さよならの記憶写真館

「癌……」
 病院の診察室で並んで話を聞いた優太は、言葉が切れてしまい、力無く俯いてしまった。
 あの日病院からかかってきた電話で、検査の結果腫瘍は悪性の可能性が高いと連絡を受けた。つまり、癌の可能性が高いという意味だ。
 確定診断をするには手術を受けるしかないらしく、胎児が麻酔の影響を受けにくい十四週目を待って、妊娠中のお腹にメスが入ることになった。
 結果、私は卵巣癌であることが確定した。
 だけど幸いなことに転移は見つかっていないようで、癌の中で進行度の一番低いステージⅠ。肥大していた右卵巣と卵管は切除してもらい、癌細胞は取り除かれていた。

 腫瘍は悪性の可能性が高いと告げられたあの日。私は何となく察していたけど、優太は。
「本当に、癌だったなんて……」
 信じられないと言いたげに目を泳がせ、それはどんどんと濁っていった。

「確かに癌と聞けば命を脅かす、怖い病気だと思われがちです。しかし幸いなことに、現段階では転移はみられていません。今必要なのは癌であることを受け入れ、治療を始めることです」
 そんな優太を諭すように、先生は前向きな治療方針について話していく。なんとか希望を見出せるように。

「今回、悪性腫瘍を取り除いたので、次は見えない癌を根絶するために放射線治療が必要となります。また、転移の可能性を考えると、子宮と左卵巣も切除した方がいいでしょう。かなり辛い治療になると思いますが、完治した事例も多数あります。だから、頑張っていきましょう」
「先生、お願いします」
 これから過酷な治療が始まる。
 そう覚悟した私は、深々と頭を下げていた。呆然としてしまっている優太の分まで。

 大丈夫だよ。赤ちゃんも、私も。
 出産を終えたら治療頑張るから。絶対に生きるから。

 本気で、そう信じていた。

「ですからね……」
 先生はどこまでも歯切れが悪く、顔が引き攣り、合った目は蛍光灯のせいか光って見え、視線を逸らされてしまった。

「残念ですが、お子さんは諦めてください」
「……え?」
 時が、止まったのかと思った。
 いや違う、止まったのは私の方だった。
 呼吸も、瞬きも、口すらも動かないから、声なんか出せなくて。息が止まって苦しいからか、心臓がチクッと痛んで。
 次は全身がゾワっとなって、血が一気に抜けていく感覚とは、このことをいうのかと思い知った。

 重病であることは、癌であることは覚悟していた。
 だけど、子どもを諦めるなんて。そんなことになるはずないって。

「あ、でも……」
 声はどんどんと詰まっていくのに息だけ上がっていって、言葉になってくれない。
 待って、待ってよ。今、妊娠十七週目に入ったんだよ。
 検査結果を待っている間に、病院の冊子読んだよ。卵巣癌の本だって読んだよ。経験した人のブログだって。
 妊娠中に卵巣癌になったけど出産まで待って、その後に治療した人の話だって読んだよ。その人もステージⅠで、出産して、子宮と片方の卵巣残せたって読んだよ。
 だから悲観しないでと書いてあったのに──。

「先程お話しした通り、吉永さんのは悪性度の高いとされるもので一刻の猶予もありません。胎児の成長を待つ時間はありません」
「ほんの、数ヶ月も……ですか?」
「はい」
 もう逸らされることのない先生の目から、本当にこれ以外の選択肢がないのだと伝えられているような気がして、私の中での希望が音を鳴らして崩れていくような気がした。
 子どもを諦める? そんな、そんなことって。

「……はい。よろしくお願いします」
 声を震わせながら大きく頷くのは、ずっと押し黙っていた優太だった。
 えっ、ちょっと待ってよ! ……待って。

 現在、二十九歳。死の運命まで、あと三年。
 人生最後の闘いが始まった。