事務所の会議室へ続く廊下。角を曲がる手前で、密着のカメラマンたちが機材をセッティングしているのが見えた。ここから先、「おはようございます」と入っていくところから、ドキュメンタリーの撮影が始まるらしい。
隣をちらりと横目で盗み見る。鍵野はワイヤレスイヤホンを両耳から外し、ケースにしまっているところだった。すん、と澄ました顔でケースをサコッシュへ入れる姿を見て、僕も口角を綺麗に引き上げる。
「おはようございます。えー、何の密着なんだろう? 緊張する……」
カメラのレンズがこちらを捉えた瞬間、愛想笑いを浮かべ、事情を知らないアイドルらしく緊張しているふうを装い、会議室の扉をそっと開ける。段取り通り、先に僕が室内へ入り、少し間を置いてから鍵野が続いた。
「お疲れ様でーす。……え、理央くんだ」
「鍵野くん、おはよう。事務所で会うの久しぶりじゃない?」
「んー、多分一年ぶりくらい?」
「だよね」
お互い和やかで、どこか初々しい空気を漂わせているけれど、実際は昨日も一昨日も顔を合わせているし、今朝だって洗面所を奪い合っていた。
そわそわした芝居を続けながら、社長と貝元さん、今回のプロジェクトのプロデューサーが入ってくるのを、二人で見守る。一同が席につくと、社長が厳かな声で口を開いた。
「それでは、今日二人に集まってもらった理由を説明します」
「「はい」」
「……橘花理央、鍵野凪斗。あなたたち二人には、これから、期間限定のユニットを結成してもらいます」
二人同時に目を瞬かせる。あらかじめ知っている話を、今初めて聞いたような顔で受け止めるのは、思いのほか技術が要った。僕は隣の鍵野と驚きを分かち合うように顔を見合わせ、わざとらしく両手で口元を覆う。本音が透けそうな表情を、これで半分は隠せるだろう。
「ユニット……!? え、どうしよう。できるかな……」
「マジかー、俺も不安かも。理央くんの足、引っ張っちゃいそうだし」
全く心にもないことを言っているのに、カメラの前での演技だけは、僕と同レベルに一人前だった。内心では「俺の足を引っ張るなよ」と傲慢に思っているくせに、よくもこんな殊勝な台詞が出てくるものだ。この営業用の笑顔に騙されている女性ファンが何十万人もいるのかと思うと、哀れでならない。
「まず、ファーストシングルの発売にあたって、YouTubeの音楽チャンネル『ワン・テイク』へ出演してもらいます。完全な一発録りです。歌詞が飛んでも、ピッチがずれても、やり直しはありません。現場の生々しさが、そのままネットにアップされます」
手渡された企画書を、二人で頭を寄せて覗き込む。ハンディカメラのレンズがぐっと至近距離まで迫ったのを意識して、僕は鍵野の顔を覗くようにしながら「やばい、どうしよう」と笑い、怯えるアイドルの顔を作ってみせた。
「……『星空のDearest』?」
「いい曲名ですね。デモ音源は、もうできてるんですか?」
「えぇ、持ってきてるわ。イヤホンをつけて、一緒に聴いてみてもらえる?」
音源の入ったスマートフォンを渡され、一本の有線イヤホンを半分ずつ分け合う。鍵野が手際よく左耳にイヤーピースを差し込み、僕が右耳に当てがった。コードが二人の間で細く突っ張る。
再生ボタンが押され、鼓膜に滑り込んできたのは、静謐なピアノの旋律。切なさをはらんだマイナーコードのイントロだった。二人とも自然と背筋を伸ばし、配られたメロディ譜と歌詞のシートへ視線を落とす。
仮歌(レコーディング前に一時的に入れる仮の歌唱のことだ)を耳で追いながら、ペンで歌割りをチェックしていく。ハモリのラインはどこか、キーのレンジは自分の声に合っているか。プロとしての耳が、勝手に楽曲を分析し始める。二番に入る頃には、全体の構成とコード進行が、なんとなく頭に入っていた。二人の視線が、譜面の上で同じフレーズをなぞる。そしてどちらからともなく、仮歌に重ねるように、小さなハミングで歌詞を口ずさんでいた。
「え、もう歌えそう?」
「うん、なんとなく。……やってみる?」
貝元さんの驚いた声を合図に、スマホをタップしてオフボーカルの音源へ切り替える。イヤホンを片耳ずつ分け合ったまま、ボールペンをマイク代わりに軽く握り直した。
『街の灯りが遠ざかる この窓辺から見上げた夜空は 凍えるほど青くて』
Aメロの出だしは僕のパート。そこから鍵野のソロへ繋がる構成だ。イントロの静けさを引き継いで、最初は感情を抑えめに入り、サビへ向けて一気にダイナミクスを盛り上げる。そう解釈して声を乗せたのだけれど、続く鍵野は、初回からフルスロットルだった。
『すれ違う言葉が 棘になって刺さるのに 嫌いになれない むしろ愛しくて』
ブレスを大きく混ぜ、声を情感たっぷりに掠れさせて、情熱的にメロディを紡いでいく。
自分の魅せ方を完璧にコントロールしたい僕と、剥き出しの感情をぶつけてくる鍵野。相性の悪さに軽い絶望を覚えながら歌詞カードを睨んでいると、二人の声が重なるサビがやってきた。
『届かない願いだと知っていても この胸の痛みは あなたの名前を呼ぶ』
『ずっとそばにいて そう言えなかった夜に 瞬く星屑が涙に濡れていく』
鍵野の声を隣で聴きながらハモるのは、これが初めてのはずだった。
それなのに、音の立ち上がりも、フレーズの語尾を切るタイミングも、感情が高ぶったときの小さな「しゃくり」に至るまで、何度もリハーサルを重ねたかのように、パズルのピースが噛み合うみたいに重なった。緻密にミキシングされたような、完璧な音の融和。あまりに心地よいシンクロに、パーカーの袖に隠れた二の腕へ、細かな鳥肌がさっと立っていくのが分かった。
『You are my dearest... 遠い星空の向こう』
曲が終わっても、カメラは回りっぱなしだ。すぐに二人で破顔し、営業スマイルを貼りつける。
「……鍵野くん、すごくない? 息ぴったり」
「そう? 俺は割と、理央くんについていくのに必死だったんだけど」
「結構いい感じかも。初回にしては」
「それは俺も思った。このままレコーディングも行ける気がする」
鍵野がいかにもカメラ映えしそうな人懐っこい笑顔で、ハイタッチを求めて手のひらを向けてくる。心の中でこめかみに青筋を立てながら、パチンと小気味いい音を立てて応えた。
「ユニットの相手が、理央くんで良かった」
ハイタッチの余韻を残したまま、鍵野がふっと優しく目を細めて微笑みかけてくる。その不意打ちのような表情に、胸が嫌な跳ね方をして、反射的に視線を逸らしてしまった。今の反応、不自然じゃなかっただろうか。カメラマンさんに変な勘繰りをされていなければいいけれど。最悪、編集でカットしてほしい。
「はい、オッケーです! 素晴らしいリアクション、ありがとうございました!」
ディレクターの声がかかり、密着のカメラが一度止まる。社長からも太鼓判を押され、初日の話し合いはお開きになった。
「お疲れ様でした」
このあとは、お互い別々の外仕事が控えている。カメラの赤いランプが消えた瞬間、僕たちはビジネスの仮面を剥ぎ取り、いつもの険悪で冷え切った素の顔に戻る。貝元さんたちへの挨拶もそこそこに、目も合わせないまま、別々のドアから逃げるように会議室をあとにした。
隣をちらりと横目で盗み見る。鍵野はワイヤレスイヤホンを両耳から外し、ケースにしまっているところだった。すん、と澄ました顔でケースをサコッシュへ入れる姿を見て、僕も口角を綺麗に引き上げる。
「おはようございます。えー、何の密着なんだろう? 緊張する……」
カメラのレンズがこちらを捉えた瞬間、愛想笑いを浮かべ、事情を知らないアイドルらしく緊張しているふうを装い、会議室の扉をそっと開ける。段取り通り、先に僕が室内へ入り、少し間を置いてから鍵野が続いた。
「お疲れ様でーす。……え、理央くんだ」
「鍵野くん、おはよう。事務所で会うの久しぶりじゃない?」
「んー、多分一年ぶりくらい?」
「だよね」
お互い和やかで、どこか初々しい空気を漂わせているけれど、実際は昨日も一昨日も顔を合わせているし、今朝だって洗面所を奪い合っていた。
そわそわした芝居を続けながら、社長と貝元さん、今回のプロジェクトのプロデューサーが入ってくるのを、二人で見守る。一同が席につくと、社長が厳かな声で口を開いた。
「それでは、今日二人に集まってもらった理由を説明します」
「「はい」」
「……橘花理央、鍵野凪斗。あなたたち二人には、これから、期間限定のユニットを結成してもらいます」
二人同時に目を瞬かせる。あらかじめ知っている話を、今初めて聞いたような顔で受け止めるのは、思いのほか技術が要った。僕は隣の鍵野と驚きを分かち合うように顔を見合わせ、わざとらしく両手で口元を覆う。本音が透けそうな表情を、これで半分は隠せるだろう。
「ユニット……!? え、どうしよう。できるかな……」
「マジかー、俺も不安かも。理央くんの足、引っ張っちゃいそうだし」
全く心にもないことを言っているのに、カメラの前での演技だけは、僕と同レベルに一人前だった。内心では「俺の足を引っ張るなよ」と傲慢に思っているくせに、よくもこんな殊勝な台詞が出てくるものだ。この営業用の笑顔に騙されている女性ファンが何十万人もいるのかと思うと、哀れでならない。
「まず、ファーストシングルの発売にあたって、YouTubeの音楽チャンネル『ワン・テイク』へ出演してもらいます。完全な一発録りです。歌詞が飛んでも、ピッチがずれても、やり直しはありません。現場の生々しさが、そのままネットにアップされます」
手渡された企画書を、二人で頭を寄せて覗き込む。ハンディカメラのレンズがぐっと至近距離まで迫ったのを意識して、僕は鍵野の顔を覗くようにしながら「やばい、どうしよう」と笑い、怯えるアイドルの顔を作ってみせた。
「……『星空のDearest』?」
「いい曲名ですね。デモ音源は、もうできてるんですか?」
「えぇ、持ってきてるわ。イヤホンをつけて、一緒に聴いてみてもらえる?」
音源の入ったスマートフォンを渡され、一本の有線イヤホンを半分ずつ分け合う。鍵野が手際よく左耳にイヤーピースを差し込み、僕が右耳に当てがった。コードが二人の間で細く突っ張る。
再生ボタンが押され、鼓膜に滑り込んできたのは、静謐なピアノの旋律。切なさをはらんだマイナーコードのイントロだった。二人とも自然と背筋を伸ばし、配られたメロディ譜と歌詞のシートへ視線を落とす。
仮歌(レコーディング前に一時的に入れる仮の歌唱のことだ)を耳で追いながら、ペンで歌割りをチェックしていく。ハモリのラインはどこか、キーのレンジは自分の声に合っているか。プロとしての耳が、勝手に楽曲を分析し始める。二番に入る頃には、全体の構成とコード進行が、なんとなく頭に入っていた。二人の視線が、譜面の上で同じフレーズをなぞる。そしてどちらからともなく、仮歌に重ねるように、小さなハミングで歌詞を口ずさんでいた。
「え、もう歌えそう?」
「うん、なんとなく。……やってみる?」
貝元さんの驚いた声を合図に、スマホをタップしてオフボーカルの音源へ切り替える。イヤホンを片耳ずつ分け合ったまま、ボールペンをマイク代わりに軽く握り直した。
『街の灯りが遠ざかる この窓辺から見上げた夜空は 凍えるほど青くて』
Aメロの出だしは僕のパート。そこから鍵野のソロへ繋がる構成だ。イントロの静けさを引き継いで、最初は感情を抑えめに入り、サビへ向けて一気にダイナミクスを盛り上げる。そう解釈して声を乗せたのだけれど、続く鍵野は、初回からフルスロットルだった。
『すれ違う言葉が 棘になって刺さるのに 嫌いになれない むしろ愛しくて』
ブレスを大きく混ぜ、声を情感たっぷりに掠れさせて、情熱的にメロディを紡いでいく。
自分の魅せ方を完璧にコントロールしたい僕と、剥き出しの感情をぶつけてくる鍵野。相性の悪さに軽い絶望を覚えながら歌詞カードを睨んでいると、二人の声が重なるサビがやってきた。
『届かない願いだと知っていても この胸の痛みは あなたの名前を呼ぶ』
『ずっとそばにいて そう言えなかった夜に 瞬く星屑が涙に濡れていく』
鍵野の声を隣で聴きながらハモるのは、これが初めてのはずだった。
それなのに、音の立ち上がりも、フレーズの語尾を切るタイミングも、感情が高ぶったときの小さな「しゃくり」に至るまで、何度もリハーサルを重ねたかのように、パズルのピースが噛み合うみたいに重なった。緻密にミキシングされたような、完璧な音の融和。あまりに心地よいシンクロに、パーカーの袖に隠れた二の腕へ、細かな鳥肌がさっと立っていくのが分かった。
『You are my dearest... 遠い星空の向こう』
曲が終わっても、カメラは回りっぱなしだ。すぐに二人で破顔し、営業スマイルを貼りつける。
「……鍵野くん、すごくない? 息ぴったり」
「そう? 俺は割と、理央くんについていくのに必死だったんだけど」
「結構いい感じかも。初回にしては」
「それは俺も思った。このままレコーディングも行ける気がする」
鍵野がいかにもカメラ映えしそうな人懐っこい笑顔で、ハイタッチを求めて手のひらを向けてくる。心の中でこめかみに青筋を立てながら、パチンと小気味いい音を立てて応えた。
「ユニットの相手が、理央くんで良かった」
ハイタッチの余韻を残したまま、鍵野がふっと優しく目を細めて微笑みかけてくる。その不意打ちのような表情に、胸が嫌な跳ね方をして、反射的に視線を逸らしてしまった。今の反応、不自然じゃなかっただろうか。カメラマンさんに変な勘繰りをされていなければいいけれど。最悪、編集でカットしてほしい。
「はい、オッケーです! 素晴らしいリアクション、ありがとうございました!」
ディレクターの声がかかり、密着のカメラが一度止まる。社長からも太鼓判を押され、初日の話し合いはお開きになった。
「お疲れ様でした」
このあとは、お互い別々の外仕事が控えている。カメラの赤いランプが消えた瞬間、僕たちはビジネスの仮面を剥ぎ取り、いつもの険悪で冷え切った素の顔に戻る。貝元さんたちへの挨拶もそこそこに、目も合わせないまま、別々のドアから逃げるように会議室をあとにした。



