眠り姫にはアラーム係の声しか届かない

「やっぱり、俺が起こすとすぐに目が覚めるんですね」
「……いやいやいや、なんでいるの?」
 僕を見下ろし、何故か頭を撫でてくる亜蘭くんに困惑を隠せない。時計を見るとまだ六時半……いや早すぎるでしょ。
 
「なんでって、先輩を起こしに来たんですよ。お母さんに事情を説明したらすぐに中に入れてくれました」
「説明?」
「『今日は起こしに来るよう頼まれたので来ました』って言っただけです」
「こら! ナチュラルに嘘つかない!!」
 
 お母さんに『練習するから亜蘭くんは入れないで』って言ってたのになんでここにいるのかと思えば、そんな嘘をついてたなんて……! お母さんも僕に確認せずに入れないでよ! いや、確認するには亜蘭くんに起こしてもらわないといけないから、結局亜蘭くんをうちに入れないといけないのか……。
 
 グルグルと、変な考えしか浮かばない。ただ呆然と亜蘭くんの顔を見上げることしか出来なかった。
 そんな僕を見て亜蘭くんはクスリと小さく笑みを零すと、いつもしてたようにゆっくりと僕の背中に手を回して僕を起き上がらせた。
 かと思えば、ギュッと強く抱きしめられる。
 
「あ、亜蘭くん?」
「先輩、貴方はもう俺がいないと生きていけないんですよ。もっと自覚してください。離れようとしないで」
「そ、んなことッ!」
 
 耳元で囁かれた言葉に、顔がカッと熱くなる。
 これが恥ずかしさなのか怒りなのか悲しさなのか、分からない。
 僕は亜蘭くんから離れようと彼の胸を押すが、びくともしなかった。それどころか、亜蘭くんは僕のベッドに乗り上がって更に強い力で抱きしめてくる。

「先輩、人には得手不得手があるんです。先輩は起きるのが苦手、俺は先輩を起こすのが得意。なら、補っていけばいいんですよ。なにも一人で無理する必要なんてない」
「それは……違うでしょ。起きるのが苦手なんて、人間としてどうかしてるよ。これは僕一人で出来るようにならないといけないことなの」
「そんなの誰が決めたんです? お母さんから聞きましたよ、最近先輩の元気がないって。無理してて心配だって」
「それは……」

 確かに最近、少し思い詰めていた節がある。
 何をしても思ったように上手くはいかなくて、本当にこのまま朝起きれない人のまま大人になっていくのかもしれないという恐怖に襲われた。このままで仕事は出来るのかとか、ちゃんと生きていけるのかとか、先の分からないことまで考えて——。
 
 不安だった、怖かった。
 起きれない自分がますます嫌いになったし、両親に心配をかけているのもわかってたから辛かった。

 ぐっと唇を噛み締めて亜蘭くんの胸に顔を埋めると、亜蘭くんは優しく頭を撫でてくれた。
「先輩、俺は離れる気なんて一切なかったんですよ。先輩が卒業しても起こしに行こうと思ってましたし、その先だって……。——ずっと、先輩のことを起こし続けようと思ってます」
「ずっとって、いつまで?」
「『ずっと』です。先輩が永遠の眠りにつくまで——ですかね?」

 冗談はやめてよと笑いたいのに、亜蘭くんの声がそれが冗談じゃないと教えてくれる。
 ずっと、それこそ死ぬまでだなんて、そんなの……。

「そんなの、まるでプロポーズみたいじゃん……」
「プロポーズですよ、先輩」
 スッと顎に手を当てられる。そのまま上にクイッと上げられて、嫌でも亜蘭くんと目が合う。

「春のあの日、桜の木の下で眠る先輩を起こした時から、俺はずっと先輩のことが好きでした」
 
 あの日——初めて亜蘭くんと出会った日。
 あの日はぽかぽかと温かい天気で、眠くなってしまった僕は、バカなことに放課後桜の木の下で少し昼寝をしてしまったのだ。案の定最終下校時間まで寝ていた僕は、優しい声に誘われて目を覚ました。

『あの、もう下校時間ですよ』

 ——その時僕は人生で初めて、人に声をかけられただけで起きた。

 覚えている、あんな衝撃的なこと忘れるはずがない。
 でも、その時から亜蘭くんが僕のことが好きだった?
 そんなこと、あるの……?

「『眠り姫』の噂は入学してすぐに聞きました。『すごく美人で、一回寝たら全然起きない遅刻魔の問題児がいるんだ』って。一目見た瞬間に分かりましたよ、この人が眠り姫だって。だってすごく綺麗だったから」
 亜蘭くんが僕の頰をそっと撫でる。

「こんな綺麗な人が、俺の声一つで目を覚ます。先輩が目を開く瞬間も、まだ寝ぼけててポヤポヤしてる可愛い姿も、実は芯が通ってて話すと楽しい人だってことも、全部俺しか知らないと思ったら、嬉しくて仕方がなかった」
「あ、ぅ……」
「前にも言ったでしょう? 先輩を起こせるのは俺だけの特権なんです。誰にも渡さない。未来永劫、俺だけが先輩の『アラーム係』でいたいんです」

 普段、流れる水のように静かで無表情なアラームくんにここまで熱く語られて、僕の脳内はショート寸前だった。じんわりと顔が熱くなっていく。それは僕の顎に手を添えている亜蘭くんにもきっと伝わっていて、恥ずかしい。
 
「きゅ、急にそんなこと言われても……。ずっととか、まだ分からないし——」
「大丈夫です、先輩も俺のこと好きなので」
「…………はいっ!?」
 聞き間違いかと思った。
 僕が? 亜蘭くんを? 好き?
 あんぐりと口を開ける僕を、亜蘭くんはくははと笑う。
「だって、見てればわかりますよ。俺が誰かに話しかけられたりすると、先輩あからさまに嫉妬してるんですから」
「嫉妬……」
「そうです。ムッと眉を寄せて、不満です!って表情でずっとこっちを見つめてるんですよね。可愛い」

 ——亜蘭くんが誰かに、話しかけられているとき……。
 
 思い返せば、確かに覚えはある。
 あの黒いモヤモヤ、ズンと心が重くなるあの感じ。
 あれが……
「あれが、嫉妬?」
「そうです」
 言葉にすると、スッと馴染んだ。
 そうか、僕はずっと嫉妬していたのだ。女子生徒に囲まれているのを見たときも、クラスメイトだけ亜蘭くんの熱を知っていたときも。
 
 そして思い出した。今までの一週間を。
『当たり前』がなくなった、あの日々を。
 隣にいた彼がいなくなった、あの寂しさを。

 ……ようやくわかった。
「僕、亜蘭くんが一緒じゃなきゃ嫌なんだ。だからあんなに、この一週間辛かったんだ」
 「先輩……」
 亜蘭くんが驚いたように目を見開く。そして、ギュッと僕の両手をつつみ込んできた。

「先輩、好きです」
「……うん、僕も。ありがとう、今日来てくれて」
「っ……はい!」
 今日亜蘭くんが来てくれなかったら、僕は自分の気持ちに気付かずにずっと亜蘭くんを避けて、苦しんでいたかもしれない。亜蘭くんが来てくれたおかげだ。
 僕がそう言うと、彼は見たこともないくらい幸せそうに笑った。その顔を見てると僕まで幸せな気持ちになって、笑ってしまう。

 しばらくそうして笑い合っていると、急に亜蘭くんの顔がどんどん近づいてきた。
 そしてそのまま、優しくキスを落とされる。
 急なことで、されるがままに受け入れてしまった。
 長いキスの末、ようやく唇が離れる。
 
「ぷはぁっ——。きゅ、急になに!?」
「だって、眠り姫はキスで起こすものでしょう?」
 そう言って、ツーっと唇を人差し指で撫でられる。

「恋人兼アラーム係として、これからも貴方を起こし続けますからね、先輩」
 その言葉に、ドクンと胸を打たれる。

「約束ね」
「はい、約束です」


 そう言いながらゆっくり近づいてくる彼の唇を、今度は僕も目を瞑って受け入れた。