「ごちそうさまでした」
手を合わせて、空っぽの弁当に小さくお辞儀をする。
後輩くんより少し遅れて食べ終わった僕が弁当を片付けていると、隣からジリっとした熱い視線を感じる。
(……いや、食べ終わる前からか)
食べている最中も、後輩くんはずっと僕のことをガン見していた。
「後輩くん」
「なんですか?」
「僕に何か付いてる?」
「いいえ」
あっけらかんと答える後輩くんに、僕は首を傾げる。
「じゃあ、なんでそんなに僕のこと見てるの?」
「なんでだと思います?」
「質問に質問で返してこないでよ。うーん……」
後輩くんのことだ、何か答えるまで正解を教えてくれないだろう。何でもいいからそれっぽいことを答えようと脳をフル回転させるが、けれどもそれらしいことは一切思い浮かばない。
「……顔に何か付いてるんじゃないんだよね?」
「違うって言ってるでしょ」
クスクスと楽しそうに肩を揺らした後輩くんが急に人差し指をこちらに向けてきたと思えば、むにっと僕の頬に突き刺してきた。
「な、なに?」
「先輩は口が小さいから、一口もびっくりするくらい小さいんです。なのに食べてるときは頬がぷくぷくに膨らんで、ハムスターみたいで可愛いなって思ってたんです」
だからついつい見ちゃうんですよね、なんて言いながら更に頬をムニムニとついてくる。
じわじわと、首から顔にかけて熱くなっていくのがわかる。そんなところを見られてるなんて、思ってもいなかった。
後輩くんの指から逃げるように、反対側にぷいっと顔を背ける。「あーあ」なんて残念そうな声が聞こえたが無視だ無視!
「もう、後輩くんとはご飯食べない!」
「やめてくださいよ、俺がひとりぼっちになっちゃうじゃないですか」
「お友達と食べたらいいじゃん!」
「そのお友達がいないんですよ。……先輩は俺を、本当にひとりぼっちにするんですか?」
それまで普通に会話していたのに、最後の呟きだけどこか寂しそうに聞こえた。『無視』という言葉は一瞬で脳内から消え去って、思わず後輩くんの方に振り向いてしまった。
真っ直ぐこちらを見つめる後輩くんの手がこちらに伸びてくる。秋の冷たい風で冷えてしまった僕の頬に、後輩くんの温かい手の平がそっと触れた。親指の腹でスリスリと頬を撫でてくる後輩くんの手を、僕は目を閉じて受け入れる。
「友達、いないの?」
「なんと言うか、どうも馬が合わないんですよね、クラスメイトと。そりゃ会話も少しくらいはしますけど、昼食を一緒に食べるほどの——会話が盛り上がるような友達はいないんですよ。基本は一人です」
「そうなんだ?」
「そうなんです」
なんだか意外だ。
確かに後輩くんが誰かと親しそうに話しているところは見たことがないが、そもそも学年が違うから日中に学校で会うことの方が少ない。たまたま僕がその場面を見かけないだけで、友達と遊んだりしているものだと思っていた。
(こんなに親切で優しい子なのにな)
薄っすらと目を開けると、後輩くんが優しい笑みで僕を見下ろしていた。
「だから、先輩だけですよ。こんなに俺と一緒にいてくれるのは」
「……だって、後輩くんがいないと僕はダメだもん。あと別に、僕も弁当食べるほどの友達はいないし」
最後の方は、思わず声が小さくなってしまった。
「そうなんですか?」と意外そうに聞かれたので、僕は人差し指をクルクル回しながら答える。
「よく考えてみてよ後輩くん。休日遊びに行く約束をしても、寝坊して待ち合わせ時間に遅れる。放課後寄り道しようにも、もし帰る前に寝落ちしたら起こせなくて困る。そんな人と遊びたいと思う?」
「あぁ〜、なるほど……」
後輩くんは納得したのか、合点がいったような表情で頷いた。
待ち合わせに遅刻して、帰りの電車で寝落ちして困らせて——そんなことが一度や二度でなく、何度も起こった。何度も何度もそんなことを繰り返して、いつしか周りは、僕のことを遊びに誘わなくなった。だって、困るから。
僕も納得している。というか、これ以上迷惑をかけたくなかったから、中学に上がる頃には『友達と学校外で遊ぶ』ということをしなくなった。
——別に無理して外で遊ばなくても、学校でみんなと仲良く遊べばいいか。
そう思っていたけれど、やっぱりみんな、学校外に遊びに行ったりして親睦を深めるわけで。昼食に誘ってくれた子もいたけど、一緒に遊びに行っていない僕にはついていけないような内容で盛り上がることもそれなりに多かった。
気を遣われるのも段々申し訳なくなってきて、いつしか僕から誘いを断るようになった。これに関しては完全に僕の自業自得だ。
まあそんなことがあって、高校に入ってからは後輩くんが入学してくるまでこの木の下で毎日一人で食べていた。
「だからこんなふうに一緒に楽しくご飯を食べたり登校したりするのは、後輩くんが初めてなんだ」
後輩くんの手の上に僕の手を重ね合わせながらそう告げると、後輩くんは一瞬目を見開いて、ピクリと肩を震わせる。そしてふーっと長めに息を吐いた後、柔らかく目尻を下げた。
「俺も、先輩が初めてです」
「ふふ、初めて同士だね」
「ですね」
クスクスと、小さな笑い声が二つ響く。
(ああ、楽しいなぁ)
ずっとこんな時間が続けばいいのにと思う。せめて、僕が卒業する半年後までは。
ひとしきり笑ったあと、急に頬を伝う熱に意識を持っていかれた。
「そういえば後輩くん、いつまで僕のほっぺ触ってるの?」
「すみません、なんだか離れ難くて……」
僕が上から手を重ねていた、ということはひとまず棚に上げてそう問いかけると、思ってもみない返事が返ってきた。ハクっと息を呑むと、その間に後輩くんの手がそっと離れていってしまった。
自分から言ったのに、離れた熱が酷く恋しい。
後輩くんの方を見ると、彼はスマホを取り出して「あと二十分ですね」なんて昼休みの時間を確認していた。
切り替えの早いことだ。僕はこんなに……いや、なんでもない。
(あと二十分か)
涼しい風、銀杏の独特な香り、そして、
「先輩?」
――後輩くんの、優しい声。
「……なんか、眠くなってきたかも」
お弁当を食べてお腹いっぱいになったのもあるだろう。とにかく、なんだか眠くなってきたのだ。
それを聞いた後輩くんは、素っ頓狂な声を出して驚いていた。
「ええ、今ですか?」
「あと二十分あるんでしょ?」
「ありますけど……。本当に寝るんですか? ここで?」
後輩くんは下を見下ろす。なるほど、後輩くんが言いたいことはわかった。
僕は気にせず銀杏の葉が敷き詰められた地面に寝転がろうとして――やめた。
地面に寝転がると見せかけて、後輩くんの太ももに頭を乗せる。
「せ、先輩っ!?」
「流石に地面はあれだからね、ちょっと膝借りるよ」
「……あの日は地面で寝てたじゃないですか」
「それはそれ、これはこれだよ」
後輩くんの言葉を上手くかわして、後輩くんの太ももの感触を確かめた。
(……なんか、ゴツゴツしてる?)
膝枕といえば柔らかいイメージがあったのだが、実際はそうでもないらしい。
正直に言ってしまえば、硬い。寝にくい。
「ん〜。後輩くんの太もも、硬い……」
「勝手に人の足を枕にしておいて、文句言わないでくださいよ」
「文句じゃないよ、感想を言っただけだから」
「その感想が文句なんでしょう」
「もう、後輩くんは細かいな〜」
そう言いながら頭の位置を少しずつ調節して、寝心地のいい場所を探す。色々試した結果太ももの付け根辺りが一番安定感があったので、そこに落ち着いた。
「後輩くん、昼休みが終わる五分前に起こしてくれる?」
「わかりました。ちゃんと起こしますよ」
目線だけ見上げて言うと、後輩くんは眉を下げて「仕方ないな〜」とでも言いたげに頷いた。
(そういえば、昼休みにお昼寝するのは初めてかも)
昼寝なんてした暁には、午後の授業をすっ飛ばして放課後になってしまうことくらいわかるので、今までどれだけ眠くてもお昼寝はしないようにしてきた。
でも今は出来る。だって後輩くんがいるから。
後輩くんと一緒にいると、沢山の初めてを経験している気がする。
「後輩くんがいたら、お昼寝だってできちゃうや」
嬉しくてへにゃりと頬が緩む。
それを見た後輩くんは、ゆっくりと僕の瞼に手を当ててきた。
「そうですね。ほら、早く寝ないと時間なくなっちゃいますよ」
「うん」
「先輩、おやすみなさい」
「う、ん……」
いつもは僕を起こしてくれる優しい声が、今は眠気を誘ってくる。いつの間にか瞼から離れていた大きな手が、今度は僕の頭を優しく撫でている感触がした。安心して、身体からふっと力が抜ける。
(やっぱり後輩くんの側って、なんだか落ち着く……)
その時にはもう、後輩くんの太ももが硬くてゴツゴツなんてことは気にならなくなっていた。
後輩くんと銀杏の香りに包まれながら、僕はそっと意識を手放した。
手を合わせて、空っぽの弁当に小さくお辞儀をする。
後輩くんより少し遅れて食べ終わった僕が弁当を片付けていると、隣からジリっとした熱い視線を感じる。
(……いや、食べ終わる前からか)
食べている最中も、後輩くんはずっと僕のことをガン見していた。
「後輩くん」
「なんですか?」
「僕に何か付いてる?」
「いいえ」
あっけらかんと答える後輩くんに、僕は首を傾げる。
「じゃあ、なんでそんなに僕のこと見てるの?」
「なんでだと思います?」
「質問に質問で返してこないでよ。うーん……」
後輩くんのことだ、何か答えるまで正解を教えてくれないだろう。何でもいいからそれっぽいことを答えようと脳をフル回転させるが、けれどもそれらしいことは一切思い浮かばない。
「……顔に何か付いてるんじゃないんだよね?」
「違うって言ってるでしょ」
クスクスと楽しそうに肩を揺らした後輩くんが急に人差し指をこちらに向けてきたと思えば、むにっと僕の頬に突き刺してきた。
「な、なに?」
「先輩は口が小さいから、一口もびっくりするくらい小さいんです。なのに食べてるときは頬がぷくぷくに膨らんで、ハムスターみたいで可愛いなって思ってたんです」
だからついつい見ちゃうんですよね、なんて言いながら更に頬をムニムニとついてくる。
じわじわと、首から顔にかけて熱くなっていくのがわかる。そんなところを見られてるなんて、思ってもいなかった。
後輩くんの指から逃げるように、反対側にぷいっと顔を背ける。「あーあ」なんて残念そうな声が聞こえたが無視だ無視!
「もう、後輩くんとはご飯食べない!」
「やめてくださいよ、俺がひとりぼっちになっちゃうじゃないですか」
「お友達と食べたらいいじゃん!」
「そのお友達がいないんですよ。……先輩は俺を、本当にひとりぼっちにするんですか?」
それまで普通に会話していたのに、最後の呟きだけどこか寂しそうに聞こえた。『無視』という言葉は一瞬で脳内から消え去って、思わず後輩くんの方に振り向いてしまった。
真っ直ぐこちらを見つめる後輩くんの手がこちらに伸びてくる。秋の冷たい風で冷えてしまった僕の頬に、後輩くんの温かい手の平がそっと触れた。親指の腹でスリスリと頬を撫でてくる後輩くんの手を、僕は目を閉じて受け入れる。
「友達、いないの?」
「なんと言うか、どうも馬が合わないんですよね、クラスメイトと。そりゃ会話も少しくらいはしますけど、昼食を一緒に食べるほどの——会話が盛り上がるような友達はいないんですよ。基本は一人です」
「そうなんだ?」
「そうなんです」
なんだか意外だ。
確かに後輩くんが誰かと親しそうに話しているところは見たことがないが、そもそも学年が違うから日中に学校で会うことの方が少ない。たまたま僕がその場面を見かけないだけで、友達と遊んだりしているものだと思っていた。
(こんなに親切で優しい子なのにな)
薄っすらと目を開けると、後輩くんが優しい笑みで僕を見下ろしていた。
「だから、先輩だけですよ。こんなに俺と一緒にいてくれるのは」
「……だって、後輩くんがいないと僕はダメだもん。あと別に、僕も弁当食べるほどの友達はいないし」
最後の方は、思わず声が小さくなってしまった。
「そうなんですか?」と意外そうに聞かれたので、僕は人差し指をクルクル回しながら答える。
「よく考えてみてよ後輩くん。休日遊びに行く約束をしても、寝坊して待ち合わせ時間に遅れる。放課後寄り道しようにも、もし帰る前に寝落ちしたら起こせなくて困る。そんな人と遊びたいと思う?」
「あぁ〜、なるほど……」
後輩くんは納得したのか、合点がいったような表情で頷いた。
待ち合わせに遅刻して、帰りの電車で寝落ちして困らせて——そんなことが一度や二度でなく、何度も起こった。何度も何度もそんなことを繰り返して、いつしか周りは、僕のことを遊びに誘わなくなった。だって、困るから。
僕も納得している。というか、これ以上迷惑をかけたくなかったから、中学に上がる頃には『友達と学校外で遊ぶ』ということをしなくなった。
——別に無理して外で遊ばなくても、学校でみんなと仲良く遊べばいいか。
そう思っていたけれど、やっぱりみんな、学校外に遊びに行ったりして親睦を深めるわけで。昼食に誘ってくれた子もいたけど、一緒に遊びに行っていない僕にはついていけないような内容で盛り上がることもそれなりに多かった。
気を遣われるのも段々申し訳なくなってきて、いつしか僕から誘いを断るようになった。これに関しては完全に僕の自業自得だ。
まあそんなことがあって、高校に入ってからは後輩くんが入学してくるまでこの木の下で毎日一人で食べていた。
「だからこんなふうに一緒に楽しくご飯を食べたり登校したりするのは、後輩くんが初めてなんだ」
後輩くんの手の上に僕の手を重ね合わせながらそう告げると、後輩くんは一瞬目を見開いて、ピクリと肩を震わせる。そしてふーっと長めに息を吐いた後、柔らかく目尻を下げた。
「俺も、先輩が初めてです」
「ふふ、初めて同士だね」
「ですね」
クスクスと、小さな笑い声が二つ響く。
(ああ、楽しいなぁ)
ずっとこんな時間が続けばいいのにと思う。せめて、僕が卒業する半年後までは。
ひとしきり笑ったあと、急に頬を伝う熱に意識を持っていかれた。
「そういえば後輩くん、いつまで僕のほっぺ触ってるの?」
「すみません、なんだか離れ難くて……」
僕が上から手を重ねていた、ということはひとまず棚に上げてそう問いかけると、思ってもみない返事が返ってきた。ハクっと息を呑むと、その間に後輩くんの手がそっと離れていってしまった。
自分から言ったのに、離れた熱が酷く恋しい。
後輩くんの方を見ると、彼はスマホを取り出して「あと二十分ですね」なんて昼休みの時間を確認していた。
切り替えの早いことだ。僕はこんなに……いや、なんでもない。
(あと二十分か)
涼しい風、銀杏の独特な香り、そして、
「先輩?」
――後輩くんの、優しい声。
「……なんか、眠くなってきたかも」
お弁当を食べてお腹いっぱいになったのもあるだろう。とにかく、なんだか眠くなってきたのだ。
それを聞いた後輩くんは、素っ頓狂な声を出して驚いていた。
「ええ、今ですか?」
「あと二十分あるんでしょ?」
「ありますけど……。本当に寝るんですか? ここで?」
後輩くんは下を見下ろす。なるほど、後輩くんが言いたいことはわかった。
僕は気にせず銀杏の葉が敷き詰められた地面に寝転がろうとして――やめた。
地面に寝転がると見せかけて、後輩くんの太ももに頭を乗せる。
「せ、先輩っ!?」
「流石に地面はあれだからね、ちょっと膝借りるよ」
「……あの日は地面で寝てたじゃないですか」
「それはそれ、これはこれだよ」
後輩くんの言葉を上手くかわして、後輩くんの太ももの感触を確かめた。
(……なんか、ゴツゴツしてる?)
膝枕といえば柔らかいイメージがあったのだが、実際はそうでもないらしい。
正直に言ってしまえば、硬い。寝にくい。
「ん〜。後輩くんの太もも、硬い……」
「勝手に人の足を枕にしておいて、文句言わないでくださいよ」
「文句じゃないよ、感想を言っただけだから」
「その感想が文句なんでしょう」
「もう、後輩くんは細かいな〜」
そう言いながら頭の位置を少しずつ調節して、寝心地のいい場所を探す。色々試した結果太ももの付け根辺りが一番安定感があったので、そこに落ち着いた。
「後輩くん、昼休みが終わる五分前に起こしてくれる?」
「わかりました。ちゃんと起こしますよ」
目線だけ見上げて言うと、後輩くんは眉を下げて「仕方ないな〜」とでも言いたげに頷いた。
(そういえば、昼休みにお昼寝するのは初めてかも)
昼寝なんてした暁には、午後の授業をすっ飛ばして放課後になってしまうことくらいわかるので、今までどれだけ眠くてもお昼寝はしないようにしてきた。
でも今は出来る。だって後輩くんがいるから。
後輩くんと一緒にいると、沢山の初めてを経験している気がする。
「後輩くんがいたら、お昼寝だってできちゃうや」
嬉しくてへにゃりと頬が緩む。
それを見た後輩くんは、ゆっくりと僕の瞼に手を当ててきた。
「そうですね。ほら、早く寝ないと時間なくなっちゃいますよ」
「うん」
「先輩、おやすみなさい」
「う、ん……」
いつもは僕を起こしてくれる優しい声が、今は眠気を誘ってくる。いつの間にか瞼から離れていた大きな手が、今度は僕の頭を優しく撫でている感触がした。安心して、身体からふっと力が抜ける。
(やっぱり後輩くんの側って、なんだか落ち着く……)
その時にはもう、後輩くんの太ももが硬くてゴツゴツなんてことは気にならなくなっていた。
後輩くんと銀杏の香りに包まれながら、僕はそっと意識を手放した。



