現役男子高校生で国民的人気アイドルの僕を「性格ブス」と呼ぶ男と同居することになりました

 ドラマの撮影を無事に終えて家に帰ると、リビングにぱっと温かい灯りがともっていた。

「……ただいま」
「……ん、お疲れ」

 ぎこちなく挨拶した僕に、ソファに座っていた鍵野は少し驚いた顔を上げた。けれどすぐに、手元のスマホへ視線を戻す。
 ふと見ると、反対の手には、ユニット曲の歌詞が印刷された紙が握られていた。青ペンで、何やら熱心に書き込みがされている。じーっと覗き込むと、鍵野はハッと息を呑み、慌ててそれをソファの上に伏せた。

「勝手に見んな」
「レコーディングの前に、そんなに真剣にやりこんでるんだ」
「……まぁ、そうだけど。明日はワン・テイクの撮影もあるし、イメトレっつーか」
「へぇー、案外かわいいところあるじゃん」

 ふふ、と思わず笑みをこぼした、その時。
 鍵野は一拍置いて、大きな片手で僕の頬をむぎゅっと力任せに掴んだ。

「お、ふ、ふぉい(おい)、なにふんのふぉ(なにすんだよ)」
「おい、なんか今日機嫌よくねぇ? ドラマの撮影はどうだったんだよ」

 間の抜けた声を出す僕を、鍵野はまじまじと見つめてくる。そこに馬鹿にする色はなく、ただ純粋に様子をうかがう光があった。手を離してもらい、照れくささを隠しながら答える。

「悪くない、って言われた。別に褒められたわけじゃないけど、前みたいに撮影が止まらなかっただけ、マシなのかなって」
「……ふーん」

 鍵野はつまらなそうに鼻を鳴らし、ソファの背もたれに深く体を預けた。

「じゃあ、なんか自分にご褒美買えば。こういうときに好きなもん食ったほうがうまいんじゃん」
「好きなもの……」
「なんかねぇの? この前のフードファイトで食えなかったやつとか」

 好きなもの、と言われて、頭にほわんと浮かんだのは、大きな丸いピザだった。香ばしく焼けた生地に、とろりと溶けたチーズ。チェーン店のデリバリーピザが大好きで、たまに無性に食べたくなる。コンビニにはなかなか売っていないし、ピザパンは論外だ。
 けれど、気軽に宅配は頼めない。注文すれば、今どこに住んでいるのか、配達員に一発で知られてしまう。ストーカー被害に遭ったばかりの今は、なおさらだ。

「……ピザ」
「あ?」
「ピザが食べたい。宅配のジャンキーなやつ。でも、頼めないでしょ。自宅バレしちゃうし」

 せっかくの高揚感に、寂しい現実が少し混ざる。やっぱり諦めるしかないか、と肩を落とした、そのときだった。

「じゃあ、さくっと着替えろよ。マスク忘れんなよ」
「えっ? な、なんで……」
「普通に俺も食いたいから」

 鍵野はソファからひょいと立ち上がり、スマホをポケットに放り込んで、棚の上のカードキーを掴んだ。

「行くって、どこに? まさか店に食べに行くの?」
「バカ、持ち帰りに決まってんだろ。近くの路面店なら、ネットで注文して取りに行けばすぐだ。アンタは店の前で待ってろ。俺が中に入って受け取ってくる」
「それって……大丈夫なの? 鍵野の顔がバレたら――」
「帽子とマスクすりゃバレねぇよ。この時間なら、店員もそんなじっくり見てこねぇし」

 思いがけない提案に、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。それなら確かに、住所は知られない。SPさんも、一応ついてきてくれるはずだ。

「何突っ立ってんだよ。早くしろ、店が閉まるだろ」
「て、ていうかそれって僕がついて行く必要ある?」
「気分転換。たまにはこういう息抜きしたっていいんじゃねぇの」
「……す、すぐに着替えてくる!」

 急に目の前が開けたような高揚感に包まれ、大急ぎで自室へ駆け込んだ。ジャケットを脱ぎ捨て、大きめの黒いフードパーカーに着替える。前髪を隠すバケットハットをかぶり、黒いマスクをつけてリビングへ戻ると、鍵野もすでに黒いウインドブレーカーを羽織って、玄関に立っていた。

「行くぞ」
「うん」

 エレベーターを降り、マンションの裏口から、夜の街へこっそり連れ立って歩き出す。六月の夜風は少し生温かく、撮影を終えたばかりの火照った体に心地よかった。
 二人とも帽子を深くかぶってマスクをしているので、どこからどう見ても、治安の悪い男二人組だ。まばらな歩道を、数歩ぶんの距離を空けて並んで歩く。秘密の脱走みたいで可笑しくて、マスクの裏で小さく笑みが零れた。

(なんか……ちょっと楽しい、かも)

 ついさっきまで、現場で孤独に戦い、降板の恐怖に怯えていたのが嘘のようだ。隣を歩く鍵野の、僕より一回り大きなシルエットを盗み見る。口は悪いし、相変わらず無愛想で、僕を小馬鹿にする生意気な後輩。
 ビジネスとして割り切る。完璧な仕事のパートナーで、それ以上でも以下でもない。そう決めたはずなのに、夜道に響く等間隔の足音や、さりげなく僕のわがままを叶えてくれる不器用な優しさに、その境界線はまた簡単に揺らぎ始めている。

「てか、味はどうすんの」
「ジャンキーなんだから、肉尽くし一択だろ」
「は? ピザと言ったらマルゲリータでしょ!」
「なんで俺の意見を即否定すんだよ」
「だって鍵野の好みって、だいたい辛いか肉かのどっちかでしょ。もうちょっとバランス考えてよ」
「バランスって、アンタが好き勝手言いたいだけだろ」

 結局、四つの味を一度に楽しめるクォータータイプにすることで、なんとか休戦協定が結ばれた。

「……で、店に着いたらどうすんの。僕も並ぶ?」
「いや、アンタは絶対外にいろ。顔隠しててもその背丈と歩き方で一発だから」
「歩き方って何。僕、そんな特徴的な歩き方してる?」
「してる。モデルみたいにスタスタ歩くから目立つんだよ」

 鍵野がピザを受け取っている間、僕は店の外の街灯の影で、スマホを手に俯いて待っていた。ふと画面から目を上げると、道路を挟んだ反対側に、見覚えのあるスーツ姿の男性が二人立っている。社長が手配してくれたSPの人たちだ。不審な誰かが僕たちに接触しないよう、一定の距離を保って見張ってくれているらしい。

 入れ替わるように店へやってきた数人の客が、あからさまに僕を二度見、三度見しているのが視界に入った。

「ねぇ、見て。あの人めっちゃスタイル良くない?」
「ホントだ、てか顔小さすぎじゃ……芸能人?」
「絶対そうだよ。どうする? もし橘花理央くんだったら」
「そんなわけないじゃん、こんな店に来るわけないでしょ」

 怖くなって、慌ててくるりと背を向ける。その怯えに気づいたのか、鍵野が自動ドアを抜け、ピザの箱が入った大きな袋を片手に、足早にやってきた。

「お待たせ。行こっか、モモちゃん(・・・・・)」

 いつもと正反対の優しい声色で、僕の隣に並ぶ。続けて、何気ない動作で、手をそっと絡め取られた。

「――っ!?」

 驚いて声を上げそうになった僕の肩に、鍵野が着ていた黒いウインドブレーカーがふわりと掛けられる。体温の残るナイロンの温もりに包まれ、反射的に顔を上げようとしたけれど、鍵野の手のひらが頭の上から、「上げるな」と優しく制した。
 その様子を見ていたさっきの客たちが、「もっとエグいのきた」「目元だけでも超イケメンじゃない?」と小声で盛り上がっている。

「『モモちゃん』ってなに?」
「俺の妹の名前。……アンタ、細いから目立つんだよ。これ着てシルエット隠しとけ」
「あ、ありがとう……」

 耳元でぼそりと低く呟かれ、言われるまま俯いた。大きめのウインドブレーカーのおかげで、僕の体のラインは完全に覆い隠されている。

(ついて来いって誘ってきたのは、鍵野のくせに)

 心の中でぽつりと毒づいてみるけれど、繋がれた手のひらからは鍵野の温もりが直に伝わってきて、少しずつ体温が上がっていく。今さら振りほどいたら、周囲の視線を集めて不自然になる。そんな言い訳を頭の中に並べ立てながら、おとなしく鍵野の歩調に合わせた。

 薄暗い夜の公園を横切っていく。SPの二人は、僕たちが手を繋いでいることに気づいているのかいないのか、適度な距離を置いて、静かについてきていた。

「あっ、待って。鍵野――」

 ぎゅ、と腕に抱きつくようにして、引き留める。怪訝な顔で振り返る鍵野の足元を指差すと、そこには一匹のダンゴムシが丸まっていた。
 繋いでいた手をそっと離し、地面にしゃがみ込む。指先でつつくと、さらにきゅっと綺麗な球体になるそれをつまみ上げ、近くの植え込みの土の上にそっと逃がしてやった。

「……いきなり抱きついてくんなよ」
「語弊のある言い方しないで。にしても、ダンゴムシなんて久しぶりに見つけたかも。よくこうやって、手のひらにのせたりしてた」
「学校で?」
「ううん、撮影の合間。僕、小学校は休みがちで、ほとんど行けてないんだ」

 膝を抱え、土の匂いがする暗闇を見つめながら、ぽつりと言葉をこぼした。

「なんでそんな地味な虫」
「……パッと見、目がないみたいに見えるから」
「は?」
「目がどこにあるか分からなくてさ。だから、見られてる感じがしないの。それが、幼心にすごく安心したというか」

 鍵野の視線が、横顔に注がれるのが分かった。僕は自嘲気味に口元を緩める。

「小さいころから周りの大人の顔色を窺って、機嫌を取りすぎてたのもあると思う」
「…………」
「いつも笑顔でいれば、大人は『可愛いね』って言ってくれるし、そうしてればこの世界で生きていける。それがもう体に染みこんじゃってて、大人になった今も抜けなくて、完全にクセなんだ。犬とか猫とかより、目がないように見えるダンゴムシのほうが、見てて安心する」
「……ふぅん」

 鍵野の低く静かな声が、夜の静けさに溶けた。
 いつものトゲはどこにもなくて、ただ僕の言葉をそのまま受け止めようとしてくれているのが分かる。

「見られることが仕事だけど、本当は苦手だから。芸能人には、あんまり向いてないんじゃないかなって思うときもあるよ」

 情けない言葉が口から出て、思わず身を縮めた。けれど鍵野は、鼻で笑うことも、呆れることもしなかった。
 しばらく黙ったあと、ぼそりと呟く。

「でもファンは、お前のその笑顔に会いに来てくれてるんだろ」
「……そうだけど。内面がこんな『性格ブス』だって知ったら、幻滅されるに決まってる」
「いや、その言葉はなんつーか……正直、アンタに嫉妬してたというか」
「嫉妬?」
「ちやほやされて、どうせ裏の顔は傲慢な奴だと思い込んでたから。でも、そういうストレスやプレッシャーが十年以上も続いてたら、発散したくもなるだろうし。隣で見てて、こんだけ忙しいって分かると、荒んでいく気持ちも分からなくはねぇ、っつーか……」

 思いがけない言葉に、はっとして顔を上げる。心から言っているのが伝わってきて、戸惑いを隠せなかった。

「……鍵野がそんなふうに考えてくれてたなんて、知らなかった」
「言うわけねぇだろ、恥ずかしいし」
「でも、今はめちゃくちゃ言ってくれたじゃん」
「今のは特別」

 鍵野のぶっきらぼうな一言が、僕の歪んだ部分さえ、少しだけ肯定してくれた気がした。

「……『性格ブス』とか言って、悪かった」
「何もそんな改まって謝らなくても」
「仮歌に合わせてハモった瞬間、自分はとんでもなく恥ずかしい大口を叩いたって痛感した。『足引っ張るなよ』なんて言っておいて、自分の方が技術的に必死で追いつかないとまずいって……離れていたこの二週間も、ずっとそのことばかり考えてた」

 だから、あんなにも歌詞カードの余白が文字で埋め尽くされていたのか。
 そう思うと、どこか不器用で健気というか、案外かわいいところもあるじゃないか、なんてくすぐったい気持ちになる。

「……てか、急にしおらしくなんないでよ。どう接したらいいのか、分からなくなるから」

 視線を空へ向け、小さく息を吐いた。端正な横顔に、夜の深い陰影が落ちている。気だるげに首を回すと、鍵野はぶっきらぼうに続けた。

「……ユニットのパートナーとして。お前がまた抱え込んでしんどくなるときは、できる限りそばで支えられたらって思う」
「は……?」
「アンタは昔から、ストレスが限界に達すると貝元さんの車の中で暴れるくらい鬱屈を溜め込むって聞いたからさ」
「う、うそ。誰から聞いたの?」
「社長からだよ。でもさ、そういうのはこれからは俺にいくらでも吐き出していいし、深夜のやけ食いだってこうやって付き合う。だから、一人で爆発するまで我慢しなくていいし、勝手に家を出て行ったりするな。……普通に心配するから」
「ちょっと、急になに言い出すの……鳥肌が立ったんだけど」
「好きなだけなじればいい。俺はもう、くだらなくいがみ合ったりしないで、これからはアンタの隣でちゃんと見守るって決めたから」

 鍵野は僕の綺麗じゃない部分もすべて受け入れたうえで、それでも僕を「相棒」として、誰一人文句のつけられない圧倒的な高みへ連れていこうとしている。
 これまでに味わったことのない、胸が締め付けられるような、嬉しさと気恥ずかしさとが入り混じった熱。それを大切に抱え込むようにして胸の前でぎゅっと拳を握りしめると、隣を歩く鍵野にふと、あたたかな視線で一瞥された。

「ほら、行くぞ」
「ちょっ、勝手に引っ張らないでよ。僕、返事はまだしてないのに」
「ピザが冷めるだろ」
「そういう問題じゃないでしょ、屁理屈もいいところ――」

 文句を言いながらも、その少し後ろを追いかける。
 追いつくたびに肩がぶつかりそうな距離で歩きながら、僕はマスクの下で、本当の笑みを小さくこぼした。