現役男子高校生で国民的人気アイドルの僕を「性格ブス」と呼ぶ男と同居することになりました

「えー、本日よりドラマ『サギ☆ドル』、撮影クランクインとなります。主演の橘花理央さんより一言、お願い致します」

 サード助監督の張りのある声が、スタジオの高い天井に吸い込まれていく。美術セットの前には、総勢五十人近いスタッフとキャスト陣が、僕を取り囲むように半円状に並んでいた。レールに乗った大型カメラ、頭上を覆う長いマイクブーム、容赦なく熱を放つ照明。そのすべての視線と光軸の中心に、いま自分が立っている。
 深く息を吸い、台本を開いていた素の自分から、求められるアイドルの顔へ。まばたき一つの間に、意識のギアを切り替えた。

「『桜庭(さくらば)こゆん』役で主演を務めさせていただきます。橘花理央です」

 顔を上げ、よく通る声で挨拶を響かせると、スタジオ全体から地鳴りのような拍手と掛け声が湧き起こった。

「初めての単独主演ということで、正直すごく緊張しています。台本を読ませていただいて、彼の裏の顔を演じるのが楽しみで仕方ありません。皆さんの期待をいい意味で裏切れるような、最高に尖った作品にしたいです」

 一呼吸置いて、カメラの横に陣取る監督と、少し離れたモニター前に並ぶプロデューサー陣を、まっすぐに見据える。

「タイトなスケジュールの撮影になりますが、キャストやスタッフの皆さんと最後まで全力で駆け抜けたいと思います。至らない点も多いかと思いますが、ご指導のほど、よろしくお願いいたします」

 綺麗に九十度のお辞儀を決めると、先ほどよりも大きな、熱のこもった拍手がスタジオを包んだ。

「ありがとうございます! それではこれより、ファーストカットの準備に入ります。キャストの皆さんは、所定の位置へ移動をお願いします」

 助監督の指示が飛び、現場が波打つように動き出す。メイクさんがすかさず駆け寄り、髪のハネを直して、額の汗をパウダーで手早く押さえた。
 少し離れたモニターの脇で、貝元さんが小さく親指を立てているのが見える。僕は応えるように小さく頷き返し、カメラの前へ足を進めた。

 ***

「――カット! オッケーです。続いてそのまま、シーン四・楽屋のカットに行きます。照明ベース下げたら、機材移動も急いで!」

 監督の拡声器の声が響き、スタジオのライトが切り替わる。華やかなステージセットから、薄暗くリアルな楽屋セットへ、レンズが向けられた。現場の空気が、肌に張りつくような重さに変わる。いよいよ、このドラマの核心になる場面だ。

「シーン四、本番……スタート!」

 カチン、とボードが鳴る。衣装のジャケットをバサリと脱ぎ捨て、パイプ椅子に乱暴に腰を下ろした。背もたれに深く体を預け、さっきまでのアイドルスマイルを綺麗さっぱり消し去る。

『邪魔、どいて』
『す、すみません。こゆんさん』
『……僕、お茶とか飲まないんだよね。ミネラルウォーターがいい』
『い、今はご用意することが難しいといいますか……』
『はぁ? 無いなら買ってきてよ』

 機材を運んでいた下っ端スタッフを冷たい一瞥で退け、差し出されたお茶のペットボトルを床へ払い落とす。ゴロゴロと転がる音が、静まり返ったスタジオに大きく響いた。
 周囲が一斉に息を呑む。すぐ後ろに控えるマネージャーを振り返り、顎で指図した。

『ねぇ、日傘出しといてよ。あと椅子も。ていうか、言われる前に用意しておくべきじゃない?』

 マネージャー役の男性を、じろりと見上げる。彼がおどおどしながらパイプ椅子を広げようとした、その瞬間。

『……返事は!』
『は、はい。すみません』
『ったく、使えないんだから』

 叱り飛ばし、どかっと腰掛ける。苛立ちのまま貧乏揺すりを始めた僕の髪を直そうと、メイク役の女性が、おそるおそる手を伸ばした。その刹那、片手でピシャリと跳ね除ける。

『触んないで。今集中したいから、あとにしてくんない?』
『ごっ、ごめんなさい――』

 剥き出しの拒絶に、メイクさんが小さく悲鳴をあげて手を引っ込めた。もう一度見下ろして、ふん、と鼻で笑う。

「――カット」

 拡声器越しの監督の声に、背中がぴくりと跳ねた。

「橘花くんさぁ」
「はい」
「『こんな心にもないことを言うなんて、申し訳ない』なんて甘っちょろいことを考えてるうちは、全部嘘っぱちの学芸会だぞ」
「…………」
「もっと感情を捨てろ。俺は、橘花理央なんていう小綺麗なアイドルを撮りたいわけじゃない。地獄の底から這い上がってきた『詐欺(サギ)ドル』、桜庭こゆんっていう人間を撮りたいんだよ!」

 容赦のない言葉が胸を貫いた。厳しいことで知られる巨匠に、のっけから突き放されている。スタジオの全員が監督の気迫に身をすくめ、謝る隙すら与えられないまま、次のテイクが重ねられた。

『……ほんっとさぁ、使えないんだけど。アンタもう辞めれば? 目障りなんだよね』
『申し訳ありません』
『明日から来なくていいよ。社長に言って、違うマネジつけてもらうから』

 けれど回数を重ねるごとに、監督の表情は険しさを増していく。五テイク目に入った瞬間、ついに、手元の台本をデスクに叩きつける音が炸裂した。

「おい、ストップ! 全部一旦止めろ!」

 水を打ったように静まり返る現場。監督はパイプ椅子から立ち上がり、僕の目の前まで大股で歩み寄ると、文字どおり吠えた。

「まだ『ファンに嫌われたくない』って顔して、カメラの前に立ってるだろ?」
「……すみません」
「そんな保険をかけた芝居はするなって言ってんだよ!」
「え、っと……」
「プライドが残ってるうちは、何百回やっても時間の無駄だ。今日はもう終わり、機材もバラしていい」

 一拍置いて、監督は僕を真正面から見据えた。

「アイドルの看板をぶち壊す覚悟もないなら、今すぐこの場で降板しろ」
「…………」
「この役をやりたい役者なんて、外に五万と転がってる。お前じゃなきゃ成立しないドラマなんて、この世に一本もないんだからな!」
「っ、すみません、もう一度だけ――」
「この作品を見た視聴者が、『本当にこれが橘花理央の素顔なんじゃないか』と思うくらい惑わせて、徹底的に幻滅させてみせろ! それができないなら、今すぐその衣装を脱いで、さっさと家に帰れ」

 ショックと動揺で言葉を失い、喉の奥が引きつったように固まった。
 やりとりを見つめていたスタッフたちに向けて、監督がさらに声を荒らげる。

「終わりだって言ってんだろ、バラせ!」

 一喝で、現場が弾かれたように撤収へ動き出した。
 役として散々暴言を浴びせたマネージャー役の俳優さんも、メイク役の女優さんも、気まずそうに目を泳がせながら、僕の様子をうかがっている。

「僕の力不足です。撮影を中断させてしまって、申し訳ありませんでした」

 二人に小さく頭を下げたものの、監督が去ったあとの殺気立った現場で、ひとりひとりに謝って回る余裕は残っていない。
 急いで私服に着替え、キャスケットを目深にかぶる。貝元さんとすら言葉を交わさないまま、逃げるようにスタジオをあとにした。