さよならの記憶写真館

「……え、あ。ははっ……」
 俺はとうとう、おかしくなってしまったようだ。こんな幻覚や幻聴まで聞こえるなんて。

『ごめんなさい。柚花を産んで。優太を……苦しめて……』
 まるで俺の心を見透かしたかのような言葉と、目から流れてくる涙に、無理に作った笑顔が崩れていく。

 知られてしまった。ずっと隠してきた本心を。
 一生隠し通すと決めていた、自分の醜さを。
 ……俺は。

『私、後悔していたの。柚花を産んだこと。感情のまま一人で決めて、この先のこととか全然考えてなくて。椿を母親のいない子にしてしまうこととか、私が死んだら優太を一人親にしてしまうこととか……。その重さ、全く分かっていなかった』
 悲痛な言葉のはずが、俺の胸に落ちてきて沁み渡っていく。
 まるで俺の非人道な考えを肯定してくれているみたいで、自分の中で抱えているものを吐き出して良いんだと言ってくれているみたいで、俺は。
 隣の部屋で寝ている椿と柚花の様子を覗くと、二人とも眠っていて、その横に白い猫が寄り添うように座り尻尾を振っていた。

「……白猫様!」
 思わず声が出たが、なぜあの祠の守り神の名前が出てきたのかが分からず、子どもたちに危害を加えるかもしれない猫を追い払おうという気にならなかった。

『子どもたちは夜明けまで、白猫様のご加護を受けることになっているの。絶対に目覚めないまじないをかけてもらったから、だから久しぶりに二人で話さない?』
 それは、子どもたちには会話が聞かれないという意味なのだろうか?
 決して触れられることがない半透明な手に引かれた俺は、仏間の前の座布団にそっと座らせてくれる。
 目の前には、両親と花梨の遺影。

「……俺は、父親なんかじゃないよ……」
 花梨が亡くなり、ずっと目を逸らしてきた父さんの遺影。それを直視した途端に、その本音と共に涙が溢れてしまった。

「父親は、何があっても我が子を愛する。……普通、そうだろ?」
 それなのに、どうして俺はそんな当たり前のことが出来ないのだろう?

「柚花を見る度、胸が締め付けられるんだ。この子が生まれなかったら、花梨は今も生きていられたんじゃないかって。家族三人で、子どもは一人でも、次の子は望めなくても、三人で暮らせたんじゃないかって! 柚花が生まれてこなかったら!」
 口にした途端に沸き立つ、ゾワッとした悪寒と吐き気。
 言った、言ってしまった。一生隠し通すと決めていた本音を。絶対、子どもに思ってはいけない本音を。

「……最低だな、俺」
 自分の頭を思い切り叩き、拳の痛みも脳が揺れる不快な感覚に視界が揺れても、殴り続ける。

『やめて、お願い!』
 半透明な体に抱き締められると、実在はしないのに何故か温かく、行き場のない両手は畳に預けていた。

「……っ!」
 だって、俺は。俺はこの先、どうやって生きていけばいいんだよ?
 幼い子ども二人抱えて、俺は父親と呼べる人間じゃなくて、花梨が命を懸けて遺してくれた子を憎んで、過去を悔やんでこの先の人生とか見れてなくて、だけど明日は容赦なく訪れて、どうしようもない孤独と恐怖が押し寄せてくるのに気付かないふりして、また決められた生活を送らないといけない。
 今過った、気持ちを絶対に悟られないように隠して。

「……俺、今にも言ってしまいそうで怖いんだ……」
 二歳の、まだ年端もいかない娘に、母親を亡くしたばかりで泣いて甘えてくるあの子に、「お母さんが死んだのは柚花のせいだ」って、言ってしまうかもしれない。
 絶対に隠し通すと花梨と約束したのに、お母さんの病気は柚花が生まれた後に発覚したと一生嘘を吐き通してほしいと、お義父さん、お義母さん、澪に頼んだのに。

『優太を苦しめているのは、私だよ。ごめんなさい。優太の気持ちから、目を逸らしてしまった。自分の子どもを見る度に苦しくなるなんて、考えもしなかったの!』
 花梨は許してくれるのか……?
 過去にとらわれ未来に目を向けていれない俺を、生きていくのが怖いとか淋しいとか言う父親を、我が子に憎悪を抱いている、こんな人間とも言えない存在を。

「柚花が可愛いのは、本当なんだ。花梨の妊娠が分かった時は嬉しかったし、無事に生まれてきてくれた時は本気で感謝したし。小さい体で必死に生きて、成長してくれて、不器用な俺にどこか似てて、顔なんか花梨にそっくりで……。だから……、苦しくて……」
『優太、聞いて。私はもう後悔してないの』
「え? 生きられなかった……のに?」
『うん。白猫様に導かれて過去を追体験してさ、思ったの。ああ、やっぱり、私は同じ選択をするだろうなって。優太はさ、柚花が居ない人生を想像してみたこととかある?』
「柚花が……いない」

 椿の半分ほどの小ささで生まれた柚花は、人工呼吸器を付けてもらい体にもモニターの線だらけで、保育器の中で育った。
 一度は諦めた命。だけど柚花は必死に生きようとしていて、目を開けて俺の方を見た。
 反射だと分かっていたけど強く握られた手に、この子を守ると決めたんだ。
 周りに比べて小さくて、成長もゆっくりで、病弱な子。
 風邪をよくひくから仕事を休まないといけなくて、看病も大変で、椿より手が掛かる子。
 でも、俺は……。

「いやだ、柚花がいない人生なんて!」
 そんな未来を想像しただけで、俺の息は上がっていた。

 そうだ、嫌だ。二人とも可愛い娘で、どっちかが居れば良いとかじゃなくて、椿も柚花も大切で、絶対に失いたくない存在だから。
 理由は、……正直分からない。ただ一緒に居たい、成長を見たい、いつか自分の道を見つけて巣立っていくまで。いや、何かあった時、帰って来れるような場所をずっと残し続けたい。
 俺と同じ思いを、子どもたちにさせたくないから。

「ありがとう、花梨。俺、大切なこと忘れていたよ」
 子どもたちの側にいられるのは、当たり前じゃないということ。
 健康に育っていてくれて、俺を父親だと認めてくれていて、俺は生きて明日を迎えられて、……花梨は生きられず時間が止まってしまった。
 悔しかっただろう、無念だっただろう。
 だけど花梨は、もう後悔していないって言って。だから。

「夜が明けるまで、泣いてていいかな?」
「うん。側にいるから」
 花梨のその言葉に、俺は半透明であり実物のないはずの体を抱きしめていた。

 花梨が亡くなった日。俺はただ泣いた。
 だけど大人になると悲しんでいる時間なんかなくて、花梨は直葬を望んだからやることは少なかったけど、書類を書いて、手続きして、当たり前のように子どもたちは食べさせ、お風呂に入れて、泣くのを宥めて寝かせないといけないから、仕事だってしないといけないから、立ち止まって泣く時間なんかなかった。
 だから今日だけは、花梨の死をただ嘆かせてほしい。
 明日からは、子どもたちと笑って生きていくから。