見世蔵のつつじ姫 〜異能なし令嬢は、東宮さまに溺愛される〜

「ま、ともかく。私は先のことは()えないけれど、その分、近い先はよく()えるほうよ」

 文子(あやこ)は、志乃のいない間に話を戻した。

「あなたは本来、お父さまが官位を重ねられて、尚侍(ないしのかみ)から皇統か公卿(くぎょう)にご縁がある(はず)だったの」

 あった(はず)の道。
 失われてから初めて、輪郭を与えられた未来。

 悔しさより先に、妙な空洞を胸の中に感じていた。
 結局のところ、縁談も行く末も自分の力で(つか)んだものではなかった。
 初めから、未来を(つな)ぎ止める力などなかったのだ、と。

「だから、新帝ご自身とのご縁だったのか、その先で中宮(ちゅうぐう)となられたのかまでは判らない。破滅も、あなたではなく、皇統への影響かも判らない。けれど――」
「けれど?」

 文子(あやこ)は、そこで再び躊躇(ためら)ったように見えた。

 言葉を選んでいるのではない。
 選んだところで、これ以上(やわ)らげようがない。

「――紬路(つつじ)は更衣として召される場合、必ず破滅という結果を迎えるの」

 咄嗟には、とても返事ができなかった。

 更衣。破滅。
 冷たいものが沈んでいく心地がする。
 息をしているのに、水の底へ引き込まれていくようだ。

「はっきり()えてしまった。それに……運命を邪魔立てする存在も」

 文子(あやこ)は、ただ観えたものを置いている。
 曲げず、飾らず、紬路(つつじ)の前へ、と。

 紬路(つつじ)は、文机(ふづくえ)の縁に(つか)まるように指を掛けた。
 何かに触れていなければ、自分がどこに座っているのかさえ判らなくなりそうな心地がしていたからだ。

「誰かの手、もしくは異能によって破滅させられる(・・・・・・・)のかもしれない」

 更衣とは、女御に次ぐ位である。
 帝に仕える妃の一つだが、その立場は決して高くない。
 正式な帝妃ではなく、言うなれば側室の位にあった。

 女御に列せられるのは、通例、摂家(せっけ)と呼ばれる三大臣の家の姫君たちだった。

 左大臣、佐伯分家。
 右大臣、佐伯本家。
 そして、内大臣。

 (まれ)にそこへ、清華(せいが)()の姫が加わる。
 清華(せいが)()とは、臣籍降下した宮が多くの場合、最高位の太政大臣(だじょうだいじん)(たまわ)る際に新しく設けられる創設家を指している。
 条件は厳しく、現在その宮家は不在だった。

 紬路(つつじ)和泉(いずみ)家は、内大臣に次ぐ大納言(だいなごん)の家に過ぎない。

 今更、入内(じゅだい)あるいは入侍(にゅうじ)したところで、数多(あまた)の更衣の中で筆頭に()くに留まる。
 定員四名と定められた女御との隔たりは、誰の目にも明らかだった。

 たとえ懐妊に至ったとしても。
 その子が帝位へと連なる道は、きわめて細い。

 喜ばしき運命とは、とても呼べず、有体に言えば、皇位継承争いの巻き添えとなる。
 母子ともに命さえ揺らぎかねない帰趨(きすう)を孕んでいた。

 いかに帝といえど、一度退(しりぞ)いた父を呼び戻すことは叶わない。
 (くらい)を進め、大臣職を任ずることもまた同じだった。
 大臣の三席は、既に摂家(せっけ)で埋められているのだ。

 新たに誰かを太政大臣(だじょうだいじん)へ押し上げでもしない限り、和泉(いずみ)家の家格が届くことはない。

 (ゆえ)に、紬路(つつじ)の道は、初めから閉ざされていた。

「なーんだ、簡単じゃない。入内(じゅだい)入侍(にゅうじ)もしなければいいのよ。紬路(つつじ)なら結婚相手なんて()り取り見取りでしょ。要は幸せに()れればよくってよ」

 志乃が、身軽に戻ってきたそのままの勢いで、畳の座布団にどすんと腰を下ろした。

「ところが」

 文子(あやこ)は、(わず)かに語気を強めた。
 逃げ道を示す言葉を、完全に否定する響きだった。

紬路(つつじ)の相は、皇統や公卿(くぎょう)にあるの。……それ以外は、破滅なのよ」

 淡々と告げられたその言葉は、余りにも揺るがない。
 紬路(つつじ)に至っては聞くのが二度目だ。

 選ぶ余地など初めからなく、可能性はただ一つの道だけを残している。

 志乃までもが、言葉を失った。

 あまりに(おそ)れ多い話だった。

 そして現況では、どう足掻(あが)いても紬路(つつじ)に活路はない。

 たとえ何かの拍子に女御(にょうご)として入内(じゅだい)する道が開いたとしても、待つのは後宮である。

 数多(あまた)の姫君がひしめき、寵を競い、家の威を背負い合う女たちの(おり)
 そこで紬路(つつじ)は、和泉(いずみ)家の名も、失った後ろ盾も、傷付いた評判も、全て独りで背負わされる。

 それは救いなどではなく、別の形をした破滅だった。