「皐月、トリック・オア・トリート!」
「…………は?」
登校して一番に俺の机に来たかと思えば、キラキラとした眼差しでこちらに手を向けてくる司に思わず間抜けな声が漏れる。
「お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ〜!」
「ほい」
イタズラする気満々な、期待に満ちた笑みで見下ろされる。俺は机の横にかけた鞄からキャンディーを取り出して、司の手のひらに置いた。特大サービスで三つも。
司はマジマジと自分の手のひらに置かれたキャンディーを見つめ、グッと握り込んだ。そしてダンッと俺の机に倒れ込む。
「——っんで持ってんだよ!」
「母さんがこういう行事ごと好きな人なんだよ。朝持たせてくれた」
「お義母さんッッッ!」
「だれがお前のお義母さんだ」
流石に気が早すぎるだろ。
俺のツッコミをよそに、司は頭を抱え、ゔーっと唸りだした。なんだなんだ、朝から一体なんなんだ。
大きなため息を吐いて、司はキャンディーを見つめた。
「あーあ、皐月にイタズラするの楽しみにしてたのに……」
「こっわ!? 何するつもりだったんだよ」
危ない危ない。お母さん本当にありがとう、おかげで息子は助かりました。帰ったらいつも以上にお手伝いします。
そんな決意と同時に、司の不可解な行動の理由が分かった。
(なるほど、ハロウィンか)
今日は10月31日――ハロウィンだ。
俺が普段お菓子なんて持ち歩いていないとわかっているから、司は今日俺にイタズラする気満々だったのだろう。
確かに、俺自身はそこまで行事ごとに積極的ではないというか、やってもやらなくてもどっちでもいい派なのだが、先程話した通り母親が行事大好きマンなのだ。小さい頃からハロウィン、クリスマス、こどもの日などに家族パーティーが開かれるくらいには。
今日も朝からテンションの高い母親に「皐月、ハッピーハロウィン!」なんて言いながらお菓子を渡されたし、きっと帰ったらお菓子の山がリビングで待ち構えているはずだ。
まあそんなことは置いといて。
母親のおかげでイタズラを回避し安堵している俺とは対照的に、司は俺にイタズラできなかったショックが大きいのか未だにメソメソとうなだれていた。
頭から大きな犬耳が垂れ下がっているのが見える。なんなら尻尾もへにょっているだろう。なんだか可愛く思えてきてしまって、漆黒の髪をわしゃわしゃと撫でる。
髪がボサボサになってしまったので手櫛で少し整えてやると、司が伺うように目線を上げた。体制的に上目遣いになっているが、まあこの美貌のため嫌でも似合うというか、可愛い。きっとこれは恋人の贔屓目とかではなく、十人が見たら百人が可愛いと言うだろう。美形って特だな、ほんと。
「ほら、ホームルーム始まるぞ」
早く自分の席に戻れと肩をポンポンと叩くと、恨めしそうな顔で見つめられる。
「……皐月の意地悪、バカ、あんぽんたん」
「なんでだよ、俺何もしてないじゃん。……ほんと、どんなイタズラする気だったんだよ」
ここまでヘこまれると逆に仕掛けようとしていたイタズラが気になってくる。……いや、どうせ碌でもないものだ。聞かないでおこう。
その時、ホームルーム五分前の予鈴が鳴り響いた。
「ほら司、早く戻れ」
「……わかった」
司は肩をがっくりと落とし、トボトボとおぼつかない足取りで自分の席に戻っていく。何度かチラッとこちらを振り返るので「はやく座れ」と意味を込めて手を払うと、ため息をついて前を向く。
――いや、どんだけショック受けてるんだよ。
その日、司はいつもの元気はどこに置いてきたのか心配になるくらい覇気がなかった。
◇◇◇
今日はお互い部活がなかったので一緒に帰ることになった。冷たい秋風が肌に突き刺さる。身体がブルっと震えて、腕をさすった。
「さっむ」
「もう11月になるもんな〜」
葉はほとんど落ち、月が昇るのも早くなった。
はーっと手に息を吹きかける。擦ると少しだけ温かい。吐いた息が白くなるのもそう遠くはないだろう。
(カーディガンだけで来たの、失敗だったな)
気候が不安定なこの季節、朝暖かかったからといって油断してはいけないことを忘れていた。
もう学校指定の紺色カーディガンじゃダメだなと、隣でカーディガンの上にブレザーを着た完璧装備の司を見て反省する。うし、俺も明日はブレザー着てこよう。
ふいに、司がこちらを見た。長く伸ばした前髪越しにバッチリと目が合う。
「皐月」
「ん?」
名前を呼ばれたかと思えば、肩を抱き寄せられる。後ろからギュッと抱きしめられて背中のあたりがじんわりと温かくなった。
「司?」
「少しはあったかいだろ?」
肩に顎を乗せて話しかけてくるから、耳元に吐息がかかってくすぐったい。
「うん、まぁな。俺専用のカイロだ」
「違いますー。カイロじゃないです、彼氏ですぅ〜」
「わかってるって」
そんなことで拗ねるな。
後ろから回されている手を持ち上げ指を絡めると、急に抱く力が強くなった。
体はまあ着込んでるからわかるとして、司は手まで温かい。こんなに空気は冷え切っているのに、さっきまでホットの缶でも握っていたのかと思うくらいにぬくぬくだ。
「司の体、温かいな」
「おう、子ども体温ってよく言われる!」
「はは、そんな自慢げに言うことか?」
「こうやって皐月を温めれるからいいの」
「……へ〜」
「あ、照れた? 皐月照れちゃった?」
「照れてない!」
咄嗟に手を離し、体をひねって司の腕の中から脱出する。
早足で少し先を歩くと「待てよー」と司が追いかけてきた。横並びになって、また手を取られる。そしてそのまま司のズボンのポケットに一緒に突っ込まれた。
ハンカチとティッシュくらいしか入れることを想定してないそれは、男の手二つ入れるとギチギチできつい。でもその分、熱も籠もって温かかった。
駅に着くとポケットの中でゆっくりと指が離れていった。手を外に出すと、さっきよりも空気が冷えているように感じる。寒暖差が辛い。
俺と司は逆向きの路線なのでここでお別れだ。
いつもの様に改札口前で別れようとして、ふと疑問に思った。
「そういや、司は今日お菓子持ってるのか?」
「え? なんだよ急に——」
「持ってるのか?」
「……持ってないです」
「ふ〜ん……」
急な質問に最初は戸惑っていた司も、俺の圧に押されて蚊の鳴くような声で呟いた。視線を外し、冷や汗をかいている。
——そうか、持ってないのか。
俺は心の中でほくそ笑んだ。
「司、ちょっと」
腕を掴んで引っ張る。
そのまま駅内のトイレに連れ込み、個室の鍵を閉めた。
「皐月、急にどうしたんだ」
「だって、お菓子持ってないんだろ?」
「それは、そうだけど……」
だからなんだ、と困惑した表情で見下される。そりゃそうか、誰だって無言でトイレに連れ込まれたら驚くし困惑するだろう。
俺はそんな司の頬を優しく両手で挟んだ。
そしてちょっとだけ背伸びをして、少し赤くなった司の冷たい鼻先に軽くキスを落とす。
前からハッと息を呑む音が聞こえた。
「トリック・オア・トリート、お菓子くれなかったからイタズラしちゃった」
「は、え?」
驚いてポカンと開いたお間抜けな口に、そっと指を置く。ツーっと横になぞると、何かを期待するようにギュッと噤まれた。マグマを煮込んだようなドロドロに熱い眼差しで見つめられて胸の奥がキュンとなる。
いつもならこのままキスをするだろうし、司もそれを待っているんだろうけど……。
(でも、それをしたら『イタズラ』じゃなくなっちゃうだろ?)
だから俺はそっと指を外し、踵を下ろした。
司が軽く目を見開く。「え、なんで?」と戸惑う声が聞こえてきそうだ。その顔があまりにも腑抜けていて「くははっ!」と笑いが溢れる。
ひとしきり笑ったあと、カチャリと鍵をスライドさせて扉を開ける。
引き止めようと伸ばされる司の手をスルリと避け、トイレから出た。改札へ向かう俺の後ろを、司が必死に追いかけてくる。
「皐月っ……!」
「唇はまた今度な。……じゃ、また明日〜」
「ちょ、待った、おい皐月——
さつきぃぃぃぃーーー!!!」
空気を裂き、劈くような司の絶叫が聞こえてくる。
流石は演劇部一の声量を誇る桐崎くんだ、素晴らしくうるさい。耳が壊れそうだ。
(流石に周りの迷惑だな)
しぶしぶ振り返ると、司が嬉しそうに顔を輝かせたのが遠くからでもわかった。俺はシーッと人差し指を立てて、『静かにするよう』伝える。
司が口を一文字に結ぶ。
それを見た俺はべーっとちょっぴり舌を出して、そのまま改札を通り抜けた。
駅のホームにつながるエスカレーターを昇っている最中に後ろを見ると、改札口の前で四つん這いになり項垂れる司がいた。
(何やってるんだ、あんなところで)
——でもまあ、イタズラは大成功のようだ。
少し可哀想だったかもと思ったが、そもそもイタズラの流れを始めたのは司だし、お菓子を持ってなかったのも司だ。俺は何も悪くない。
スマホで『人の邪魔になるから、司も早く帰れよ』とメールを送り、ズボンのポケットに仕舞った。
電車に乗ると、ズボンのポケットが連続で震えた。スマホを取り出すと、そこには何件もの通知が届いている。
全て、司からだった。
『皐月のバカ』
『あそこでおあずけはズルい』
『明日覚えてろよ!』
その後、怒ったイヌのスタンプが連投されている。
これは、相当怒って——いや、拗ねている。
よほどおあずけが堪えているらしい。
「明日は大変そうだな」
口ではそう言いつつ満更でもない自分もいて、勝手に口角が上がってしまう。
『お手やわらかに』
とだけ返信してスマホを鞄に仕舞う。
ズボンのポケットで振動され続けるのはさすがに気になるからな。また連投されているであろう返信は、家に帰ってからゆっくり確認することにする。
——明日は一体、どんな仕返しをされるんだろうか。
高校一年生
付き合って初めてのハロウィンのお話 【完】



