鏡の前で何度も自分の姿をチェックする。
今日は待ちに待った瀬野くんとのお出かけ——もとい、初デートである。
この一週間何度も「お出かけ」と言い、その度に三人から一斉に訂正させられるので、いつの間にかデートという言葉に違和感を持たなくなってしまった。
あの三人の押しに、完全に負けてしまった……。
まあそんなわけで遂にデート当日なのだが、俺はお母さんの部屋にある大きな鏡の前から動けないでいた。
「大丈夫だよな。変じゃ、ないよな……」
自分の姿を何度確認しても、どうにも自信が持てない。そもそも、友達と出かける時どんな服装で行けばいいのかわからない。
昨日夜遅くまでクローゼットをひっくり返し何時間もかけて決めたこの服も、いざ着ると本当にこれでいいのかと不安になってくる。
時計を確認すると、そろそろ家を出ないとまずい時間だった。
俺は意を決してお母さんの部屋から飛び出す。
——ええい、もうこれで行ってやれ!!
靴を履いていると、お母さんがひょっこり顔を出してきた。
「あら、似合ってるじゃない」
「ほんと!? 変じゃない?」
「変なんかじゃないわよ〜。ほら、そろそろ出ないと遅れちゃうわよ」
「あ、本当だ。いってきます!」
「いってらしゃーい。楽しんでね」
玄関の前までお母さんが満面の笑みで手を振って見送ってくれる。
——俺が瀬野くんと遊びに行くって話した時、嬉しそうだったもんなぁ。
俺に友達ができたことを、両親は俺の思ってる数倍は喜んでくれているらしい。そういえば、瀬野くんをうちに止めた時の両親の反応も凄まじかった。あの瀬野くんが少し押されていたほどだ。
思い出して、くふふと笑みがこぼれる。
軽やかな足取りで駅に向かう。横を見ると、ジリジリと熱い日光が海をキラキラと照らしている。あまりの美しさに一瞬足を止め、柵に寄りかかって波をぼーっと眺めてしまう。
「今日は最高のお出かけ日和だな〜」
その時、ズボンのポケットに入れていたスマホがブルっと震えた。
『おはよう』
瀬野くんからのメッセージだった。そこでハッと顔を上げる。
――いけない、優雅に海を眺めてる場合じゃなかった!
俺は返信を後に海沿いの道を駆け抜けて、なんとか電車の出発時間前に駅に到着した。
『おはよう! 電車乗れたから、ちゃんと待ち合わせ時間につきそう』
電車に座って、乱れた息をふぅっと整えながら先ほど後回しにしたメールの返信を打ち込む。
浜辺町はそれほど電車の本数が多くない。
休日だからいつもよりは通っているものの、それでも一本乗り過ごすと待ち合わせに間に合わなくなってしまう。
無事につきそうなことを連絡すると、一瞬で既読がつきすぐに返信が送られてくる。
『了解。原田の私服姿楽しみにしてる』
『楽しみにしないで……』
瀬野くんのメールで忘れていた私服問題を思い出してしまった。座ったまま自分の服を見下ろす。うん、変ではないと思う。お母さんも大丈夫だと言っていた。でも、いつも制服だから私服で会うことにどうも気恥ずかしさがあった。
そこまで考えて、ふと思った。
――瀬野くんも私服じゃん!
自分の服装に気を取られて、そんな当たり前のことをすっかり忘れていた。どうしよう、瀬野くんの私服姿めっちゃ楽しみになってきた。
『俺も瀬野くんの私服、楽しみにしてる』
楽しみなのは本心だがやり返しの意味も込めてそう送ると、既読はすぐついたのに全く返信が送られて来ない。
やってしまったかと焦っていると、ようやく待ち望んでいた通知音が聞こえてくる。
すぐにメールを開くと、返ってきたのはたった三文字だった。
『照れる』
「照れるって……、瀬野くんも照れたりするんだ」
基本みんなの中心にいる瀬野くんもこんな小さなことで照れたりするんだと思うと、なんだか可愛らしく感じてしまった。
「瀬野くんの私服、どんな感じなんだろう」
きっと彼ならなんでも見事に着こなすのだろう。それがわかっているから、余計に楽しみだ。
いつもの電車に揺られながら、でもいつもより幸せな気持ちで、今か今かと降りる駅を指折り数えた。
***
「えっと、ここら辺に居るって言ってたよね」
電車とバスを乗り継ぎ、ようやく待ち合わせ場所である風丘駅に到着した。
十分ほど前に瀬野くんから「駅に着いたからホームで待ってるね」とメールが届いている。
電車を降りホームを見渡すが、瀬野くんらしき人は見当たらない。瀬野くん目立つから、すぐ見つかると思ったんだけどな。まあここのホームは広いし、もしかしたら反対側にいるのかもしれない。
反対側のホームを確認しに行こうと踵を返したその時、後ろからグイッと右腕を引っ張られた。焦って振り向くと、背が高く真っ黒なキャップを深く被った(恐らく)男性が立っている。
「あ、あの……」
恐怖で声が掠れる。カタカタと震える腕に気づいたのか、男性は慌てて手を離した。
「ごめん原田、俺おれ!」
「その声、瀬野くん?」
男性がパッとキャップを取ると、中から見覚えのある端正な顔が現れる。
——なんだ、瀬野くんだったのかぁ。
安心してホッと胸をなでおろすと、瀬野くんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめん驚かせて。一人で立ってると目立つから帽子被ってたんだ。原田を見つけて声かけようとしたら急に別のところ行こうとするから、焦って腕つかんじゃって……」
ごめん、ともう一度謝ってくる瀬野くんに大丈夫だよと伝える。
それにしても、一人で立ってるだけで目立ってしまうなんて流石は瀬野くんだ。綺麗な顔だとは常々思っているが、やはり綺麗すぎても困るものらしい。俺には一生縁のなさすぎる悩みだからすぐに気づけなかった。
瀬野くんは脱いだキャップをそのままカバンの中にしまう。
「もう取っちゃって大丈夫なの?」
「一人じゃなかったら大丈夫かな。まあ、もし話しかけられても『デート中』って言って断るし」
ニヤッと口角をあげ得意げに言い放った瀬野くんの言葉に、俺は一瞬何も反応できなかった。
「…………デート!?」
「え? うん、デートでしょ? ずっと言ってたじゃん」
何を今更と呆れられるが、俺はそれどころじゃない。
「え、『デート』ってその、ノリとかじゃなかったの……?」
「そんなわけないじゃん。俺はガチのデートだと思ってたんだけど、原田はノリだと思ってたの?」
瀬野くんにそっと顔を覗き込まれて、ハッと息を呑む。さっきまでニヤニヤと笑っていた彼の顔から笑みが消えていたのだ。薄茶の瞳が真っ直ぐこちらを射抜いている。そこに『冗談』や『ノリ』なんて、一切なかった。
カーっと身体の内側から熱さがこみあげてくる。
——いやいや、何緊張してるんだ。本当のデートなわけ……いや、『ガチのデート』って言ってたぞ。冗談には見えなかったし。ということは、これは本当の本当にデートってこと!? ん? どういうことだ?
駄目だ、頭が真っ白で何も考えられない。
「デート……?」
「そう、デート。……そろそろ行こっか、時間なくなっちゃう」
瀬野くんはそう言うと、せっかくカバンから何かを取り出し俺の頭に被せてきた。黒い裏地のツバが視界にちらつく。
「キャップ?」
「うん。そんな可愛い顔、他に見せられないでしょ」
「可愛くはないっ……けど。じゃあ、少しの間お借りします……」
「ん」
可愛くはない。俺は断じて可愛くはないのだが、確かにこの真っ赤であろう顔のまま歩くのは少々恥ずかしかった。ツバをキュッと下ろし、出来るだけ顔が見られないよう俯く。
「えっと、どこのホームだったっけ?」
「こっち」
話題を変えようとホームを見渡すと、別の線に繋がる階段に向かって手を引かれる。指と指の間に、瀬野くんの指が入り込んでくる。
そう、『恋人つなぎ』と呼ばれるあれだ。
普通に手を繋ぐよりも密着度が高くて、ドクンと心臓が跳ねる。
なんか、また顔が熱くなってきた気がする。バレないように瀬野くんから顔を背けるが、逆にその動きで瀬野くんがこちらを向いてしまった。
「あれ、原田また照れてる? 耳真っ赤だ。手繋ぎは慣
れたと思ってたんだけど」
「こ、この繋ぎ方は初めてだから……!」
「あ〜そっか、そうだったね。じゃあ、こっちも今日一日で慣れて?」
瀬野くんは握った手を口元に持っていって、フッと軽く笑った。瀬野くんの息が微かに手にかかる。
顔も、首も、耳も、もう全部が熱くて。
自分自身の熱でのぼせたように、頭がクラクラとした。
——俺、今日心臓もたないかも……。
今日は待ちに待った瀬野くんとのお出かけ——もとい、初デートである。
この一週間何度も「お出かけ」と言い、その度に三人から一斉に訂正させられるので、いつの間にかデートという言葉に違和感を持たなくなってしまった。
あの三人の押しに、完全に負けてしまった……。
まあそんなわけで遂にデート当日なのだが、俺はお母さんの部屋にある大きな鏡の前から動けないでいた。
「大丈夫だよな。変じゃ、ないよな……」
自分の姿を何度確認しても、どうにも自信が持てない。そもそも、友達と出かける時どんな服装で行けばいいのかわからない。
昨日夜遅くまでクローゼットをひっくり返し何時間もかけて決めたこの服も、いざ着ると本当にこれでいいのかと不安になってくる。
時計を確認すると、そろそろ家を出ないとまずい時間だった。
俺は意を決してお母さんの部屋から飛び出す。
——ええい、もうこれで行ってやれ!!
靴を履いていると、お母さんがひょっこり顔を出してきた。
「あら、似合ってるじゃない」
「ほんと!? 変じゃない?」
「変なんかじゃないわよ〜。ほら、そろそろ出ないと遅れちゃうわよ」
「あ、本当だ。いってきます!」
「いってらしゃーい。楽しんでね」
玄関の前までお母さんが満面の笑みで手を振って見送ってくれる。
——俺が瀬野くんと遊びに行くって話した時、嬉しそうだったもんなぁ。
俺に友達ができたことを、両親は俺の思ってる数倍は喜んでくれているらしい。そういえば、瀬野くんをうちに止めた時の両親の反応も凄まじかった。あの瀬野くんが少し押されていたほどだ。
思い出して、くふふと笑みがこぼれる。
軽やかな足取りで駅に向かう。横を見ると、ジリジリと熱い日光が海をキラキラと照らしている。あまりの美しさに一瞬足を止め、柵に寄りかかって波をぼーっと眺めてしまう。
「今日は最高のお出かけ日和だな〜」
その時、ズボンのポケットに入れていたスマホがブルっと震えた。
『おはよう』
瀬野くんからのメッセージだった。そこでハッと顔を上げる。
――いけない、優雅に海を眺めてる場合じゃなかった!
俺は返信を後に海沿いの道を駆け抜けて、なんとか電車の出発時間前に駅に到着した。
『おはよう! 電車乗れたから、ちゃんと待ち合わせ時間につきそう』
電車に座って、乱れた息をふぅっと整えながら先ほど後回しにしたメールの返信を打ち込む。
浜辺町はそれほど電車の本数が多くない。
休日だからいつもよりは通っているものの、それでも一本乗り過ごすと待ち合わせに間に合わなくなってしまう。
無事につきそうなことを連絡すると、一瞬で既読がつきすぐに返信が送られてくる。
『了解。原田の私服姿楽しみにしてる』
『楽しみにしないで……』
瀬野くんのメールで忘れていた私服問題を思い出してしまった。座ったまま自分の服を見下ろす。うん、変ではないと思う。お母さんも大丈夫だと言っていた。でも、いつも制服だから私服で会うことにどうも気恥ずかしさがあった。
そこまで考えて、ふと思った。
――瀬野くんも私服じゃん!
自分の服装に気を取られて、そんな当たり前のことをすっかり忘れていた。どうしよう、瀬野くんの私服姿めっちゃ楽しみになってきた。
『俺も瀬野くんの私服、楽しみにしてる』
楽しみなのは本心だがやり返しの意味も込めてそう送ると、既読はすぐついたのに全く返信が送られて来ない。
やってしまったかと焦っていると、ようやく待ち望んでいた通知音が聞こえてくる。
すぐにメールを開くと、返ってきたのはたった三文字だった。
『照れる』
「照れるって……、瀬野くんも照れたりするんだ」
基本みんなの中心にいる瀬野くんもこんな小さなことで照れたりするんだと思うと、なんだか可愛らしく感じてしまった。
「瀬野くんの私服、どんな感じなんだろう」
きっと彼ならなんでも見事に着こなすのだろう。それがわかっているから、余計に楽しみだ。
いつもの電車に揺られながら、でもいつもより幸せな気持ちで、今か今かと降りる駅を指折り数えた。
***
「えっと、ここら辺に居るって言ってたよね」
電車とバスを乗り継ぎ、ようやく待ち合わせ場所である風丘駅に到着した。
十分ほど前に瀬野くんから「駅に着いたからホームで待ってるね」とメールが届いている。
電車を降りホームを見渡すが、瀬野くんらしき人は見当たらない。瀬野くん目立つから、すぐ見つかると思ったんだけどな。まあここのホームは広いし、もしかしたら反対側にいるのかもしれない。
反対側のホームを確認しに行こうと踵を返したその時、後ろからグイッと右腕を引っ張られた。焦って振り向くと、背が高く真っ黒なキャップを深く被った(恐らく)男性が立っている。
「あ、あの……」
恐怖で声が掠れる。カタカタと震える腕に気づいたのか、男性は慌てて手を離した。
「ごめん原田、俺おれ!」
「その声、瀬野くん?」
男性がパッとキャップを取ると、中から見覚えのある端正な顔が現れる。
——なんだ、瀬野くんだったのかぁ。
安心してホッと胸をなでおろすと、瀬野くんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめん驚かせて。一人で立ってると目立つから帽子被ってたんだ。原田を見つけて声かけようとしたら急に別のところ行こうとするから、焦って腕つかんじゃって……」
ごめん、ともう一度謝ってくる瀬野くんに大丈夫だよと伝える。
それにしても、一人で立ってるだけで目立ってしまうなんて流石は瀬野くんだ。綺麗な顔だとは常々思っているが、やはり綺麗すぎても困るものらしい。俺には一生縁のなさすぎる悩みだからすぐに気づけなかった。
瀬野くんは脱いだキャップをそのままカバンの中にしまう。
「もう取っちゃって大丈夫なの?」
「一人じゃなかったら大丈夫かな。まあ、もし話しかけられても『デート中』って言って断るし」
ニヤッと口角をあげ得意げに言い放った瀬野くんの言葉に、俺は一瞬何も反応できなかった。
「…………デート!?」
「え? うん、デートでしょ? ずっと言ってたじゃん」
何を今更と呆れられるが、俺はそれどころじゃない。
「え、『デート』ってその、ノリとかじゃなかったの……?」
「そんなわけないじゃん。俺はガチのデートだと思ってたんだけど、原田はノリだと思ってたの?」
瀬野くんにそっと顔を覗き込まれて、ハッと息を呑む。さっきまでニヤニヤと笑っていた彼の顔から笑みが消えていたのだ。薄茶の瞳が真っ直ぐこちらを射抜いている。そこに『冗談』や『ノリ』なんて、一切なかった。
カーっと身体の内側から熱さがこみあげてくる。
——いやいや、何緊張してるんだ。本当のデートなわけ……いや、『ガチのデート』って言ってたぞ。冗談には見えなかったし。ということは、これは本当の本当にデートってこと!? ん? どういうことだ?
駄目だ、頭が真っ白で何も考えられない。
「デート……?」
「そう、デート。……そろそろ行こっか、時間なくなっちゃう」
瀬野くんはそう言うと、せっかくカバンから何かを取り出し俺の頭に被せてきた。黒い裏地のツバが視界にちらつく。
「キャップ?」
「うん。そんな可愛い顔、他に見せられないでしょ」
「可愛くはないっ……けど。じゃあ、少しの間お借りします……」
「ん」
可愛くはない。俺は断じて可愛くはないのだが、確かにこの真っ赤であろう顔のまま歩くのは少々恥ずかしかった。ツバをキュッと下ろし、出来るだけ顔が見られないよう俯く。
「えっと、どこのホームだったっけ?」
「こっち」
話題を変えようとホームを見渡すと、別の線に繋がる階段に向かって手を引かれる。指と指の間に、瀬野くんの指が入り込んでくる。
そう、『恋人つなぎ』と呼ばれるあれだ。
普通に手を繋ぐよりも密着度が高くて、ドクンと心臓が跳ねる。
なんか、また顔が熱くなってきた気がする。バレないように瀬野くんから顔を背けるが、逆にその動きで瀬野くんがこちらを向いてしまった。
「あれ、原田また照れてる? 耳真っ赤だ。手繋ぎは慣
れたと思ってたんだけど」
「こ、この繋ぎ方は初めてだから……!」
「あ〜そっか、そうだったね。じゃあ、こっちも今日一日で慣れて?」
瀬野くんは握った手を口元に持っていって、フッと軽く笑った。瀬野くんの息が微かに手にかかる。
顔も、首も、耳も、もう全部が熱くて。
自分自身の熱でのぼせたように、頭がクラクラとした。
——俺、今日心臓もたないかも……。



