マイクを向けられるたび、僕は花がほころぶように微笑む。迷いも、一瞬の隙もなく。誰もが愛さずにいられない完璧な笑顔で。
「さぁ、始まりました『BACK☆STAGE TV』! 本日のゲストは、この方。ソロ歌手としてデビューして以来、全シングルでチャート首位を独走。名実ともにトップを走り続ける国民的アイドルでありながら、素顔は現役の男子高校生。橘花理央さんにお越しいただきました。よろしくお願いします!」
強い照明が顔を照らし、いくつものレンズがこちらを向く。マイクを唇に寄せた瞬間、意識は全力のアイドルモードへ切り替わった。
「『BACK☆STAGE TV』をご覧の皆さん、こんばんは。橘花理央です」
首をほんの数度傾け、まつ毛の影が綺麗に落ちるよう目を伏せて、口角をきゅっと引き上げる。子役時代に叩き込まれた動きは、今では反射に近い。スイッチさえ入れれば健気に動く、ぜんまい仕掛けの人形だ。もっとも、そのぜんまいはとうに限界まで巻かれていて、いつ千切れてもおかしくなかった。
「橘花さん、先日リリースされた新曲も大ヒット中ですが、今のお気持ちを率直に聞かせてください!」
「すごく嬉しいです。いつも応援してくださるファンのみなさんのおかげです」
何百回、何千回と繰り返した台詞が、また口から滑り出ていく。
嬉しいのは嘘じゃない。ただ、感情が追いつくより先に言葉を言い終えている自分に、冷えた違和感が残る。頭の中にもう一台カメラがあって、『ありがとうございます』の形に動く僕の口元を、他人事のように見下ろしている感じだ。
会話は心を置き去りにしたまま、先へ先へと流れていく。それなのに僕の意識だけは、数秒前に吐いた『嬉しいです』の残像に縫い留められ、そこから動けずにいた。
「デビューは生後まもなく。歌手としての活動は、まだ最近のことですよね」
「はい」
「これまでの芸能生活で、いちばん印象に残っているエピソードは?」
「うーん、そうですね……」
首を傾げ、人懐っこく笑ってみせる。少し間を置いたほうがインタビューは弾む。それはもう経験則として知っていた。
「子役時代の話なんですけど、ドラマの走るシーンで思いっきり転んじゃって。頭が真っ白になって台詞まで飛んで、NGを五回も出したんです。スタッフのみなさんに申し訳なくて、楽屋に戻ってから大泣きしました。今でもよく覚えています」
スタジオに温かい笑いが広がる。インタビュアーの女性が「可愛い!」と身を乗り出し、僕は「本当に恥ずかしいです」と指先で口元を隠してはにかんだ。
場が求める正解を瞬時に弾き出し、最高の反応を返す。液晶の色味を調整するように、感情のつまみを「愛されキャラ」の目盛りへ少し回すだけ。簡単な作業だ。
ちなみに、楽屋で泣いたのは本当のことだ。でも、理由は申し訳なさだけじゃなかった。七歳の僕が本当に怖かったのは、「橘花くんなら出来る」という大人の期待を裏切って、自分の価値が消えてなくなることだった。
あれから十年。消えてしまいたいほどの怯えは、少しも薄れていない。ただ上手く畳んで、すました笑顔の下にしまい込んでいるだけだ。
(喉、乾いたな。もう少しで終わるけど、カメラを止めて水を飲んだらスタッフさんの手間になるし……やっぱり我慢しよう)
「芸歴イコール年齢ということで、今年十七歳を迎えますね。これからの目標を教えてください」
「もっと成長して、ファンのみなさんに『応援してよかった』と思ってもらえる存在になりたいです」
また満点の答えだ。これでいい、と自分に言い聞かせる。
みんなが満足して、みんなが幸せなら、それが一番いいんだから。
「お疲れ様でした! 本日の収録、終了でーす」
カメラが止まっても張りつめたまま、深く頭を下げた。照明が落ち、撤収でごった返すスタジオを、ケーブルを束ねるADさんや重い機材を運ぶアシスタントさんと一人ずつ目を合わせ、「ありがとうございました」と声をかけながら通り抜ける。
この感謝も本物だ。けれど、それだけじゃない。手のかからない使いやすい子でいられれば、また呼んでもらえるかもしれない。そんな打算も混じっていた。
「橘花くん、今日もすっごく良かったよー!」
「ありがとうございます。美崎さんのメイクのおかげで、自信を持ってカメラの前に立てました」
朝早くから僕を整えてくれたメイクさんに、品よく微笑み返す。おむつの頃から「良い子」で通してきたのだから、こういうリップサービスは得意だ。
ただ、「感じのいい橘花理央」を演じ切ってほっとしている自分に気づくたび、胸が締めつけられる。心のどこかで、もう一人の僕が「嘘つき」と指をさしていた。
気を緩めかけたところに、廊下の向こうからスタッフさんたちの声が漏れ聞こえる。
「本当に良い子だよね、橘花くんって。いつも謙虚で、全然偉ぶらないし」
「どこの現場でもそうらしいですよ。完璧ですよね」
褒められるのは、本当はすごく嬉しい。ありがたいくらいだ。
それなのに、控室の扉をパタンと閉めた途端、胸の底に重い鉛が落ちた。良い子。謙虚。感じがいい。ラベルを貼られるたび、本当の僕は透き通って、薄くなっていく気がする。
良い子でいるのは、嫌われるのが死ぬほど怖いから。謙虚なのは、自信がなくて怯えているから。誰かに本気で怒ったこともなければ、現場でわがままを言って困らせたこともない。この顔の裏にある濁りきった本音を見せたら、みんな一瞬でいなくなるに決まっている。
「……バカみたい」
鏡の前に立つと、さっきまでの笑顔の名残が映っていた。剥がし方を忘れた仮面みたいに、口角だけが上がったまま固まっている。
誰も見ていないのに、どうして僕はまだ笑っているんだろう。
指先で唇の端をそっと押し下げてみる。現れたのは、ひどく不機嫌で寂しそうな顔だった。誰も知らない。誰にも見せたことがない。急に自分の顔が気味悪くなって、鏡の中の僕から逃げるように目を逸らした。
***
「いいねー、理央くん、目線こっちにくださーい」
――カシャ、カシャシャシャ。
息をつく間もなく、番組収録の次は雑誌のグラビア撮影だ。まばゆいフラッシュを浴びながら、次のセットへ連れて行かれる。この世界に入った頃は、作り込まれた美術セットのひとつひとつが楽しくて食い入るように観ていたのに、今はそんな余裕もない。
メイクさんが前髪をコームで整える数秒の隙に、ストローを挿したペットボトルから、ほんの少しだけ水を流し込んだ。
「理央くん! 向こうに差し入れがありますけど……」
「大丈夫です、押しているので」
朝も昼も、まだ何も食べていない。そもそも、食べる時間など一分も用意されていなかった。分刻み、いや秒刻みのスケジュールには、心も体もとっくに慣れている。
「お腹がすいた」「疲れた」。そんな当たり前の体のサインを誤魔化し続けるうち、いつの間にか、ほとんど感じ取れなくなっていた。
「撮影はじめまーす」
「はい、お願いします」
「もう少しアンニュイな感じもらっていい? そう、それ。最高!」
カメラマンの注文に合わせて、顔の角度を何度も変える。レンズに無垢な上目遣いを向け、ふっと熱を抜くように視線を横へ流す。求められるポーズ、求められる表情。すべてを頭の中でなぞり、さらに十数カットを撮り終えたところで、ようやく終了の声がスタジオに響いた。
「お疲れ様でした」
楽屋に戻ると、衣装のシャツをハンガーに掛け、私服のパーカーに袖を通した。首をゴキ、と鳴らそうとしたところでドアがノックされ、慌てて背筋を正す。
「橘花さん、マネージャーさんの車、地下の関係者専用口に来てます」
「分かりました、ありがとうございます」
早足で地下駐車場へ向かい、アイドリング中のミニバンに乗り込む。後部座席に倒れ込むように体を投げ出した。
「お疲れ様、理央くん。はい、頼まれてたやつ」
運転席の貝元さんが渡してくれたコンビニの袋には、ミックスサンドと、いつもの野菜ジュースが入っていた。
「貝元さん、ありがとう」
パッケージをびりっと豪快に破く。カメラの前の「綺麗な橘花理央」はどこかに置き忘れてきた。乱暴に引きずり出したサンドイッチを大口で押し込み、ぐしゃぐしゃに丸めた包装をシートの脇へ放ると、バックミラー越しに見ていた貝元さんが、ため息まじりに笑った。
「こら、車内をゴミ箱にしない」
「だって、ゴミ箱が遠い……」
「何年経っても、そこだけは小学生の頃から変わらないんだから」
慣れた手つきでゴミを拾い上げる。小学生の頃から、僕の芸能生活にずっと隣で伴走してくれている人だ。この世界で数少ない、自然体でいられる相手。
安心するいつものお説教を聞きながら、僕はパサついたパンを黙々と噛み続けた。
「このスタジオの近くに、サンドイッチ専門店もあったんだよ。大人気で、毎日行列ができてるんだって」
「うーん……あんまり興味ないです」
「どうして理央くんは、そんなにコンビニのご飯が好きなんだろうねぇ」
「……さぁ」
子役として駆け上がった代わりに、僕は普通の学校生活も、普通の家庭も知らない。
芸能活動が認められる小学校に入る頃には、両親はすでに離婚していた。元モデルだった母とは金銭のトラブルを機に音信不通となり、今ではどこで何をしているのか分からない。父は業界でも名の知れた事務所で俳優をやっていたが、現在は海外で別の女性と再婚している。保護者としての同意や各種の事務手続きを引き受けてくれているのは、遠く岩手に住む祖父母だけだった。
だから、幼い頃から寂しさや「どうして自分だけ」という疑問を抱えて育ってきた。毎日が宅配の食事か外食で、いつでも同じ場所で買えて、いつでも同じ味がするコンビニの食べ物だけが、いつしか僕の「ほっとする味」になったのかもしれない。そして、こんな不器用な僕を支えてくれる貝元さんと社長は、血のつながりこそなくても、親代わりのような存在だった。
僕が窓の外に視線を逸らすと、貝元さんはそれ以上は聞かず、気まずさを察したようにそっと話題を変えた。
「そういえば、この前話してた引っ越しの件なんだけど。社長が、やっぱり会社で持ってるマンション以外は難しいって」
ルームミラー越しに目が合う。シートから伝わる振動を感じながら、流れていく夜景を見つめて、僕は小さく声を返した。
「えー……。僕が送った物件情報、ちゃんと見てくれたのかな。セキュリティもしっかりしてるし、内装もすごく好きだったのに」
「好きな家に住みたい気持ちは分かるよ」
「じゃあ、なんで」
「あんな手紙を入れられるくらい危険な状態なんだから、今回ばかりは難しいってこと」
吐いた溜息がガラス窓を曇らせ、すぐに消える。好きなデザインの家に住みたい。それがそんなに贅沢な我が儘だとは思わなかった。けれど、言い返す気力も湧いてこない。どうせ僕の意見なんて、最初から通らないのだから。
「警察の指示もあるしね。今週も変わらず、二十四時間体制でSPさんに付いてもらうよ。契約の手続きはもう済んでる」
赤ん坊の頃からテレビに出ている僕は、世間にとって「国民的芸能人」だ。成長を見守られ、親戚の子みたいに親しまれる一方で、ファンとの距離は近くなりすぎたらしい。大勢に愛された代償として、気づけばアンチさえ引くほど歪んだファンが、何人も張り付くようになっていた。
中身を見たらトラウマになりかねないプレゼントが事務所に届くことも、仕事帰りに物陰から執拗に付けられることも日常茶飯事で、そのたびに事務所は公式サイトで注意喚起を重ねてきた。
そしてつい先日、「事件」は起きた。セキュリティ最強と謳われた自宅マンションの郵便受けに、過激なファンからの手紙が、直接投函されていたのだ。
『理央へ。昨日は収録が遅かったのかな?
お部屋の電気がつかないので心配しちゃったよ
愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる』
パソコンの印字ではなかった。定規を当てて無理やり書いたような、角ばった不気味な手書きの文字。その下には「愛してるよ」の羅列が、呪文のように紙面を埋め尽くしていた。
マネージャーも社長も青ざめて大騒ぎし、警察を巻き込んでの即時引っ越しが決まった。決まったのだけれど。
いざ新しい物件を探すと、不動産会社はどこも及び腰だった。住所が特定されれば、ファンが周囲をうろつき、近隣に多大な迷惑がかかる。スクープを狙うマスコミの車が路上駐車を繰り返すかもしれない。僕がどれだけ優等生でいても、芸能人に部屋を貸すのは、大家にとって爆弾を抱えるようなものだ。
おまけに社長が「万が一の責任は取れるのか」とセキュリティ面を厳しく詰めるので、不動産側も「絶対の保証はできません」とさじを投げ、審査に進む前に候補がいくつも消えていった。
「じゃあ、しばらくはホテル暮らしですか?」
「ええと……それがね。すごく言いにくいんだけど、今日から別の『部屋』に一時避難してもらうことになったんだ」
「部屋? もう他の物件が――」
「いや、そうじゃなくて。社長の提案でね。凪斗くんのマンション、最上階のワンフロアを丸ごと借り上げてるのは知ってるだろう?」
「…………」
「エレベーターは専用のカードキーがないと動かないし、オーナーの意向で、敷地内には二十四時間警備員が常駐してる。ストーカーの件を考えると、今は一番安全だし、人目も避けられる。だから、次の家が決まるまで共同生活をしてくれって。社長命令なんだよ……」
「ちょっと待ってください。鍵野凪斗と僕が、一つの家で暮らすってことですか」
バックミラーの中で、貝元さんがばつの悪そうな苦笑いを見せる。思わず身を乗り出した。
街灯の光が車内に差し込み、僕の顔を照らしては、またすぐに闇へ落としていく。シートを掴む指に力がこもった。
「絶対に嫌です。よりによって、なんであいつと」
「理央くんがそう言うだろうと思って、僕も必死に社長を説得したんだよ?」
「それで、社長はなんて?」
「『緊急措置だから』って、押し切られちゃって」
「それなら後輩グループの部屋でも、他の子のところでルームシェアでも……」
「後輩たちはもうグループ単位で暮らしてるし、契約の都合でこれ以上人数は増やせないんだ。凪斗くんのところは、社長が身内用に個人名義で借りてる特別なマンションだからね。社長としても、これが一番安全だっていう判断なんだよ……」
貝元さんの宥める声が、右の耳から左の耳へ抜けていく。頭の芯が怒りと混乱で熱くなり、さっきまで疲れも感じなかった体が、嘘のように拒絶の悲鳴を上げた。
鍵野凪斗。同じ事務所に所属する後輩アイドルで、僕がこの世でいちばん苦手な、いや、嫌悪している相手だ。
初めて会ったのは一年前、事務所の廊下ですれ違ったときだった。打ち合わせ帰りだという鍵野は、先輩の僕に挨拶するどころか、足を止めてこちらの顔をじろじろと眺め、こう呟いた。
『……へえ、生で見るとテレビより覇気ないっていうか、人形みたい。……じゃ、お先しまーす』
長くこの世界にいるけれど、あんなに舐めた態度を取られたのは初めてだった。
鍵野は中学生になるまで芸能界の厳しさも知らず、下積みの経験もない、ただの一般人だった。若手の登竜門と呼ばれるオーディションで拾われた、言ってしまえば「ド素人」のはずだった。
それが、ここ数年で一気に勢いを伸ばし、今ではアイドルの枠を飛び越えて、話題のドラマで助演を務めるまでになった。感情のままにステージに立ち、圧倒的なカリスマ性だけで頂点へ駆け上がる。天才としか言いようがない。
僕が重ねてきたような、泥水をすするレッスンも、血が滲む居残り練習も、あいつはしていない。それなのに、この事務所の看板を背負う僕のすぐ後ろまで迫っている。鍵野の存在は、いつ僕の居場所を奪いに来るか分からない、恐ろしい脅威だった。
「それからね、これは後日、事務所で正式に説明があるんだけど……」
「なんですか?」
僕が鍵野に強い対抗意識を持っていると知っているからか、貝元さんは少し言いよどんだ。それから、諦めを滲ませた諭すような視線を、ミラー越しに向けてくる。
「社長はね、君たち二人にユニットを組ませて、事務所の新しい顔として売り出す計画を立ててるんだ」
「ユニット……」
「正統派トップアイドルの理央と、規格外の天才肌の凪斗。対極にある二人がステージに立つのは、ファンがいちばん熱狂するシンメの構図そのものだからね。水面下では、大手レコード会社やCMのタイアップ枠も動き始めてる。社長はこの共同生活を、ストーカー対策だけじゃなく、その前哨戦にするつもりなんじゃないかな。近いうちに正式な話があると思う」
頭を殴られたような衝撃のあと、どろりとした黒い感情が胸の奥からせり上がってきた。
「僕ひとりの活躍じゃ、会社の数字として足りないってことですか」
「理央くんが一番の稼ぎ頭だってことは、誰よりも社長が分かってるよ」
「だったら、なんで」
「もっと化けるかもしれない、金になると踏んだら、ビジネスはどこまでも容赦なく広がっていくんだ。それが芸能界だから」
貝元さんの静かな声に、それ以上は何も言えなくなった。
無理やり同居させられるというだけで気が狂いそうなのに、その先には「ユニットを組まされる」という最悪の未来まで待っている。ストーカーに怯えて暮らす終わりのない恐怖と、ライバルに生活をかき回される地獄。
どちらを向いても、僕に残されているのは、逃げ場のない道だけだった。
「さぁ、始まりました『BACK☆STAGE TV』! 本日のゲストは、この方。ソロ歌手としてデビューして以来、全シングルでチャート首位を独走。名実ともにトップを走り続ける国民的アイドルでありながら、素顔は現役の男子高校生。橘花理央さんにお越しいただきました。よろしくお願いします!」
強い照明が顔を照らし、いくつものレンズがこちらを向く。マイクを唇に寄せた瞬間、意識は全力のアイドルモードへ切り替わった。
「『BACK☆STAGE TV』をご覧の皆さん、こんばんは。橘花理央です」
首をほんの数度傾け、まつ毛の影が綺麗に落ちるよう目を伏せて、口角をきゅっと引き上げる。子役時代に叩き込まれた動きは、今では反射に近い。スイッチさえ入れれば健気に動く、ぜんまい仕掛けの人形だ。もっとも、そのぜんまいはとうに限界まで巻かれていて、いつ千切れてもおかしくなかった。
「橘花さん、先日リリースされた新曲も大ヒット中ですが、今のお気持ちを率直に聞かせてください!」
「すごく嬉しいです。いつも応援してくださるファンのみなさんのおかげです」
何百回、何千回と繰り返した台詞が、また口から滑り出ていく。
嬉しいのは嘘じゃない。ただ、感情が追いつくより先に言葉を言い終えている自分に、冷えた違和感が残る。頭の中にもう一台カメラがあって、『ありがとうございます』の形に動く僕の口元を、他人事のように見下ろしている感じだ。
会話は心を置き去りにしたまま、先へ先へと流れていく。それなのに僕の意識だけは、数秒前に吐いた『嬉しいです』の残像に縫い留められ、そこから動けずにいた。
「デビューは生後まもなく。歌手としての活動は、まだ最近のことですよね」
「はい」
「これまでの芸能生活で、いちばん印象に残っているエピソードは?」
「うーん、そうですね……」
首を傾げ、人懐っこく笑ってみせる。少し間を置いたほうがインタビューは弾む。それはもう経験則として知っていた。
「子役時代の話なんですけど、ドラマの走るシーンで思いっきり転んじゃって。頭が真っ白になって台詞まで飛んで、NGを五回も出したんです。スタッフのみなさんに申し訳なくて、楽屋に戻ってから大泣きしました。今でもよく覚えています」
スタジオに温かい笑いが広がる。インタビュアーの女性が「可愛い!」と身を乗り出し、僕は「本当に恥ずかしいです」と指先で口元を隠してはにかんだ。
場が求める正解を瞬時に弾き出し、最高の反応を返す。液晶の色味を調整するように、感情のつまみを「愛されキャラ」の目盛りへ少し回すだけ。簡単な作業だ。
ちなみに、楽屋で泣いたのは本当のことだ。でも、理由は申し訳なさだけじゃなかった。七歳の僕が本当に怖かったのは、「橘花くんなら出来る」という大人の期待を裏切って、自分の価値が消えてなくなることだった。
あれから十年。消えてしまいたいほどの怯えは、少しも薄れていない。ただ上手く畳んで、すました笑顔の下にしまい込んでいるだけだ。
(喉、乾いたな。もう少しで終わるけど、カメラを止めて水を飲んだらスタッフさんの手間になるし……やっぱり我慢しよう)
「芸歴イコール年齢ということで、今年十七歳を迎えますね。これからの目標を教えてください」
「もっと成長して、ファンのみなさんに『応援してよかった』と思ってもらえる存在になりたいです」
また満点の答えだ。これでいい、と自分に言い聞かせる。
みんなが満足して、みんなが幸せなら、それが一番いいんだから。
「お疲れ様でした! 本日の収録、終了でーす」
カメラが止まっても張りつめたまま、深く頭を下げた。照明が落ち、撤収でごった返すスタジオを、ケーブルを束ねるADさんや重い機材を運ぶアシスタントさんと一人ずつ目を合わせ、「ありがとうございました」と声をかけながら通り抜ける。
この感謝も本物だ。けれど、それだけじゃない。手のかからない使いやすい子でいられれば、また呼んでもらえるかもしれない。そんな打算も混じっていた。
「橘花くん、今日もすっごく良かったよー!」
「ありがとうございます。美崎さんのメイクのおかげで、自信を持ってカメラの前に立てました」
朝早くから僕を整えてくれたメイクさんに、品よく微笑み返す。おむつの頃から「良い子」で通してきたのだから、こういうリップサービスは得意だ。
ただ、「感じのいい橘花理央」を演じ切ってほっとしている自分に気づくたび、胸が締めつけられる。心のどこかで、もう一人の僕が「嘘つき」と指をさしていた。
気を緩めかけたところに、廊下の向こうからスタッフさんたちの声が漏れ聞こえる。
「本当に良い子だよね、橘花くんって。いつも謙虚で、全然偉ぶらないし」
「どこの現場でもそうらしいですよ。完璧ですよね」
褒められるのは、本当はすごく嬉しい。ありがたいくらいだ。
それなのに、控室の扉をパタンと閉めた途端、胸の底に重い鉛が落ちた。良い子。謙虚。感じがいい。ラベルを貼られるたび、本当の僕は透き通って、薄くなっていく気がする。
良い子でいるのは、嫌われるのが死ぬほど怖いから。謙虚なのは、自信がなくて怯えているから。誰かに本気で怒ったこともなければ、現場でわがままを言って困らせたこともない。この顔の裏にある濁りきった本音を見せたら、みんな一瞬でいなくなるに決まっている。
「……バカみたい」
鏡の前に立つと、さっきまでの笑顔の名残が映っていた。剥がし方を忘れた仮面みたいに、口角だけが上がったまま固まっている。
誰も見ていないのに、どうして僕はまだ笑っているんだろう。
指先で唇の端をそっと押し下げてみる。現れたのは、ひどく不機嫌で寂しそうな顔だった。誰も知らない。誰にも見せたことがない。急に自分の顔が気味悪くなって、鏡の中の僕から逃げるように目を逸らした。
***
「いいねー、理央くん、目線こっちにくださーい」
――カシャ、カシャシャシャ。
息をつく間もなく、番組収録の次は雑誌のグラビア撮影だ。まばゆいフラッシュを浴びながら、次のセットへ連れて行かれる。この世界に入った頃は、作り込まれた美術セットのひとつひとつが楽しくて食い入るように観ていたのに、今はそんな余裕もない。
メイクさんが前髪をコームで整える数秒の隙に、ストローを挿したペットボトルから、ほんの少しだけ水を流し込んだ。
「理央くん! 向こうに差し入れがありますけど……」
「大丈夫です、押しているので」
朝も昼も、まだ何も食べていない。そもそも、食べる時間など一分も用意されていなかった。分刻み、いや秒刻みのスケジュールには、心も体もとっくに慣れている。
「お腹がすいた」「疲れた」。そんな当たり前の体のサインを誤魔化し続けるうち、いつの間にか、ほとんど感じ取れなくなっていた。
「撮影はじめまーす」
「はい、お願いします」
「もう少しアンニュイな感じもらっていい? そう、それ。最高!」
カメラマンの注文に合わせて、顔の角度を何度も変える。レンズに無垢な上目遣いを向け、ふっと熱を抜くように視線を横へ流す。求められるポーズ、求められる表情。すべてを頭の中でなぞり、さらに十数カットを撮り終えたところで、ようやく終了の声がスタジオに響いた。
「お疲れ様でした」
楽屋に戻ると、衣装のシャツをハンガーに掛け、私服のパーカーに袖を通した。首をゴキ、と鳴らそうとしたところでドアがノックされ、慌てて背筋を正す。
「橘花さん、マネージャーさんの車、地下の関係者専用口に来てます」
「分かりました、ありがとうございます」
早足で地下駐車場へ向かい、アイドリング中のミニバンに乗り込む。後部座席に倒れ込むように体を投げ出した。
「お疲れ様、理央くん。はい、頼まれてたやつ」
運転席の貝元さんが渡してくれたコンビニの袋には、ミックスサンドと、いつもの野菜ジュースが入っていた。
「貝元さん、ありがとう」
パッケージをびりっと豪快に破く。カメラの前の「綺麗な橘花理央」はどこかに置き忘れてきた。乱暴に引きずり出したサンドイッチを大口で押し込み、ぐしゃぐしゃに丸めた包装をシートの脇へ放ると、バックミラー越しに見ていた貝元さんが、ため息まじりに笑った。
「こら、車内をゴミ箱にしない」
「だって、ゴミ箱が遠い……」
「何年経っても、そこだけは小学生の頃から変わらないんだから」
慣れた手つきでゴミを拾い上げる。小学生の頃から、僕の芸能生活にずっと隣で伴走してくれている人だ。この世界で数少ない、自然体でいられる相手。
安心するいつものお説教を聞きながら、僕はパサついたパンを黙々と噛み続けた。
「このスタジオの近くに、サンドイッチ専門店もあったんだよ。大人気で、毎日行列ができてるんだって」
「うーん……あんまり興味ないです」
「どうして理央くんは、そんなにコンビニのご飯が好きなんだろうねぇ」
「……さぁ」
子役として駆け上がった代わりに、僕は普通の学校生活も、普通の家庭も知らない。
芸能活動が認められる小学校に入る頃には、両親はすでに離婚していた。元モデルだった母とは金銭のトラブルを機に音信不通となり、今ではどこで何をしているのか分からない。父は業界でも名の知れた事務所で俳優をやっていたが、現在は海外で別の女性と再婚している。保護者としての同意や各種の事務手続きを引き受けてくれているのは、遠く岩手に住む祖父母だけだった。
だから、幼い頃から寂しさや「どうして自分だけ」という疑問を抱えて育ってきた。毎日が宅配の食事か外食で、いつでも同じ場所で買えて、いつでも同じ味がするコンビニの食べ物だけが、いつしか僕の「ほっとする味」になったのかもしれない。そして、こんな不器用な僕を支えてくれる貝元さんと社長は、血のつながりこそなくても、親代わりのような存在だった。
僕が窓の外に視線を逸らすと、貝元さんはそれ以上は聞かず、気まずさを察したようにそっと話題を変えた。
「そういえば、この前話してた引っ越しの件なんだけど。社長が、やっぱり会社で持ってるマンション以外は難しいって」
ルームミラー越しに目が合う。シートから伝わる振動を感じながら、流れていく夜景を見つめて、僕は小さく声を返した。
「えー……。僕が送った物件情報、ちゃんと見てくれたのかな。セキュリティもしっかりしてるし、内装もすごく好きだったのに」
「好きな家に住みたい気持ちは分かるよ」
「じゃあ、なんで」
「あんな手紙を入れられるくらい危険な状態なんだから、今回ばかりは難しいってこと」
吐いた溜息がガラス窓を曇らせ、すぐに消える。好きなデザインの家に住みたい。それがそんなに贅沢な我が儘だとは思わなかった。けれど、言い返す気力も湧いてこない。どうせ僕の意見なんて、最初から通らないのだから。
「警察の指示もあるしね。今週も変わらず、二十四時間体制でSPさんに付いてもらうよ。契約の手続きはもう済んでる」
赤ん坊の頃からテレビに出ている僕は、世間にとって「国民的芸能人」だ。成長を見守られ、親戚の子みたいに親しまれる一方で、ファンとの距離は近くなりすぎたらしい。大勢に愛された代償として、気づけばアンチさえ引くほど歪んだファンが、何人も張り付くようになっていた。
中身を見たらトラウマになりかねないプレゼントが事務所に届くことも、仕事帰りに物陰から執拗に付けられることも日常茶飯事で、そのたびに事務所は公式サイトで注意喚起を重ねてきた。
そしてつい先日、「事件」は起きた。セキュリティ最強と謳われた自宅マンションの郵便受けに、過激なファンからの手紙が、直接投函されていたのだ。
『理央へ。昨日は収録が遅かったのかな?
お部屋の電気がつかないので心配しちゃったよ
愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる』
パソコンの印字ではなかった。定規を当てて無理やり書いたような、角ばった不気味な手書きの文字。その下には「愛してるよ」の羅列が、呪文のように紙面を埋め尽くしていた。
マネージャーも社長も青ざめて大騒ぎし、警察を巻き込んでの即時引っ越しが決まった。決まったのだけれど。
いざ新しい物件を探すと、不動産会社はどこも及び腰だった。住所が特定されれば、ファンが周囲をうろつき、近隣に多大な迷惑がかかる。スクープを狙うマスコミの車が路上駐車を繰り返すかもしれない。僕がどれだけ優等生でいても、芸能人に部屋を貸すのは、大家にとって爆弾を抱えるようなものだ。
おまけに社長が「万が一の責任は取れるのか」とセキュリティ面を厳しく詰めるので、不動産側も「絶対の保証はできません」とさじを投げ、審査に進む前に候補がいくつも消えていった。
「じゃあ、しばらくはホテル暮らしですか?」
「ええと……それがね。すごく言いにくいんだけど、今日から別の『部屋』に一時避難してもらうことになったんだ」
「部屋? もう他の物件が――」
「いや、そうじゃなくて。社長の提案でね。凪斗くんのマンション、最上階のワンフロアを丸ごと借り上げてるのは知ってるだろう?」
「…………」
「エレベーターは専用のカードキーがないと動かないし、オーナーの意向で、敷地内には二十四時間警備員が常駐してる。ストーカーの件を考えると、今は一番安全だし、人目も避けられる。だから、次の家が決まるまで共同生活をしてくれって。社長命令なんだよ……」
「ちょっと待ってください。鍵野凪斗と僕が、一つの家で暮らすってことですか」
バックミラーの中で、貝元さんがばつの悪そうな苦笑いを見せる。思わず身を乗り出した。
街灯の光が車内に差し込み、僕の顔を照らしては、またすぐに闇へ落としていく。シートを掴む指に力がこもった。
「絶対に嫌です。よりによって、なんであいつと」
「理央くんがそう言うだろうと思って、僕も必死に社長を説得したんだよ?」
「それで、社長はなんて?」
「『緊急措置だから』って、押し切られちゃって」
「それなら後輩グループの部屋でも、他の子のところでルームシェアでも……」
「後輩たちはもうグループ単位で暮らしてるし、契約の都合でこれ以上人数は増やせないんだ。凪斗くんのところは、社長が身内用に個人名義で借りてる特別なマンションだからね。社長としても、これが一番安全だっていう判断なんだよ……」
貝元さんの宥める声が、右の耳から左の耳へ抜けていく。頭の芯が怒りと混乱で熱くなり、さっきまで疲れも感じなかった体が、嘘のように拒絶の悲鳴を上げた。
鍵野凪斗。同じ事務所に所属する後輩アイドルで、僕がこの世でいちばん苦手な、いや、嫌悪している相手だ。
初めて会ったのは一年前、事務所の廊下ですれ違ったときだった。打ち合わせ帰りだという鍵野は、先輩の僕に挨拶するどころか、足を止めてこちらの顔をじろじろと眺め、こう呟いた。
『……へえ、生で見るとテレビより覇気ないっていうか、人形みたい。……じゃ、お先しまーす』
長くこの世界にいるけれど、あんなに舐めた態度を取られたのは初めてだった。
鍵野は中学生になるまで芸能界の厳しさも知らず、下積みの経験もない、ただの一般人だった。若手の登竜門と呼ばれるオーディションで拾われた、言ってしまえば「ド素人」のはずだった。
それが、ここ数年で一気に勢いを伸ばし、今ではアイドルの枠を飛び越えて、話題のドラマで助演を務めるまでになった。感情のままにステージに立ち、圧倒的なカリスマ性だけで頂点へ駆け上がる。天才としか言いようがない。
僕が重ねてきたような、泥水をすするレッスンも、血が滲む居残り練習も、あいつはしていない。それなのに、この事務所の看板を背負う僕のすぐ後ろまで迫っている。鍵野の存在は、いつ僕の居場所を奪いに来るか分からない、恐ろしい脅威だった。
「それからね、これは後日、事務所で正式に説明があるんだけど……」
「なんですか?」
僕が鍵野に強い対抗意識を持っていると知っているからか、貝元さんは少し言いよどんだ。それから、諦めを滲ませた諭すような視線を、ミラー越しに向けてくる。
「社長はね、君たち二人にユニットを組ませて、事務所の新しい顔として売り出す計画を立ててるんだ」
「ユニット……」
「正統派トップアイドルの理央と、規格外の天才肌の凪斗。対極にある二人がステージに立つのは、ファンがいちばん熱狂するシンメの構図そのものだからね。水面下では、大手レコード会社やCMのタイアップ枠も動き始めてる。社長はこの共同生活を、ストーカー対策だけじゃなく、その前哨戦にするつもりなんじゃないかな。近いうちに正式な話があると思う」
頭を殴られたような衝撃のあと、どろりとした黒い感情が胸の奥からせり上がってきた。
「僕ひとりの活躍じゃ、会社の数字として足りないってことですか」
「理央くんが一番の稼ぎ頭だってことは、誰よりも社長が分かってるよ」
「だったら、なんで」
「もっと化けるかもしれない、金になると踏んだら、ビジネスはどこまでも容赦なく広がっていくんだ。それが芸能界だから」
貝元さんの静かな声に、それ以上は何も言えなくなった。
無理やり同居させられるというだけで気が狂いそうなのに、その先には「ユニットを組まされる」という最悪の未来まで待っている。ストーカーに怯えて暮らす終わりのない恐怖と、ライバルに生活をかき回される地獄。
どちらを向いても、僕に残されているのは、逃げ場のない道だけだった。



