音と味のあいだで恋をした

「やばい、携帯忘れたかも……」
 放課後の賑わった校門前。
 この時間には、親の迎えメッセージが送られているころなのだが、今はメッセージ音はおろかバイブレーションすらも感覚が教えてくれない。
 鞄の中に手を入れるが、携帯らしきものは見当たらない。
 なんで、と考えながら、目を向ける。
 ない、ない⁉ なんで⁉
 あ、机の中に入れっぱなしにしてたじゃん。
 まじか……。仕方ない、取りに戻るしかない。
 ため息を吐きながら踵を返す。
「あれ、小日向じゃん。どうした?」
「ツーくん! いやー、携帯忘れちゃって」
「やらかしたな」
「やらかした」
 早く行こう、行こうとその場で足踏みをしていると、ツーくんが察してくれた。
「急げ、もうすぐで教室戸締りの時間だぞ」
「はーい!」
 ツーくんと別れてからは猛ダッシュで教室に駆け込み、扉を閉めようとしていた先生に、忘れ物か、分かった。他の教室を先に戸締りするから終わったら声をかけなさい、と言われる。
 急いで机に視線を落とすと、忘れ去られていた携帯があった。
 良かった…。
 携帯には通知が一件。
 迎えに来てくれた母からのメッセージ。
 やべ、早く帰らないと怒られる。
 焦りから教室に来たよりも足が速い気がした。

 走っている時に、ふと考えたことがある。
 朝霧くんって部活してるのかな。
 玄関へ行く廊下とか少しズレるが寄ってみることにした。

 ===

「………勝手だろ!」
 誰の気配もしない廊下の先にあるのは一つの扉。
 その扉の上には、木製の標識に『軽音室』と書かれていた。
 なんだ?
 扉の先から聞こえた声を頼りに覗く。
 朝霧くんだ。
 他はいなさそう?
 中にいたのは朝霧だけで誰もいない。だけど、声はする。
 電話でもしてるのかな。
「音楽なんかやめ……まえ。進路のこ………えろ」
 薄い紐のような乏しい声が朝霧の手元から発せられる。
「……うるさい! 俺は音楽がしたいんだ‼」
 太く重い声。
 朝霧くんが、怒ってる?
 初めて見るかも、暗い朝霧くん。
「もういいだろ! 俺を置いて海外に行った野郎に言われたくないんだよ‼ もう俺のことはほっといてくれ!」
 聞いちゃマズかったか?
 聞いちゃいけないことだろうけど、耳に届いてしまう。
 姿勢を落として下に視線を向く。
 怒号混じりの電話が終わるのを待つ。
「……おい、お前なにしてんだよ」
 顔を上げると僕を見つめる朝霧くん。
「…あ、もう電話終わったの?」
「終わったけど、聞いちゃった?」
 少しの沈黙。
 正直に話せば少しは許してくれるかもと思い、首を縦に振る。

「お前は……」
 不満の手が僕の頭を撫でる。
 髪が乱れてボサボサになる。
「朝霧くんって、なんで頭撫でるの?」
「んー、つい? 思いとは関係なく撫でる……かもな」
 僕が相槌する寸前に、チャイムの音が校内にこだまする。
「もうこんな時間か」
 壁に掛けられた針時計を眺めて朝霧がそう言った。
 ちょうど、短い針が六つを指す。
「車で帰るから校門まで一緒に帰りませんか?」
 床に寝ていたギターをケースに戻す朝霧は、小さく了承のサインを見せてくれた。
 
 
 放課後の廊下は静かで色鮮やかだ。
 窓から差し込む夕日の光は身長の高い彼に当たって、必然的に僕は影に隠れる。
 その影はいつもより暗く、寂しさを覚える。
「……大丈夫?」
 沈黙が僕の身体を刺す。
「…………俺さ、人の前で本音を言うのが苦手なんだよ。中学の時に笑われた時があったんだ」
 
 
 ===
 
 
 俺は昔から歌が好きだった。
 歌には自分の言葉や本音が描けて人に伝えられる。
 そんなきれいごとのようなものがとても好きだった。
 中学二年になって、教室の机にポツリとノートと目を合わせる。
 教材のノートは、それほど筆は進まないが、このノートだけは何度も何度も、進めては止めてを繰り返す。
 この部分は……。
「お前名に書いてるの?」
 名前も分からないクラスメイトが俺のノートを盗んで、何人かと読みあう。
 その時間は嫌いだった。
「何このノート。ポエムじゃん、やば」
 そう何回も読んでは文句を繰り返してきやがる。
「やめて、返せよ!」
「やめろよ」
 椅子に座る人と立っている人では、行動範囲が不利だ。
 あいつは、後ろに退いては読み続ける。
 やめろ、やめろ、やめろ!
 心の中で叫んでも通じない。分かってるけど、言わねば気持ちは落ち着かない。
 あの時から、俺は信用することが難しくなった。誰にも見せたくなかった。見られたら何言われるかなんて分からないし、言われたとしても(ろく)なことがない。
 だけど。


 ===


「だけどな、お前があのノートを褒めてくれたから、認めてくれたから、安心して書けるんだよ」
 聞いていた僕は、朝霧くんが話している途中に立ち止まっていたみたい。
 朝霧が少し手の届きそうな距離にいる。
「そ、そっか……。なら良かった」
 彼は、僕の言葉に安堵したのか、笑って目と口が弧を描く。
 その綺麗な顔を見た瞬間、胸のどこかがチクリと刺されたような、握られたような、痛みはないはずなのに、少しこの気持ちに嫌悪感を抱いた。
 なぜこんな気持ちになるかは分からない。
 だけど勘ではこのままじゃダメだと思った。
 恋愛として恋なのか、はたまた推しとしての愛なのか。
 分からないが、どうしても考えることがある。
 きっと前者なんだろうと。
 だけど、僕は朝霧くんに推しとして大好きと言ってしまった矢先、急に恋愛として好きなんて言われたらきっと朝霧くんも困るだろう。
 隠しておこ……。
「お前って……変な奴だよな」
 へ?
 急な罵声? のような言葉に口が開いたまま。
「なぜに?」
 理解できずに思わず首を傾げて聞き返す。
「俺のあのノート好きとか、俺のこと推しとして好きとか…。諸々込みで」
「そんなことないよ!」
「いやあるね」
「ない!」
「ある」
 レスポンスを繰り返す。
 結局、勝利したのは朝霧だった。
「じゃあ、また明日だな」
「……次は勝つ!」
「がんばれー」
 気持ちのこもってない言葉に頬を膨らませるが、彼は去ってしまった。
 次は絶対に勝つ!