君が「大丈夫」と言うたび、世話を焼きたくなる

 グループ課題という言葉を聞いた瞬間、僕は少しだけ身構えた。

 教授が前のスクリーンに課題内容を映しながら、四人一組で発表資料を作るようにと言う。

 周りではすぐに椅子を寄せる音がした。

「一緒にやろうぜ」
「あと一人誰にする?」

 そんな声が飛び交う。

 僕はノートに視線を落とした。

 こういうとき、いつも困る。

 誰かと組みたいと思っても、自分から「入れて」と言えない。

 声をかけようと思っているうちに、みんな決まっていく。

 今回もそうなると思っていた。

「篠崎」

 名前を呼ばれて顔を上げる。

 榊がこちらを見ていた。

「こっち」

 榊の隣には、見覚えのある男子学生が二人いる。

「四人だから、篠崎入ればちょうどいい」

「……いいの?」

「なんでダメなんだよ」

 榊は当たり前みたいに言う。

 僕は荷物を持って席を移動した。

「俺、榊。こいつ藤岡で、こっちが宮本」

「よろしく」

「篠崎です」

 ぺこりと頭を下げる。

「篠崎って、榊の友達?」

 藤岡に聞かれた。

 答えに詰まる。

 友達。

 そう呼んでいいんだろうか。

 僕が迷っているうちに、榊が先に答えた。

「そうそう」

 あまりにも自然だった。

 胸の奥が少しだけ熱くなる。

「……うん」

 遅れて答えると、榊がちらりとこっちを見た。

 笑っていた。

 課題は、地域活性化について調査してプレゼンするというものだった。

 話し合いが始まる。

「アンケート取る?」
「いや、それ時間かかるだろ」
「じゃあ統計データ探す感じ?」

 三人が次々に意見を出していく。

 僕も何か言わないと。

 頭の中では考えている。

 でも、誰かが話し終わったと思った瞬間、別の誰かが話し始める。

 次。

 次こそ。

 そう思っているうちに話題が進んでいく。

「篠崎は?」

 榊に突然振られた。

「え?」

「何か案ある?」

 三人の視線が集まる。

 一気に頭が真っ白になる。

「えっと……」

 さっきまで考えていたことが消えた。

「……ごめん。ない」

「そっか」

 榊はそれだけ言って、すぐ話を戻した。

 助かった。

 でも同時に、情けなかった。

 結局、僕はほとんど何も話せないまま、役割分担になった。

「俺、発表やるわ」

 藤岡が言う。

「じゃあ俺、スライド」

 宮本が続く。

「資料集めは俺かな」

 榊が言った。

 残ったのは、集めた資料の整理と文章化、それから参考文献の確認。

「じゃあ僕、それやる」

 すぐに言った。

「両方?」

 榊が聞く。

「うん」

「結構多くない?」

「大丈夫」

 口にしてから、榊が僕を見る。

 あ。

 また言った。

「……本当に大丈夫だから」

「増えた」

「何が?」

「大丈夫が」

 藤岡と宮本が笑った。

 僕は恥ずかしくなって下を向く。

「篠崎、真面目だな」

 宮本が言った。

「じゃあお願いしていい?」

「うん」

 頼られたことが、少し嬉しかった。

 話すのは苦手でも、作業ならできる。

 役に立てるなら、それでいい。

 その日の夜。

 僕は図書館に残って、資料の整理を始めた。

 榊が集めたデータは思ったより多い。

 表を作って、内容をまとめて、引用元を確認していく。

 一時間。

 二時間。

 気づけば外は暗くなっていた。

「篠崎」

 顔を上げる。

 榊が立っていた。

「……なんでいるの?」

「それこっちの台詞」

 榊は向かいの席に座る。

「今日やるって言ってた?」

「言ってない」

「じゃあなんでまだいるの」

「早めに終わらせたくて」

 榊はノートパソコンの画面をのぞいた。

「これ全部やったの?」

「まだ半分くらい」

「半分?」

「うん」

「今日一日で?」

「うん」

 榊が眉を寄せた。

「篠崎」

「何?」

「なんで一人で全部やろうとしてんの」

「担当だから」

「担当って言っても限度あるだろ」

「でも、みんなそれぞれやることあるし」

「俺だってあるけど」

「榊は資料集め終わってる」

「だから手伝える」

「いいよ」

 僕は反射的に答えた。

「大丈夫だから」

 榊がため息をつく。

「またそれ」

「だって本当に」

「じゃあ聞くけど」

 榊は机に肘をついた。

「今日、昼飯食った?」

 思わず黙る。

「食ってないだろ」

「……時間なくて」

「それ大丈夫って言う?」

「夜食べるから」

「何時に?」

「帰ってから」

「今七時半」

 時計を見る。

 本当だった。

「お腹すいてないし」

 ぐう、と。

 タイミングよく腹が鳴った。

 死にたい。

 榊が吹き出す。

「笑わないで」

「ごめん、無理」

「最悪」

「篠崎、分かりやすすぎる」

 顔が熱い。

 僕はパソコンへ視線を戻した。

「もう帰る」

「待って」

 榊が立ち上がる。

「何?」

「コンビニ行こう」

「僕はいい」

「俺が腹減った」

「じゃあ榊だけ」

「一人で食うの寂しい」

 絶対に嘘だ。

 榊がそんなことで困るはずがない。

 それでも。

「……じゃあ、少しだけ」

 大学の近くのコンビニで、榊はおにぎりを二つとサンドイッチを買った。

 僕はおにぎり一つ。

「それだけ?」

「十分」

「足りないだろ」

「足りる」

 会計を終えて、大学のラウンジへ戻る。

 榊は僕の向かいに座った。

「いただきます」

「……いただきます」

 二人で食べる。

 不思議だった。

 一人で食べるときは、スマホを見ながらすぐに終わる。

 でも榊といると、食事が少し長くなる。

「篠崎ってさ」

「何?」

「本当に一人が好きなの?」

 昨日と同じ質問だった。

 僕の手が止まる。

「……なんで?」

「いや」

 榊はサンドイッチを置いた。

「一人が好きなやつって、もっと一人でいるの楽しそうじゃない?」

「僕、楽しそうじゃない?」

「全然」

 ひどい。

「でも、嫌じゃない」

「一人が?」

「うん」

 嘘ではない。

 一人なら失敗しない。

 話すタイミングを間違えない。

 変なことを言って嫌われることもない。

「楽だから」

 僕は言った。

「誰かといるより」

「それ、好きっていうのと違わない?」

 返事ができなかった。

 榊はそれ以上追及しなかった。

「食べ終わったら、続き一緒にやろう」

「いいよ」

「却下」

「でも」

「俺、文章まとめる。篠崎は参考文献」

「榊の担当じゃない」

「グループ課題なんだから誰の担当でもいいだろ」

 そう言われると、反論できない。

「……ありがとう」

「うん」

 榊は嬉しそうに笑った。

 図書館に戻って、二人で作業をする。

 不思議なくらい早く進んだ。

「俺、これコピーしてくる」

 榊が席を立つ。

「分かった」

 一人になる。

 途端に、さっきまで気にならなかった図書館の静けさが耳についた。

 パソコンのファンの音。

 誰かがページをめくる音。

 遠くで椅子を引く音。

 僕は何度か入口を見た。

 遅い。

 いや、まだ三分くらいしか経っていない。

 別に待っているわけじゃない。

 コピー機が混んでいるだけだろう。

 僕は画面へ視線を戻す。

 数行入力する。

 また入口を見る。

 その瞬間、榊が戻ってきた。

 目が合った。

「あ」

「何?」

「別に」

 僕は慌ててパソコンを見る。

 榊が椅子に座る。

「待ってた?」

「待ってない」

「今、めっちゃ入口見てたけど」

「偶然」

「へえ」

「本当に」

「分かった分かった」

 榊は笑っている。

 絶対に分かっていない。

 しばらくして。

「篠崎」

「何?」

「俺が戻ってきて安心した?」

「してない」

 即答する。

「ふうん」

「本当にしてない」

「耳赤いけど」

 僕は両耳を手で隠した。

 榊が声を殺して笑う。

「笑わないで」

「ごめん」

「全然ごめんと思ってない」

「思ってるって」

 榊は笑いながら、コピーしてきた紙を僕の前へ置いた。

 僕はそれを受け取った。

 紙の端から、榊の指が離れる。

 ほんの一瞬だけ。

 離れてほしくないと思った。

 そんな自分に驚く。

「……榊」

「ん?」

「明日も、この続きやる?」

「やるよ」

「そっか」

「何?」

「何でもない」

 僕は画面へ戻る。

 本当は。

 少しだけ安心した。

 明日も一人じゃない。

 それが嬉しかった。

 僕は一人でいることが嫌いなわけじゃない。

 だけど。

 一人が好きなわけでもなかった。

 たぶん僕はずっと、その違いを誰にも知られないようにしてきた。

 自分にすら。

 榊だけが、少しずつ気づき始めていた。