現役男子高校生で国民的人気アイドルの僕を「性格ブス」と呼ぶ男と同居することになりました

 凪斗が退院したのは、ファーストライブからひと月ほど経った頃だった。
 朝から空は薄い灰色で、吐いた息がうっすらと白くなる。病院の車寄せで待っていた僕の前に、看護師さんに付き添われた凪斗が現れた。三角巾で吊った右腕と、ゆるく羽織っただけのコート。少し痩せて、頬の輪郭が前よりはっきりしたけれど、僕を見つけて片眉を上げる表情は、記憶の中の生意気な後輩のままだ。
 僕たちはそのまま、車で事務所の会議室へ向かった。見慣れたはずの廊下が、今日はすごく長く感じる。エレベーターの階数表示が上がっていくのを、二人して無言で見つめていた。肩が触れそうで触れない距離。それなのに、隣にいるというだけで、指先の冷たさが少しずつ引いていくのが分かる。

「二人とも、そこに座ってちょうだい」
「……はい」

 通された会議室の長机の端には、ユニットを結成した日と同じように、密着取材のカメラが一台、静かに据えられていた。電源は入っていない。

「事件当日の映像は、一切使えません。証拠品として、全て警察に提出済みよ」

 社長が感情を抑えた声で切り出した。この数か月、僕たち二人分の矢面に立ち続けてきた疲れが、顔に滲んでいる。

「だから、ドキュメンタリーの構成を見直します。最終回までの流れを、ここにいる四人で決めたいの。……凪斗、あなたはどうしたい?」

 凪斗は少しだけ考えてから顔を上げた。長い睫毛の下で、切れ長の目が、ゆっくりと社長を捉える。考えるときに視線を斜め下へ落とす、あの癖も変わっていない。

「事件そのものは、ファンの方のショックを考えると映像でもナレーションでも映さなくていいと思います。ただ、あの出来事を無かったことにはしたくない。俺が倒れた後のリハビリの様子とか、理央がひとりで抱え込んだ辛さ、そういう時間があって今の俺たちがいるから」
「僕も同じです」

 気がつくと、声が出ていた。凪斗が、ふっと驚いたようにちらりと僕を見る。
 長机の下、膝の上に置いた手のひらがじっとりと汗ばんでいた。大人たちに囲まれ、自分たちの本音を口にするのは今でも怖かった。アイドルとしての仮面を剥ぎ取られ、泥臭い内面をさらけ出すことは、まるで何枚もの鎧を脱ぎ捨てて、丸裸のまま冷たい外気にさらされるのと同じに感じるからだ。
 けれど――涙を隠さずにさらけ出したあの夜を越えてから、自分の心を偽り続けることのほうがよっぽど恐ろしいと気付いた。
 カッコ悪いところも含めて、これが僕たちの真実だ。そう思えるようになってから、胸の奥で燻っていた怯えは、確かな覚悟へと変わり始めていた。

「あの頃ずっと泣いていた僕の映像も、使ってください。普段見せないようなところも、全部。……ファンの人たちに、本当のことを知っていてほしいから」

 貝元さんが、ハンカチで目頭を押さえた。泣き顔を見られるのが苦手なのか、慌てて鼻をかむふりをして顔を伏せる。社長が、そんな貝元さんを一瞥して、小さく頷いた。

「分かった。公開は、凪斗が次のステージに立てるようになった頃にします」
「……いいと思います」
「ちなみにね」

 社長が、悪戯っぽく唇の端を持ち上げる。さっきまでの疲れた気配が嘘のように、あの「台風みたいな人」の顔が戻ってきた。

「ファーストライブ当日の、凪斗の登場シーン。カメラ、四台仕込んでたの。知ってた?」

 社長はテーブルに頬杖をついたまま、悪戯を成功させた子どものような顔でこちらを覗き込んでくる。その手元のタブレットには、ファーストライブのステージ映像が、すでに再生待ちの状態で映し出されていた。

「……聞いてません」
「でしょうね。リアクション、全部撮れてるわよ。理央がびっくりしてる顔も、うるうるして泣いている顔も。本当、可愛いったら」
「社長ぉ……!」

 一瞬で、頭のてっぺんまで恥ずかしさが上るのが分かった。耳の先まで熱を持ち、思わず両手で自分の頬を覆ってうなだれる。指の隙間から見えた画面の中の自分が、目を見開いたまま固まっているのが目に入って、慌てて視線を逸らした。
 今までの芸能生活の中でもバラエティ番組等でドッキリを仕掛けられた経験はあるけれど、それらはどれも可愛い悪戯の範疇にすぎなかった。カメラの位置を探して、リアクションを計算して、最後には笑って「やられました」と言えばよかった。
 凪斗がサプライズでドラマの撮影現場に現れた時の驚きともまったく違う。あの時は、驚きのあとに、すぐ嬉しさがやってきた。けれど、あの日は――文字通り魂が抜け落ちるような、特大の衝撃だったのだ。

「だって、あの理央が泣いたのよ⁉ 『アイスドール』なんて評されるほど完璧で感情を人前で出さないあの理央が!」

 社長が身を乗り出し、人差し指をこちらへびしっと突きつける。まるで、決定的な証拠を突きつける名探偵みたいな勢いだった。

「これ以上、からかわないでください」

 消え入りそうな声で抗議しても、顔の火照りはいっこうに引いてくれない。
 真っ赤になって縮こまる僕の隣で、凪斗がたまらずといった様子で小さく噴き出した。肩を揺らしながら、口元を手の甲で隠している。それでも笑いが堪えきれないのか、横目でちらりと僕を見ては、また目を細めた。
 「……笑わないでよ」と睨むと、「ごめん、可愛くて」と悪びれもせず返される。余計に顔が熱くなった。
 それにつられるように、緊張の糸が切れた貝元さんまで肩を震わせている。眼鏡の奥の目尻に、うっすらと笑い皺が寄っていた。
 そんな温かな空気に包まれながら、あの事件の日以来ずっと凍りついていた心の奥のしこりが、ほんの少しだけ溶けていく。

「……それから、犯人と被害に遭われた女性のことだけど。男は起訴されたわ。裁判では貴方たちへの接近禁止の命令も出る見込み。……それと、あの時凪斗が庇った女性ね。母子ともに無事で、先週、都内の病院で元気な女の子を出産したそうよ。貝元が、事務所を代表してお祝いを送ったわ」

 息を呑んだ。隣で、凪斗が、ほっとしたように長く息を吐く。

「さて、ここからは、仕事とは別の……でも、アイドルを続けていく上では、一番大事な話をさせてちょうだい」

 社長がタブレットをテーブルの上で裏返し、空気がピリリと引き締まる。社長の目配せで、貝元さんが静かに立ち上がった。
 ドアに近づいてガチャリと鍵をかけ、ブラインドの隙間を確かめてから、スマホで外のSPさんに短く指示を出す。

「しばらくの間、誰も通さないでください」

 四人だけの、厳戒態勢。そのただならぬ気配に、心臓がうるさく鳴り始める。隣で凪斗も自然と背筋を伸ばしていた。

「社長……?」
「あなたたちの関係について、今ここでしっかり聞かせてほしいの」

 腕を組み、鋭い光を宿した瞳で僕たちを射抜きながら、社長は容赦なく本題を切り出した。

「なんのことですか」
「ユニットの相棒があんな事件に巻き込まれたからって、理央があそこまで落ち込むのは、はっきり言って、ただごとじゃないと思ったわ。普通の友達やビジネスパートナーが、あそこまで壊れる? 違うでしょう」
「……っ」

 図星を突かれて、言葉に詰まる。喉の奥に、何かが引っかかったみたいに息が通らない。凪斗も、気まずそうに視線を泳がせ始める。

「それにね、二人が会えなかった間も、私と貝元は様子をずっと見てきたの。理央が追い詰められていく姿も、凪斗が病院のベッドで、自分の怪我より理央のメンタルばかり気にしていたのも」
「それは……」
「悪いけど、これは何か裏があると思って貝元と口裏を合わせていたの。本来なら、あなたたちはこんなに長い時間をかけずとも面会が出来ていたわ。でも、それはあくまで、本当に純粋なユニットのパートナーであればの話よ」

 社長はそこで一度言葉を切り、呆れたような、けれどどこか慈しみを湛えた溜息をついた。吐息と一緒に、肩から少しだけ力が抜けたのが分かる。

「一体どういう関係なのか、自分たちの言葉で説明してちょうだい」
「どういう関係、って」
「どれだけ隠したつもりでいても、私と貝元には全部お見通しよ。……それに、決定的だったのは、ファーストライブのあと」
「えっ……?」
「ステージ裏に戻る前、通路の隅で。あなたたち、強く抱き合っていたでしょう」
「そ、それは」

 脳裏に、あの暗い通路での感触が甦る。誰もいないと思っていた。お互いになにを喋るでもなく、ただひたすらに強く抱擁して。凪斗は僕の髪を梳くように撫でて……その体温と、鼓動と、匂いしか、世界になかった。
 そんな姿を、こともあろうに社長に見られていたなんて。

「あれは、仲間としての労いとか、親愛のハグなんかじゃなかった。どう見ても、恋人同士のそれだったわよ」

 弁解しようにも、言葉がうまく出てこない。
 膝の上で拳を握る僕の肩を、凪斗がすっと引き寄せた。触れた手のひらは大きくて、少し乾いていて、驚くほど態度は落ち着いている。そして凪斗は、まっすぐに社長を見据えた。

「俺が、理央に好きだって言いました。付き合ってほしいって言い寄ったのも、全部俺からです」
「凪斗……!」

 潔すぎる告白に、慌てて横顔を見上げる。迷いのない、静かな横顔だった。ステージで見せる不敵な表情とも、家でからかってくるときの意地悪な顔とも違う。覚悟を決めた目だ。けれど、全部を凪斗に背負わせて、自分だけ隣で縮こまっているわけにはいかなかった。

「違います。凪斗だけのせいにしないでください。僕も……同じ気持ちでした。自分の意思で、恋愛感情として凪斗のことを好きになりました」

 声は震えていたけれど、目は逸らさなかった。
 社長は、やれやれと首を横に振り、それでも口元の笑みを隠しきれていない。
 いつもに増して張りつめた空気に、貝元さんが苦笑いしながら口を挟んだ。

「僕もね、ワン・テイクが終わったあたりから、二人の様子が変だなって思ってたんだ。あんなに車内でいがみ合っていたのに、ふとした瞬間の仕草とか、カメラの回っていないところでの視線とか……気になって仕方なかったというか」

 顔が、さらに熱くなる。バックミラー越しに、貝元さんの優しい目はずっと僕たちを見ていたのだ。すべてお見通しだったのだと思うと、居たたまれなくて、俯くほかない。

「まったく。もし万が一ファンや週刊誌にバレたら、どうするつもりだったの? アイドルとしての立場の重さを、貴方たちは本当に分かっているの?」

 社長の問いに、凪斗は微動だにしなかった。長机の上で組んだ左手の指先が、ほんのわずかに震えている。

「社長に同居を持ちかけたのは、事務所に貸しを作るためだって、最初は理央に言いました。俺には夢があるから、それを叶えるために、事務所に恩を売ったんだって」
「…………」

 社長は何も言わず、腕を組んだまま、じっと凪斗を見ている。
 凪斗は一度だけ視線を落とし、膝の上で組んだ指に力を込めた。それから、顔を上げる。

「でも、本当は違います。いつか海外に行きたいって夢は嘘じゃないけど、ストーカーの話を聞いて、理央を守りたかっただけです。……好きな人に近づきたいっていう下心も、ありました」

 初めて聞く話だった。最初の日、あの家で「便利な餌」だと言い放った凪斗の顔が、頭の中で少しだけ違う表情に見えてくる。

「それに、あの夜のことも。理央を外に連れ出して、あの男の目に触れた原因の一つなのは、事実なので」
「それは、あなた一人の責任じゃない。……でも、分かっているなら話は早いわ。万が一、スキャンダルになったときの違約金。忘れたわけじゃないでしょうね?」
「覚えてます。もしこのことがバレたら、俺が全部背負います」
「本気で言ってるの?」
「はい」
「そこまでして、別れたくないのね」

 迷いのない頷きに、社長は深く息を吐いた。それから、ほんの少し、プロデューサーの顔の奥から親しみの色をのぞかせる。かつて日本中を熱狂させた「花宮花咲里(はなみやかざり)」の眼差しが、一瞬だけ細められた。

「あなたはまだ高校生なのよ。数億円規模の違約金を『自分が背負う』なんて、軽々しく口にするものじゃないわ」
「……すみません」

 椅子に深く身を預け、社長は僕たち二人を順番に見つめた。

「そこまで肝が据わっているなら、もう止めても無駄ね。別れろって言ったって、無理でしょう? だから、条件をつけるわ」
「条件……ですか?」
「ビジネスの場で、ベタベタしたり、BL売りやファンへの媚びに使うような真似は、絶対にしないこと。ファンが見たいのは、あなたたちの色恋じゃない。一流のアーティストとしてのパフォーマンスよ。そこは、お互いプロとして線を引きなさい」

 それは僕たちを突き放すための言葉じゃない。厳しい世界の荒波から、僕たちを守るための、社長なりの精一杯の愛情だった。芸能界という場所で、何十年も戦い続けてきた言葉の重みが、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。

「ただ……これは、社長としてではなく、一人の女性として言うけれどね。恋愛は、きっとあなたたちの表現にたくさんの力を与えてくれるものになるわ。喜びも、悲しみも、相手へのどうにもならない想いも全部抱えて、そのまま走り続けなさい」

 そう言って、社長はふっと表情をゆるめた。いつも強気で鋭い眼差しの奥に、見たことのない柔らかな光が宿っている。
 もしかすると社長自身にも、誰かを想って走り続けた時間があったのかもしれない。そんなふうに思わせる、少しだけ遠くを見るような目だった。
 隣で貝元さんが、そっとその言葉を噛みしめるように微笑んでいる。

「ありがとうございます。約束は、必ず守ります」

 その声には、いつもの軽口の影はなかった。凪斗の横顔を見て、僕も胸の奥でもう一度、強く誓う。

「口で言うのは簡単よ。結果で示しなさい。あなたたちがステージで見せるものが、そのまま答えになるんだから」

 社長はそう言うと、机の上の書類をとんとんと揃え、いつもの凛とした顔に戻った。けれど、部屋を出ようとした僕たちの背中に、ぽつりと声が届く。

「……幸せになりなさいよ。ふたりとも」

 振り返ると、社長はもう書類に目を落としている。ほんの僅かにだけれど、その口元が綻んでいるのが見えた。

 ***

 社長が新しい二人の住まいとして手配してくれたのは、前のマンションより少し小さくて、日当たりのいい部屋だった。
 部屋の窓には頑丈な補助錠が追加され、リビングの壁には、警備会社へ直結する緊急通報ボタンがある。物々しいといえばそうかもしれないけれど、見えない不安に怯えて眠れずに過ごすより、これくらい守られているほうが、ずっと安心できる。

「前より、ちょっと狭い気がしなくもねぇな」
「まぁ、いいんじゃない。どうせ寝室は一緒だし、それでも二部屋余っちゃうよ」
「ふーん。……俺、なんも言ってねぇけど。同じベッドで寝んの?」
「なっ、だ、だって……!」

 言い返そうとして、言葉が喉につかえる。凪斗はにやりと口の端を上げたまま、慌てる僕の反応を楽しむように眺めていた。
 けれど、ふっと笑みを和らげて、視線を少しだけ横へ逸らす。

「まぁ、毎日会えるわけじゃねぇから。寝る時くらいは、くっついてる時間が欲しいかもな」

 一足先に運び込まれていた荷物は、僕が選んだ小さな観葉植物と、真新しいカーテン、そして寝室に置いた、あの枕だった。ずっと内緒で抱えていた凪斗の枕とパーカーは、ようやく本人に返せることになる。
 扉の前に立った凪斗は、まだ痛む肩をかばうような足取りで、片手に小さなボストンバッグを提げている。リビングの白い灯りが、ふっと点いた。

「……ただいま」
「おかえり」

 ライブの夜、ステージの上で交わした言葉と、同じなのに。
 二人きりの部屋で口にすると、まるで違う。靴を脱ぐ凪斗の背中を見ているだけで、喉の奥が引き絞られたように苦しくなる。ぎゅっ、と服を掴んだ僕の手に気が付いて、凪斗は眼差しを和らげると、そっと頭を撫でて抱きしめてくれた。

「……凪斗?」
「や、ごめん。……理央が素直に自分から甘えてくれんのが、嬉しいっつーか……」
「うん」
「か、かわ……可愛いなって、思って」
「あんなに僕のこと、ブスって言ったくせに」
「……すんませんでした。なんつーか、好き過ぎて、意地悪したかったというか」
「ほんとは、僕の顔をどう思ってるの?」

 珍しく狼狽えた顔。目が泳いで、耳の端がじわじわと赤くなっていく。
 観念したように、凪斗が小さく息を吐いた。

「……世界で一番、可愛いと思ってる」

 付き合ってから初めて聞く、まっすぐな一言だった。胸の奥がくすぐったくなって、思わず微笑むと、凪斗は僕の火照った頬に、ひとつキスを落とした。

「本当に? 適当なこと言ってない?」
「……これはマジ。子役の時から知ってたけど、ドラマで一目ぼれして。事務所の廊下で会った時も……」
「うん、気になる。言ってよ」
「こんな綺麗な顔した奴、人生でもう二度と会うことねぇだろうなって。……そんくらい、美人だと思った」

 低い声でそう囁かれた瞬間、心臓が跳ね上がった。
 凪斗の大きな手が迷いなく背中に回り、薄手のニットの上から滑るようにウエストを掴まれる。そのまま服の裾から指先が忍び込み、素肌の腰骨をなぞられた。不意打ちの刺激に、喉の奥から小さな声が漏れそうになり、僕は慌てて両手でその肩にしがみつく。

「ま、待って」
「もう待たない」

 逃げ場を塞ぐように押し付けられる体温と、痺れるような熱に、凪斗のペースに呑み込まれそうになってしまう。
 あふれそうな胸の熱と高鳴る鼓動を抑えきれなくなって、僕はソファの上でわずかに膝を浮かせ、凪斗の頬に自分から唇を寄せた。一度きりでは物足りなくて、熱を確かめるように、二度、三度と角度を変えてキスを落とす。

「っ……、理央」

 低く掠れた声とともに、凪斗の腕に力がこもる。次の瞬間、形勢が逆転するように、僕はそのままソファへと押し倒されていた。重なる体躯から放たれる熱と、熱を帯びた瞳で見つめられ、息が詰まる。
 凪斗は僕の唇を容赦なく塞いだ。深いキスに脳が溶かされそうになりながら、応えるように彼の首元へ腕を回す。
 キスだけでは到底足りなくて、シャツの合わせ目から滑り込んだ手が熱を持った素肌をまさぐる。お互いに理性のタガが外れかけ、その勢いのまま、ソファからほど近いベッドへと雪崩れ込むように移動していた。

「っ……は、ぁ……」

 マットレスに押し倒され、すぐ上に覆い被さった凪斗が荒い息を吐き出す。
 その顔を見ると、欲に染まった瞳の奥で、かすかに理性の光が揺り戻されていた。怪我をしているはずの肩に力が入りすぎたのか、眉が険しく歪んでいる。

「凪斗、痛いなら無理しないで――」
「ここで我慢する方が無理」

 不安だった。なのに、これ以上体を壊してほしくない気持ちと同じくらい、目の前の温もりから離れたくないという独占欲が胸を突き上げる。真っ直ぐに見つめ返す僕の瞳を見て、凪斗の息が大きく乱れた。

「……っ、アイドルに戻る前に、理央の全部が欲しい」

 掠れた声でそう呟くと、凪斗は痛むはずの腕をかばいながらも、僕の体を柔らかいシーツへ沈めた。
 遠慮も躊躇いも消え去り、ただお互いを求める熱だけが部屋を支配していく。はだけたシャツ越しに触れ合う素肌は驚くほど熱くて、触れるたびに甘い痺れが全身を駆け抜けた。

「理央……、好きだよ」
「……僕も、凪斗が好き……っ」

 言葉の続きを塞ぐように重ねられたキスは、焦がれるような切なさと、全てを預けたくなるほどの優しさに満ちていた。
 痛みを分かち合うように、確かめ合うように、重なり合う体温。何度も名前を呼び合いながら、僕たちは冷たい冬の夜のなかに、お互いのすべてを溶かしていくように深く、深く結ばれた。
 
(一生分の好きを、凪斗にあげる)

 この先のことは、ふたりだけの秘密にしておこう。