告白されたら、君を忘れる

 翌朝。

 僕は、目覚ましが鳴る三分前に目を覚ました。

 天井。

 カーテンの隙間から入る光。

 机。

 現代文のノート。

 枕元のスマホ。

 いつもと同じ部屋。

 それなのに。

 心臓だけが。

 もう走っていた。

「今日だ」

 声にする。

 今日。

 僕は。

 湊に。

 好きと言ってもらう。

 怖い。

 考えただけで。

 胃のあたりが冷たくなる。

 もし。

 また。

 明日の朝。

 湊の顔を見て。

『誰だっけ』

 と思ったら。

 四回目。

 僕は。

 この人を。

 また。

 失う。

 スマホを取る。

 湊とのトーク。

 ある。

 昨日。

『ちゃんと聞くから』

『わかった』

 僕は。

 新しいメッセージを打った。

『おはよう、湊』

 送る。

 既読。

 十秒。

『おはよう、律』

 それだけで。

 胸が少し落ち着いた。

 今日も。

 覚えている。

 まず。

 今日を始める。

     *

 教室。

 湊は。

 いつもより早く来ていた。

 僕が入る。

 目が合う。

「おはよう、湊」

 言った。

 湊の肩から。

 少し。

 力が抜ける。

「おはよう」

「今日も覚えてる」

「毎朝報告しなくていい」

「するって決めたから」

「いつまで」

「湊が嫌って言うまで」

「じゃあずっとかもな」

「それ」

 僕は。

 立ち止まる。

「未来の話?」

 湊も。

 少し。

 止まる。

「……そうなるな」

「大丈夫」

 胸の中。

 少し怖い。

 でも。

 笑える。

「今の、そんなに怖くなかった」

「そっか」

 湊は。

 それ以上。

 何も言わなかった。

 僕も。

 今日の話は。

 まだしなかった。

 朝から。

 好きと言って。

 とは。

 さすがに言えない。

 というか。

 こんな大事な日に。

 一時間目が数学なのが気に入らない。

     *

 昼休み。

 湊の机。

「今日」

「うん」

「放課後」

「うん」

「空いてる?」

「空けてある」

 僕は。

 少し驚いた。

「何その返事」

「昨日、大事な話あるって言っただろ」

「言った」

「だから委員会もないようにした」

「委員会って勝手に休めるの?」

「交換した」

「誰と」

「松岡」

「松岡、美化委員じゃないけど」

「手伝い」

「何でそこまで」

 湊は。

 牛乳のストローを刺す。

「早く聞きたいから」

 胸が。

 鳴る。

「僕の質問?」

「ああ」

「怖いんじゃなかった?」

「怖い」

「でも?」

「逃げても仕方ない」

 昨日。

 僕が。

 たどり着いたことと。

 同じ。

 僕だけじゃない。

 湊も。

 前に進もうとしている。

「じゃあ」

 クリームパンを半分に割る。

「放課後」

「どこ」

「最初の場所」

「図書室?」

「違う」

「喫茶アオ」

「違う」

「じゃあ」

 僕は。

 パンを湊へ渡す。

「一度目の告白の場所」

 湊の手が。

 止まった。

「駅までの道?」

「うん」

「何で」

「始まった場所だから」

 湊は。

 少し黙る。

「わかった」

 その一言。

 僕は。

 パンを食べた。

 甘い。

 喉が。

 少し。

 通りにくかった。

     *

 放課後まで。

 時間が。

 異常に遅かった。

 英語。

 体育。

 ホームルーム。

 一日は。

 いつもと同じはずなのに。

 チャイム一回が。

 長い。

 六時間目。

 現代文。

 僕は。

 ノートを開いた。

 右上。

 四角を描きかけて。

 やめる。

 代わりに。

 過去の僕が書いたページを見る。

『もしまた忘れたら読むこと』

『久世湊は悪くない。』

『湊を疑わないで。』

『怖がらないで。』

『久世湊は、僕が忘れていい人じゃない。』

 そして。

 そのあとに。

 今の僕が書いた言葉。

『今度は、僕が決める。』

『好きになった。』

『僕から言った。』

『覚えていて。』

『好きになれば、失うかもしれない。』

『でも、好きにならなくても、失う時は失う。』

『忘れても、失わなかったことにはならない。』

『だから僕は、忘れる前に手放すのをやめる。』

 僕は。

 その最後に。

 一行。

 書いた。

『今日、湊から聞く。』

 ペンを止める。

 もう一行。

『怖い。』

 隠さない。

 書く。

『でも、聞きたい。』

 そして。

 最後。

『明日の僕へ。』

 少し。

 考える。

 前は。

『覚えていて。』

 だった。

 今日は。

 違う。

『もし忘れても、またここから始めて。』

 書いた。

 不思議だった。

 その瞬間。

 少しだけ。

 怖くなくなった。

     *

 放課後。

 僕と湊は。

 駅までの道を歩いた。

 一回目の告白。

 十月十七日。

 この道。

 僕が。

『言いたいことあるなら言えば』

 と言った。

 湊が。

『好き』

 と言った。

 その翌朝。

 僕は。

 忘れた。

「ここ?」

 僕が聞く。

「もう少し先」

「覚えてる?」

「全部」

「何歩くらい歩いたとか」

「そこまでは」

「意外」

「俺を何だと思ってる」

「僕の記録係」

「嫌な役職」

「でも八か月くらいずっとやってる」

「給料ほしい」

「クリームパンで」

「安い」

 笑う。

 普通に。

 話せる。

 でも。

 二人とも。

 わかっている。

 もうすぐ。

 その場所。

「ここ」

 湊が。

 立ち止まった。

 駅前の交差点から。

 少し手前。

 古い自動販売機。

 ガードレール。

 特別でもなんでもない。

「本当にここ?」

「ああ」

「告白する場所としてどうなの」

「お前が止まったんだろ」

「一回目の僕、センスない」

「告白したの俺」

「じゃあ湊がない」

「帰るぞ」

「待って」

 袖。

 つかむ。

 二人。

 止まる。

「これも」

 湊が。

 僕の手を見る。

「一回目と同じ」

「過去禁止って言いたいけど」

 僕も。

 袖を見る。

「今日はいい」

 一度目。

 二度目。

 三度目。

 全部。

 なかったことにはしない。

 僕の過去。

 僕と。

 湊の。

「湊」

「うん」

「一回目」

「うん」

「ここで何て言った?」

 湊が。

 少し。

 困った顔をする。

「知ってるだろ」

「手紙で読んだだけ」

「同じだ」

「違う」

 僕は。

 湊を見る。

「今度はちゃんと聞きたい」

 喉。

 乾く。

「湊の声で」

 湊の顔が。

 変わる。

「律」

「言って」

 言えた。

 怖い。

 でも。

 逃げない。

「僕に」

 胸。

 痛い。

「好きって言って」

 湊は。

 動かなかった。

 車。

 通る。

 自転車。

 高校生。

 信号。

 遠く。

 駅のアナウンス。

 世界は。

 何も知らない。

 僕たちだけが。

 ここで。

 止まっている。

「本当に?」

 湊が聞く。

「うん」

「明日」

「うん」

「また」

「忘れるかもしれない」

 僕から言う。

「怖くないの」

「怖い」

 即答。

「すごく」

「なら」

「でも聞きたい」

「律」

「僕」

 一度。

 深呼吸。

「もう」

 ゆっくり。

「好きって言われないことで、湊を失わないふりするのやめる」

 湊の目。

 揺れる。

「付き合わなければ安全とか」

「……」

「未来の約束しなければ傷つかないとか」

「……」

「そんなの」

 笑う。

「無理だった」

 だって。

 もう。

 好きだから。

「今」

 続ける。

「湊が僕の前にいること」

「うん」

「明日もいるかもしれないこと」

「うん」

「来年も」

「うん」

「卒業しても」

 怖い。

「いるかもしれないこと」

 でも。

「それを」

 僕は。

 認める。

「嬉しいって思いたい」

 湊が。

 目を伏せた。

「だから」

 僕は。

 もう一度。

「言って」

 長い。

 沈黙。

 湊の右手。

 親指。

 握っている。

「嘘ついてる?」

 僕が聞く。

「今は」

 湊。

 小さく。

 笑った。

「言わないって決めたのに」

「うん」

「言いたくて仕方ない」

 胸が。

 熱くなる。

「じゃあ」

「律」

 湊が。

 僕を見る。

 一度目。

 二度目。

 三度目。

 全部の湊が。

 そこにいるような。

 そんな。

 目。

「好きだ」

 世界が。

 一瞬。

 静かになった。

 聞いた。

 四度目。

 湊の。

 好き。

 頭。

 痛くない。

 でも。

 涙が。

 出た。

「律」

「大丈夫」

「泣いてる」

「知ってる」

「大丈夫じゃないだろ」

「これは」

 涙を。

 手で拭く。

「嬉しいほう」

 湊が。

 何とも言えない顔をした。

「何でお前が泣くんだよ」

「知らない」

「俺のほうだろ」

「じゃあ湊も泣けば」

「無理」

「映画では泣いたくせに」

「まだ言う?」

「一生言う」

 言って。

 止まる。

 一生。

 未来。

 以前なら。

 怖かったかもしれない。

 今も。

 少し。

 怖い。

 でも。

 取り消さなかった。

「一生?」

 湊が。

 意地悪く聞く。

「言葉の綾」

「逃げた」

「うるさい」

 二人とも。

 笑う。

 そして。

 僕は。

 思い出す。

「返事」

「何」

「今度は僕」

 湊が。

 黙る。

「一回目も」

 僕は言う。

「二回目も」

「うん」

「三回目も」

「うん」

「湊が先だった」

「三回目はお前が半分先」

「半分って何」

「好きかもしれないって」

「じゃあ正式には湊」

「まあ」

「だから」

 僕は。

 袖を離す。

 代わりに。

 湊の右手を取る。

 親指。

 開く。

 手をつなぐ。

「四度目は」

 一度。

 息を吸う。

「僕から始める」

 湊の目が。

 少し。

 見開かれる。

「久世湊くん」

「何その呼び方」

「大事なところだから」

「はい」

「僕と」

 胸。

 鳴る。

「付き合ってください」

 言った。

 僕から。

 今の僕が。

 過去の僕じゃない。

 三回忘れた僕でもある。

 でも。

 今。

 ここにいる僕が。

 選ぶ。

 湊は。

 しばらく。

 何も言わなかった。

「返事」

 僕が催促する。

「言っていい?」

「それは言って」

「……はい」

「何その返事」

「お前が急に敬語だから」

「じゃあやり直し」

「嫌だ」

「僕はやり直し得意」

「笑えない」

「ちょっと面白かったでしょ」

「少し」

 湊は。

 僕の手を。

 握り直す。

「付き合う」

「うん」

「今度こそ」

「それ禁止」

「何が」

「今度こそ、とか」

「何で」

「失敗前提みたいだから」

「違う」

「じゃあ?」

 湊は。

 少し考えて。

「今日から」

 と言った。

 胸に。

 落ちる。

「うん」

「今日から付き合う」

 僕は。

 笑った。

「それがいい」

     *

 駅前。

 別れる時間。

 僕たちは。

 いつもより。

 ずっと。

 黙っていた。

「じゃあ」

 僕が言う。

「帰る」

「ああ」

 でも。

 動かない。

「何」

 湊が聞く。

「そっちこそ」

「先行けよ」

「何で」

「見送る」

「僕も見送りたい」

「永遠に帰れない」

「じゃあ同時」

「改札違うだろ」

「そうだった」

 二人。

 笑う。

 でも。

 僕は。

 怖かった。

 このあと。

 一人になる。

 眠る。

 目を覚ます。

 明日。

 来る。

「律」

「何」

「怖い?」

 すぐ。

「うん」

 答える。

 もう。

 平気なふりはしない。

「湊は?」

「怖い」

「そっか」

「ああ」

「一緒だ」

「そうだな」

 湊が。

 少し。

 近づく。

 手。

 僕の髪。

 触れそうになって。

 止まる。

「何」

「……何でもない」

「触れば」

「いいの」

「髪くらい」

 湊の手。

 頭に。

 軽く。

 触れる。

 撫でるというほどでもない。

 でも。

 優しい。

「律」

「うん」

「もし」

「うん」

「明日」

 湊が。

 言葉を探す。

「忘れてたら」

 胸。

 痛い。

 でも。

 聞く。

「うん」

「俺」

 一度。

 息を吐く。

「お前に全部話す」

「うん」

「四回目のこと」

「うん」

「今日のこと」

「うん」

「お前が先に付き合ってくれって言ったことも」

「そこ重要」

「一番」

「うん」

「それで」

 湊の目。

「また知り合う」

 涙。

 出そう。

 でも。

 笑う。

「五回目?」

「そうなる」

「嫌だな」

「ああ」

「四回で終わりがいい」

「俺も」

「じゃあ」

 僕は。

 湊の制服の袖を。

 つかむ。

「明日」

「うん」

「教室で」

「うん」

「僕が最初に言うから」

「何を」

「おはよう、湊」

 湊。

 目を細める。

「ああ」

「絶対」

「待ってる」

 袖。

 離す。

 今度こそ。

 改札へ。

 振り返る。

 湊。

 まだいる。

 手を振る。

 湊も。

 小さく。

 手を上げる。

 僕は。

 改札を通った。

     *

 夜。

 母さんに。

 言った。

「付き合うことになった」

「誰と」

「湊」

 母さん。

 止まる。

「久世くん?」

「うん」

「そう」

 それだけ。

「驚かないの」

「驚いてる」

「もっとあるでしょ」

「そうね」

 少し考えて。

「よかったじゃない」

 僕は。

 拍子抜けする。

「それだけ?」

「何を期待してるの」

「もっと」

 手を振る。

「男の子なの、とか」

「男の子でしょ」

「そうだけど」

「あなたが好きなんでしょ」

「……うん」

「なら」

 母さん。

 笑う。

「大事にしなさい」

 その言葉。

 胸に。

 刺さる。

 以前なら。

 怖かったかもしれない。

「うん」

 今日は。

 ちゃんと。

 答えられた。

「大事にする」

「してもらいなさい」

「それも?」

「当たり前」

 母さんは。

 冷蔵庫から。

 麦茶を出す。

「恋愛って一人でするものじゃないでしょ」

 その言葉。

 僕は。

 少し。

 考えた。

 そうだ。

 僕は。

 ずっと。

 一人で。

 未来の喪失まで。

 引き受けようとしていた。

 失ったら。

 僕が苦しい。

 だから。

 僕が忘れる。

 でも。

 本当は。

 湊も。

 そこにいる。

「母さん」

「何」

「兄ちゃん」

「うん」

「彼女いた?」

 母さんが。

 麦茶をこぼしかけた。

「急に何」

「何となく」

「知らない」

「母親なのに」

「中学生男子が全部話すと思う?」

「確かに」

「でも」

 母さん。

 少し笑う。

「好きな子はいたみたい」

「誰」

「知らない」

「聞かなかった?」

「聞いたら逃げた」

「兄ちゃんっぽい」

 言って。

 止まる。

 兄ちゃんっぽい。

 僕。

 今。

 そう言った。

 何が。

 兄ちゃんっぽいのか。

 少し。

 わかる。

 人にからかわれると。

 耳まで赤くなった。

 照れると。

 急に不機嫌そうな顔をした。

「……思い出した」

 母さんが。

 僕を見る。

「何を」

「兄ちゃん」

 笑う。

「照れると耳赤かった」

 母さんも。

 笑った。

「そうそう」

「湊と同じ」

「そうなの?」

「うん」

 僕は。

 その夜。

 兄ちゃんの話を。

 少しだけ。

 母さんとした。

     *

 部屋。

 十一時四十八分。

 寝たくない。

 眠れば。

 朝が来る。

 でも。

 朝が来なければ。

 確かめられない。

 現代文のノート。

 開く。

 今日のページ。

『今日、湊から聞く。』

『怖い。』

『でも、聞きたい。』

『明日の僕へ。』

『もし忘れても、またここから始めて。』

 その下。

 僕は。

 書く。

『聞いた。』

『湊は僕を好きだと言った。』

 そして。

『僕から付き合ってくださいと言った。』

 少し。

 考える。

『今日から恋人になった。』

 今日。

 それが。

 一番いい。

 その下。

 もう一行。

『明日の僕がこれを覚えているかはわからない。』

 手が。

 止まる。

 怖い。

 でも。

 続ける。

『それでも、今日の僕は幸せだった。』

 書いた。

 その瞬間。

 胸の奥。

 何かが。

 ほどけた。

 忘れるか。

 忘れないか。

 明日の僕には。

 まだ。

 わからない。

 でも。

 今日の僕は。

 今日。

 幸せだった。

 それは。

 明日のために。

 消さなくていい。

 スマホが。

 震える。

 湊。

『寝ろ』

 笑う。

『まだ起きてる』

『知ってる』

『何で』

『既読ついた』

『それはそう』

『怖い?』

 指。

 止まる。

 正直に。

『怖い』

 返事。

『俺も』

 僕。

『じゃあ電話する?』

 すぐ。

 かかってくる。

「もしもし」

『寝ろ』

「電話してきて最初それ?」

『お前がしろって』

「僕が寝たら切る?」

『切る』

「先に湊寝たら?」

『寝ない』

「何で」

『見届ける』

「何を」

『お前が寝るの』

「怖い人」

『いい意味で?』

 笑う。

「覚えてたんだ」

『お前が言ったことは大体』

「知ってる」

 少し。

 黙る。

「湊」

『何』

「好き」

 言った。

 さらっと。

 湊。

 沈黙。

「僕からは言っても平気」

『知ってる』

「返事しないの?」

『今日はもう言った』

「一日一回制?」

『お前が忘れないってわかるまでは』

「じゃあ明日」

『うん』

「覚えてたら」

 少し。

 怖い。

「もう一回言って」

 湊。

 静か。

『何回でも言う』

 胸。

 熱くなる。

「それ」

『何』

「未来の約束」

『駄目?』

 僕は。

 目を閉じる。

「ううん」

 答える。

「嬉しい」

     *

 そのまま。

 電話をつないだ。

 何を話したか。

 途中から。

 覚えていない。

 たぶん。

 僕が先に寝た。

     *

 朝。

 目覚まし。

 鳴る。

 手を伸ばす。

 止める。

 目を開ける。

 天井。

 光。

 机。

 スマホ。

 数秒。

 何も考えない。

 それから。

 胸が。

 急に。

 強く鳴る。

 誰。

 僕。

 昨日。

 何を。

 湊。

 名前。

 出る。

 顔。

 出る。

 声。

『好きだ』

 駅までの道。

 手。

『付き合ってください』

『付き合う』

「……湊」

 覚えている。

 全部。

 起き上がる。

 ノート。

 開く。

 文字。

『それでも、今日の僕は幸せだった。』

 昨日の僕。

 知っている。

 今日の僕。

 同じ。

「覚えてる」

 笑う。

 涙。

 出る。

「覚えてる」

 もう一度。

 スマホ。

 湊から。

 メッセージはない。

 時刻。

 六時二十八分。

 僕から。

 送る。

『おはよう、湊』

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 既読。

 返事。

『おはよう、律』

 そのあと。

『覚えてる?』

 初めて。

 湊から。

 聞いた。

 僕は。

 指で。

 打つ。

『何を?』

 送信。

 既読。

 十秒。

 電話が鳴った。

 僕は。

 笑いながら出る。

「もしもし」

『律』

 声。

 本気で。

 焦っている。

『お前』

「ごめん」

『は?』

「冗談」

 電話の向こう。

 沈黙。

「全部覚えてる」

『……』

「昨日」

『……』

「湊が僕に好きって言った」

『……』

「僕が付き合ってくださいって言った」

『……』

「湊が付き合うって」

『……』

「あと」

 笑う。

「寝るまで電話した」

 長い。

 長い。

 沈黙。

「湊?」

『……馬鹿』

 声。

 震えている。

「泣いてる?」

『泣いてない』

「右手見えない」

『うるさい』

「映画では」

『切るぞ』

「ごめんごめん」

 でも。

 僕も。

 泣いていた。

「湊」

『何』

「昨日の約束」

『……』

「覚えてたら」

 胸。

 鳴る。

「もう一回言って」

 電話の向こう。

 息。

 そして。

『好きだよ』

 今日。

 初めて。

 聞く。

 怖くない。

 いや。

 少し。

 怖い。

 未来が。

 あるから。

 でも。

「僕も」

 答える。

「好き」

     *

 学校。

 教室。

 僕は。

 いつもより。

 少し早く着いた。

 でも。

 湊は。

 もっと早かった。

 窓際。

 座っている。

 僕が入る。

 顔を上げる。

 一瞬。

 また。

 確認するような目。

 でも。

 今日は。

 電話で。

 もう知っている。

「おはよう、湊」

「おはよう」

 僕は。

 湊の席へ。

 行く。

「はい」

 机に。

 クリームパン。

 牛乳。

「何」

「朝ご飯」

「お前の?」

「湊の」

「朝食った」

「じゃあ昼」

「昼も買った」

「じゃあ放課後」

「いつまで持たせる気」

 僕は笑う。

 そして。

 向かいの席。

 座る。

「ねえ」

「何」

「今日」

「うん」

「放課後どこ行く?」

 湊が。

 僕を見る。

「昨日付き合ったばっかりでそれ?」

「付き合ったら出かけるもんじゃない?」

「知らない」

「過去の僕とは?」

「……」

「ごめん」

「何で」

「今の意地悪だった」

「自覚あるんだ」

「ある」

 僕は。

 少し考える。

「じゃあ」

「何」

「行ったことないところ」

「また?」

「うん」

「どこ」

「探す」

「行き当たりばったり」

「いいじゃん」

「まあ」

 湊が。

 少し笑う。

「今日なら」

 今日。

 また。

 その言葉。

 僕は。

 好きだ。

     *

 昼休み。

 松岡が。

 僕と湊を交互に見る。

「何」

 僕が聞く。

「いや」

「言いたいことあるなら」

「お前ら」

「うん」

「戻った?」

 その言葉。

 少し。

 考える。

「戻ってない」

「は?」

「始まった」

 松岡。

 意味がわからない顔。

「何が」

「今日から」

 僕が言う。

 湊が。

 横から。

「昨日から」

 と訂正する。

「細かい」

「大事」

 松岡。

 数秒。

 僕たちを見る。

 そして。

「付き合った?」

「何でわかる」

「見りゃわかる」

「どこが」

「距離」

 僕と湊。

 見る。

 別に。

 いつも通り。

 隣で。

 パン食べてるだけ。

「変わってないけど」

「それが答えだろ」

 松岡は。

 呆れた顔。

「前からそれだった」

 僕は。

 湊を見る。

 湊も。

 僕を見る。

 そして。

 二人で。

 笑った。

 そうかもしれない。

 僕は。

 三回忘れた。

 でも。

 全部が。

 消えたわけじゃなかった。

 パンの袋の折り方。

 袖をつかむ手。

 名前を呼ばれた時の感覚。

 わがままを言えること。

 その人の前だけで。

 僕が。

 僕でいられること。

 記憶より先に。

 残っていたものが。

 あった。

     *

 放課後。

 僕たちは。

 特に行き先を決めず。

 歩いた。

「どこ行く」

 湊。

「知らない」

「お前が行こうって」

「行ったことない場所」

「ここから?」

「うん」

「じゃあ」

 湊が。

 少し考える。

「隣駅」

「何ある?」

「知らない」

「最高」

「何が」

「二人とも知らない」

 電車。

 一駅。

 降りる。

 小さな商店街。

 パン屋。

 公園。

 本屋。

 何でもない街。

「本当に何もない」

 僕が言う。

「お前が来たがった」

「でも」

 歩く。

 湊。

 隣。

「いい」

「何が」

「知らないところ」

 僕は。

 笑う。

「湊も知らないから」

「それだけ?」

「大事」

 僕だけが。

 知らない過去。

 湊だけが。

 持っている記憶。

 それは。

 なくならない。

 でも。

 これから。

 二人とも。

 初めてのものを。

 増やしていけばいい。

 商店街の端。

 小さな公園。

 ベンチ。

 座る。

「またベンチ」

 湊が言う。

「僕たちベンチ率高いね」

「告白する?」

「今日はしない」

「何で」

「もう付き合ってるから」

「じゃあ」

 湊。

 少し。

 近づく。

「何する」

 僕。

 固まる。

「何その顔」

「いや」

「赤い」

「赤くない」

「赤い」

「うるさい」

 湊が。

 笑う。

 僕も。

 笑う。

「律」

「何」

「手」

「うん」

 差し出す。

 つなぐ。

 昨日。

 今日。

 同じ。

 でも。

 新しい。

「湊」

「うん」

「来年」

「映画?」

「うん」

「行く」

「卒業しても」

「会う」

「その先は?」

 湊が。

 僕を見る。

「先すぎる」

「言ってみて」

「怖くない?」

 少し。

 考える。

「怖い」

 答える。

「でも聞きたい」

 湊。

 しばらく。

 空を見る。

「大学」

「うん」

「別々かもしれない」

「うん」

「遠くに行くかもしれない」

「うん」

「喧嘩するかもしれない」

「うん」

「別れるかもしれない」

 胸。

 少し。

 痛い。

「それは嫌」

「俺も」

「じゃあ言わないで」

「でも可能性はある」

「うん」

 認める。

 好きになれば。

 失うかもしれない。

 それでも。

「その時」

 僕は。

 湊の手を。

 少し。

 強く握る。

「その時の僕たちが考えよう」

 湊。

 僕を見る。

「今から」

 続ける。

「別れる日のために付き合わないなんて」

 笑う。

「もったいない」

 湊が。

 静かに。

 笑った。

「そうだな」

 僕たちは。

 そのあと。

 何でもない話をした。

 テスト。

 夏休み。

 映画。

 しいたけ。

 プリン。

 兄ちゃん。

 来年。

 卒業。

 未来。

 怖いもの。

 嬉しいもの。

 全部。

 同じところに。

 あった。

     *

 その夜。

 僕は。

 現代文ノートの。

 最初の手紙を。

 もう一度。

 読んだ。

『もしまた忘れたら読むこと』

 一度目の僕から。

 四度目の僕へ。

『久世湊は悪くない。』

『湊を疑わないで。』

『怖がらないで。』

『久世湊は、僕が忘れていい人じゃない。』

 僕は。

 その下。

 余白に。

 書き足した。

『ありがとう。』

 そして。

『ちゃんと好きになった。』

 一度。

 考える。

 訂正。

 横線。

『ちゃんと好きになった。』

 ではない。

 新しく。

 書く。

『また、じゃない。』

『今の僕が好きになった。』

 最後。

『四度目の恋は、僕から始めた。』

 ノートを閉じる。

 明日。

 僕が。

 何を覚えているか。

 未来のことは。

 わからない。

 でも。

 今。

 僕は知っている。

 忘れないことが。

 愛することじゃない。

 失わないことも。

 愛することじゃない。

 いつか。

 失うかもしれない。

 忘れてしまうかもしれない。

 それでも。

 今日。

 その人を。

 大事だと選ぶこと。

 たぶん。

 僕にとっての恋は。

 そこから始まる。

 スマホ。

 震える。

 湊。

『明日もちゃんと来いよ』

 僕は。

 笑う。

『行く』

 送る。

 少し。

 考えて。

 もう一通。

『明後日も』

 既読。

『来年も』

 僕。

『卒業しても』

 湊。

 少し間。

『しつこい』

 僕。

『嫌?』

 既読。

 そして。

『好き』

 画面に。

 その二文字。

 僕は。

 しばらく。

 見つめた。

 怖くない。

 とは。

 まだ言えない。

 胸は。

 少し。

 痛いくらいに鳴っている。

 未来を。

 想像してしまうから。

 でも。

 今度は。

 消さない。

 僕は。

 返信する。

『僕も好き』

 送信。

 画面を閉じる。

 明日の朝。

 目が覚めたら。

 きっと。

 最初に。

 彼の名前を思い出す。

 そして。

 学校へ行く。

 教室のドアを開ける。

 窓際。

 僕を待っている人に。

 今日と同じように。

 でも。

 今日とは違う一日を始めるために。

 僕から。

 言う。

 おはよう、湊。