温かなものが私を包み込んでくれている。
優太じゃない。なんていうか、全身に、魂全てを包み込んでくれるような、そんな温かさが私を守ってくれている。
まるであの祠のような、温かな──。
「花梨、大丈夫かニャ?」
「……クロ……ちゃん」
瞼を開けば、暖色の間接照明に照らされた控え室のソファでまた私は寝ていて、私はまだ確かに存在していた。
「……また、迷惑かけちゃったね」
支配人さんにも、クロちゃんにも。
「ねえ、椿と柚花はどうなったの?」
消えてしまったりとかないよね?
もしそうなら、私はもう、この身を!
「大丈夫だニャ! ちゃんと存在しているんだニャアよ!」
まだこっちの世界に魂が慣れていかないけど、フラつく体を無理に引っ張って歩き出す。
過去の世界で生身の体を動かしていたからか、死後の世界である写真館での体は軽すぎて、どうにも歩いている感覚がしない。
死者のくせに、何言ってるんだろうね。
クロちゃんが開けてくれたドアの先に行くと、広がる未来へと続く写真。
家族写真は四人。優太、椿、柚花、そして私が写っていた。
「……ごめんなさい」
何に対しての「ごめんなさい」なんだろう?
優太に全てを託して、ごめんなさい。
母親を変えられなくて、ごめんなさい。
家族でいることへの、ごめんなさい。
椿、柚花。二人に対する、別々のごめんなさい。
こんな私が、母親で。
「花梨、見るニャ」
そんな気持ちを断ち切ってくれるようにクロちゃんは声をかけてくれて、顔を上げると私は戦慄した。
「ふわあああああっ!」
多分、人生の中で一番俊敏に動いたのは、この時だったと思う。
気付けば私は額縁に背中を押しつけて、写真を隠していた。優太と私が抱きしめ合っている写真を。
「花梨と優太は、ホントに結婚してたのかニャ?」
「い、一応ね」
結婚していようが、三十二歳であろうが、恥ずかしいものは恥ずかしいんだよぉ!
「まあまあ、よろしいではありませんか?」
クスクスと笑って部屋に入ってきたのは支配人さんで、また私の魂を呼び戻してくれ、笑っているけど顔色が初めに対面した時より青くなっているような気がした。
「支配人さん、あの……」
「花梨さん、未来は大きく変わりました。写真を見てください」
手の平を向けられた先には額縁に入った写真が変わらず並んでいて、だけど中身は少しずつ変わっていた。
子ども国に行った記憶写真は消したはずなのに、桜と一緒に写っていることから、春先に二人で行ったみたい。そういえばイベントが好評だったからと半年後の春にも来たって、優太から聞いたっけ。
ショッピングモールの美術展は残念ながら行けなかったけど、優太の望遠鏡選ぶのに付いて行ったんだ。
澪の方が良いアドバイスしてくれそうなのにね。私じゃ、「へー、そうなんだ」とかしか言えなさそうなのに、優太は満面の笑みを浮かべている。
大人になった私たちは変わらず一緒にいて、一緒に暮らしていて、椿が生まれて、柚花が……。あれ?
優太、笑ってる。私の病気が発覚した後、ずっと苦しそうな顔をしていたのに、遠くの空ばかり見ていたのに、子どもたちや私から目を逸らしてきた優太が、私たちを見て目を細めて笑いかけている。
「ここの写真、全て変わってる?」
私の病気が発覚してから優太は人が変わったかのように無気力になって、椿の世話は最低限になった。
母と父が代わりにしてくれたけど、母が体調崩して父が母を世話するようになって。状況を知った澪が帰ってきてくれて、子どもたちの世話をしてくれていて、優太はその姿をただ眺めているだけだった。
だけど変わった写真には、優太は変わらず椿の育児をしていて、ご飯を作って、おままごとして遊んであげて、髪まで可愛く結っていた。柚花のミルクを飲ませて、オムツを替えて、抱っこしてあやして。寝ている私の頭をそっと触れている写真があった。
「……どうして?」
「推測ですが、不安や辛さを誰かに吐き出されたのではないでしょうか? だからといって問題が解決することはありませんが、一人で抱えるには重すぎることを誰かに話すことで、逃避していた現実と少しずつ向き合うことが出来たのではないでしょうか?」
「……優太」
額縁の写真を見渡すけど、優太が泣いて澪が背中を摩る写真はなくなっていた。
だけど、きっと、私が知らないところでは泣いていて、でも一人親として、頑張ろうとしてくれているんだね。
その優しい笑顔は、泣いている私を抱きしめてくれている顔と同じで、ずっと変わらないものだった。
ごめんね、私が運命を変えなかったから。
写真に触れようとして、そんな資格なんかないと指を引っ込めると、湧き上がるのはやはり罪悪感。
優太、優太。ごめんね、ごめんなさい……。
「優太、幸せそうニャ」
「……え?」
目の前には、私が優太の家に上がり込んで、台所で料理に悪戦苦闘している写真。
私はお母さんに甘えっぱなしで料理とか全然出来なくて、だから料理本とか買い込んで必死にご飯作ったんだな。
火の通りが悪かった煮物、味付けの濃い味噌汁、お米の水加減まで間違えてお粥を作ってしまったこともあったけど、優太は笑って食べてくれた。
優太に「帰らないで」と言われて一緒に暮らすようになって、別々の部屋で寝てたけど、寝不足になって辛かったなぁ。
一緒に暮らして半年後で優太の無気力はようやくなくなって、私が家に帰ろうとすると急に結婚する話になって、戸惑ったけど嬉しくて別に私を好きじゃなくてもいいやと思えた。
家事を両立を自分から言ってくれ、私よりよっぽど料理は上手で、優太が淹れてくれたコーヒーは美味しくて、二人で毎日顔合わせて飲んでいたな。
優太が私のお腹に手を当てて、笑ってる写真があった。
あ、いつか分かる。椿の妊娠が分かった時だ。
すごく喜んでくれたけど、単に子どもが欲しかったんじゃなくて、私との子どもだから喜んでくれていたのかな?
だけど妊娠中のトラブルが多くて、無事に産まれるか不安だった時、優太はずっと話聞いてくれて、ノンカフェインのコーヒー淹れてくれた。
逆子だと聞いたら、一緒に体操までしてくれたっけ。
顔を歪める私の手を握る、同じく険しい表情をする優太。
陣痛に苦しんでいて、そんな一枚まであった。
手、絶対痛いよね? 覚えてなかったけど、こんな食い込むぐらいに優太の手握ってたの?
椿は難産だった。陣痛の波は何度も、何日間もきているのに一向に下りてきてくれなくて、陣痛促進剤使ってもらって、死ぬかと思うぐらいの痛みに悶えても、まだ生まれてきてくれなかった。
病で苦しんで死んだ私が思うぐらい、出産の痛みも死ぬかと思うぐらいに痛かった。
定期的にくる陣痛で三日間まともに眠れなかった私は、最後は陣痛の間隔の一、二分の間に寝てて、まさかそんな僅かな間に寝ると思わなかった優太が、私の意識がないって騒いだらしい。
後で助産師さんから、めちゃくちゃ心配されてましたよと聞いて、声を出して笑ったけど嬉しかったな。
ねえ、優太。私、すごく幸せだったよ。
優太はどうだった?
私、あなたのこと大好きだったよ。
優太の気持ち、信じていいかな?
子どもたちを、託していいかな?
家族四人で写る写真はみんな笑っていて、変えなくて良いんだよと言ってくれたような気がした。
「花梨さん。過去修正の旅を、これで終わらせることも出来ますよ」
「……え?」
「優太さんは変わられました。きっとこれからも親子三人で、強く生きていかれると思います。ご心配されていた澪さんも、変わられた優太さんに安心して、ご自分の夢を叶えることでしょう」
支配人さんの視線の先には、緩和治療により眠る私の元に椿と柚花を連れて来てくれた澪が写っていた。
修正前は、東京からこっちに戻ってきた時に、茶髪だった髪を黒く染め直していて髪型も大人しめだった。だけど今は茶髪のままで、ヘアアレンジの名前は知らないけど、SNSとかで見かける最近の流行りの髪型をしていて、今も東京で美容師を続けているのだと笑顔が溢れてきた。
優太、澪、椿、柚花。良かった、これで──。
「……澪?」
その横の写真に目がいくと、変わっていない写真があった。優太が、眠っている私の頭を撫でてくれている写真。
修正前は無気力な表情で、ただ私の寝顔を眺めているだけだった。
優太は確かに変わった。……だけど、澪は?
そんな優太の背中を眺めている顔は同じで、遠くて、切なくて。
まだ好きなんだ、優太のこと。
「……支配人……さん。すみません」
「まだ、未練があるようですね?」
「はい。澪をこうしてしまったのは私です。だから……」
私の過去修正の旅はまだ終わらない。
「次は、この写真を修正します」
茶髪におしゃれショートヘアが似合う澪を真ん中に、猫っ毛に柔らかな目元をした優太が右、その横には変わらずの単調な黒髪を胸元まで伸ばしていて、澪みたいな華やかな化粧やピアスもしていない、どうにも地味な私が左に立っていた。
高校を卒業した澪が美容専門学校に通うために上京することが決まり、送り出す時に優太のおばさんが撮ってくれたものだった。
澪は目鼻立ちが良く、当時流行り服の一つだった体のラインをしっかり出す黒のニットがスタイルの良さを出していて大人っぽい。
優太もこの頃にはすっかり大人になっていて、着ているラフな服に流行りの金属ネックレスが似合うよう年頃になっていた。
手をかざして私を視界から消せば大学生カップルに見えるのに、真ん中の澪を隠せば大学生と高校生の兄妹が並んでるようにしか見えない写真。
私が年上で当時十九歳と説明しないと、誰も分かってくれないだろうなとか思うと、また黒いものが立ち込めてくる。
これは、死んでも解けない呪いのようなものだ。
「ホントに、いいのかニャア?」
クロちゃんが言ってくれている意味は分かる。
おそらくこの過去を修正したら、澪との円満だった姉妹の関係は終わってしまうし、私たちの娘を可愛がってくれることもなくなるだろう。
でも──。
「私さ、嫉妬していたんだ、澪に……。子どもの頃、優太の隣にいるのは澪で、何度も何度も思ったの。澪が予定日通りに生まれてくれたら良かったのにって」
優太と私が同級生じゃなかったのは仕方がない。
だけど優太と澪が同級生で、しかも誕生日が同じで、周りからは運命じゃないかとか言われてて、そんな澪にずっと嫉妬していたんだよね。幼稚園の頃から。
私たち姉妹は、本当は二学年差になるはずだった。
四月生まれの私に、同じく四月生まれになるはずだった澪。
なのに、何の運命のイタズラなのか、予定日より三週間早く生まれた澪は三月の早生まれとなり、元々三月上旬が予定日だった優太は一向に生まれないと陣痛促進剤を使って一週間遅れでようやく生まれたらしい。
結果二人は、同じ日、同じ場所、同じ空間で生まれ、そして二人は同級生となった。
大人になってしまえば学年の差なんて関係なかったけど、子ども時代にはどうしようもなく、いつも心の中でいつも悪態をついていた。
どうして予定通り生まれてきてくれなかったの?
何も悪くない澪に、ずっと。
「……変わらないといけないのは、優太だけじゃないよ」
そう、私も変わらないといけない。
澪に対するドロドロとした嫉妬心。
周囲の人たちに比べられていて、常にあった劣等感。
本当は疎まれているんじゃないかという猜疑心。
それらを認めないといけない。
だから澪が家を出て行くと聞いた時、思ったよね?
これで、やっと嫌な自分を見なくていいんだ。
これで、周りの視線に怯えず生活ができるんだ。
これで、良い子を演じなくて済むんだ。
そんなギトギトに煮え切った感情を、私は隠して生きてきたことを。
なんの取り柄もないから、せめて良い子でいようとそんな自分を演じていて。そんな私だったから、上っ面な人間関係しか築いてこなくて。嫌われないようにと毎日を適当に過ごして、本当は気付いていたことから目を逸らして、問題から逃げ出してしまっていた。
だから、こんな歪な未来になってしまっていたんだね。
私が優柔不断で、身勝手で、嫌われる勇気がなかったから。
だから今、私がやることは。
「……今から、嫌な人間になってくるね」
しゃがんでクロちゃんに話しかけると、私の胸元にピョンと飛び乗ってきて、『アタイは花梨の味方だニャ』と頬に柔らかな毛をモフモフとしてくれる。
「覚悟を決められたのですね?」
「はい、それが澪に出来るせめてものの償いだと気付きました」
嫌われていい、軽蔑されていい。
だって私は、そうゆう本性がある人間だったんだから。
撮影用の椅子に自ら座った私に、もう迷いなんてない。
「では、いきます」
カメラのフラッシュを浴びた時、胸元にいてくれたクロちゃんが白く見えたのは、光の加減のせいだったのだろうか?
優太じゃない。なんていうか、全身に、魂全てを包み込んでくれるような、そんな温かさが私を守ってくれている。
まるであの祠のような、温かな──。
「花梨、大丈夫かニャ?」
「……クロ……ちゃん」
瞼を開けば、暖色の間接照明に照らされた控え室のソファでまた私は寝ていて、私はまだ確かに存在していた。
「……また、迷惑かけちゃったね」
支配人さんにも、クロちゃんにも。
「ねえ、椿と柚花はどうなったの?」
消えてしまったりとかないよね?
もしそうなら、私はもう、この身を!
「大丈夫だニャ! ちゃんと存在しているんだニャアよ!」
まだこっちの世界に魂が慣れていかないけど、フラつく体を無理に引っ張って歩き出す。
過去の世界で生身の体を動かしていたからか、死後の世界である写真館での体は軽すぎて、どうにも歩いている感覚がしない。
死者のくせに、何言ってるんだろうね。
クロちゃんが開けてくれたドアの先に行くと、広がる未来へと続く写真。
家族写真は四人。優太、椿、柚花、そして私が写っていた。
「……ごめんなさい」
何に対しての「ごめんなさい」なんだろう?
優太に全てを託して、ごめんなさい。
母親を変えられなくて、ごめんなさい。
家族でいることへの、ごめんなさい。
椿、柚花。二人に対する、別々のごめんなさい。
こんな私が、母親で。
「花梨、見るニャ」
そんな気持ちを断ち切ってくれるようにクロちゃんは声をかけてくれて、顔を上げると私は戦慄した。
「ふわあああああっ!」
多分、人生の中で一番俊敏に動いたのは、この時だったと思う。
気付けば私は額縁に背中を押しつけて、写真を隠していた。優太と私が抱きしめ合っている写真を。
「花梨と優太は、ホントに結婚してたのかニャ?」
「い、一応ね」
結婚していようが、三十二歳であろうが、恥ずかしいものは恥ずかしいんだよぉ!
「まあまあ、よろしいではありませんか?」
クスクスと笑って部屋に入ってきたのは支配人さんで、また私の魂を呼び戻してくれ、笑っているけど顔色が初めに対面した時より青くなっているような気がした。
「支配人さん、あの……」
「花梨さん、未来は大きく変わりました。写真を見てください」
手の平を向けられた先には額縁に入った写真が変わらず並んでいて、だけど中身は少しずつ変わっていた。
子ども国に行った記憶写真は消したはずなのに、桜と一緒に写っていることから、春先に二人で行ったみたい。そういえばイベントが好評だったからと半年後の春にも来たって、優太から聞いたっけ。
ショッピングモールの美術展は残念ながら行けなかったけど、優太の望遠鏡選ぶのに付いて行ったんだ。
澪の方が良いアドバイスしてくれそうなのにね。私じゃ、「へー、そうなんだ」とかしか言えなさそうなのに、優太は満面の笑みを浮かべている。
大人になった私たちは変わらず一緒にいて、一緒に暮らしていて、椿が生まれて、柚花が……。あれ?
優太、笑ってる。私の病気が発覚した後、ずっと苦しそうな顔をしていたのに、遠くの空ばかり見ていたのに、子どもたちや私から目を逸らしてきた優太が、私たちを見て目を細めて笑いかけている。
「ここの写真、全て変わってる?」
私の病気が発覚してから優太は人が変わったかのように無気力になって、椿の世話は最低限になった。
母と父が代わりにしてくれたけど、母が体調崩して父が母を世話するようになって。状況を知った澪が帰ってきてくれて、子どもたちの世話をしてくれていて、優太はその姿をただ眺めているだけだった。
だけど変わった写真には、優太は変わらず椿の育児をしていて、ご飯を作って、おままごとして遊んであげて、髪まで可愛く結っていた。柚花のミルクを飲ませて、オムツを替えて、抱っこしてあやして。寝ている私の頭をそっと触れている写真があった。
「……どうして?」
「推測ですが、不安や辛さを誰かに吐き出されたのではないでしょうか? だからといって問題が解決することはありませんが、一人で抱えるには重すぎることを誰かに話すことで、逃避していた現実と少しずつ向き合うことが出来たのではないでしょうか?」
「……優太」
額縁の写真を見渡すけど、優太が泣いて澪が背中を摩る写真はなくなっていた。
だけど、きっと、私が知らないところでは泣いていて、でも一人親として、頑張ろうとしてくれているんだね。
その優しい笑顔は、泣いている私を抱きしめてくれている顔と同じで、ずっと変わらないものだった。
ごめんね、私が運命を変えなかったから。
写真に触れようとして、そんな資格なんかないと指を引っ込めると、湧き上がるのはやはり罪悪感。
優太、優太。ごめんね、ごめんなさい……。
「優太、幸せそうニャ」
「……え?」
目の前には、私が優太の家に上がり込んで、台所で料理に悪戦苦闘している写真。
私はお母さんに甘えっぱなしで料理とか全然出来なくて、だから料理本とか買い込んで必死にご飯作ったんだな。
火の通りが悪かった煮物、味付けの濃い味噌汁、お米の水加減まで間違えてお粥を作ってしまったこともあったけど、優太は笑って食べてくれた。
優太に「帰らないで」と言われて一緒に暮らすようになって、別々の部屋で寝てたけど、寝不足になって辛かったなぁ。
一緒に暮らして半年後で優太の無気力はようやくなくなって、私が家に帰ろうとすると急に結婚する話になって、戸惑ったけど嬉しくて別に私を好きじゃなくてもいいやと思えた。
家事を両立を自分から言ってくれ、私よりよっぽど料理は上手で、優太が淹れてくれたコーヒーは美味しくて、二人で毎日顔合わせて飲んでいたな。
優太が私のお腹に手を当てて、笑ってる写真があった。
あ、いつか分かる。椿の妊娠が分かった時だ。
すごく喜んでくれたけど、単に子どもが欲しかったんじゃなくて、私との子どもだから喜んでくれていたのかな?
だけど妊娠中のトラブルが多くて、無事に産まれるか不安だった時、優太はずっと話聞いてくれて、ノンカフェインのコーヒー淹れてくれた。
逆子だと聞いたら、一緒に体操までしてくれたっけ。
顔を歪める私の手を握る、同じく険しい表情をする優太。
陣痛に苦しんでいて、そんな一枚まであった。
手、絶対痛いよね? 覚えてなかったけど、こんな食い込むぐらいに優太の手握ってたの?
椿は難産だった。陣痛の波は何度も、何日間もきているのに一向に下りてきてくれなくて、陣痛促進剤使ってもらって、死ぬかと思うぐらいの痛みに悶えても、まだ生まれてきてくれなかった。
病で苦しんで死んだ私が思うぐらい、出産の痛みも死ぬかと思うぐらいに痛かった。
定期的にくる陣痛で三日間まともに眠れなかった私は、最後は陣痛の間隔の一、二分の間に寝てて、まさかそんな僅かな間に寝ると思わなかった優太が、私の意識がないって騒いだらしい。
後で助産師さんから、めちゃくちゃ心配されてましたよと聞いて、声を出して笑ったけど嬉しかったな。
ねえ、優太。私、すごく幸せだったよ。
優太はどうだった?
私、あなたのこと大好きだったよ。
優太の気持ち、信じていいかな?
子どもたちを、託していいかな?
家族四人で写る写真はみんな笑っていて、変えなくて良いんだよと言ってくれたような気がした。
「花梨さん。過去修正の旅を、これで終わらせることも出来ますよ」
「……え?」
「優太さんは変わられました。きっとこれからも親子三人で、強く生きていかれると思います。ご心配されていた澪さんも、変わられた優太さんに安心して、ご自分の夢を叶えることでしょう」
支配人さんの視線の先には、緩和治療により眠る私の元に椿と柚花を連れて来てくれた澪が写っていた。
修正前は、東京からこっちに戻ってきた時に、茶髪だった髪を黒く染め直していて髪型も大人しめだった。だけど今は茶髪のままで、ヘアアレンジの名前は知らないけど、SNSとかで見かける最近の流行りの髪型をしていて、今も東京で美容師を続けているのだと笑顔が溢れてきた。
優太、澪、椿、柚花。良かった、これで──。
「……澪?」
その横の写真に目がいくと、変わっていない写真があった。優太が、眠っている私の頭を撫でてくれている写真。
修正前は無気力な表情で、ただ私の寝顔を眺めているだけだった。
優太は確かに変わった。……だけど、澪は?
そんな優太の背中を眺めている顔は同じで、遠くて、切なくて。
まだ好きなんだ、優太のこと。
「……支配人……さん。すみません」
「まだ、未練があるようですね?」
「はい。澪をこうしてしまったのは私です。だから……」
私の過去修正の旅はまだ終わらない。
「次は、この写真を修正します」
茶髪におしゃれショートヘアが似合う澪を真ん中に、猫っ毛に柔らかな目元をした優太が右、その横には変わらずの単調な黒髪を胸元まで伸ばしていて、澪みたいな華やかな化粧やピアスもしていない、どうにも地味な私が左に立っていた。
高校を卒業した澪が美容専門学校に通うために上京することが決まり、送り出す時に優太のおばさんが撮ってくれたものだった。
澪は目鼻立ちが良く、当時流行り服の一つだった体のラインをしっかり出す黒のニットがスタイルの良さを出していて大人っぽい。
優太もこの頃にはすっかり大人になっていて、着ているラフな服に流行りの金属ネックレスが似合うよう年頃になっていた。
手をかざして私を視界から消せば大学生カップルに見えるのに、真ん中の澪を隠せば大学生と高校生の兄妹が並んでるようにしか見えない写真。
私が年上で当時十九歳と説明しないと、誰も分かってくれないだろうなとか思うと、また黒いものが立ち込めてくる。
これは、死んでも解けない呪いのようなものだ。
「ホントに、いいのかニャア?」
クロちゃんが言ってくれている意味は分かる。
おそらくこの過去を修正したら、澪との円満だった姉妹の関係は終わってしまうし、私たちの娘を可愛がってくれることもなくなるだろう。
でも──。
「私さ、嫉妬していたんだ、澪に……。子どもの頃、優太の隣にいるのは澪で、何度も何度も思ったの。澪が予定日通りに生まれてくれたら良かったのにって」
優太と私が同級生じゃなかったのは仕方がない。
だけど優太と澪が同級生で、しかも誕生日が同じで、周りからは運命じゃないかとか言われてて、そんな澪にずっと嫉妬していたんだよね。幼稚園の頃から。
私たち姉妹は、本当は二学年差になるはずだった。
四月生まれの私に、同じく四月生まれになるはずだった澪。
なのに、何の運命のイタズラなのか、予定日より三週間早く生まれた澪は三月の早生まれとなり、元々三月上旬が予定日だった優太は一向に生まれないと陣痛促進剤を使って一週間遅れでようやく生まれたらしい。
結果二人は、同じ日、同じ場所、同じ空間で生まれ、そして二人は同級生となった。
大人になってしまえば学年の差なんて関係なかったけど、子ども時代にはどうしようもなく、いつも心の中でいつも悪態をついていた。
どうして予定通り生まれてきてくれなかったの?
何も悪くない澪に、ずっと。
「……変わらないといけないのは、優太だけじゃないよ」
そう、私も変わらないといけない。
澪に対するドロドロとした嫉妬心。
周囲の人たちに比べられていて、常にあった劣等感。
本当は疎まれているんじゃないかという猜疑心。
それらを認めないといけない。
だから澪が家を出て行くと聞いた時、思ったよね?
これで、やっと嫌な自分を見なくていいんだ。
これで、周りの視線に怯えず生活ができるんだ。
これで、良い子を演じなくて済むんだ。
そんなギトギトに煮え切った感情を、私は隠して生きてきたことを。
なんの取り柄もないから、せめて良い子でいようとそんな自分を演じていて。そんな私だったから、上っ面な人間関係しか築いてこなくて。嫌われないようにと毎日を適当に過ごして、本当は気付いていたことから目を逸らして、問題から逃げ出してしまっていた。
だから、こんな歪な未来になってしまっていたんだね。
私が優柔不断で、身勝手で、嫌われる勇気がなかったから。
だから今、私がやることは。
「……今から、嫌な人間になってくるね」
しゃがんでクロちゃんに話しかけると、私の胸元にピョンと飛び乗ってきて、『アタイは花梨の味方だニャ』と頬に柔らかな毛をモフモフとしてくれる。
「覚悟を決められたのですね?」
「はい、それが澪に出来るせめてものの償いだと気付きました」
嫌われていい、軽蔑されていい。
だって私は、そうゆう本性がある人間だったんだから。
撮影用の椅子に自ら座った私に、もう迷いなんてない。
「では、いきます」
カメラのフラッシュを浴びた時、胸元にいてくれたクロちゃんが白く見えたのは、光の加減のせいだったのだろうか?



