【完結】音と味のあいだで恋をした

 どうしよう……。
 眠れない。
 目を何度も閉じては開く。
 寝る直前まで携帯を触っていたせいでもあるが、もともと携帯を見ないようにした目的は、『朝霧』が脳裏を過るから。
 また、眠れないのも『朝霧』のことが頭に浮かぶから。
 どうしても携帯で面白い動画でも、可愛い動物の動画でも見ようとしてしまうが、結果は『朝霧』についてばかり考えてしまう。
 考えないようにしても、テストのことや、もうすぐ始まる学園祭の準備。
 そして朝霧……。
 なんで、朝霧くんが?
 恋してると言ってしまえば良いものなんだろうが、一番に心配が大きかった。
 何度か見かけた教室で眠る朝霧。
 放課後に眠る朝霧。
 いつ、どこで見ても大半は寝てる。
 この二択だ。

「いつ寝てるの? 朝霧くんは」

 気づけば口に漏らしていた。
 だけど、それほど心配になるほど、情報が多すぎる。
 布団で顔を隠すけど、ただ熱いだけ。
 息しづらい……。
 布団を下ろして熱い空気を逃がす。
 静かな天井が目に入る。

 考え直してみると、好きな歌い手の動画を見て眠れなくなることはある。いろんな動画を見あさったり、余韻を噛みしめてみたり。
 それで寝不足になることもあるにはある。
 それとは違った気持ち。
 もし、推しならかっこいい、美しいって思って……。
 これだ、って言い表すのは難しいけど、でも心の中では違うって思う。
 かっこいい、そう思って終わるはずの推し。
 だけど、朝霧くんがきちんと食べて、寝てるか。
 そんなことばかり考える。
 いや、気持ち悪いくらい変だ。

「……これ、推しとは言えないような」

 口に出した瞬間、急に体が熱くなる。


 ===


 今日の朝霧くんは、いつもと違っていた。
 昼時間、眠たそうに体を揺らしているが、寝ようとしない。

「また寝てないでしょ」
「……別に」

 それに、顔色が悪い気がする。

「ご飯も食べてないよね?」
「平気」

 平気な顔には見えない。
 机に突っ伏したまま、返事だけが軽く短い。

「平気じゃないでしょ」
「……」
「休んでよ。頼ってよ」

 重たい沈黙が漂う。

「そういうの、やめてくんない?」

 低い声が僕の耳に止まる。

「え?」
「分かったような言い方やめろ!」

 声が震えていた。

「……お前に俺の何が分かるんだよ!」

 思いっきり床を叩く音。
 肩が跳ねた。
 心臓の鼓動が早くて痛い。
 初めてだった。
 こんな顔をする朝霧くんが。

 僕は何か口にすることもなく、軽音室を出た。
 昼時間のあの言葉が、廊下に響いているように思えた。

『お前に俺の何が分かるんだよ!』

 違うんだ……。
 僕は分からないから知りたい。
 そんな言葉が言えれば良かった。
 弁明すれば、あれほどにはならなかったはずだ。
 どうしても言えなかった。

 気づけば、誰もいない調理室に来ていた。
 あぁ、やっぱり僕の居場所はここなのかな。

「……ねぇ」

 振り返ると、ツーくんが仁王立ちで汗をかいていた。

「さっき……走っていく………小日向を……見つけて」
「あ、ごめん」

 心配させちゃった……。ツーくん、ごめん。

「あの人と、何かあった?」

 ツーくんが僕の横に座る。

「……」

 何かあったのは図星だから、どうしても黙ってしまった。

「何かあったんだな」
「……うん」
「何があったかは分からないけど、お互いにきちんと話し合うべきだよ。もし、このままの関係になれば、話さなくなって、小日向は落ち込むと思う」

 予想はしてたけど、実際に言われると胸が痛い。

「自分から行動しないと、変わるものも変わらないから」
「……なるほど」
「例えば、喧嘩してるのなら、どうしてそうなったのか、誰が原因なのかじゃなくて、今後どうしていくかを話し合うべき」
「……はい」
「小日向は、あの人のこと、どう思ってるの?」
「……それは」

 言葉が喉に詰まる。
 推しだって言いたいのに、言い切れる自信がない。
 好き。
 好きだけど、推しとは違う。

「腐男子の俺からしたら“推しにする”反応じゃない」

 言い返すことができない。
 また脳裏に浮かぶ朝霧の顔。

「え?」
「朝霧くんだから嫌」

 口にした瞬間、気持ちが大きく跳ねた。
 ツーくんが微笑む。

「分かったら行ってこい!」

 ツーくんの強くて勇ましい手が、僕の背中をパシンと叩く。

「ありがとう!」


 ===


「朝霧!」

 軽音室に響き渡る自分の声。
 そこにいたのは、体を丸めて縮こまった朝霧だった。

「ねぇ、朝霧」
「な、なんだよ……」

 掠れた声だった。
 朝霧は膝を抱えるように座って、顔を上げてくれない。いつもの眠そうな顔じゃない。

「……無理してるじゃん」
「してねぇ」
「してるよ」

 即答すると、朝霧の肩が揺れた。
 軽音室の時計の音だけがやけに響く。

「なんで戻ってきたんだよ」

 雫が落ちたような声。
 責めているような、怯えているような曖昧さがあった。
 僕は言葉に詰まった。
 自分でも分からない。
 あの後すぐに帰れたはずなのに。

「……分かんない」
「は?」
「分かんないけど、朝霧が気になった」

 自分で言って、一番驚く。
 朝霧がようやく顔を上げる。

「……推しだから?」

 いつも通りの冗談みたいに言われたはずなのに、その声は少しだけ弱い。
 でも僕はそれどころじゃなかった。

「それも、ある」
「 “も”?」
「違う……」

 逃げみたいな答えだった。けれど、嘘でもなかった。
 朝霧は数秒黙って、小さく息を吐く。

「変なやつ」
「朝霧にだけは言われたくない」
「うるせ」

 段々と、いつもの声に戻っていた。
 少し勝手だけど、安心する。

 窓の外は、もう暗い。
 時計を確認すると、帰らなきゃいけない時間だった。

「……明日も来る?」

 不意に朝霧が言った。

「軽音室」

 僕はその一つの単語に敏感に反応する。

「え、来てほしいの?」
「別に。来たきゃ来れば」

 ぶっきらぼうだけど、さっきより声が少し軽い。

「行くよ」
「……そ」
「推し活、続けないとだし」
「それ、まだ言うんだ」
「だって推しでもあるもん」

 朝霧は少しだけ呆れたように笑う。
 その表情を見て、僕もやっと肩の力を抜いた。

「じゃ、また明日」
「……おう」

 扉を閉める直前。

「小日向」
「ん?」

「……(しゅう)、ありがと」

 振り返った頃には、朝霧の表情は柔らかくてにこやかだった。
 聞き間違いかもしれない。
 でも。

 ──明日も来よう。