さよならの記憶写真館

 今日も、一日が無事に終わってくれた。
 鳩時計が十回鳴く頃、ようやく子どもたちの寝かしつけを終わらせた俺は、リビングに戻っていく。
 当然ながら食器を片付けてくれている人なんているはずもなく、朝洗えなかった分を含めて黙々とこなしていく。
 朝はパン、夜はうどん。また同じメニューにしてしまった。

『うどん好きだよ』
 そう言ってくれるけど、本当は母親が健康だった時に作ってくれたハンバーグとかオムライスとか食べたいだろう。
 休みの日ぐらい作りたいのに、どうしても溜まった家事や手続き用の書類を書いたりしなければならず、それが終わると力が抜けてしまってご飯のことまで気が回らない。
 ……いい加減、立ち直らないといけないと分かっているのに。

「うわぁぁぁん!」
 ピクッとなり時計を見るとまだ十分も過ぎてなくて、はぁっと小さく溜息が漏れる。
 またか……。
 過った感情を抑えて寝室に向かうと、やはり柚花が布団に座り込んで泣いていて、その横には椿が寄り添ってくれていた。

「ごめんな。椿は寝てて」
 柚花を抱き上げてリビングに連れて行くと、「お父さん、違う!」とウサウサのぬいぐるみを抱きしめて、「お母さぁーん」と泣く。
 二歳の柚花には母親の死が、いや、死について分かるはずもない。

「お母さんはお星様になったんだよ。どれがお母さんだと思う?」
 リビングの窓から見えるのは幾千もの星で、どれも美しく、ただ綺麗に輝いている。

「お母さん、いない」
「そっか……」
 トントンと小さな背中を叩いて一時間ほどが過ぎ、ようやく寝てくれた柚花をそっと布団に寝かす。

「……っ」
 溜息を吐いた瞬間に、横から啜り泣く声が聞こえた。
 椿だ。

「いつも、ごめんな」
 そっと頭を撫でると首を横に振り、手で口元を覆って声を殺して泣いているようだった。
 いつから、そうやって我慢していたのだろうか?
 椿は母親を亡くしてから、トイレの失敗が増えた。だから四歳なのに一人オムツを履いていて、保育園で笑われて気にしていると保育士さんから聞いた。
 明らかに精神の不安定さからきているのに、夜泣いていることにも気付かなかったなんて。

「お母さんは、どうして死んじゃったの?」
 ドクンと心臓が鳴った。椿はまだ四歳、本当の意味で人の死が分かる年齢ではない。

「お母さんは病気だった。癌という、怖い病気だったんだ」
 だけど、出来る限り答えていく。子どもは子どもなりに、知りたいと思っているだろうから。

「いつ、病気になったの?」
「……あ、うん。柚花が生まれた後だよ」
「え? そうなの?」
「お母さん、柚花が生まれて病院にお泊まりしてただろ? あの時に」
「あれ? でも……」
 一瞬、間が空き、「おやすみなさい」とタオルケットを被って背向ける椿に、心がざわついた。
 椿は、花梨にも俺にも似ることもなく、叔母である澪の聡明さを引き継いでいる。
 当時二歳だったとしても、何かを記憶しており、何か違和感を抱いているのかもしれない。
 椿に気付かれてしまったら。柚花に同じ問いをされた時、俺は冷静に返答出来るのだろうか?

 残っていた洗い物をし、保育園に持って行ってる給食用のお箸やスプーンを洗い、一番大変な食事用エプロンを洗って、ようやく今日が終わろうとしてくれた。

「……はぁ」
 仏間の前に座り込んで眺めるのは、交通事故で亡くなった父さんに、急病で亡くなった母さん、そして若くして癌で亡くなった花梨。三人の遺影だった。

 写真嫌いの花梨が渋々撮らせてくれた、癌が発覚前の元気な頃の姿。大好きな子どもの国で、ウサウサと椿と一緒だというのに、無理に笑った顔が引き攣っている。
 遺影の写真を探した時、花梨の写真はほとんどなくて、だから消去法で選ぶしかなかった。

 何が正解だったのだろうか?
 決して表情が変わらない遺影に問う。

 あの時、説得するべきだったのか?
 どれほど嫌われても、手術を受けさせるべきだったのか?
 これが正解だったのか?
 分からないよ……。

 そんな考えを持っている俺が、一生秘密を隠し通せるのだろうか?
 柚花の顔を見るたびに苦しくて、悔しくて。
 いつか衝動のまま、酷いことを言ってしまうかもしれない。
 事実を感情のまま、言い放ってしまうかもしれない。
 怖い、自分が。娘に対してそう思っている自分が。

 そんな気持ち、誰にも言えるわけない。
 冷酷な人だと分かっているから。
 だからこの気持ちは絶対に悟られてはならない。
 人として、親として。
 だけど一人で背負うには、あまりにも……。


『ごめんなさい』
 ずっとずっと聞きたかった声に振り返ると、リビングかの光りに照らされる半透明な体。
 胸元までの髪、黒のワンピース、骨ばった体つき。
 空へ送ったはずの花梨が、そのままの姿で帰ってきた。