現役男子高校生で国民的人気アイドルの僕を「性格ブス」と呼ぶ男と同居することになりました

 日焼け止めのCM撮影が滞りなく終わると、鍵野は別の仕事があるため先にスタジオを出ていき、僕もそのあとに続いて、ドラマの撮影現場へ向かった。

 気持ちは、なかなか切り替わらなかった。頭の中では、「また今日も怒られたらどうしよう」「いっそ今のうちに降板したほうが傷が浅いんじゃないか」と、自分を守ろうとする情けない言い訳ばかりが繰り返されている。
 台本を握りしめたまま死人のような顔色をしている僕を、バックミラー越しに見た貝元さんが、穏やかに言った。

「あの監督が厳しいことで有名なのは、理央くんだって分かってるでしょう? 一回や二回怒られたくらいで、へこたれちゃダメだよ」
「そ、それは分かってます。けど」
「そこで逆に燃えるくらいのバイタリティが、君が演じる『桜庭こゆん』にはあると思う。だから監督は、理央くんにもそういう泥臭い姿を見せてほしいんだよ」
「……でも、俺は……」
「もし本当に降板するなら、社長も交えてすぐに動く。ウチの事務所から代わりに演技のできる子を送り込むか、もう一度オーディションをして、役を他人に譲ることになる。でも、理央くんは、本当にそれでいいの?」

 優しく、けれど核心を突く問いかけに、負けず嫌いのプライドがちくりと痛んだ。
 今の肩書きはアイドルだ。でも、そもそもは子役上がりで、心のどこかに「自分は演技ができる」という傲慢な奢りがあったことは否めない。これまでもドラマにはちょくちょく出ていたし、演技が下手だと酷評されたこともない。……賞を獲るほど、突出した何かがあったわけでもないけれど。

「鍵野くんもね、ダンスは得意だけど、稽古場ではめちゃくちゃ頑張ってるんだよ」

 黙り込んだ僕に、貝元さんが言葉を続ける。

「アクションなんて初めてだから、毎日怒られてる。それでも、基礎トレーニングから必死に食らいついてるんだ」
「……そうなんですか」
「今の本業はアイドルだけど、ジャンルの違う世界でひと踏ん張りすることは、表現者として、必ずいろんな形でいい影響を与えると思う。新しい理央くんの一面を見たいって、君の輝く姿を応援しているファンが、たくさんいることを忘れないでほしいな」

 ふと視線を落とした貝元さんが、僕を振り返り、柔らかく微笑んだ。
 膝の上で、台本をぎゅっと握りしめる。支えてくれる人たちの顔、同期の顔、そして、いつも不遜に僕を見下ろしてくる、あの生意気な顔が浮かんだ。

『天下の橘花理央が、戦う前から白旗振ってんじゃねぇよ』

 幻聴のように、鍵野の声が鼓膜の奥で低く響く。傲慢で、意地が悪くて、ムカつく奴。それなのに、僕が捨て去りそうになっていた『橘花理央』としての誇りを、誰よりも当然のように信じているのも、あいつだった。
 ゆっくり顔を上げ、台本を開く。

「……貝元さん。降板の話は、なしでお願いします。……僕が、最後までやり切るので」
「うん、じゃあ一緒に頑張ろう。演技に集中できる環境を整えるサポートは、するから」

 現場に入ってすぐ、監督のもとへ向かい、深く頭を下げて「もう一度、頑張らせてください」とまっすぐに頼んだ。
 監督は僕をじっと見つめたあと、フッと鼻を鳴らした。そして、今日は前回止まったシーンの撮り直しから第二話の最後まで、一気に撮ると告げた。内心では死ぬかと思ったけれど、今の僕に「無理です」という言葉はない。やるしかない。

「宜しくお願いします」

 監督をはじめ、前回多大な迷惑をかけたスタッフや共演者の皆さんにも、一人ずつ誠意を込めて頭を下げた。
 慌ただしくメイクルームに入ると、すでに用意されていた『桜庭こゆん』の衣装に袖を通し、鏡の中の自分をじっと見つめる。

『お前にピッタリすぎるだろ。自然体でいりゃ、演技なんかしなくても余裕じゃん』

 呆れたような、それでいて核心を突いていた鍵野の言葉が、また脳裏をよぎった。

(――自然体の自分を、カメラの前に持ち込む)

 言うのは簡単だけれど、いざとなると、頭の中で激しい葛藤が渦巻いた。演技をしながら自然体を見せる。相反するふたつを、どう両立させればいいのか。けれど、鍵野とのやりとりを思い返すうちに、ストンと落ちるものがあった。

 アイドルの橘花理央を、一度ここで、綺麗に脱ぎ捨てればいい。
 ファンに見せているキラキラした笑顔の裏にある、ズボラで、プライドが高くて、めちゃくちゃ負けず嫌いな部分。愛想よくニコニコなんて絶対にせず、思い通りにいかなければ不機嫌に黙り込む、可愛げのない生身の自分。
 こゆんというキャラクターに、無理やり自分を嵌め込むんじゃない。僕の奥底にある、誰にも見せたくない素を、この役を通して画面にさらけ出してやる。

「……あの、すみません。アイライン、もうちょっとキツめに描いてもらっていいですか」
「えっ?」

 突然の提案に、メイクさんがブラシを止めて目を軽く見開いた。

「アイドルっぽい雰囲気を、一回なくしたくて。冷たく見えるように、流し目をした時に攻撃的な色っぽさが出るようにして欲しいんです」
「……なるほど。分かりました。じゃあ色も少し暗めのトーンにして、画面に映えるよう、シャープに入れさせてもらいますね」

 メイクさんのプロの目が光る。ファンデーションにも、コントロールカラーのミントブルーを少し混ぜてもらった。肌の赤みを完全に消し、白っぽさを強めて、陶器のような艶を際立たせる。

「こんな感じでどうでしょうか」

 鏡に現れたのは、今まで見たこともない、氷のように冷たく、鋭く刺すような美しさをまとった『桜庭こゆん』だった。
 これまでの衣装合わせでは選ばなかった、エッジの効いたデザインの変形ジャケットを羽織る。
 「頑張ってください」と微笑んだメイクさんが部屋を出ていくのと同時に、僕は、ゆっくりと心のスイッチを切り替えた。