「先輩、おはようございます」
「お、はよぉ〜……」
ぼやけた視界、いつもの声に、いつもの温もり。
これが最後だと思うと、なんだか寂しくなってしまう。ジーッと亜蘭くんを見つめると、不思議そうに「何ですか?」と首を傾げられた。
「んーん、いつも通りだなぁ〜って思って」
「そうですね、いつもの朝です。さ、着替えてください」
「うん」
亜蘭くんはいつものように僕のクローゼットの中から制服を取り出し、僕に渡してくる。それを受け取り着替えて、二人でリビングに降りて一緒にご飯を食べて——。
カラカラと回るタイヤの音を聞きながら、二人で並んで学校に行く。
この一年ずっとしてきた、当たり前の生活。
(よし、言うぞ。今日こそちゃんと伝えるんだ)
心の中でゆっくりと深呼吸をする。
あっという間に着いてしまった学校に、今日だけは文句を垂れたくなる。もうちょっと心の準備とやらをさせてほしいものだ。
「じゃ、先輩、俺はここで——」
「ちょっと待って!」
自転車置き場に行こうとする亜蘭くんを、急いで引き止める。
「どうしたんですか?」
驚いてこちらを振り向く亜蘭くんと目が合う。
(大丈夫、大丈夫——。よし!)
何回か深呼吸をして、心を落ち着かせて、そっと口を開いた。
「明日から、起こしに来なくていいから」
「………………え?」
驚愕の色に染まる亜蘭くんを置いて、僕は教室へ向かった。だって、その場にいたらさっきの言葉を訂正しそうになるから。
◇
——『でもな、古都音。来栖がいないと起きれないようじゃこの先困るぞ。あと半年で卒業するし、ずっと一緒なわけでもないからな』
亜蘭くんが熱を出して遅刻をしたあの日に担任に言われた言葉が、ずっと頭から離れなかった。きっと、自分でもわかっていたことだったから。他人から言われて、ようやく現実を突きつけられたんだと思う。
——後輩くんとは、あと半年で別れるんだ。
——ずっと一緒なわけじゃないんだ。
いつしか亜蘭くんがいる生活が当たり前になっていた。起こしてもらうのも、一緒にご飯を食べるのも、一緒に学校に行くのも。
それが当たり前じゃなんだと、担任の言葉でようやく目が覚めた。
だから、受験が終わってあとは自由登校になる二月下旬〜三月の間に、一人で起きる練習をすると決めていたんだ。
これからの人生、一人で生きていけるように。
亜蘭くんがいなくても起きれるようにならなければならない。
長い長い廊下を歩きながら、指先が白くなるまでギュッと力強く手を握りしめた。
次の日から早速一人で起きる練習を始めた。
僕が実行したのは、『前日とにかく早く寝て朝起きれるようにする』という、いわばパワープレイだった。受験終わり&自由登校だからこそ出来ることだ。
いや、いいんだ。とにかく朝起きるという習慣をつけることが大事なんだ、と自分に言い聞かせる。
一日目はまあ、予想通り大寝坊だった。
最初だからと自分を励まし、その日はもっと早くに寝た。
二日目も朝とは言い難い時間に起きた。だからもっと早くに寝た。三日目も、四日目も朝には起きれなかった。両親に協力してもらって、もっともっと早い時間に寝た。
しかし、全く効果がないまま気づけば一週間が経っていた。ここらへんでさすがの僕も焦りだした。
「どうしたら良いんだろう……」
ベッドに寝転がりながら、ぼーっと天井を見つめる。そうするとだんだん起こしに来てくれた時の、僕を見下ろす亜蘭くんの幻想が見えてきていやいやと首を振る。
(さすがにヤバすぎるでしょっ!?)
亜蘭くんに会えてなくて、思ってる以上にやられているのかもしれない。
——だってもう一週間も会ってない。
夏休みや冬休みの時は、『起こしに来る』という約束があったから安心できたのだ。今は……。
「完全に亜蘭くん不足だぁ〜。僕、思ってた以上に亜蘭くんに依存してたんだな……」
両手で顔を覆う。卒業したら会えなくなるんだから、この亜蘭くん不足もどうにかしなければ……。
「完全に生活の一部だったんだよね」
ため息をつきながらスマホを触っていると、気づけばプルルル——と着信音が鳴っていた。
「ん?」
電話をかけたのは、僕。着信先は——
「亜蘭くん!?」
自分が怖い、怖すぎる。無意識に亜蘭くんに電話をかけているなんて!?
慌てて切ろうとしたその瞬間、プツッと音とともに着信音が消えた。それと同時に
『先輩?』
——久しぶりに聞く大好きな声がスマホから響いた。
恐る恐る耳にスマホを当てる。
「あ、亜蘭くん?」
『久しぶりに声聞けた……。急にどうしたんですか?』
「いや、間違えてかけちゃって……」
『そうなんですか。せっかくだから、少しお話しましょうよ』
「う、うん」
(断れなかったぁ……!)
いや、あんな嬉しそうな亜蘭くんの声を聞いちゃったら誰だって断れないよ。
『——先輩、聞いてますか?』
「あ、うんごめん。なんだったっけ?」
いけない、きちんと話を聞いとかないと……。
『だから、なんで急に来なくていいとか言い出したんですか』
「っ……!」
まさかの質問に、喉がひきつる。
「なんでって……」
『学校でも異様に避けられるし……。俺、納得してませんから。理由くらい聞かせてください』
「それは……」
確かに理由も離さずに避けられるのは、僕だって嫌だ。でも、亜蘭くんなら理由を話した瞬間にうちに『来る』ような気がするんだよな。
それだと意味がなくなってしまう。僕が一人で起きる練習なのに。
『先輩?』
でも、不安そうな亜蘭くんの声に、心が揺らいでしまった。結局僕は、亜蘭くんに全部説明した。
『なるほど、一人で起きる練習ですか』
「そう、しばらくは頑張るよ。卒業までに起きれるようになりたいんだ」
『……そうですか』
ワントーン下がった声に、ビクリと肩が震える。
「亜蘭くん?」
『わかりました、頑張ってくださいね。俺もそろそろ寝ます』
「そ、そっか。おやすみ……」
『はい、おやすみなさい』
プツンと通話が切れる。
最後の亜蘭くんの声だけが、気がかりだった。
「——おはようございます、先輩」
「……なんでいるの?」
そしてその気がかりは、次の日予想外の方向で解決した。
「お、はよぉ〜……」
ぼやけた視界、いつもの声に、いつもの温もり。
これが最後だと思うと、なんだか寂しくなってしまう。ジーッと亜蘭くんを見つめると、不思議そうに「何ですか?」と首を傾げられた。
「んーん、いつも通りだなぁ〜って思って」
「そうですね、いつもの朝です。さ、着替えてください」
「うん」
亜蘭くんはいつものように僕のクローゼットの中から制服を取り出し、僕に渡してくる。それを受け取り着替えて、二人でリビングに降りて一緒にご飯を食べて——。
カラカラと回るタイヤの音を聞きながら、二人で並んで学校に行く。
この一年ずっとしてきた、当たり前の生活。
(よし、言うぞ。今日こそちゃんと伝えるんだ)
心の中でゆっくりと深呼吸をする。
あっという間に着いてしまった学校に、今日だけは文句を垂れたくなる。もうちょっと心の準備とやらをさせてほしいものだ。
「じゃ、先輩、俺はここで——」
「ちょっと待って!」
自転車置き場に行こうとする亜蘭くんを、急いで引き止める。
「どうしたんですか?」
驚いてこちらを振り向く亜蘭くんと目が合う。
(大丈夫、大丈夫——。よし!)
何回か深呼吸をして、心を落ち着かせて、そっと口を開いた。
「明日から、起こしに来なくていいから」
「………………え?」
驚愕の色に染まる亜蘭くんを置いて、僕は教室へ向かった。だって、その場にいたらさっきの言葉を訂正しそうになるから。
◇
——『でもな、古都音。来栖がいないと起きれないようじゃこの先困るぞ。あと半年で卒業するし、ずっと一緒なわけでもないからな』
亜蘭くんが熱を出して遅刻をしたあの日に担任に言われた言葉が、ずっと頭から離れなかった。きっと、自分でもわかっていたことだったから。他人から言われて、ようやく現実を突きつけられたんだと思う。
——後輩くんとは、あと半年で別れるんだ。
——ずっと一緒なわけじゃないんだ。
いつしか亜蘭くんがいる生活が当たり前になっていた。起こしてもらうのも、一緒にご飯を食べるのも、一緒に学校に行くのも。
それが当たり前じゃなんだと、担任の言葉でようやく目が覚めた。
だから、受験が終わってあとは自由登校になる二月下旬〜三月の間に、一人で起きる練習をすると決めていたんだ。
これからの人生、一人で生きていけるように。
亜蘭くんがいなくても起きれるようにならなければならない。
長い長い廊下を歩きながら、指先が白くなるまでギュッと力強く手を握りしめた。
次の日から早速一人で起きる練習を始めた。
僕が実行したのは、『前日とにかく早く寝て朝起きれるようにする』という、いわばパワープレイだった。受験終わり&自由登校だからこそ出来ることだ。
いや、いいんだ。とにかく朝起きるという習慣をつけることが大事なんだ、と自分に言い聞かせる。
一日目はまあ、予想通り大寝坊だった。
最初だからと自分を励まし、その日はもっと早くに寝た。
二日目も朝とは言い難い時間に起きた。だからもっと早くに寝た。三日目も、四日目も朝には起きれなかった。両親に協力してもらって、もっともっと早い時間に寝た。
しかし、全く効果がないまま気づけば一週間が経っていた。ここらへんでさすがの僕も焦りだした。
「どうしたら良いんだろう……」
ベッドに寝転がりながら、ぼーっと天井を見つめる。そうするとだんだん起こしに来てくれた時の、僕を見下ろす亜蘭くんの幻想が見えてきていやいやと首を振る。
(さすがにヤバすぎるでしょっ!?)
亜蘭くんに会えてなくて、思ってる以上にやられているのかもしれない。
——だってもう一週間も会ってない。
夏休みや冬休みの時は、『起こしに来る』という約束があったから安心できたのだ。今は……。
「完全に亜蘭くん不足だぁ〜。僕、思ってた以上に亜蘭くんに依存してたんだな……」
両手で顔を覆う。卒業したら会えなくなるんだから、この亜蘭くん不足もどうにかしなければ……。
「完全に生活の一部だったんだよね」
ため息をつきながらスマホを触っていると、気づけばプルルル——と着信音が鳴っていた。
「ん?」
電話をかけたのは、僕。着信先は——
「亜蘭くん!?」
自分が怖い、怖すぎる。無意識に亜蘭くんに電話をかけているなんて!?
慌てて切ろうとしたその瞬間、プツッと音とともに着信音が消えた。それと同時に
『先輩?』
——久しぶりに聞く大好きな声がスマホから響いた。
恐る恐る耳にスマホを当てる。
「あ、亜蘭くん?」
『久しぶりに声聞けた……。急にどうしたんですか?』
「いや、間違えてかけちゃって……」
『そうなんですか。せっかくだから、少しお話しましょうよ』
「う、うん」
(断れなかったぁ……!)
いや、あんな嬉しそうな亜蘭くんの声を聞いちゃったら誰だって断れないよ。
『——先輩、聞いてますか?』
「あ、うんごめん。なんだったっけ?」
いけない、きちんと話を聞いとかないと……。
『だから、なんで急に来なくていいとか言い出したんですか』
「っ……!」
まさかの質問に、喉がひきつる。
「なんでって……」
『学校でも異様に避けられるし……。俺、納得してませんから。理由くらい聞かせてください』
「それは……」
確かに理由も離さずに避けられるのは、僕だって嫌だ。でも、亜蘭くんなら理由を話した瞬間にうちに『来る』ような気がするんだよな。
それだと意味がなくなってしまう。僕が一人で起きる練習なのに。
『先輩?』
でも、不安そうな亜蘭くんの声に、心が揺らいでしまった。結局僕は、亜蘭くんに全部説明した。
『なるほど、一人で起きる練習ですか』
「そう、しばらくは頑張るよ。卒業までに起きれるようになりたいんだ」
『……そうですか』
ワントーン下がった声に、ビクリと肩が震える。
「亜蘭くん?」
『わかりました、頑張ってくださいね。俺もそろそろ寝ます』
「そ、そっか。おやすみ……」
『はい、おやすみなさい』
プツンと通話が切れる。
最後の亜蘭くんの声だけが、気がかりだった。
「——おはようございます、先輩」
「……なんでいるの?」
そしてその気がかりは、次の日予想外の方向で解決した。



