「一つ目。あなたには最初の記憶写真に収められてある、つまり誕生から人生をやり直してもらいます」
「えっ、修正したい場面じゃないのですか?」
人生のやり直しということは、三十二年分? そんな、いくらなんでも!
「ご心配には及びません。花梨さんの未練に関連する出来事を、記憶写真を通してお見せしていきます。睡眠時間やその他の時間を省けば、案外早いものですよ。では二つ目です、写真にない出来事は修正不可能となっております。過去修正は、あなたが今抱えている未練に直接関連することだけですので、それをお間違いなきようにお願いします」
支配人さんの言葉に、改めて写真を見直す。
未練に関連する記憶写真が写し出されているとの話だったけど、確かに仕舞ってある実家のアルバムに比べ明らかに写りに偏りがある。
同じような写真ばかりあるのも、納得だった。
「では、三つ目の説明といきましょうか。過去から未来は、現世と同じく一方通行となっております。つまり過去の修正が上手くいかなくても、もう一度時間を戻してやり直すことは出来ません。ですから、過去修正は慎重に。修正前より事態は悪化してしまうこともあるので」
「それは、どうしてですか?」
希望通りの未来に修正出来ないことはあっても、元より悪くなるなんて……。
「記憶写真は過去の行動を変えたことによりそれを矛盾ない未来に繋げる力があるだけで、望んだ未来に変えてくれる力はありません。それに生身の人間だからこそ、そこには常に感情が付きまとう。お相手も、……あなたも」
「え?」
支配人さんは目を細めてこちらを見据えたかと思えば、その視線は記憶写真へと移っていく。
「過去の一つを変えると、その先全てが変わっていきます。……当然ながら、ここの写真も。あなたはそれを、受け入れられますか? その覚悟はありますか?」
覚悟。
そっか。私の生きてきた人生を今から変えていくんだ。
その為の、覚悟。
「そろそろ、あなたの願いを話してもらえませんか? 気持ちが伴わないと、行動には移せませんから」
願い……は。
額縁が揺れたような気がした私は、視界を遮るために目を閉じる。
この思いを言葉にしたら、おそらくもう戻れないだろう。だけどこれは、ずっと願っていたことで。
だからこそ私はこの場所に導かれて、過去を変える機会をもらえたのだから。
「い、妹の澪と、夫の優太が……、結婚する未来に、変えたい……です」
私はようやく、決められた。三十二年間生きてきた人生を、捨てる覚悟を。
「……澪ちゃんの気持ち、気づいていたのかニャ?」
そう呟いた猫ちゃんの視線の先には一枚の写真があって、布団で眠っている私に寄り添ってくれている夫に、その背中を見つめる端に写った澪の姿。
その目があまりにも遠くて、切なくて。
「結婚報告した時に……ね。両親想いの澪が上京してからほとんど帰ってこなかったのは、これだったんだって。だけど澪はね、私が死んでも夫に気持ちを伝えず、一生義妹の立場を貫くと思うの」
別の写真に目を向けると、緩和治療により眠る私の元に、澪が子ども達を連れてきてくれて、手を握らせてくれている。
この時はもう意識が途切れ途切れで呼びかけにも応えられなかったのに、澪は椿と柚花に「お母さんのこと、絶対に忘れないでね」と言い続けてくれた。
だから。だけど……。
「一つ、心配なことがあって。子どもたちは。あの子たちの存在が残るか。それはだけは絶対に、守りたくて……」
次に目がいったのは、幼な子である娘たち。
死は分からなくても、母親が遠いところに行くのだと澪から聞いていた。
おかあさんと呼びかけてくれた、可愛い声。あの小さな手の温もり。頬に当たった涙。
死んでも心に残っている、私の宝物。
「ご心配無用です。記憶写真が一番の最善法を取り、上手く修正してくれます。……ただ、おそらくですが、澪さんと優太さんが結婚する未来が確定した暁には、澪さんが娘さんたちの母親となり、長女の椿さん、次女の柚花さんは、あなたの実子でなくなると思われます」
見開いたことにより乾いてしまった目を閉じ、また開く。目の前には保育器に入った乳児の写真。
柚花は椿の誕生時の半分以下の小ささで、口には人工呼吸器が固定され、体には多くの線が繋がっていた。
私のせいで三ヶ月も早く生まれた柚花は自力で生きるには弱く、人工呼吸器と鼻から胃に繋がるチューブよりミルクを飲み、命を繋いでもらった。
幸い、低体重児として生まれたことによる後遺症は出ず、発育も追い付くと主治医の先生に言われている。
だけど、そもそも私が母親じゃなかったら、こんなリスク背負うことはなかった。
その横に貼られている写真には、通院治療に切り替わったことにより退院したその日に、澪が率先して撮ってくれた一枚。
家のリビングソファで家族四人で座って、夫が椿を抱き上げ、私が柚花を縦抱きしている写真。
……ここから私が消えて、おそらく澪が家族写真に写ることになる。
『おかあさん』
私を母と認め、無性の愛をくれた娘たち。その関係も、なくなってしまうことだよね。
並ぶ写真を眺めていくと、澪は笑いながら慣れた手付きで抱っこしてミルクを作り、椿の食事の見守りまでこなしている。……私なんて、椿一人でいっぱいいっぱいだったのに。
髪型は私がする単調な二つ括りではなく、可愛い編み込みをしてもらっていて、食事は栄養だけでなく彩りの良いを作ってもらっている。
食卓を囲む四人の姿は、新たな家族が出来たようだった。
「……それなら、問題ありません。続きの説明をお願いします」
どうして死んでまで、こんな思いをしなければならないのだろう。……心の痛みなんて、もう必要ないのに。
また八つ当たりみたいな感情が湧き出て、スウッと空気を吸い込むことしか出来なかった。
「約束して欲しいことが二つほどあります。一つ、過去の人物に寿命について話してはいけません。二つ、死の運命を変えることは自然の摂理に反する為、硬く禁じております。特に花梨さんは、進行性のご病気でしたので……」
……あと一年、早く病が見つかっていたら。あと五ヶ月、早く治療を始めていたら。おそらく私は可愛い盛りの娘を残して、この場に立っていることもなかっただろう。
でも、その行動を取らなかったのは私。
でも、その選択をしなかったのは私。
後悔なんかしていない。……後悔、なんか。
やはり目を向けてしまうのは夫が流す涙で、その理由が分かっているからこそ、私の胸はより締め付けられていく。
「重ねて申し上げますが、それらの約束を破ると過去修正の旅は終わり、魂は強制的に天界に送られていきます。どうか、くれぐれもお忘れなく」
「……はい」
たった一つの失敗で全てが終わってしまう。本当、人生みたいだね。
「最後に、これは一番重要なお話となっております。過去を修正するということは、当然ながら現世に歪みが生じることであり、その責任の全ては過去を変えた者が負うと決まっております。少々でしたら問題ありませんがあまり大きく歴史を変えてしまうと、その代償として魂は砕け散り生まれ変わることが出来なくなります。……魂は一つ、あなたのこれからの人生は多数。それを踏まえて、新たな人生を生き直すのもあなたの選択肢の一つです。時間はあります。ゆっくり考えられたらどうでしょうか?」
泣くあの人の背中をさする澪は、左手を強く握り締めている。
我慢しているんだ。昔みたいに、あの人を抱きしめないように。
「……いえ、考え直す時間など必要などありません。どうか、よろしくお願いします」
頭を深く下げたのは、懇願の意味ともう一つ。歪んでしまいそうな顔を見られないように、だった。
「確かに、承りました。では準備をしてまいります」
一礼をした支配人さんにはドアを開け、そっと部屋から出て行った。
「えっ、修正したい場面じゃないのですか?」
人生のやり直しということは、三十二年分? そんな、いくらなんでも!
「ご心配には及びません。花梨さんの未練に関連する出来事を、記憶写真を通してお見せしていきます。睡眠時間やその他の時間を省けば、案外早いものですよ。では二つ目です、写真にない出来事は修正不可能となっております。過去修正は、あなたが今抱えている未練に直接関連することだけですので、それをお間違いなきようにお願いします」
支配人さんの言葉に、改めて写真を見直す。
未練に関連する記憶写真が写し出されているとの話だったけど、確かに仕舞ってある実家のアルバムに比べ明らかに写りに偏りがある。
同じような写真ばかりあるのも、納得だった。
「では、三つ目の説明といきましょうか。過去から未来は、現世と同じく一方通行となっております。つまり過去の修正が上手くいかなくても、もう一度時間を戻してやり直すことは出来ません。ですから、過去修正は慎重に。修正前より事態は悪化してしまうこともあるので」
「それは、どうしてですか?」
希望通りの未来に修正出来ないことはあっても、元より悪くなるなんて……。
「記憶写真は過去の行動を変えたことによりそれを矛盾ない未来に繋げる力があるだけで、望んだ未来に変えてくれる力はありません。それに生身の人間だからこそ、そこには常に感情が付きまとう。お相手も、……あなたも」
「え?」
支配人さんは目を細めてこちらを見据えたかと思えば、その視線は記憶写真へと移っていく。
「過去の一つを変えると、その先全てが変わっていきます。……当然ながら、ここの写真も。あなたはそれを、受け入れられますか? その覚悟はありますか?」
覚悟。
そっか。私の生きてきた人生を今から変えていくんだ。
その為の、覚悟。
「そろそろ、あなたの願いを話してもらえませんか? 気持ちが伴わないと、行動には移せませんから」
願い……は。
額縁が揺れたような気がした私は、視界を遮るために目を閉じる。
この思いを言葉にしたら、おそらくもう戻れないだろう。だけどこれは、ずっと願っていたことで。
だからこそ私はこの場所に導かれて、過去を変える機会をもらえたのだから。
「い、妹の澪と、夫の優太が……、結婚する未来に、変えたい……です」
私はようやく、決められた。三十二年間生きてきた人生を、捨てる覚悟を。
「……澪ちゃんの気持ち、気づいていたのかニャ?」
そう呟いた猫ちゃんの視線の先には一枚の写真があって、布団で眠っている私に寄り添ってくれている夫に、その背中を見つめる端に写った澪の姿。
その目があまりにも遠くて、切なくて。
「結婚報告した時に……ね。両親想いの澪が上京してからほとんど帰ってこなかったのは、これだったんだって。だけど澪はね、私が死んでも夫に気持ちを伝えず、一生義妹の立場を貫くと思うの」
別の写真に目を向けると、緩和治療により眠る私の元に、澪が子ども達を連れてきてくれて、手を握らせてくれている。
この時はもう意識が途切れ途切れで呼びかけにも応えられなかったのに、澪は椿と柚花に「お母さんのこと、絶対に忘れないでね」と言い続けてくれた。
だから。だけど……。
「一つ、心配なことがあって。子どもたちは。あの子たちの存在が残るか。それはだけは絶対に、守りたくて……」
次に目がいったのは、幼な子である娘たち。
死は分からなくても、母親が遠いところに行くのだと澪から聞いていた。
おかあさんと呼びかけてくれた、可愛い声。あの小さな手の温もり。頬に当たった涙。
死んでも心に残っている、私の宝物。
「ご心配無用です。記憶写真が一番の最善法を取り、上手く修正してくれます。……ただ、おそらくですが、澪さんと優太さんが結婚する未来が確定した暁には、澪さんが娘さんたちの母親となり、長女の椿さん、次女の柚花さんは、あなたの実子でなくなると思われます」
見開いたことにより乾いてしまった目を閉じ、また開く。目の前には保育器に入った乳児の写真。
柚花は椿の誕生時の半分以下の小ささで、口には人工呼吸器が固定され、体には多くの線が繋がっていた。
私のせいで三ヶ月も早く生まれた柚花は自力で生きるには弱く、人工呼吸器と鼻から胃に繋がるチューブよりミルクを飲み、命を繋いでもらった。
幸い、低体重児として生まれたことによる後遺症は出ず、発育も追い付くと主治医の先生に言われている。
だけど、そもそも私が母親じゃなかったら、こんなリスク背負うことはなかった。
その横に貼られている写真には、通院治療に切り替わったことにより退院したその日に、澪が率先して撮ってくれた一枚。
家のリビングソファで家族四人で座って、夫が椿を抱き上げ、私が柚花を縦抱きしている写真。
……ここから私が消えて、おそらく澪が家族写真に写ることになる。
『おかあさん』
私を母と認め、無性の愛をくれた娘たち。その関係も、なくなってしまうことだよね。
並ぶ写真を眺めていくと、澪は笑いながら慣れた手付きで抱っこしてミルクを作り、椿の食事の見守りまでこなしている。……私なんて、椿一人でいっぱいいっぱいだったのに。
髪型は私がする単調な二つ括りではなく、可愛い編み込みをしてもらっていて、食事は栄養だけでなく彩りの良いを作ってもらっている。
食卓を囲む四人の姿は、新たな家族が出来たようだった。
「……それなら、問題ありません。続きの説明をお願いします」
どうして死んでまで、こんな思いをしなければならないのだろう。……心の痛みなんて、もう必要ないのに。
また八つ当たりみたいな感情が湧き出て、スウッと空気を吸い込むことしか出来なかった。
「約束して欲しいことが二つほどあります。一つ、過去の人物に寿命について話してはいけません。二つ、死の運命を変えることは自然の摂理に反する為、硬く禁じております。特に花梨さんは、進行性のご病気でしたので……」
……あと一年、早く病が見つかっていたら。あと五ヶ月、早く治療を始めていたら。おそらく私は可愛い盛りの娘を残して、この場に立っていることもなかっただろう。
でも、その行動を取らなかったのは私。
でも、その選択をしなかったのは私。
後悔なんかしていない。……後悔、なんか。
やはり目を向けてしまうのは夫が流す涙で、その理由が分かっているからこそ、私の胸はより締め付けられていく。
「重ねて申し上げますが、それらの約束を破ると過去修正の旅は終わり、魂は強制的に天界に送られていきます。どうか、くれぐれもお忘れなく」
「……はい」
たった一つの失敗で全てが終わってしまう。本当、人生みたいだね。
「最後に、これは一番重要なお話となっております。過去を修正するということは、当然ながら現世に歪みが生じることであり、その責任の全ては過去を変えた者が負うと決まっております。少々でしたら問題ありませんがあまり大きく歴史を変えてしまうと、その代償として魂は砕け散り生まれ変わることが出来なくなります。……魂は一つ、あなたのこれからの人生は多数。それを踏まえて、新たな人生を生き直すのもあなたの選択肢の一つです。時間はあります。ゆっくり考えられたらどうでしょうか?」
泣くあの人の背中をさする澪は、左手を強く握り締めている。
我慢しているんだ。昔みたいに、あの人を抱きしめないように。
「……いえ、考え直す時間など必要などありません。どうか、よろしくお願いします」
頭を深く下げたのは、懇願の意味ともう一つ。歪んでしまいそうな顔を見られないように、だった。
「確かに、承りました。では準備をしてまいります」
一礼をした支配人さんにはドアを開け、そっと部屋から出て行った。



