「コラっ、冷やしておきなさいって言ったでしょ?」
大事な顔に傷が残ったらどうするの? と言いながら、お母さんはほとんど氷が溶けた氷水を私の頬に当ててくれる。
そんな資格のない私に。
「……怒らないの?」
体がカタカタと震えるのは、氷水が冷たいからじゃない。
この優しき人たちに軽蔑されることへの恐怖だ。
「怒るって、何に?」
「だって、だって私は。澪の気持ち知ってながら、優太との関係を取り持とうとして。でも実際は優太と付き合ってて、やってること最低じゃない!」
本当は時系列とかは違うし、澪の気持ちを弄ぶつもりなんてなかった。二人に付き合って、結婚してほしいと願っていた。本心から。
だけど私がやったことは、澪に期待だけさせて幸せな時間だけ与えて最後は思い通りにさせない、最低な過去修正になってしまった。
だから、だから私は。
「そんなこと、澪は一言も言ってなかったけど? ただ、優太くんに振られたって」
澪? 言わないの? 私に弄ばれていたって。最低な姉だって。
「澪はちゃんと分かってるって。花梨の優太くんに対する気持ちも、澪に対する後ろめたい気持ちも、ずっと苦しい立場だったことも。それに、お母さんも言ってたでしょ? もっとわがままに生きて良いんだって。花梨は自分の気持ちに素直になっただけ。怒る理由なんてある?」
「……でも、でも私は……」
わざわざ澪に、付き合ってる事実を話したんだよ?
知りたくなかったであろうことを。
「澪のためだった、それぐらい分かってるから」
何も言ってないのにお母さんは私の想いに答えてくれて、なんでここまで分かってくれるのだろうと、熱くなる目頭にもそっと氷水を押し当てる。
「澪は子どもの頃から、とにかく一途で。小中高と陸上一筋だったし、ショートヘアをずっと保ってたし、……好きな人もずっと同じだった」
お母さんの視線の先は澪がいつも座ってる食卓席で、遠い、遠い目をしていた。
「お母さんから見てたら、花梨の気持ちも、澪の気持ちも分かるからね。こればっかは仕方がないことだから。花梨か、澪か、それとも大人になって出会う人か、そもそも誰も好きにならないかもしれない。それは優太くんが決めることでしょう? だから、どっちが悪いとかないの。必ず誰かは泣かないといけなかったんだから」
優太が決めること。そっか、そうだよね。
この過去修正の考えで抜けていたのは、優太の気持ちだった。
澪と結婚したら幸せになると決めつけて、自分が身を引けば二人は結婚すると思い込んでて、二人の仲を取り持てばと行動を起こしたけど上手くいかなくて。
それって、優太の気持ちを考えてこなかった結果だったんだよね。
「優太くん、小さい頃から少し無理してるなって感じることあったからね。花梨が小学校に上がってから幼稚園で友達作って仲良くしていたけど、無理に笑ってるというか。小学校に上がっても同じで、なんて言うか、澪や周りに合わせようと明るい自分を演じていたような気がしてね」
優太が……?
私が卒園してから優太は明るくなり、幼稚園で友達を作るようになった。
そんな優太に、澪と仲良くする優太に嫉妬し、私は少しずつ距離を取るようになった。
『ごめん。僕が何かしたから、花梨を怒らせたんだよね?』
優太が小学二年生の時、私の下校時間に合わせて家の前で待っててくれ、そう言ってくれたことがあった。
違う、違うよ。
自分はいつまでも成長しないのに、変わっていく優太を見るのが辛かったから。
私より澪と仲良くする姿が辛かったから、私はただ逃げただけだった。
だけどその裏で、優太がどれほど頑張っていたかなんて考えたことなくて、変わろうとしなかった私はその苦労すら気付かなかった。
「中学……何年の頃だったかなぁ? ほら、優太くん居なくなって、おばさんが慌てて家に来たことあったじゃない? あの時、やっぱり無理してたんだなって思ったの。何気なく声をかければ良かったって、後悔もしたしね。だけどあの時、花梨が迎えに行って一緒に帰ってきてから、優太くんの表情が穏やかになって、花梨も思い詰めていた顔から、どこか吹っ切れたような顔になって。あれから二人でこっそり会って一緒に帰ってきていたみたいだったし、支え合っていたのだと分かってたの」
「えっ、気付いてたの? 距離取って帰ってたのに?」
「そりゃ、いつも同じ時間帯に帰ってくるからね。奈緒子さん……、優太くんのお母さんと決めてたの。二人のことはそっとしておこう。二人のどちらかが親に気付かれたと知れば、もう会わなくなるだろうし。この先のことは、二人が決めることだろうからってね」
これは、二度目の人生だってのに全く気付いてなかった。
……おばさん、優太の隣にいること認めてくれていたんだ。
知らなかった事実に、冷やしているはずの頬がカアッと熱くなっていく。
ずっと不安だった。おじさんおばさんは私たちのこと認めてなくて、優太の隣にいるのは澪の方が良かったと思ってたんじゃないかって。
勿論、これは修正後の話であって、一回目の人生の時はどうだったかなんてもう分からない。だけど。
『花梨ちゃん、次の日曜日お母さんたち居ないんだって? 良かったらご飯食べに来ない?』
『優太は気は弱いけど、いざという時はちゃんとやるやつだから、そばにいてやってや』
大人になってもおばさんは私を家に招き入れてくれ、おじさんは事故で亡くなる前、最後に食卓を囲んだ時にお酒を呑みながらボソッと呟いた。
おばさんは焦って、酔っ払いの戯言だから気にしないでねとおじさんに水を飲ませてて、優太は俯いてご飯をバクバクと食べていたけど、あれって本心も混ざっていたのかな?
おじさん、おばさん。
うちの両親以外に、わて隔てなく接してくれた人たち。
だからこそ、心の中で澪と比べられていたらどうしようと悩んでいた。
「もう、澪と比べるのはやめなさい」
ハッとなった私が顔を上げると、お母さんは真っ直ぐな目で私を見据えていた。
「花梨はいつもそう。いつも澪を引き合いに出して、澪よりテストの点数が低いから、澪より可愛くないから、澪より友達いないから、澪より自分は下だからと、自分の価値を下げていく。優太くんとのことだって、澪の方が似合ってるとか、考えてたんでしょ? 優太くんのおじさんおばさんは、澪でも花梨でも、どっちでも喜ぶに決まってるじゃない。優太くんが選んだ人なんだから」
その言葉を聞いた途端、私はお母さんの胸に飛び込んでいた。
死ぬ前にも出来なかった、母に甘えること。
だって、お母さんは私のせいで病んでしまったのだから。そんなお母さんに寄り掛かれるわけないから。
「ほら、自信持って。お父さんも、お母さんも、澪も、花梨の味方だからね」
お母さん……。
溢れそうな涙を堪えようと目を閉じるけど、どんどんと滲んできて、唇を噛み締めることでなんとか抑えがきいていた。
『何考えてるの!!』
不意に過ったのは、リビングに響くコップが割れる音と、荒らげた声。
頬にヒリつく痛みが走り、目の前には泣きながら怒鳴る母の姿。
今から、十年後に起こる出来事だ。
「……お母さん、ごめんなさい……」
気付けば私も、子どものように「うわああああっ」と声を上げ、しゃくり上げていた。
ごめんなさい。こんな優しいお母さんを、あそこまで怒らせてしまって。
ごめんなさい。味方だと言ってくれていたのに、それを覆すことをしてしまって。
ごめんなさい。お母さんは私のこと、全然分かってくれてないとか思って。
私のわがままのせいで。
ピキッ。
今までにない激しい痛みに意識を失いそうになった私は、最後になるかもとお母さんにギュッとしがみつく。
最後に子どものように甘えられて幸せだった。
そう過った途端、私の体はまた眩い光りに包まれていった。
大事な顔に傷が残ったらどうするの? と言いながら、お母さんはほとんど氷が溶けた氷水を私の頬に当ててくれる。
そんな資格のない私に。
「……怒らないの?」
体がカタカタと震えるのは、氷水が冷たいからじゃない。
この優しき人たちに軽蔑されることへの恐怖だ。
「怒るって、何に?」
「だって、だって私は。澪の気持ち知ってながら、優太との関係を取り持とうとして。でも実際は優太と付き合ってて、やってること最低じゃない!」
本当は時系列とかは違うし、澪の気持ちを弄ぶつもりなんてなかった。二人に付き合って、結婚してほしいと願っていた。本心から。
だけど私がやったことは、澪に期待だけさせて幸せな時間だけ与えて最後は思い通りにさせない、最低な過去修正になってしまった。
だから、だから私は。
「そんなこと、澪は一言も言ってなかったけど? ただ、優太くんに振られたって」
澪? 言わないの? 私に弄ばれていたって。最低な姉だって。
「澪はちゃんと分かってるって。花梨の優太くんに対する気持ちも、澪に対する後ろめたい気持ちも、ずっと苦しい立場だったことも。それに、お母さんも言ってたでしょ? もっとわがままに生きて良いんだって。花梨は自分の気持ちに素直になっただけ。怒る理由なんてある?」
「……でも、でも私は……」
わざわざ澪に、付き合ってる事実を話したんだよ?
知りたくなかったであろうことを。
「澪のためだった、それぐらい分かってるから」
何も言ってないのにお母さんは私の想いに答えてくれて、なんでここまで分かってくれるのだろうと、熱くなる目頭にもそっと氷水を押し当てる。
「澪は子どもの頃から、とにかく一途で。小中高と陸上一筋だったし、ショートヘアをずっと保ってたし、……好きな人もずっと同じだった」
お母さんの視線の先は澪がいつも座ってる食卓席で、遠い、遠い目をしていた。
「お母さんから見てたら、花梨の気持ちも、澪の気持ちも分かるからね。こればっかは仕方がないことだから。花梨か、澪か、それとも大人になって出会う人か、そもそも誰も好きにならないかもしれない。それは優太くんが決めることでしょう? だから、どっちが悪いとかないの。必ず誰かは泣かないといけなかったんだから」
優太が決めること。そっか、そうだよね。
この過去修正の考えで抜けていたのは、優太の気持ちだった。
澪と結婚したら幸せになると決めつけて、自分が身を引けば二人は結婚すると思い込んでて、二人の仲を取り持てばと行動を起こしたけど上手くいかなくて。
それって、優太の気持ちを考えてこなかった結果だったんだよね。
「優太くん、小さい頃から少し無理してるなって感じることあったからね。花梨が小学校に上がってから幼稚園で友達作って仲良くしていたけど、無理に笑ってるというか。小学校に上がっても同じで、なんて言うか、澪や周りに合わせようと明るい自分を演じていたような気がしてね」
優太が……?
私が卒園してから優太は明るくなり、幼稚園で友達を作るようになった。
そんな優太に、澪と仲良くする優太に嫉妬し、私は少しずつ距離を取るようになった。
『ごめん。僕が何かしたから、花梨を怒らせたんだよね?』
優太が小学二年生の時、私の下校時間に合わせて家の前で待っててくれ、そう言ってくれたことがあった。
違う、違うよ。
自分はいつまでも成長しないのに、変わっていく優太を見るのが辛かったから。
私より澪と仲良くする姿が辛かったから、私はただ逃げただけだった。
だけどその裏で、優太がどれほど頑張っていたかなんて考えたことなくて、変わろうとしなかった私はその苦労すら気付かなかった。
「中学……何年の頃だったかなぁ? ほら、優太くん居なくなって、おばさんが慌てて家に来たことあったじゃない? あの時、やっぱり無理してたんだなって思ったの。何気なく声をかければ良かったって、後悔もしたしね。だけどあの時、花梨が迎えに行って一緒に帰ってきてから、優太くんの表情が穏やかになって、花梨も思い詰めていた顔から、どこか吹っ切れたような顔になって。あれから二人でこっそり会って一緒に帰ってきていたみたいだったし、支え合っていたのだと分かってたの」
「えっ、気付いてたの? 距離取って帰ってたのに?」
「そりゃ、いつも同じ時間帯に帰ってくるからね。奈緒子さん……、優太くんのお母さんと決めてたの。二人のことはそっとしておこう。二人のどちらかが親に気付かれたと知れば、もう会わなくなるだろうし。この先のことは、二人が決めることだろうからってね」
これは、二度目の人生だってのに全く気付いてなかった。
……おばさん、優太の隣にいること認めてくれていたんだ。
知らなかった事実に、冷やしているはずの頬がカアッと熱くなっていく。
ずっと不安だった。おじさんおばさんは私たちのこと認めてなくて、優太の隣にいるのは澪の方が良かったと思ってたんじゃないかって。
勿論、これは修正後の話であって、一回目の人生の時はどうだったかなんてもう分からない。だけど。
『花梨ちゃん、次の日曜日お母さんたち居ないんだって? 良かったらご飯食べに来ない?』
『優太は気は弱いけど、いざという時はちゃんとやるやつだから、そばにいてやってや』
大人になってもおばさんは私を家に招き入れてくれ、おじさんは事故で亡くなる前、最後に食卓を囲んだ時にお酒を呑みながらボソッと呟いた。
おばさんは焦って、酔っ払いの戯言だから気にしないでねとおじさんに水を飲ませてて、優太は俯いてご飯をバクバクと食べていたけど、あれって本心も混ざっていたのかな?
おじさん、おばさん。
うちの両親以外に、わて隔てなく接してくれた人たち。
だからこそ、心の中で澪と比べられていたらどうしようと悩んでいた。
「もう、澪と比べるのはやめなさい」
ハッとなった私が顔を上げると、お母さんは真っ直ぐな目で私を見据えていた。
「花梨はいつもそう。いつも澪を引き合いに出して、澪よりテストの点数が低いから、澪より可愛くないから、澪より友達いないから、澪より自分は下だからと、自分の価値を下げていく。優太くんとのことだって、澪の方が似合ってるとか、考えてたんでしょ? 優太くんのおじさんおばさんは、澪でも花梨でも、どっちでも喜ぶに決まってるじゃない。優太くんが選んだ人なんだから」
その言葉を聞いた途端、私はお母さんの胸に飛び込んでいた。
死ぬ前にも出来なかった、母に甘えること。
だって、お母さんは私のせいで病んでしまったのだから。そんなお母さんに寄り掛かれるわけないから。
「ほら、自信持って。お父さんも、お母さんも、澪も、花梨の味方だからね」
お母さん……。
溢れそうな涙を堪えようと目を閉じるけど、どんどんと滲んできて、唇を噛み締めることでなんとか抑えがきいていた。
『何考えてるの!!』
不意に過ったのは、リビングに響くコップが割れる音と、荒らげた声。
頬にヒリつく痛みが走り、目の前には泣きながら怒鳴る母の姿。
今から、十年後に起こる出来事だ。
「……お母さん、ごめんなさい……」
気付けば私も、子どものように「うわああああっ」と声を上げ、しゃくり上げていた。
ごめんなさい。こんな優しいお母さんを、あそこまで怒らせてしまって。
ごめんなさい。味方だと言ってくれていたのに、それを覆すことをしてしまって。
ごめんなさい。お母さんは私のこと、全然分かってくれてないとか思って。
私のわがままのせいで。
ピキッ。
今までにない激しい痛みに意識を失いそうになった私は、最後になるかもとお母さんにギュッとしがみつく。
最後に子どものように甘えられて幸せだった。
そう過った途端、私の体はまた眩い光りに包まれていった。



