現役男子高校生で国民的人気アイドルの僕を「性格ブス」と呼ぶ男と同居することになりました

 翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日の眩しさで目が覚めた。昨夜の気持ちを引きずっているせいか、体はいつにも増してだるい。
 重い頭を抱えてリビングへ向かうと、ダイニングテーブルの上に、昨日僕が投げ捨てたはずの台本が置かれていた。よく見ると、乱暴に扱って折れ曲がっていた表紙や、破れかけていたページの端が、透明なテープで一枚ずつ丁寧に修繕されている。

(これ……、鍵野が直してくれたの?)

 指先でテープの境目をなぞると、不器用なあいつが黙々と台本に向き合っていた姿が目に浮かび、胸の奥がじんわり温かくなった。
 純粋に嬉しかった。けれど同時に、もういっそ降板してしまおうと、逃げる言い訳を探していた自分に気づく。こんなふうに真っ直ぐ向き合われてしまっては、退路を断たれたも同然だ。甘えの混じった葛藤が、胸の底で燻り出す。

「あ、起きたか」

 キッチンから、マグカップを持った鍵野が現れた。その瞬間、昨夜の「お姫様抱っこ」の、肌が焦げるような熱と心臓の爆音が、脳裏によみがえる。顔がカッと熱くなるのを必死に抑え込み、ぎこちなく身を固くした。

「……お、はよ」

 視線を泳がせながら、消え入りそうな声で挨拶を絞り出す。そんな僕の動揺を知ってか知らずか、鍵野は湯気の立つマグカップを口元に運び、まっすぐこちらを見据えて言った。

「自分が期待に応えられないからって、途中で逃げ出すなよ」
「えっ?」
「『お前じゃなきゃ成立しないドラマはない』ってやつ。あれ、裏を返せば、化けたらアンタにしかできないドラマになるってことだろ。天下の橘花理央が、戦う前から白旗振ってんじゃねぇよ」
「……そんなの、綺麗事だよ。簡単に言わないで。僕には僕の、積み上げてきたものがあるんだから」

 まだグズグズと燻っている僕を見て、鍵野はフッと口元を小さく緩め、マグカップをテーブルに置いた。
 出かける支度のため、いつものように洗面所とシャワーの奪い合いが始まる。

「おい、僕が先!」
「あ? 俺はもう脱ぎかけてんだろ。それとも一緒に入る気満々?」
「おじさんみたいなセクハラやめてくれない?」

 鍵野は、すでに着ていたTシャツの裾を掴み、頭からがばっと脱ぎ捨てていた。嫌でも視界に入る背中は、日頃の過酷な稽古を物語るように、無駄のない筋肉が陰影を描いて引き締まっている。肩幅や、浮き出た背骨のラインをつい盗み見てしまい、慌てて目を逸らした。
 いつもなら「僕の前で裸になるな」と説教するところなのに、昨夜の今日では、どうしても闘争心が沸いてこない。
 ふっと息を漏らし、僕は力なく一歩後ろに下がった。

「……分かった。先に入りなよ」

 珍しく素直に権利を譲る僕に、鍵野は脱ぎかけの体勢のまま動きを止めた。バツが悪そうに後頭部を掻くと、ぶっきらぼうに僕の肩を掴み、洗面所のほうへ押し戻してくる。

「な、なに」
「調子狂うわ。……アンタが先に入れよ。昨日あんなに泣いて、顔むくんでるんだから」
「えっ?」
「ただでさえブスなんだから、これ以上ブスになったら目も当てられねぇだろ」

 意地悪な口調。いつもなら「誰がブスだよ!」と言い返す、定型文のようなやりとりだ。けれど今の僕には、その弾丸さえ残っていなくて、鏡に映る冴えない顔を見つめたまま、ぽつりと呟いた。

「……そうだね。本当に、どうせ僕は中身も外見もブスだよ」

 自嘲気味に認めて、鏡から目を背ける。
 すると、鍵野が声を詰まらせた。全肯定して凹まれるとは思っていなかったのだろう。見たこともないほど慌てた様子で、大きな手を宙に泳がせながら、まくし立ててくる。

「え、いや、マジでへこんでんじゃねぇよ! いつもはもっとこう、無駄にプライド高く突っかかってくるだろ!?」
「もうそんな気力ない。ユニットの密着もどうでもいい……」
「どうでも良くはねぇだろ」
「……ほんとに落ち込んでるんだってば」

 投げやりな言葉を重ねて俯く僕の頭を、鍵野の大きな手が、ガシガシと手荒に、けれど拒めない強さで引き寄せた。
 今までの暴言も悪態も、全部嘘だったみたいに、髪を撫でられる。

「な、なにしてんの? キモいんだけど。そういうのやめて」
「そういうのってなに?」
「だから、その……慰めるために抱きしめる、みたいな」
「いや、胸貸してるだけだけど」
「貸してなんて頼んでない。そもそも僕、女の子じゃないんだから。なに、勘違いしてこんな――」
「急にしおらしく落ち込んでるから、焦っただけだわ。バーカ」

 焦りが丸出しの不器用なフォローが、かえって可笑しくて、余計に調子を狂わされる。

「…………」
「…………」

 しばしの沈黙のあと、お互い正気に戻ったように「今のなし」と言い合い、再びパーソナルスペースを確保した。落ち着かない心臓を抱えたまま、結局、先に僕がシャワーを浴びて身支度を整える。

「早くアイロンのコンセント抜けよ」
「いま温めてる最中なんだってば。その間に服を着ればいいだろ」
「マジで自己中すぎる。俺じゃなかったら、お前みたいな我儘放題な奴と同居してくれる後輩なんかいねぇぞ」
「うるさいなぁ。鏡が曇るから、ちゃんとドア閉めてよ」

 そのあと僕たちは、初めて二人並んで、マンションの地下駐車場へ向かった。いつもは別々に乗り込む貝元さんの車のドアを開け、後部座席に並んで腰を下ろす。バックミラー越しに、貝元さんが一瞬だけ目を丸くしたのが分かった。

「……何かあった? なんだか、いつもと雰囲気が」
「「いつも通りです!!」」
「ワーオ、息ぴったりだね。同居生活の効果がこんなに早く出るなんて、嬉しい予想外だよ」

 ドアが閉まり、静まり返った車内。隣から伝わる鍵野の体温を嫌でも意識しながら、車はゆっくりと走り出した。