『みなさんこんにちは。Sugar&Spice.の鍵野凪斗です』
『橘花理央です』
『今日は、ふたりで撮影の合間に丸一日のお休みをいただいているので、その様子をvlogでお届けしたいと思います』
『最後まで楽しんでいただけると嬉しいです』
年が明けて、凪斗の怪我が完全に治ってからは、ふたたび目まぐるしい日々が戻ってきた。
密着取材で撮りためられた長大なドキュメンタリーは、『Documentary of Sugar&Spice.』というタイトルで、大手動画配信サイトにて公開がスタートし、瞬く間に話題を呼んだ。SNSを開けば、『#シュガスパ応援ツイート』のハッシュタグが、連日トレンドの上位を埋めている。
動画の長さは、およそ一時間。ユニット結成の裏側に迫るインタビューに始まり、汗を流すレッスン風景、一発勝負のワン・テイクに懸ける緊迫した空気、そしてファーストライブへと駆け抜けた軌跡のすべてが、克明に収められている。
並んでダンスやボイトレに励む真剣な表情はもちろん、ワン・テイクの収録後、堪えきれずに廊下の隅で泣きじゃくる僕と、それを慰める凪斗の生々しいやり取りまで。カメラは、ステージの華やかさの裏にある等身大の僕たちを、少しも隠さずに捉えていた。
そのあとに起きた握手会での事件の映像は、一秒も使われていない。けれど、病室で窓の向こうを見つめる凪斗の背中や、収録終わりにスタジオの廊下でぐったりとしゃがみ込む僕の姿は、そのまま配信された。アイドルとして今まで見せてこなかった、本来なら見せるべきではないところまで。それも、ふたりで話し合い、了承したうえでの選択だった。
『シュガスパのドキュメンタリー、理央くんのトイレで吐いてるシーンで声出た。こんなにしんどい思いしてたのに、毎回ステージで笑ってたの?』
『ライブ終わりの理央くん、ほんとにぐしゃぐしゃで。アイドルの理央くんじゃなくて、橘花理央を初めて見た気がする』
『凪斗くんの病室のシーン、窓の外ずっと見てるだけなのに、なんで泣けるんだろう。リハビリ頑張ってるの知ってたけど、映像で見ると全然違う』
『正直、事件のときは理央くんが心配で毎日ニュース見て眠れなかった。無事でいてくれて、こうやって話してくれて、ありがとう』
『#シュガスパドキュメンタリー 泣きすぎて目が開かない』
ファンの反応は、本当に様々だった。もちろん、優しい言葉ばかりじゃない。「ここまで見せる必要ある?」「ファンとしては複雑」という意見も、ちゃんと混じっている。
それでも、「理央くんが無理してないか心配」「ふたりとも、たまにリフレッシュできるように休んでほしい」と、僕たちの心と体を案じる声のほうが、ずっと多かった。
そんな声に背中を押されるようにして、今日、僕たちは休日の様子をvlogとして撮影している。
『というわけで、今日は理央くんの地元でもある岩手に来てるんですけど』
『凪斗くんがね、もうさっきから寒くて震えまくりです。上着貸してあげようか?』
『それ俺が格好つかないから』
今回は、ユニットの写真撮影のロケ地として、岩手が選ばれた。
第一に安全面を考慮すること。そして、撮影の情報が流れてもファンの人たちが殺到しないような場所であること。それから、都会から離れて僕のいろんな表情を引き出したい、という狙いもあるのだと思う。すでに二日間の撮影は済んでいて、今日はその中休み。このvlogは、今回の写真集の購入者特典になる予定だ。
『理央くんは、岩手に帰ってくるのっていつぶり?』
『ええっ……事務所に入ってすぐ、くらいかなぁ』
『じゃあ、本当に赤ちゃんの頃なんだ』
『うん、そうだね。なので、ほぼ十五年ぶりくらいだよ』
新花巻駅から、ふたりで喋りながらバス停へ向かう。時刻表を見た凪斗が、バスの本数の少なさに目を丸くした。
『え、次のバス、一時間後だ』
『田舎あるあるだね。どうしよっか?』
『じゃあ、タクシーに乗ろうと思います』
とはいえ、駅のロータリーに停まっているタクシーは、二、三台だけだった。ふたりで後部座席に乗り込むと、撮影だというのに、ちょっとした旅行気分になる。
窓の外を流れる景色は、少しずつ民家がまばらになり、一面の雪野原に変わっていった。約二十分山道を走った先に、今回のメインのロケ地、新花巻にある施設が見えてくる。降り積もった雪の白さの中に、白い建物がひっそりと佇んでいた。その壁面に嵌め込まれたステンドグラスが、淡い冬の日差しを受けて、柔らかな光をこぼしている。
『みて、凪斗くん。すごい綺麗』
『うん。……理央くん、ちょっとそこに立って』
スタッフさんから事前に手渡されていたチェキを片手に、凪斗がレンズを向ける。振り返った僕が微笑むと、カシャ、という軽い音が響いた。
『めっちゃいい。可愛い』
『貸して。撮りあいっこしたい』
はふ、と寒さで息が白くなる。そんな僕の顔をじっと見つめていた凪斗は、自分がまいていたマフラーを外すと、そっと僕の首元にそれをゆっくりと巻き付けて微笑んだ。
『え、平気だよ。凪斗くんだって寒いでしょ』
『鼻、赤くなってるから。てか、色白いから赤くなるとすげぇ寒そうに見える』
BL売りはするなってあんなに言われてるけど、これくらいは許してもらえるかな。そんな気持ちでそっと顔を見上げると、ぽん、と頭を撫でられる。僕が目で「それ以上はだめだよ」という気持ちを込めて視線を送ると、凪斗はカメラの電源を切り、SPさんたちに目配せをした。
「なぁ、理央」
「うん?」
呼び捨てで呼ばれて、プライベートのモードに切り替えたのだと分かる。どうしたんだろうと目を見つめると、凪斗はそっとコートのポケットから、小さな箱を取り出した。この前、一緒にアンバサダーを務めたジュエリーブランドのロゴが、箱の蓋に印字されている。
「これ、渡したくて。明日の撮影が終わったら、また個人仕事で、ライブまでなかなか時間ないと思うから」
「開けてもいいの?」
「うん、いいよ」
そう。この写真集の撮影が終わったら、僕と凪斗は、セカンドライブまでのあいだ、しばらくすれ違う生活が続く。
ありがたいことに、ファーストライブとドキュメンタリー『LAST IDOL ―ラストアイドル―』の反響は、想像をはるかに超えていた。配信の再生数は公開から数週間で記録を更新し続け、街頭の大型ビジョンには、僕たちの広告が並んでいる。ファンクラブの会員数は、事件前の七倍近くに膨れ上がったと、貝元さんが目を丸くしていた。CM、雑誌の表紙、バラエティのオファーは、スケジュール欄に収まりきらないほどだ。
そんな追い風のなかで、個人仕事も一気に増えた。
僕は『サギ☆ドル』の好演が話題となり、次は、ゴールデン帯のサスペンスで、ミステリアスなW主演の片割れを務める。桜庭こゆん役も「国民的アイドルイメージを脱却する憑依型」と、演技派としての注目度が高まっていた。
そして凪斗も、映画での殺陣シーンが評判を呼び、大河ドラマの後半に、刺客として出演することが決まった。制作発表の日には、SNSのトレンドが「鍵野凪斗」の名前で埋まったほどだ。
地方ロケも続くし、ドラマと映画の撮影も重なる。きっと、同じ家に帰ってきても、顔を合わせる時間はほとんどないだろう。だから、同じベッドで眠るのも、今夜が最後で。そのあとは、いつになるか分からない。
小箱を持つ指先に、そっと力がこもった。
「……凪斗、これって」
「お互いがアンバサダーなら、怪しまれることもない。ファンの人たちの目には、プロモーションに見えるかなって」
蓋を開けると、中に納まっていたのは、ギメルリングのペンダントトップがついたシルバーのネックレスだった。ふたつの輪が重なり合う形をしたトップが、雪の舞い散る薄明かりの中で、澄み切った輝きを放っている。
嬉しい。嬉しいのに、それまで考えないようにしていた切なさが、胸の底から込み上げてきた。
凪斗がそっと背後に回る。手のひらが肩に置かれて、首元にひやりとしたチェーンが触れた。凪斗の指先が、マフラーの内側へ慎重にネックレスを納めていく。吐いた息が、うなじをかすめて溶けた。
留め具がかちりと小さく鳴った瞬間、「ありがとう」の言葉より先に、涙が溢れてくる。
「理央? どうした――」
「だ、だって」
「……うん?」
「付けられないよ。凪斗が居てくれなきゃ、つけられない」
凪斗が、きょとんとして首を傾げる。
「留め具のこと? 練習すれば、そのうち自分でも……」
「そうじゃなくて」
首を横に振って、ネックレスのトップを、そっと握りしめた。
「衣装の時は、いつも凪斗が付けてくれたでしょ。金具に手こずってると、後ろから『貸して』って来てくれて。……僕、それが当たり前になってたんだ。だから、きっと思い出しちゃう。凪斗の指が首に触れたこととか、背中にいた体温とか。それで、今そこにいないんだって、気づくんだよ。……だから」
つけられない、というのは、手が不器用だからじゃない。凪斗のいない朝に、ひとりでこの留め具を留める寂しさが、今から怖くて仕方ないのだ。
それを察したのだろう。凪斗は肩に手を置いたまま、「ごめん」と小さく謝った。
謝ってほしいわけじゃない。寂しくならないように、肌身離さず付けていられるものを選んでくれたことくらい、ちゃんと分かっている。分かっているのに、涙は雪の上にぽたぽたと落ちていった。
きっと、僕と凪斗の恋は、アイドルである以上、この気持ちをずっと抱えたまま続いていくのだろう。それは分かっている。それでも好きだから、こうして一緒にいる。
「僕、今までアイドルが恋愛するなんて、あり得ないって思ってた」
「……理央」
「でも、今ならすごく分かる。それくらい、溺れそうなくらい、凪斗のことが好きだから……っ」
今までの僕なら、こんなふうに感情に振り回されて、想いをそのまま相手にぶつけたりはしなかった。凪斗の存在は、それくらい、僕の中で大きくなってしまったのだ。
言い終えた途端、堪えていたものが決壊して、嗚咽がこぼれた。みっともないと思うのに、止められない。
凪斗は何も言わず、僕を正面から抱き寄せた。厚いコート越しでも、腕の力強さとぬくもりが、はっきりと伝わってくる。後頭部に回された大きな手が、あやすように、ゆっくりと髪を撫でた。
「……ごめんな。いつも寂しい思いさせて」
耳元で聞こえた声は、僕と同じように、少し震えていた。
「でも……俺だって、同じだよ。理央のいない家に帰るの、きっと耐えられない。だから、これを選んだんだ。離れてても、傍に俺がいるみたいで、少しはましだろうって」
「……うん」
「寂しいのは、ちゃんと寂しいままでいいと思う」
切なさを消そうとするのでも、慰めて紛らわせるのでもなく、凪斗はその全部を、そっくりそのまま受け止めてくれた。胸に顔を埋めたまま、僕は何度も頷く。
やがて凪斗は体を離して、濡れた頬を親指で拭った。笑おうとするけれど、やっぱりうまく笑えない。涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、僕は首元のペンダントトップを握りしめる。ふたつの輪が、手のひらの中で温もりを帯びていった。
「アイドルとしても、恋人としても。理央の隣に立って受け止めるのは、ずっと俺だから」
雪が、ふたりの肩に静かに降っては溶けて消える。
寂しさも、愛しさも、きっとそれはずっと同じ場所に居続ける。それでも僕たちは、手を離さずに、前へ進んでいくのだ。
***
「これだけのアイドルがいる世界で、僕たちはファンの方にとって『最後のアイドル』になりたいんですよ」
「そう。だから、二人で決めたんです。セカンドライブツアーのタイトルは、『LAST IDOL』がいいよねって」
開演直前の武道館に響いたのは、僕と凪斗が事務所の会議室でインタビューを受けている時の映像と音声だった。
正面の大型モニターには、私服姿でふたり並んで座る僕たちが映っている。このコンサートのタイトルに込めた想いを語る横顔は、少し硬くて、でも真っ直ぐだった。映像の中の凪斗が、僕の方をちらりと見て、照れくさそうに笑う。そのたびに、客席のあちこちから小さな歓声が上がった。
楽屋で、出番の直前まで、スマホでSNSをチェックする。ファンの子たちがライブを心待ちにする投稿や、物販での戦利品、ライブグッズを身に付けた自撮りが、次から次へと流れていく。その中に混じって、見慣れない一文字列が目に留まった。
「凪斗、なんだろうこれ。『#なぎりお』って」
「あー、まぁ……なんつーかその、それは」
凪斗が、あからさまに目を泳がせる。ソファの背にもたれたまま、視線だけが天井と僕のスマホのあいだを行ったり来たりしていた。
その態度を不審に思いながらタグをタップすると、画面がずらりと同じ文字で埋まっていく。
僕と凪斗がアンバサダーを務めるブランドで、毎日つけているあのネックレスと、指輪。指輪は、僕からお返しに贈ったもので、凪斗が今日も中指に付けているものだ。それを買ったという報告のツイートに、『この収録でもつけてる』『もしやスマホケースおそろ?』『これ、凪斗くんのパーカー?』といった考察が、写真つきで並んでいた。
「えっ、なんで僕のネックレスと、凪斗の指輪が特定されてるの?」
「熱心なファンがいるみてぇ。まぁ、匂わせ説とビジネス恋人説、どっちも流れてるけど」
「どっちも……」
スクロールしていくと、ただ単に仲良しなだけだと言う声もあれば、ビジネスなのではと疑う意見もあった。肯定も否定も入り乱れていて、画面の向こうでは、僕たちの知らないところで議論が白熱しているらしい。
思ったよりも早くボロが出はじめたことに、ふたりで顔を見合わせて苦笑いする。
目が合ったまま、ふと沈黙が落ちた。その隙をつくように、凪斗の顔が近づいてきて、ちゅっ、と小さなリップ音とともに唇が触れる。
そっと瞼を開いた僕の顔をじっと見つめた凪斗は、そっと手首を引いて楽屋を後にした。
「……見ろよ、理央。すげぇ人数」
舞台袖の暗がりから、僕たちはその光景を並んで見つめていた。
客席はすでに満員だった。二階、三階のスタンド席の端まで、人、人、人。会場全体が、期待で膨らんだ風船みたいに、ぱんぱんに張りつめている。
アリーナ席から、スタンド席の最上段まで、いくつもの光の帯が揺れていた。青と水色を基調にしたサイリウムが、波のように寄せては返す。ところどころに、うちわが掲げられ、「理央」「凪斗」の文字が、暗がりの中で浮かび上がっていた。開演を待つざわめきが、天井の高い会場に反響して、低い唸りのように肩のあたりまで降りてくる。
床から伝わる振動が、足の裏まで震わせた。まだ一曲も始まっていないのに、会場の熱気が、僕たちのいる袖まで流れ込んでくるのが分かる。
「……緊張してんの?」
「うーん、若干。想像以上に人が多いなぁって思って」
「パシフィコより大きい箱でやれるなんて、一年前は想像もしなかったしな」
そう言って笑う凪斗の声は、いつもより少しだけ上ずっていた。強がっているのが分かって、僕は思わず口元をゆるめる。
首元に手をやると、ネックレスのトップが、指先にひやりと触れた。ふたつの輪が重なり合ったそれを、ぎゅっと握りしめる。凪斗はそれに気づいたのか、何も言わずに、僕の隣で、そっと同じ場所を押さえた。
モニターの映像が、フェードアウトしていく。会場の照明が、一段、また一段と落ちていった。ざわめきが、ふっと途切れる。何千、何万という息づかいが、暗闇の向こうで、一斉に静まるのが分かった。
「橘花さん、鍵野さん、スタンバイお願いします」
スタッフさんの声に、僕たちは頷き合った。
幕の向こうからは開演を待つ人々のざわめきが潮騒のように伝わってきて、イヤモニにそっと指を添える。
「行こうぜ、理央」
「うん」
それだけの言葉を交わして、ふたりで静かに息を吸い込んだ。暗闇の中、拳をこつんと合わせる。
「みなさん、こんにちは。Sugar&Spice.です!」
「本日は僕たちのセカンドライブ、『LAST IDOL』にお越しくださり、本当にありがとうございます」
その言葉の余韻が消えるより早く、オープニングSEが会場を貫いた。
天井から降り注ぐ純白のレーザーと、眩いスポットライトがステージを射抜いた瞬間、割れんばかりの大歓声が僕たちを呑み込む。
ゆっくりと光の中へ足を踏み出すと、そこには凪斗と二人で見たいと願っていた景色が広がっていた。アリーナからスタンドの最上段まで、果てしなく続く光の海。青と水色に染まったペンライトの波が大きくうねり、幾重にも重なるコールが肌を震わせる。
隣に立つ凪斗が、眩しそうに目を細めた。そして僕を見て、不敵に笑う。
「そんなんじゃ全然足りねぇんだよ! 俺らのイヤモニ突き破るくらい、全力でぶつかってこい! 武道館揺らすぞ!!」
凪斗がマイクを握り締め、ステージの中央で拳を天高く突き上げる。直後、客席から爆発的な歓声が返ってきた。
その熱狂を、全身で浴びる。胸の奥まで震えるような音の渦の中で、僕はゆっくりとマイクを口元へ寄せた。
『もう他の誰も愛せない、みんなの人生最後のアイドルになってあげる』
マイクを握り直す。そして僕たちは、光の海へ飛び込むように――最初の一音を響かせた。
fin.
――But “LAST IDOL” was not “their” last.――
『橘花理央です』
『今日は、ふたりで撮影の合間に丸一日のお休みをいただいているので、その様子をvlogでお届けしたいと思います』
『最後まで楽しんでいただけると嬉しいです』
年が明けて、凪斗の怪我が完全に治ってからは、ふたたび目まぐるしい日々が戻ってきた。
密着取材で撮りためられた長大なドキュメンタリーは、『Documentary of Sugar&Spice.』というタイトルで、大手動画配信サイトにて公開がスタートし、瞬く間に話題を呼んだ。SNSを開けば、『#シュガスパ応援ツイート』のハッシュタグが、連日トレンドの上位を埋めている。
動画の長さは、およそ一時間。ユニット結成の裏側に迫るインタビューに始まり、汗を流すレッスン風景、一発勝負のワン・テイクに懸ける緊迫した空気、そしてファーストライブへと駆け抜けた軌跡のすべてが、克明に収められている。
並んでダンスやボイトレに励む真剣な表情はもちろん、ワン・テイクの収録後、堪えきれずに廊下の隅で泣きじゃくる僕と、それを慰める凪斗の生々しいやり取りまで。カメラは、ステージの華やかさの裏にある等身大の僕たちを、少しも隠さずに捉えていた。
そのあとに起きた握手会での事件の映像は、一秒も使われていない。けれど、病室で窓の向こうを見つめる凪斗の背中や、収録終わりにスタジオの廊下でぐったりとしゃがみ込む僕の姿は、そのまま配信された。アイドルとして今まで見せてこなかった、本来なら見せるべきではないところまで。それも、ふたりで話し合い、了承したうえでの選択だった。
『シュガスパのドキュメンタリー、理央くんのトイレで吐いてるシーンで声出た。こんなにしんどい思いしてたのに、毎回ステージで笑ってたの?』
『ライブ終わりの理央くん、ほんとにぐしゃぐしゃで。アイドルの理央くんじゃなくて、橘花理央を初めて見た気がする』
『凪斗くんの病室のシーン、窓の外ずっと見てるだけなのに、なんで泣けるんだろう。リハビリ頑張ってるの知ってたけど、映像で見ると全然違う』
『正直、事件のときは理央くんが心配で毎日ニュース見て眠れなかった。無事でいてくれて、こうやって話してくれて、ありがとう』
『#シュガスパドキュメンタリー 泣きすぎて目が開かない』
ファンの反応は、本当に様々だった。もちろん、優しい言葉ばかりじゃない。「ここまで見せる必要ある?」「ファンとしては複雑」という意見も、ちゃんと混じっている。
それでも、「理央くんが無理してないか心配」「ふたりとも、たまにリフレッシュできるように休んでほしい」と、僕たちの心と体を案じる声のほうが、ずっと多かった。
そんな声に背中を押されるようにして、今日、僕たちは休日の様子をvlogとして撮影している。
『というわけで、今日は理央くんの地元でもある岩手に来てるんですけど』
『凪斗くんがね、もうさっきから寒くて震えまくりです。上着貸してあげようか?』
『それ俺が格好つかないから』
今回は、ユニットの写真撮影のロケ地として、岩手が選ばれた。
第一に安全面を考慮すること。そして、撮影の情報が流れてもファンの人たちが殺到しないような場所であること。それから、都会から離れて僕のいろんな表情を引き出したい、という狙いもあるのだと思う。すでに二日間の撮影は済んでいて、今日はその中休み。このvlogは、今回の写真集の購入者特典になる予定だ。
『理央くんは、岩手に帰ってくるのっていつぶり?』
『ええっ……事務所に入ってすぐ、くらいかなぁ』
『じゃあ、本当に赤ちゃんの頃なんだ』
『うん、そうだね。なので、ほぼ十五年ぶりくらいだよ』
新花巻駅から、ふたりで喋りながらバス停へ向かう。時刻表を見た凪斗が、バスの本数の少なさに目を丸くした。
『え、次のバス、一時間後だ』
『田舎あるあるだね。どうしよっか?』
『じゃあ、タクシーに乗ろうと思います』
とはいえ、駅のロータリーに停まっているタクシーは、二、三台だけだった。ふたりで後部座席に乗り込むと、撮影だというのに、ちょっとした旅行気分になる。
窓の外を流れる景色は、少しずつ民家がまばらになり、一面の雪野原に変わっていった。約二十分山道を走った先に、今回のメインのロケ地、新花巻にある施設が見えてくる。降り積もった雪の白さの中に、白い建物がひっそりと佇んでいた。その壁面に嵌め込まれたステンドグラスが、淡い冬の日差しを受けて、柔らかな光をこぼしている。
『みて、凪斗くん。すごい綺麗』
『うん。……理央くん、ちょっとそこに立って』
スタッフさんから事前に手渡されていたチェキを片手に、凪斗がレンズを向ける。振り返った僕が微笑むと、カシャ、という軽い音が響いた。
『めっちゃいい。可愛い』
『貸して。撮りあいっこしたい』
はふ、と寒さで息が白くなる。そんな僕の顔をじっと見つめていた凪斗は、自分がまいていたマフラーを外すと、そっと僕の首元にそれをゆっくりと巻き付けて微笑んだ。
『え、平気だよ。凪斗くんだって寒いでしょ』
『鼻、赤くなってるから。てか、色白いから赤くなるとすげぇ寒そうに見える』
BL売りはするなってあんなに言われてるけど、これくらいは許してもらえるかな。そんな気持ちでそっと顔を見上げると、ぽん、と頭を撫でられる。僕が目で「それ以上はだめだよ」という気持ちを込めて視線を送ると、凪斗はカメラの電源を切り、SPさんたちに目配せをした。
「なぁ、理央」
「うん?」
呼び捨てで呼ばれて、プライベートのモードに切り替えたのだと分かる。どうしたんだろうと目を見つめると、凪斗はそっとコートのポケットから、小さな箱を取り出した。この前、一緒にアンバサダーを務めたジュエリーブランドのロゴが、箱の蓋に印字されている。
「これ、渡したくて。明日の撮影が終わったら、また個人仕事で、ライブまでなかなか時間ないと思うから」
「開けてもいいの?」
「うん、いいよ」
そう。この写真集の撮影が終わったら、僕と凪斗は、セカンドライブまでのあいだ、しばらくすれ違う生活が続く。
ありがたいことに、ファーストライブとドキュメンタリー『LAST IDOL ―ラストアイドル―』の反響は、想像をはるかに超えていた。配信の再生数は公開から数週間で記録を更新し続け、街頭の大型ビジョンには、僕たちの広告が並んでいる。ファンクラブの会員数は、事件前の七倍近くに膨れ上がったと、貝元さんが目を丸くしていた。CM、雑誌の表紙、バラエティのオファーは、スケジュール欄に収まりきらないほどだ。
そんな追い風のなかで、個人仕事も一気に増えた。
僕は『サギ☆ドル』の好演が話題となり、次は、ゴールデン帯のサスペンスで、ミステリアスなW主演の片割れを務める。桜庭こゆん役も「国民的アイドルイメージを脱却する憑依型」と、演技派としての注目度が高まっていた。
そして凪斗も、映画での殺陣シーンが評判を呼び、大河ドラマの後半に、刺客として出演することが決まった。制作発表の日には、SNSのトレンドが「鍵野凪斗」の名前で埋まったほどだ。
地方ロケも続くし、ドラマと映画の撮影も重なる。きっと、同じ家に帰ってきても、顔を合わせる時間はほとんどないだろう。だから、同じベッドで眠るのも、今夜が最後で。そのあとは、いつになるか分からない。
小箱を持つ指先に、そっと力がこもった。
「……凪斗、これって」
「お互いがアンバサダーなら、怪しまれることもない。ファンの人たちの目には、プロモーションに見えるかなって」
蓋を開けると、中に納まっていたのは、ギメルリングのペンダントトップがついたシルバーのネックレスだった。ふたつの輪が重なり合う形をしたトップが、雪の舞い散る薄明かりの中で、澄み切った輝きを放っている。
嬉しい。嬉しいのに、それまで考えないようにしていた切なさが、胸の底から込み上げてきた。
凪斗がそっと背後に回る。手のひらが肩に置かれて、首元にひやりとしたチェーンが触れた。凪斗の指先が、マフラーの内側へ慎重にネックレスを納めていく。吐いた息が、うなじをかすめて溶けた。
留め具がかちりと小さく鳴った瞬間、「ありがとう」の言葉より先に、涙が溢れてくる。
「理央? どうした――」
「だ、だって」
「……うん?」
「付けられないよ。凪斗が居てくれなきゃ、つけられない」
凪斗が、きょとんとして首を傾げる。
「留め具のこと? 練習すれば、そのうち自分でも……」
「そうじゃなくて」
首を横に振って、ネックレスのトップを、そっと握りしめた。
「衣装の時は、いつも凪斗が付けてくれたでしょ。金具に手こずってると、後ろから『貸して』って来てくれて。……僕、それが当たり前になってたんだ。だから、きっと思い出しちゃう。凪斗の指が首に触れたこととか、背中にいた体温とか。それで、今そこにいないんだって、気づくんだよ。……だから」
つけられない、というのは、手が不器用だからじゃない。凪斗のいない朝に、ひとりでこの留め具を留める寂しさが、今から怖くて仕方ないのだ。
それを察したのだろう。凪斗は肩に手を置いたまま、「ごめん」と小さく謝った。
謝ってほしいわけじゃない。寂しくならないように、肌身離さず付けていられるものを選んでくれたことくらい、ちゃんと分かっている。分かっているのに、涙は雪の上にぽたぽたと落ちていった。
きっと、僕と凪斗の恋は、アイドルである以上、この気持ちをずっと抱えたまま続いていくのだろう。それは分かっている。それでも好きだから、こうして一緒にいる。
「僕、今までアイドルが恋愛するなんて、あり得ないって思ってた」
「……理央」
「でも、今ならすごく分かる。それくらい、溺れそうなくらい、凪斗のことが好きだから……っ」
今までの僕なら、こんなふうに感情に振り回されて、想いをそのまま相手にぶつけたりはしなかった。凪斗の存在は、それくらい、僕の中で大きくなってしまったのだ。
言い終えた途端、堪えていたものが決壊して、嗚咽がこぼれた。みっともないと思うのに、止められない。
凪斗は何も言わず、僕を正面から抱き寄せた。厚いコート越しでも、腕の力強さとぬくもりが、はっきりと伝わってくる。後頭部に回された大きな手が、あやすように、ゆっくりと髪を撫でた。
「……ごめんな。いつも寂しい思いさせて」
耳元で聞こえた声は、僕と同じように、少し震えていた。
「でも……俺だって、同じだよ。理央のいない家に帰るの、きっと耐えられない。だから、これを選んだんだ。離れてても、傍に俺がいるみたいで、少しはましだろうって」
「……うん」
「寂しいのは、ちゃんと寂しいままでいいと思う」
切なさを消そうとするのでも、慰めて紛らわせるのでもなく、凪斗はその全部を、そっくりそのまま受け止めてくれた。胸に顔を埋めたまま、僕は何度も頷く。
やがて凪斗は体を離して、濡れた頬を親指で拭った。笑おうとするけれど、やっぱりうまく笑えない。涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、僕は首元のペンダントトップを握りしめる。ふたつの輪が、手のひらの中で温もりを帯びていった。
「アイドルとしても、恋人としても。理央の隣に立って受け止めるのは、ずっと俺だから」
雪が、ふたりの肩に静かに降っては溶けて消える。
寂しさも、愛しさも、きっとそれはずっと同じ場所に居続ける。それでも僕たちは、手を離さずに、前へ進んでいくのだ。
***
「これだけのアイドルがいる世界で、僕たちはファンの方にとって『最後のアイドル』になりたいんですよ」
「そう。だから、二人で決めたんです。セカンドライブツアーのタイトルは、『LAST IDOL』がいいよねって」
開演直前の武道館に響いたのは、僕と凪斗が事務所の会議室でインタビューを受けている時の映像と音声だった。
正面の大型モニターには、私服姿でふたり並んで座る僕たちが映っている。このコンサートのタイトルに込めた想いを語る横顔は、少し硬くて、でも真っ直ぐだった。映像の中の凪斗が、僕の方をちらりと見て、照れくさそうに笑う。そのたびに、客席のあちこちから小さな歓声が上がった。
楽屋で、出番の直前まで、スマホでSNSをチェックする。ファンの子たちがライブを心待ちにする投稿や、物販での戦利品、ライブグッズを身に付けた自撮りが、次から次へと流れていく。その中に混じって、見慣れない一文字列が目に留まった。
「凪斗、なんだろうこれ。『#なぎりお』って」
「あー、まぁ……なんつーかその、それは」
凪斗が、あからさまに目を泳がせる。ソファの背にもたれたまま、視線だけが天井と僕のスマホのあいだを行ったり来たりしていた。
その態度を不審に思いながらタグをタップすると、画面がずらりと同じ文字で埋まっていく。
僕と凪斗がアンバサダーを務めるブランドで、毎日つけているあのネックレスと、指輪。指輪は、僕からお返しに贈ったもので、凪斗が今日も中指に付けているものだ。それを買ったという報告のツイートに、『この収録でもつけてる』『もしやスマホケースおそろ?』『これ、凪斗くんのパーカー?』といった考察が、写真つきで並んでいた。
「えっ、なんで僕のネックレスと、凪斗の指輪が特定されてるの?」
「熱心なファンがいるみてぇ。まぁ、匂わせ説とビジネス恋人説、どっちも流れてるけど」
「どっちも……」
スクロールしていくと、ただ単に仲良しなだけだと言う声もあれば、ビジネスなのではと疑う意見もあった。肯定も否定も入り乱れていて、画面の向こうでは、僕たちの知らないところで議論が白熱しているらしい。
思ったよりも早くボロが出はじめたことに、ふたりで顔を見合わせて苦笑いする。
目が合ったまま、ふと沈黙が落ちた。その隙をつくように、凪斗の顔が近づいてきて、ちゅっ、と小さなリップ音とともに唇が触れる。
そっと瞼を開いた僕の顔をじっと見つめた凪斗は、そっと手首を引いて楽屋を後にした。
「……見ろよ、理央。すげぇ人数」
舞台袖の暗がりから、僕たちはその光景を並んで見つめていた。
客席はすでに満員だった。二階、三階のスタンド席の端まで、人、人、人。会場全体が、期待で膨らんだ風船みたいに、ぱんぱんに張りつめている。
アリーナ席から、スタンド席の最上段まで、いくつもの光の帯が揺れていた。青と水色を基調にしたサイリウムが、波のように寄せては返す。ところどころに、うちわが掲げられ、「理央」「凪斗」の文字が、暗がりの中で浮かび上がっていた。開演を待つざわめきが、天井の高い会場に反響して、低い唸りのように肩のあたりまで降りてくる。
床から伝わる振動が、足の裏まで震わせた。まだ一曲も始まっていないのに、会場の熱気が、僕たちのいる袖まで流れ込んでくるのが分かる。
「……緊張してんの?」
「うーん、若干。想像以上に人が多いなぁって思って」
「パシフィコより大きい箱でやれるなんて、一年前は想像もしなかったしな」
そう言って笑う凪斗の声は、いつもより少しだけ上ずっていた。強がっているのが分かって、僕は思わず口元をゆるめる。
首元に手をやると、ネックレスのトップが、指先にひやりと触れた。ふたつの輪が重なり合ったそれを、ぎゅっと握りしめる。凪斗はそれに気づいたのか、何も言わずに、僕の隣で、そっと同じ場所を押さえた。
モニターの映像が、フェードアウトしていく。会場の照明が、一段、また一段と落ちていった。ざわめきが、ふっと途切れる。何千、何万という息づかいが、暗闇の向こうで、一斉に静まるのが分かった。
「橘花さん、鍵野さん、スタンバイお願いします」
スタッフさんの声に、僕たちは頷き合った。
幕の向こうからは開演を待つ人々のざわめきが潮騒のように伝わってきて、イヤモニにそっと指を添える。
「行こうぜ、理央」
「うん」
それだけの言葉を交わして、ふたりで静かに息を吸い込んだ。暗闇の中、拳をこつんと合わせる。
「みなさん、こんにちは。Sugar&Spice.です!」
「本日は僕たちのセカンドライブ、『LAST IDOL』にお越しくださり、本当にありがとうございます」
その言葉の余韻が消えるより早く、オープニングSEが会場を貫いた。
天井から降り注ぐ純白のレーザーと、眩いスポットライトがステージを射抜いた瞬間、割れんばかりの大歓声が僕たちを呑み込む。
ゆっくりと光の中へ足を踏み出すと、そこには凪斗と二人で見たいと願っていた景色が広がっていた。アリーナからスタンドの最上段まで、果てしなく続く光の海。青と水色に染まったペンライトの波が大きくうねり、幾重にも重なるコールが肌を震わせる。
隣に立つ凪斗が、眩しそうに目を細めた。そして僕を見て、不敵に笑う。
「そんなんじゃ全然足りねぇんだよ! 俺らのイヤモニ突き破るくらい、全力でぶつかってこい! 武道館揺らすぞ!!」
凪斗がマイクを握り締め、ステージの中央で拳を天高く突き上げる。直後、客席から爆発的な歓声が返ってきた。
その熱狂を、全身で浴びる。胸の奥まで震えるような音の渦の中で、僕はゆっくりとマイクを口元へ寄せた。
『もう他の誰も愛せない、みんなの人生最後のアイドルになってあげる』
マイクを握り直す。そして僕たちは、光の海へ飛び込むように――最初の一音を響かせた。
fin.
――But “LAST IDOL” was not “their” last.――



