現役男子高校生で国民的人気アイドルの僕を「性格ブス」と呼ぶ男と同居することになりました

 その日の仕事をなんとかスケジュール通りにこなし、貝元さんが後輩アイドルの打ち合わせに出ている間のこと。
 事務所のロビーのベンチでカフェオレを片手にSNSをエゴサをしていると、来客対応を終えた社長が、ちょうど会議室から出てきた。

「あーっ、理央! ちょうどいいところに!」
「……社長」

 カツカツと鋭いヒールの音を響かせて詰め寄られ、「来て」と強引に腕を引かれて社長室へ連れていかれる。

「この間、雑誌の表紙でタイアップした編集長から直接電話が入ってね。今期最高の実売率を叩き出したって大喜びだったわよ」
「はぁ……お疲れ様です」
「ほら、コンビニ限定の特装版と書店限定の通常版で、それぞれ装丁を変えたでしょう? それが功を奏して、コア層以外の新規顧客の囲い込みに完璧にハマったらしいのよ。実部数も平時の倍近い数字に着地したって」
「そう言っていただけて、安心しました」
「んもーっ、もっと手放しで喜びなさいよ! こういう地道な数字の実績こそが、次の大型タイアップや、クライアントからの信頼に直結するんだから。……ねえ理央、あんたのソロでのアジア展開や、映像作品の海外プラットフォーム進出だって、もう夢物語じゃないのよ?」

 バブルの時代、圧倒的な歌唱力と挑発的なルックスでミリオンセラーを連発し、女性ソロアイドル『花宮花咲里(はなみやかざり)』として日本中を熱狂させた人だ。当時は歌番組でチャートを独占し、街を歩けば彼女のポスターやプロマイドを見ない日はなかったらしい。
 引退後も歌声を絶やさず、実力派の歌手として第一線で活動を続けた。さらに卓越したセルフプロデュース力と人脈を武器に、四十代で大手芸能プロダクションを設立し、今では業界の利権をも動かすやり手の女社長として名を轟かせている。
 性格は、僕よりも自信家で勝気。周囲を巻き込む台風のような人なので、もう慣れてはいるけれど。華やかな巻き髪を揺らし、深紅の口紅を引いた唇を尖らせた社長は、特注の高級ブランドバッグから数枚の企画書をガサゴソと取り出し、凄まじい早口でまくし立て始めた。

「それでね。貝元から聞いてると思うけど、凪斗とのユニット結成で、さっそく『ワン・テイク』からオファーが来たのよ! 結成と同時にシングルでばーんと大きく一発打ち上げて、動画もバズらせて……最高のスタートが切れそうなのっ」

 『ワン・テイク』。今、音楽界でもっとも注目されている超人気チャンネルだ。白いスタジオの真ん中にコンデンサーマイクが一本だけ置かれ、アーティストが一切の誤魔化しなし、完全な一発撮りでパフォーマンスを披露する。音源の修正も、歌い直しもできない。歌唱力と表現力がすべて剥き出しになるシビアな舞台で、数々のアーティストを世に押し上げてきた、若手にとって最大のチャンスでもある。

「どう? 凄いでしょ!」
「はぁ……まぁ、そうですね」
「んもぅ、相変わらずテンション低いんだから。いきなり『ワン・テイク』なんて、滅多にないチャンスよ!」

 目の前に突きつけられた企画書を見つめたまま、僕は思わず息を呑んだ。

「これ……僕と鍵野くんのデュエット、ってことですよね。デモ曲とか、もうできてるんですか?」
「うふふ、できちゃってるのよねぇ、それが。ユニット結成は、昨年末から私の中で構想があったものだもの。そのうち正式に話し合いの場も設けるけど、まぁ形式上ね。だって、その話し合いの場面から、もうカメラを回す予定なんだから。最終的には、あなたたちのファーストライブまでを一本の密着ドキュメンタリーにするつもりなの」
「……なんとなく、そうなるんだろうなとは思ってましたけど」

 奥歯の裏に苦いものが広がる。話し合いの瞬間からカメラが回るということは、鍵野との間に流れる空気さえ、エンターテインメントの「素材」として切り取られるということだ。一瞬の油断も、不機嫌も許されない。

「で、どうなの?」

 僕が企画書の重みに圧倒されていると、社長は唇を艶っぽく吊り上げ、身を乗り出してきた。

「昨日から凪斗の家に住んでみて。上手くやってる?」
「そ、それは……」

 どうもこうも、ひたすら悪態をぶつけ合うだけで、何ひとつ進展していない。初対面でブス呼ばわりされたことも、今朝のキッチンで格下扱いされたことも、思い出すだけでまた頭に血が上りそうだ。もちろん、そんなトラブルの醜態を社長に報告できるはずもない。
 返答に窮して引きつった笑みを浮かべると、社長は何もかも見透かしたように、胸の前で腕を組み、いかにも楽しそうに笑った。

「まぁ、最初からうまくいくわけないでしょうけどね。でも理央、これだけは覚えておきなさい」

 組んでいた腕を解いて悪戯っぽく、けれど温かみのある目で僕を見つめる。

「あんたがストーカー被害に遭って、警察がウチの事務所に事情を聞きに来たとき、凪斗のほうから言ってきたのよ。『だったら俺の部屋、ひとつ空いてるから貸してあげれば?』って」
「え……?」

 予想外の言葉に、理解が追いつかない。ぽかんと間の抜けた顔をする僕を見て、社長はその反応が引き出せたことに満足したのか、にっこりと笑った。

(鍵野のほうから、同居を申し入れた?)

 そんなこと、あいつは一言も言っていなかった。
 それどころか、昨日会った瞬間から今朝まで、邪魔者扱いして、マウントを取って、「性格ブス」だの「面倒は見ない」だのと言いたい放題だった。すべては事務所の命令で、仕方なく部屋を貸しているのだと、僕は今の今まで本気で思い込んでいたのに……一体どういうこと?

(……今の話が本当なら、別人じゃん)

 今朝、ダイニングテーブルのスペースを無言で空けてくれた、あいつの姿が不意に浮かぶ。
 怒りと屈辱で煮えくり返っていたはずの胸の奥が、今度はまったく別の、正体のわからない熱を帯びて、ざわつき始めた。