見世蔵のつつじ姫 〜異能なし令嬢は、東宮さまに溺愛される〜

 そこへ、階段を上がって来る小気味よい足音が聞こえた。

「お嬢さま方ー! お昼ご飯をお持ちしましたにゃ!」

 弾む声と共に現れたのは、配膳盆を捧げ持った(らん)という娘だった。
 佐伯家の七ツ蔵(にゃんにゃん)純喫茶(カフェー)で料理人をしている、どこか素性の知れぬ者である。

 紬路(つつじ)の姉とも親しく、首元の鈴といい、時折(うかがわ)せる気配といい、ただの人とも思われない。
 その正体は、義兄が捕らえた猫の(あやかし)を、一つ身に宿しているとも(ささや)かれていた。

「ささ、冷めないうちにお早くどうぞ」

 (らん)は手際よく、文机(ふづくえ)の上へ皿を並べていく。
 卵を挟んだ麵麭(パン)が三つ。
 薄切りの野菜を添えた皿。
 それに、紅茶の茶器(ティーカップ)だ。

 重くなりがちな話の上へ、温かな食事の用意が明るい色を差した。

 文子(あやこ)は真っ先に姿勢を正し、上品な所作で受け皿(ソーサー)ごと茶碗(カップ)を持ち上げた。
 それから何が可笑しいのか、笑いを(こら)えるように長椅子へ身を沈める。

 女学生たちの(あいだ)では、この頃、牛乳(ミルク)の濃い紅茶が流行っている。
 今日の茶器に注がれていたのも、牛乳(ミルク)をたっぷり使った「ロイヤルティー」だった。
 才女の文子(あやこ)は、この取り合わせの妙に、笑いが抑え切れなかったようだ。

 志乃もまた「わ、卵のやつ!」と、目を輝かせていた。

 紬路(つつじ)は、立ちのぼる湯気と香ばしさに、ほんの少し肩の力を抜いた。
 先ほどまで胸を(ふさ)いでいた破滅という言葉が、麵麭(パン)と紅茶の匂いに紛れて、少しだけ遠のくような心地がしている。

(らん)ちゃんって言ったよね! ねぇ聞いてよお。紬路(つつじ)がね」

 志乃は紅茶の茶器(ティーカップ)を引き寄せながら、「破滅回避覚書」をぽんと置いた。
 そのまま知り合ったばかりの(らん)へ、持ち前の人懐っこさで身を乗り出す。

 (らん)は配膳盆を脇に抱え、猫のように小首を傾げた。
 鈴が、ちりんと小さく鳴る。

「にゃんです、お嬢さま」

 よもや東宮(とうぐう)妃の話など持ち出すまい。
 そう(よぎ)ったのも束の()だった。

「お仕事を探してるんだって! 雇ってあげてよー」

 ――なぜ、そうなる。

 紬路(つつじ)は思わず視線を()らした。
 けれど、自分の情けなさを晒すばかりの話題から離れられて、少しだけ安堵も覚える。

「ねーえ、お仕事落ち着いた? 猫耳、近くで見てもいいー?」
「……!! 紬路(つつじ)さまッ!」

 途端に(らん)は、配膳盆を小脇に抱えたまま、(きっ)紬路(つつじ)へ向き直った。
 猫耳まで、ぴんと立ったように見える。

 先ほどまでの愛嬌はどこへやら。
 目だけが、妙に真剣だった。

「以前から申し上げたいと思っておりましたにゃ! あなたさまには、接客商売の素質がありますにゃっ!」
「えっ!?」

 ()れには文子(あやこ)に続き、志乃まで吹き出した。
 (はし)が転んでも鈴の音のように笑う年頃なのである。