。
あった。
*
放課後。
僕たちは。
特に行き先を決めず。
歩いた。
「どこ行く」
湊。
「知らない」
「お前が行こうって」
「行ったことない場所」
「ここから?」
「うん」
「じゃあ」
湊が。
少し考える。
「隣駅」
「何ある?」
「知らない」
「最高」
「何が」
「二人とも知らない」
電車。
一駅。
降りる。
小さな商店街。
パン屋。
公園。
本屋。
何でもない街。
「本当に何もない」
僕が言う。
「お前が来たがった」
「でも」
歩く。
湊。
隣。
「いい」
「何が」
「知らないところ」
僕は。
笑う。
「湊も知らないから」
「それだけ?」
「大事」
僕だけが。
知らない過去。
湊だけが。
持っている記憶。
それは。
なくならない。
でも。
これから。
二人とも。
初めてのものを。
増やしていけばいい。
商店街の端。
小さな公園。
ベンチ。
座る。
「またベンチ」
湊が言う。
「僕たちベンチ率高いね」
「告白する?」
「今日はしない」
「何で」
「もう付き合ってるから」
「じゃあ」
湊。
少し。
近づく。
「何する」
僕。
固まる。
「何その顔」
「いや」
「赤い」
「赤くない」
「赤い」
「うるさい」
湊が。
笑う。
僕も。
笑う。
「律」
「何」
「手」
「うん」
差し出す。
つなぐ。
昨日。
今日。
同じ。
でも。
新しい。
「湊」
「うん」
「来年」
「映画?」
「うん」
「行く」
「卒業しても」
「会う」
「その先は?」
湊が。
僕を見る。
「先すぎる」
「言ってみて」
「怖くない?」
少し。
考える。
「怖い」
答える。
「でも聞きたい」
湊。
しばらく。
空を見る。
「大学」
「うん」
「別々かもしれない」
「うん」
「遠くに行くかもしれない」
「うん」
「喧嘩するかもしれない」
「うん」
「別れるかもしれない」
胸。
少し。
痛い。
「それは嫌」
「俺も」
「じゃあ言わないで」
「でも可能性はある」
「うん」
認める。
好きになれば。
失うかもしれない。
それでも。
「その時」
僕は。
湊の手を。
少し。
強く握る。
「その時の僕たちが考えよう」
湊。
僕を見る。
「今から」
続ける。
「別れる日のために付き合わないなんて」
笑う。
「もったいない」
湊が。
静かに。
笑った。
「そうだな」
僕たちは。
そのあと。
何でもない話をした。
テスト。
夏休み。
映画。
しいたけ。
プリン。
兄ちゃん。
来年。
卒業。
未来。
怖いもの。
嬉しいもの。
全部。
同じところに。
あった。
*
その夜。
僕は。
現代文ノートの。
最初の手紙を。
もう一度。
読んだ。
『もしまた忘れたら読むこと』
一度目の僕から。
四度目の僕へ。
『久世湊は悪くない。』
『湊を疑わないで。』
『怖がらないで。』
『久世湊は、僕が忘れていい人じゃない。』
僕は。
その下。
余白に。
書き足した。
『ありがとう。』
そして。
『ちゃんと好きになった。』
一度。
考える。
訂正。
横線。
『ちゃんと好きになった。』
ではない。
新しく。
書く。
『また、じゃない。』
『今の僕が好きになった。』
最後。
『四度目の恋は、僕から始めた。』
ノートを閉じる。
明日。
僕が。
何を覚えているか。
未来のことは。
わからない。
でも。
今。
僕は知っている。
忘れないことが。
愛することじゃない。
失わないことも。
愛することじゃない。
いつか。
失うかもしれない。
忘れてしまうかもしれない。
それでも。
今日。
その人を。
大事だと選ぶこと。
たぶん。
僕にとっての恋は。
そこから始まる。
スマホ。
震える。
湊。
『明日もちゃんと来いよ』
僕は。
笑う。
『行く』
送る。
少し。
考えて。
もう一通。
『明後日も』
既読。
『来年も』
僕。
『卒業しても』
湊。
少し間。
『しつこい』
僕。
『嫌?』
既読。
そして。
『好き』
画面に。
その二文字。
僕は。
しばらく。
見つめた。
怖くない。
とは。
まだ言えない。
胸は。
少し。
痛いくらいに鳴っている。
未来を。
想像してしまうから。
でも。
今度は。
消さない。
僕は。
返信する。
『僕も好き』
送信。
画面を閉じる。
明日の朝。
目が覚めたら。
きっと。
最初に。
彼の名前を思い出す。
そして。
学校へ行く。
教室のドアを開ける。
窓際。
僕を待っている人に。
今日と同じように。
でも。
今日とは違う一日を始めるために。
僕から。
言う。
おはよう、湊。
僕は、目覚ましが鳴る三分前に目を覚ました。
天井。
カーテンの隙間から入る光。
机。
現代文のノート。
枕元のスマホ。
いつもと同じ部屋。
それなのに。
心臓だけが。
もう走っていた。
「今日だ」
声にする。
今日。
僕は。
湊に。
好きと言ってもらう。
怖い。
考えただけで。
胃のあたりが冷たくなる。
もし。
また。
明日の朝。
湊の顔を見て。
『誰だっけ』
と思ったら。
四回目。
僕は。
この人を。
また。
失う。
スマホを取る。
湊とのトーク。
ある。
昨日。
『ちゃんと聞くから』
『わかった』
僕は。
新しいメッセージを打った。
『おはよう、湊』
送る。
既読。
十秒。
『おはよう、律』
それだけで。
胸が少し落ち着いた。
今日も。
覚えている。
まず。
今日を始める。
*
教室。
湊は。
いつもより早く来ていた。
僕が入る。
目が合う。
「おはよう、湊」
言った。
湊の肩から。
少し。
力が抜ける。
「おはよう」
「今日も覚えてる」
「毎朝報告しなくていい」
「するって決めたから」
「いつまで」
「湊が嫌って言うまで」
「じゃあずっとかもな」
「それ」
僕は。
立ち止まる。
「未来の話?」
湊も。
少し。
止まる。
「……そうなるな」
「大丈夫」
胸の中。
少し怖い。
でも。
笑える。
「今の、そんなに怖くなかった」
「そっか」
湊は。
それ以上。
何も言わなかった。
僕も。
今日の話は。
まだしなかった。
朝から。
好きと言って。
とは。
さすがに言えない。
というか。
こんな大事な日に。
一時間目が数学なのが気に入らない。
*
昼休み。
湊の机。
「今日」
「うん」
「放課後」
「うん」
「空いてる?」
「空けてある」
僕は。
少し驚いた。
「何その返事」
「昨日、大事な話あるって言っただろ」
「言った」
「だから委員会もないようにした」
「委員会って勝手に休めるの?」
「交換した」
「誰と」
「松岡」
「松岡、美化委員じゃないけど」
「手伝い」
「何でそこまで」
湊は。
牛乳のストローを刺す。
「早く聞きたいから」
胸が。
鳴る。
「僕の質問?」
「ああ」
「怖いんじゃなかった?」
「怖い」
「でも?」
「逃げても仕方ない」
昨日。
僕が。
たどり着いたことと。
同じ。
僕だけじゃない。
湊も。
前に進もうとしている。
「じゃあ」
クリームパンを半分に割る。
「放課後」
「どこ」
「最初の場所」
「図書室?」
「違う」
「喫茶アオ」
「違う」
「じゃあ」
僕は。
パンを湊へ渡す。
「一度目の告白の場所」
湊の手が。
止まった。
「駅までの道?」
「うん」
「何で」
「始まった場所だから」
湊は。
少し黙る。
「わかった」
その一言。
僕は。
パンを食べた。
甘い。
喉が。
少し。
通りにくかった。
*
放課後まで。
時間が。
異常に遅かった。
英語。
体育。
ホームルーム。
一日は。
いつもと同じはずなのに。
チャイム一回が。
長い。
六時間目。
現代文。
僕は。
ノートを開いた。
右上。
四角を描きかけて。
やめる。
代わりに。
過去の僕が書いたページを見る。
『もしまた忘れたら読むこと』
『久世湊は悪くない。』
『湊を疑わないで。』
『怖がらないで。』
『久世湊は、僕が忘れていい人じゃない。』
そして。
そのあとに。
今の僕が書いた言葉。
『今度は、僕が決める。』
『好きになった。』
『僕から言った。』
『覚えていて。』
『好きになれば、失うかもしれない。』
『でも、好きにならなくても、失う時は失う。』
『忘れても、失わなかったことにはならない。』
『だから僕は、忘れる前に手放すのをやめる。』
僕は。
その最後に。
一行。
書いた。
『今日、湊から聞く。』
ペンを止める。
もう一行。
『怖い。』
隠さない。
書く。
『でも、聞きたい。』
そして。
最後。
『明日の僕へ。』
少し。
考える。
前は。
『覚えていて。』
だった。
今日は。
違う。
『もし忘れても、またここから始めて。』
書いた。
不思議だった。
その瞬間。
少しだけ。
怖くなくなった。
*
放課後。
僕と湊は。
駅までの道を歩いた。
一回目の告白。
十月十七日。
この道。
僕が。
『言いたいことあるなら言えば』
と言った。
湊が。
『好き』
と言った。
その翌朝。
僕は。
忘れた。
「ここ?」
僕が聞く。
「もう少し先」
「覚えてる?」
「全部」
「何歩くらい歩いたとか」
「そこまでは」
「意外」
「俺を何だと思ってる」
「僕の記録係」
「嫌な役職」
「でも八か月くらいずっとやってる」
「給料ほしい」
「クリームパンで」
「安い」
笑う。
普通に。
話せる。
でも。
二人とも。
わかっている。
もうすぐ。
その場所。
「ここ」
湊が。
立ち止まった。
駅前の交差点から。
少し手前。
古い自動販売機。
ガードレール。
特別でもなんでもない。
「本当にここ?」
「ああ」
「告白する場所としてどうなの」
「お前が止まったんだろ」
「一回目の僕、センスない」
「告白したの俺」
「じゃあ湊がない」
「帰るぞ」
「待って」
袖。
つかむ。
二人。
止まる。
「これも」
湊が。
僕の手を見る。
「一回目と同じ」
「過去禁止って言いたいけど」
僕も。
袖を見る。
「今日はいい」
一度目。
二度目。
三度目。
全部。
なかったことにはしない。
僕の過去。
僕と。
湊の。
「湊」
「うん」
「一回目」
「うん」
「ここで何て言った?」
湊が。
少し。
困った顔をする。
「知ってるだろ」
「手紙で読んだだけ」
「同じだ」
「違う」
僕は。
湊を見る。
「今度はちゃんと聞きたい」
喉。
乾く。
「湊の声で」
湊の顔が。
変わる。
「律」
「言って」
言えた。
怖い。
でも。
逃げない。
「僕に」
胸。
痛い。
「好きって言って」
湊は。
動かなかった。
車。
通る。
自転車。
高校生。
信号。
遠く。
駅のアナウンス。
世界は。
何も知らない。
僕たちだけが。
ここで。
止まっている。
「本当に?」
湊が聞く。
「うん」
「明日」
「うん」
「また」
「忘れるかもしれない」
僕から言う。
「怖くないの」
「怖い」
即答。
「すごく」
「なら」
「でも聞きたい」
「律」
「僕」
一度。
深呼吸。
「もう」
ゆっくり。
「好きって言われないことで、湊を失わないふりするのやめる」
湊の目。
揺れる。
「付き合わなければ安全とか」
「……」
「未来の約束しなければ傷つかないとか」
「……」
「そんなの」
笑う。
「無理だった」
だって。
もう。
好きだから。
「今」
続ける。
「湊が僕の前にいること」
「うん」
「明日もいるかもしれないこと」
「うん」
「来年も」
「うん」
「卒業しても」
怖い。
「いるかもしれないこと」
でも。
「それを」
僕は。
認める。
「嬉しいって思いたい」
湊が。
目を伏せた。
「だから」
僕は。
もう一度。
「言って」
長い。
沈黙。
湊の右手。
親指。
握っている。
「嘘ついてる?」
僕が聞く。
「今は」
湊。
小さく。
笑った。
「言わないって決めたのに」
「うん」
「言いたくて仕方ない」
胸が。
熱くなる。
「じゃあ」
「律」
湊が。
僕を見る。
一度目。
二度目。
三度目。
全部の湊が。
そこにいるような。
そんな。
目。
「好きだ」
世界が。
一瞬。
静かになった。
聞いた。
四度目。
湊の。
好き。
頭。
痛くない。
でも。
涙が。
出た。
「律」
「大丈夫」
「泣いてる」
「知ってる」
「大丈夫じゃないだろ」
「これは」
涙を。
手で拭く。
「嬉しいほう」
湊が。
何とも言えない顔をした。
「何でお前が泣くんだよ」
「知らない」
「俺のほうだろ」
「じゃあ湊も泣けば」
「無理」
「映画では泣いたくせに」
「まだ言う?」
「一生言う」
言って。
止まる。
一生。
未来。
以前なら。
怖かったかもしれない。
今も。
少し。
怖い。
でも。
取り消さなかった。
「一生?」
湊が。
意地悪く聞く。
「言葉の綾」
「逃げた」
「うるさい」
二人とも。
笑う。
そして。
僕は。
思い出す。
「返事」
「何」
「今度は僕」
湊が。
黙る。
「一回目も」
僕は言う。
「二回目も」
「うん」
「三回目も」
「うん」
「湊が先だった」
「三回目はお前が半分先」
「半分って何」
「好きかもしれないって」
「じゃあ正式には湊」
「まあ」
「だから」
僕は。
袖を離す。
代わりに。
湊の右手を取る。
親指。
開く。
手をつなぐ。
「四度目は」
一度。
息を吸う。
「僕から始める」
湊の目が。
少し。
見開かれる。
「久世湊くん」
「何その呼び方」
「大事なところだから」
「はい」
「僕と」
胸。
鳴る。
「付き合ってください」
言った。
僕から。
今の僕が。
過去の僕じゃない。
三回忘れた僕でもある。
でも。
今。
ここにいる僕が。
選ぶ。
湊は。
しばらく。
何も言わなかった。
「返事」
僕が催促する。
「言っていい?」
「それは言って」
「……はい」
「何その返事」
「お前が急に敬語だから」
「じゃあやり直し」
「嫌だ」
「僕はやり直し得意」
「笑えない」
「ちょっと面白かったでしょ」
「少し」
湊は。
僕の手を。
握り直す。
「付き合う」
「うん」
「今度こそ」
「それ禁止」
「何が」
「今度こそ、とか」
「何で」
「失敗前提みたいだから」
「違う」
「じゃあ?」
湊は。
少し考えて。
「今日から」
と言った。
胸に。
落ちる。
「うん」
「今日から付き合う」
僕は。
笑った。
「それがいい」
*
駅前。
別れる時間。
僕たちは。
いつもより。
ずっと。
黙っていた。
「じゃあ」
僕が言う。
「帰る」
「ああ」
でも。
動かない。
「何」
湊が聞く。
「そっちこそ」
「先行けよ」
「何で」
「見送る」
「僕も見送りたい」
「永遠に帰れない」
「じゃあ同時」
「改札違うだろ」
「そうだった」
二人。
笑う。
でも。
僕は。
怖かった。
このあと。
一人になる。
眠る。
目を覚ます。
明日。
来る。
「律」
「何」
「怖い?」
すぐ。
「うん」
答える。
もう。
平気なふりはしない。
「湊は?」
「怖い」
「そっか」
「ああ」
「一緒だ」
「そうだな」
湊が。
少し。
近づく。
手。
僕の髪。
触れそうになって。
止まる。
「何」
「……何でもない」
「触れば」
「いいの」
「髪くらい」
湊の手。
頭に。
軽く。
触れる。
撫でるというほどでもない。
でも。
優しい。
「律」
「うん」
「もし」
「うん」
「明日」
湊が。
言葉を探す。
「忘れてたら」
胸。
痛い。
でも。
聞く。
「うん」
「俺」
一度。
息を吐く。
「お前に全部話す」
「うん」
「四回目のこと」
「うん」
「今日のこと」
「うん」
「お前が先に付き合ってくれって言ったことも」
「そこ重要」
「一番」
「うん」
「それで」
湊の目。
「また知り合う」
涙。
出そう。
でも。
笑う。
「五回目?」
「そうなる」
「嫌だな」
「ああ」
「四回で終わりがいい」
「俺も」
「じゃあ」
僕は。
湊の制服の袖を。
つかむ。
「明日」
「うん」
「教室で」
「うん」
「僕が最初に言うから」
「何を」
「おはよう、湊」
湊。
目を細める。
「ああ」
「絶対」
「待ってる」
袖。
離す。
今度こそ。
改札へ。
振り返る。
湊。
まだいる。
手を振る。
湊も。
小さく。
手を上げる。
僕は。
改札を通った。
*
夜。
母さんに。
言った。
「付き合うことになった」
「誰と」
「湊」
母さん。
止まる。
「久世くん?」
「うん」
「そう」
それだけ。
「驚かないの」
「驚いてる」
「もっとあるでしょ」
「そうね」
少し考えて。
「よかったじゃない」
僕は。
拍子抜けする。
「それだけ?」
「何を期待してるの」
「もっと」
手を振る。
「男の子なの、とか」
「男の子でしょ」
「そうだけど」
「あなたが好きなんでしょ」
「……うん」
「なら」
母さん。
笑う。
「大事にしなさい」
その言葉。
胸に。
刺さる。
以前なら。
怖かったかもしれない。
「うん」
今日は。
ちゃんと。
答えられた。
「大事にする」
「してもらいなさい」
「それも?」
「当たり前」
母さんは。
冷蔵庫から。
麦茶を出す。
「恋愛って一人でするものじゃないでしょ」
その言葉。
僕は。
少し。
考えた。
そうだ。
僕は。
ずっと。
一人で。
未来の喪失まで。
引き受けようとしていた。
失ったら。
僕が苦しい。
だから。
僕が忘れる。
でも。
本当は。
湊も。
そこにいる。
「母さん」
「何」
「兄ちゃん」
「うん」
「彼女いた?」
母さんが。
麦茶をこぼしかけた。
「急に何」
「何となく」
「知らない」
「母親なのに」
「中学生男子が全部話すと思う?」
「確かに」
「でも」
母さん。
少し笑う。
「好きな子はいたみたい」
「誰」
「知らない」
「聞かなかった?」
「聞いたら逃げた」
「兄ちゃんっぽい」
言って。
止まる。
兄ちゃんっぽい。
僕。
今。
そう言った。
何が。
兄ちゃんっぽいのか。
少し。
わかる。
人にからかわれると。
耳まで赤くなった。
照れると。
急に不機嫌そうな顔をした。
「……思い出した」
母さんが。
僕を見る。
「何を」
「兄ちゃん」
笑う。
「照れると耳赤かった」
母さんも。
笑った。
「そうそう」
「湊と同じ」
「そうなの?」
「うん」
僕は。
その夜。
兄ちゃんの話を。
少しだけ。
母さんとした。
*
部屋。
十一時四十八分。
寝たくない。
眠れば。
朝が来る。
でも。
朝が来なければ。
確かめられない。
現代文のノート。
開く。
今日のページ。
『今日、湊から聞く。』
『怖い。』
『でも、聞きたい。』
『明日の僕へ。』
『もし忘れても、またここから始めて。』
その下。
僕は。
書く。
『聞いた。』
『湊は僕を好きだと言った。』
そして。
『僕から付き合ってくださいと言った。』
少し。
考える。
『今日から恋人になった。』
今日。
それが。
一番いい。
その下。
もう一行。
『明日の僕がこれを覚えているかはわからない。』
手が。
止まる。
怖い。
でも。
続ける。
『それでも、今日の僕は幸せだった。』
書いた。
その瞬間。
胸の奥。
何かが。
ほどけた。
忘れるか。
忘れないか。
明日の僕には。
まだ。
わからない。
でも。
今日の僕は。
今日。
幸せだった。
それは。
明日のために。
消さなくていい。
スマホが。
震える。
湊。
『寝ろ』
笑う。
『まだ起きてる』
『知ってる』
『何で』
『既読ついた』
『それはそう』
『怖い?』
指。
止まる。
正直に。
『怖い』
返事。
『俺も』
僕。
『じゃあ電話する?』
すぐ。
かかってくる。
「もしもし」
『寝ろ』
「電話してきて最初それ?」
『お前がしろって』
「僕が寝たら切る?」
『切る』
「先に湊寝たら?」
『寝ない』
「何で」
『見届ける』
「何を」
『お前が寝るの』
「怖い人」
『いい意味で?』
笑う。
「覚えてたんだ」
『お前が言ったことは大体』
「知ってる」
少し。
黙る。
「湊」
『何』
「好き」
言った。
さらっと。
湊。
沈黙。
「僕からは言っても平気」
『知ってる』
「返事しないの?」
『今日はもう言った』
「一日一回制?」
『お前が忘れないってわかるまでは』
「じゃあ明日」
『うん』
「覚えてたら」
少し。
怖い。
「もう一回言って」
湊。
静か。
『何回でも言う』
胸。
熱くなる。
「それ」
『何』
「未来の約束」
『駄目?』
僕は。
目を閉じる。
「ううん」
答える。
「嬉しい」
*
そのまま。
電話をつないだ。
何を話したか。
途中から。
覚えていない。
たぶん。
僕が先に寝た。
*
朝。
目覚まし。
鳴る。
手を伸ばす。
止める。
目を開ける。
天井。
光。
机。
スマホ。
数秒。
何も考えない。
それから。
胸が。
急に。
強く鳴る。
誰。
僕。
昨日。
何を。
湊。
名前。
出る。
顔。
出る。
声。
『好きだ』
駅までの道。
手。
『付き合ってください』
『付き合う』
「……湊」
覚えている。
全部。
起き上がる。
ノート。
開く。
文字。
『それでも、今日の僕は幸せだった。』
昨日の僕。
知っている。
今日の僕。
同じ。
「覚えてる」
笑う。
涙。
出る。
「覚えてる」
もう一度。
スマホ。
湊から。
メッセージはない。
時刻。
六時二十八分。
僕から。
送る。
『おはよう、湊』
一秒。
二秒。
三秒。
既読。
返事。
『おはよう、律』
そのあと。
『覚えてる?』
初めて。
湊から。
聞いた。
僕は。
指で。
打つ。
『何を?』
送信。
既読。
十秒。
電話が鳴った。
僕は。
笑いながら出る。
「もしもし」
『律』
声。
本気で。
焦っている。
『お前』
「ごめん」
『は?』
「冗談」
電話の向こう。
沈黙。
「全部覚えてる」
『……』
「昨日」
『……』
「湊が僕に好きって言った」
『……』
「僕が付き合ってくださいって言った」
『……』
「湊が付き合うって」
『……』
「あと」
笑う。
「寝るまで電話した」
長い。
長い。
沈黙。
「湊?」
『……馬鹿』
声。
震えている。
「泣いてる?」
『泣いてない』
「右手見えない」
『うるさい』
「映画では」
『切るぞ』
「ごめんごめん」
でも。
僕も。
泣いていた。
「湊」
『何』
「昨日の約束」
『……』
「覚えてたら」
胸。
鳴る。
「もう一回言って」
電話の向こう。
息。
そして。
『好きだよ』
今日。
初めて。
聞く。
怖くない。
いや。
少し。
怖い。
未来が。
あるから。
でも。
「僕も」
答える。
「好き」
*
学校。
教室。
僕は。
いつもより。
少し早く着いた。
でも。
湊は。
もっと早かった。
窓際。
座っている。
僕が入る。
顔を上げる。
一瞬。
また。
確認するような目。
でも。
今日は。
電話で。
もう知っている。
「おはよう、湊」
「おはよう」
僕は。
湊の席へ。
行く。
「はい」
机に。
クリームパン。
牛乳。
「何」
「朝ご飯」
「お前の?」
「湊の」
「朝食った」
「じゃあ昼」
「昼も買った」
「じゃあ放課後」
「いつまで持たせる気」
僕は笑う。
そして。
向かいの席。
座る。
「ねえ」
「何」
「今日」
「うん」
「放課後どこ行く?」
湊が。
僕を見る。
「昨日付き合ったばっかりでそれ?」
「付き合ったら出かけるもんじゃない?」
「知らない」
「過去の僕とは?」
「……」
「ごめん」
「何で」
「今の意地悪だった」
「自覚あるんだ」
「ある」
僕は。
少し考える。
「じゃあ」
「何」
「行ったことないところ」
「また?」
「うん」
「どこ」
「探す」
「行き当たりばったり」
「いいじゃん」
「まあ」
湊が。
少し笑う。
「今日なら」
今日。
また。
その言葉。
僕は。
好きだ。
*
昼休み。
松岡が。
僕と湊を交互に見る。
「何」
僕が聞く。
「いや」
「言いたいことあるなら」
「お前ら」
「うん」
「戻った?」
その言葉。
少し。
考える。
「戻ってない」
「は?」
「始まった」
松岡。
意味がわからない顔。
「何が」
「今日から」
僕が言う。
湊が。
横から。
「昨日から」
と訂正する。
「細かい」
「大事」
松岡。
数秒。
僕たちを見る。
そして。
「付き合った?」
「何でわかる」
「見りゃわかる」
「どこが」
「距離」
僕と湊。
見る。
別に。
いつも通り。
隣で。
パン食べてるだけ。
「変わってないけど」
「それが答えだろ」
松岡は。
呆れた顔。
「前からそれだった」
僕は。
湊を見る。
湊も。
僕を見る。
そして。
二人で。
笑った。
そうかもしれない。
僕は。
三回忘れた。
でも。
全部が。
消えたわけじゃなかった。
パンの袋の折り方。
袖をつかむ手。
名前を呼ばれた時の感覚。
わがままを言えること。
その人の前だけで。
僕が。
僕でいられること。
記憶より先に。
残っていたものが。
あった。
*
放課後。
僕たちは。
特に行き先を決めず。
歩いた。
「どこ行く」
湊。
「知らない」
「お前が行こうって」
「行ったことない場所」
「ここから?」
「うん」
「じゃあ」
湊が。
少し考える。
「隣駅」
「何ある?」
「知らない」
「最高」
「何が」
「二人とも知らない」
電車。
一駅。
降りる。
小さな商店街。
パン屋。
公園。
本屋。
何でもない街。
「本当に何もない」
僕が言う。
「お前が来たがった」
「でも」
歩く。
湊。
隣。
「いい」
「何が」
「知らないところ」
僕は。
笑う。
「湊も知らないから」
「それだけ?」
「大事」
僕だけが。
知らない過去。
湊だけが。
持っている記憶。
それは。
なくならない。
でも。
これから。
二人とも。
初めてのものを。
増やしていけばいい。
商店街の端。
小さな公園。
ベンチ。
座る。
「またベンチ」
湊が言う。
「僕たちベンチ率高いね」
「告白する?」
「今日はしない」
「何で」
「もう付き合ってるから」
「じゃあ」
湊。
少し。
近づく。
「何する」
僕。
固まる。
「何その顔」
「いや」
「赤い」
「赤くない」
「赤い」
「うるさい」
湊が。
笑う。
僕も。
笑う。
「律」
「何」
「手」
「うん」
差し出す。
つなぐ。
昨日。
今日。
同じ。
でも。
新しい。
「湊」
「うん」
「来年」
「映画?」
「うん」
「行く」
「卒業しても」
「会う」
「その先は?」
湊が。
僕を見る。
「先すぎる」
「言ってみて」
「怖くない?」
少し。
考える。
「怖い」
答える。
「でも聞きたい」
湊。
しばらく。
空を見る。
「大学」
「うん」
「別々かもしれない」
「うん」
「遠くに行くかもしれない」
「うん」
「喧嘩するかもしれない」
「うん」
「別れるかもしれない」
胸。
少し。
痛い。
「それは嫌」
「俺も」
「じゃあ言わないで」
「でも可能性はある」
「うん」
認める。
好きになれば。
失うかもしれない。
それでも。
「その時」
僕は。
湊の手を。
少し。
強く握る。
「その時の僕たちが考えよう」
湊。
僕を見る。
「今から」
続ける。
「別れる日のために付き合わないなんて」
笑う。
「もったいない」
湊が。
静かに。
笑った。
「そうだな」
僕たちは。
そのあと。
何でもない話をした。
テスト。
夏休み。
映画。
しいたけ。
プリン。
兄ちゃん。
来年。
卒業。
未来。
怖いもの。
嬉しいもの。
全部。
同じところに。
あった。
*
その夜。
僕は。
現代文ノートの。
最初の手紙を。
もう一度。
読んだ。
『もしまた忘れたら読むこと』
一度目の僕から。
四度目の僕へ。
『久世湊は悪くない。』
『湊を疑わないで。』
『怖がらないで。』
『久世湊は、僕が忘れていい人じゃない。』
僕は。
その下。
余白に。
書き足した。
『ありがとう。』
そして。
『ちゃんと好きになった。』
一度。
考える。
訂正。
横線。
『ちゃんと好きになった。』
ではない。
新しく。
書く。
『また、じゃない。』
『今の僕が好きになった。』
最後。
『四度目の恋は、僕から始めた。』
ノートを閉じる。
明日。
僕が。
何を覚えているか。
未来のことは。
わからない。
でも。
今。
僕は知っている。
忘れないことが。
愛することじゃない。
失わないことも。
愛することじゃない。
いつか。
失うかもしれない。
忘れてしまうかもしれない。
それでも。
今日。
その人を。
大事だと選ぶこと。
たぶん。
僕にとっての恋は。
そこから始まる。
スマホ。
震える。
湊。
『明日もちゃんと来いよ』
僕は。
笑う。
『行く』
送る。
少し。
考えて。
もう一通。
『明後日も』
既読。
『来年も』
僕。
『卒業しても』
湊。
少し間。
『しつこい』
僕。
『嫌?』
既読。
そして。
『好き』
画面に。
その二文字。
僕は。
しばらく。
見つめた。
怖くない。
とは。
まだ言えない。
胸は。
少し。
痛いくらいに鳴っている。
未来を。
想像してしまうから。
でも。
今度は。
消さない。
僕は。
返信する。
『僕も好き』
送信。
画面を閉じる。
明日の朝。
目が覚めたら。
きっと。
最初に。
彼の名前を思い出す。
そして。
学校へ行く。
教室のドアを開ける。
窓際。
僕を待っている人に。
今日と同じように。
でも。
今日とは違う一日を始めるために。
僕から。
言う。
おはよう、湊。



