【完結】音と味のあいだで恋をした

 【朝霧side】


 あぁ、今日はなんだか力が入らない。

 教室に入って早々、気分がすぐれなかった。
 朝から続く頭痛とめまいが、ひ弱な身体を容赦なく突き刺してくる。

「……いてぇ」

 周りの声がやけに響いて、視界も少し歪む。
 机に突っ伏しても治ることはない。けれど、多少はましになった気がした。

 しかも今日は寝不足だ。ひどく眠い。
 今日くらい休めばよかったかもしれない。

 でも、小日向に会いたいし、話したい。

 最近の幸福といえば、小日向と話すことくらいだ。

「よっ。今日も暗いね」
「……なんだ、相良(さがら)かよ」

 こいつはこいつで元気すぎないか?

「なんだってなんだよ」

 笑いながら俺の肩を遠慮なく叩いてきて、思わず、いてーな、と口を突く。

「ごめんてー」

 いつものことだから、今さら怒る気にもならないが……。

「ちょっと静かにしてくれ」
「はーい」

 相良は素直に前の椅子へ腰を下ろし、そのまま本を読み始めた。
 こういう潔さがあるから、なんだかんだ憎めない。


 ===


 昼休みの開始を告げるチャイムが、教室越しに頭へ響く。
 俺は逃げるように教室を出た。

「また、あの子のところ~?」
「そうだよ」
「そろそろ俺とも食べようよ」
「無理」

 足止めしてくる相良を背に、小日向のクラスへ向かう。

「おい、小日向はいるか?」

 教室の中を覗くと、小日向と――また、あいつがいた。

 誰だよ、あいつ。
 何を話してるんだ。

 小日向は少し会話を済ませると、こっちへ走ってきてくれた。
 目を輝かせて駆け寄ってくる姿が、なんだかフェレットみたいでかわいい。

「……行くぞ」
「はい!」

 小日向。お前は、俺といた方が楽しいだろう?

 そんな言葉、本人に届くはずもない。
 でも、それでいい。俺のそばで笑っていてくれたら、俺と話してくれたら、それでいい。

 去り際、小日向と話していたあいつに向かって、べーっと舌を出す。

 ふっ、勝ったぜ。

 どうやらクリーンヒットしたらしく、そいつが膝から崩れ落ちたのが、ドアの隙間から見えた。


 ===


「入ってどうぞ」
「ありがとうございます!」

 軽音室に着くなり、俺は小日向が作ってくれた弁当を床に置いた。
 小日向は自分の弁当を取り出しながら、食べる俺を見守っている。

 これが、最近の俺たちのルーティンみたいなものだ。

 食べ終わったら少し話して解散。
 いつもならそうなのに、今日の俺はどうにも体力が持たなかった。

 視線が落ちる。肩も揺れる。
 気づいて戻しても、また同じことを繰り返す。

 小日向が心配そうに見ているのは分かっていた。
 でも、今は睡魔に逆らえない。

「また寝てないでしょ」

 寝られなかったのは本当だ。
 だから否定できない。

 それに、お前のことを考えすぎて寝られなかった、なんて言ったところで信じないだろうし。

「……別に」
「ご飯も食べてないよね?」
「平気」

 行き当たりばったりの返事だけが並ぶ。
 どうしても視線は机に落ちたままだ。

「平気じゃないでしょ」

 平気……ではない。
 けど、お前と話したい。そばにいたい。

 俺がいなかったら、お前はまたあいつと食べるんだろ。
 話すんだろ。
 俺以外に、あのかわいい笑顔を向けるんだろ。

 そんなの、嫌だ。

 俺だけを見てほしい。

 言いたいのに、言えない。
 体調が悪いからとか、声が出ないからとか、そういう話じゃない。

 これはきっと――小日向に対する、独占欲だ。

「……」
「休んでよ。頼ってよ」

 頼ったら、お前は心配するだろう?

 ただでさえ自分のことに無頓着なのに、俺のことまで考えたら、絶対にまた飯を抜いたり、自分を後回しにしたりする。

 嬉しい。
 嬉しいけど、それは嫌だ。

 俺のことを考えてくれるのが嬉しい、なんて気持ちより、心配の方がずっと大きい。

「そういうの、やめてくんない?」

 あ、やべ……。

「え?」
「分かったような言い方やめろ!」

 ダメだ。
 俺、そんなことを言いたいわけじゃないのに、歯止めが効かない。

 違うんだ。
 違うんだよ、小日向。

「……お前に俺の何が分かるんだよ!」

 思いきり床を叩く音が響く。
 手のひらがじんじんと痛んだ。

 小日向は何も言わないまま、俺のそばからいなくなった。

 違うんだ。ごめん。

「ごめんな……」

 小日向の前だと、なぜか自分の本音――いや、気持ちそのものが、うまく伝えられない。

 俺の気持ちだけが、扉の開いた軽音室に置き去りにされたみたいに、どこにも行けずにいた。

 涙だけがじわりと滲んで、胸の奥に沁みていく。

 目の前には、中身がほとんどなくなった弁当箱と、くしゃくしゃに潰れたパンの袋。
 さっきまで小日向がいた場所だけが、妙に静かだった。

 追いかけないと。
 謝らないと。

 そう思うのに、身体が動かない。
 まるで椅子に縫いつけられたみたいに、立ち上がれなかった。

 俺が怒ったのは、小日向が俺の体調を気にしたからじゃない。

 小日向。
 お前が、俺のことばかり心配して、自分の体調を無視するかもしれないって思ったからだ。

 ごめんな、小日向……。

 どれくらい時間が経ったのか分からない。
 けれど、さっきまであの席にいた小日向の姿だけは、まだはっきり思い出せる。

 歪む視界に耐えきれず、俺は顔を伏せた。

 いや、違う。
 それはただの言い訳かもしれない。

 もしかしたら俺は、小日向が戻ってくるかもしれないと期待して、こんな情けない姿を見られたくなくて、うずくまっているだけなのかもしれない。

 自分でも、なんであいつにこの気持ちを言えないのか分からない。

 ごめ――

「朝霧!」