放課後、日本史の先生に頼まれてクラス全員分のノートを資料室に運んでいた。そこまで重くはないが、山積みに積まれているそれを倒さないように慎重に歩くと、どうしても時間がかかってしまう。
指先がだんだん、ジンジンと痺れてくる。
腕がプルプルと震えてきたが、まだ廊下の半分しか来ていない。資料室は一番奥の教室なのだ。
一番下のノートをギュッと持ち直す。これ以上手が限界になる前に、怒られない程度に小走りしようと考えたのだ。
スゥっと息を吸って、駆け出したその瞬間、
「あれ、原田?」
前から名前を呼ばれ、驚いて急ブレーキをかけてしまう。持っていたノートがぐらりと揺れた。
「あっ!」
「っと……あぶねー、セーフ!」
「拓実が急に呼び止めるから」
「長谷川くん、横井くん……」
前に倒れたノートを長谷川が咄嗟に受け止めてくれてなんとか事なきを得た。横にいた横井は呆れた表情で安堵のため息をついている。俺の名前を呼んだのは長谷川だったらしい。
「えっと、ふ、二人とも、どうしたの?」
「いや、居たから声掛けただけ」
「あと大変そうだったから」
なんと、用事もないのに『居た』というだけで俺に話しかけてくれたらしい。こんなこと瀬野くん以外にしてもらったのが初めてで、混乱しつつも喜んでしまう。
——なんか、友達っぽい!
友達っぽいことにテンションが上がっていると、長谷川と横井がそれぞれ十冊ほどノートを持ってくれた。クラスの人数は三十二人だから、俺の手元にはさっきの三分の一しか残っていない。急に軽くなったせいで全く重さを感じなかった。
「い、いいの?」
「ん? あぁ、これくらい全然いいって」
「困ったときはお互い様、ね?」
柔らかく笑う横井とバッチンとウインクを決める長谷川に、思わず泣いてしまいそうになる。神様・仏様・長谷川様・横井様だ。
「あ、りがとう」
「大丈夫だって。これ、資料室だよね?」
「う、うん」
「じゃ、パッパと運んじゃいますかー!」
軽やかに歩き出した二人の後を慌てて追いかける。
廊下で三人は並べないので、なぜか一列になって歩く。もちろん、俺が一番後ろだ。
何も考えず二人の後ろを歩いていると、妙に視線が突き刺さるのを感じた。周りを見渡すと、なぜか廊下にいる生徒のほとんどから見られ、真ん中に道が開けられていた。
周りはきっと前の二人を見ているんだろうが、どうしても一緒にいるのでこちらにも目線が来るのだ。
ジロジロとこちらを見る多数の熱い目が怖くて、前にいた横井にそっと話しかける。
「ね、ねえ」
「原田どうした?」
「な、なんか俺ら……見られ、てる?」
横井は目をパチクリと瞬かせ、周りを見渡す。その前にいた長谷川にも会話が聞こえていたらしく、「あー」と言いながらこちらを振り返ってきた。
「それな、たぶん原田だぞ? 見られてるの」
「え……!?」
——長谷川くんと横井くんじゃなくて、俺!?
なぜだ、二人みたいに目立つイケメンではないはず……それどころか、俺は教室の端っこにいる陰キャだというのに。そこまで考えて、あっと声が出た。
——そうか、だからだ。二人の後ろにこんな地味陰キャが歩いているから目立ったんだ! なるほどなるほど……。
俺が一人で納得していると、長谷川と横井の目線が俺の顔の下を捉える。
「そのカーディガン、彰人のだろ?」
長谷川に言われて、自分の上半身を見下ろす。
そう、俺はまだ瀬野くんのカーディガンを借りたままだった。
放課後返すと言ったのだが、「自分は今から部活でもうカーディガンを使わないから、明日返してくれたらいい」と言ってくれたのだ。有難くそのまま貸してもらっていたが、この、カーディガンのせいで……?
というか……
「な、なんで、瀬野くんのって……」
最近はずっとカーディガン着ているし、今日カーディガンを忘れたことも借りてることも、誰にも言っていない。ドンピシャで瀬野くんのものと言い当てられて、びっくりしてしまう。
「いや、原田のより大きいし」
「なにより『瀬野』って書いてあるからね」
「へ?」
二人はさも当然というように答えてきた。
——書いてある? どこに?
俺は慌ててカーディガンを見下ろすが、どこにも『瀬野』の文字は見えない。俺がキョロキョロと目線を彷徨わせていると、長谷川と横井が声を出して笑い出した。
「原田、左腕のところ」
「カーディガン買った時に縫い付けられたやつだよ」
そう言われて、春の制服購入の時を思い出した。
確かに、カーディガンを注文した時に用紙に名前を記入した覚えが……ある……。
左腕を捻ってよーく見ると、学年カラーである青い糸で確かに「瀬野」と刺繍されていた。意識しないと自分では見えない位置のため、刺繍されていたことをすっかり忘れていた。
こんなデカデカと書かれていたのに俺だけ気づいてなかったと思うと、恥ずかしくてたまらない。
——てことは俺、今日ずっと瀬野くんのカーディガンを着てたことバレてたってこと!?
じんわりと頬が熱くなってくる。
「まあここで立ち止まってても邪魔になるし、とりあえず資料室に行こうか」
「う、うん……」
横井の言葉で、俺たちがずっと廊下の中心で立ち止まっていたことに気がついた。俺たちはまた一列になり、そそくさと資料室へ向かった。
***
校舎の端っこにある、薄暗い資料室。
机の上には別の学年のノートも大量に積まれていた。資料室の存在は知っていたが入るのは初めてのため、キョロキョロと見渡してしまう。その間に長谷川と横井が一年用の机を見つけ、ノートを置いていた。
「……よし、これで全部だな!」
「二人とも、本当に、あ、ありがとう」
改めてペコリと頭を下げる。
「もう、いいって言ってるでしょ」
「これくらいで大袈裟だな〜」
なんとも思ってなさそうに笑う二人が神様に見える。やはり神様・仏様・長谷川様・横井様だ。
両手を前で組んで拝んでいると「……何してるんだ?」と長谷川に怪訝な目で見られた。解せぬ。
もう用も済んだので教室を出ようと扉に向かうと、横井に「ちょっと待って」と話しかけられる。
振り返ると、二人がちょんちょんと手招きしている。
「せっかくだからさ、ちょっと話そうよ」
「え?」
「彰人なしで原田と話せる機会全然ないからさ。たまにはいいだろ?」
確かに、クラスが違う二人と話す機会はそもそも多くないし、話すとなってもいつも瀬野くんが一緒だ。三人で話したのは、それこそ初めて会ったあの放課後一回きりだ。
たまにはいいかと、俺は踵を返した。
前までの俺ならきっと断っていたと思う。だって上手く話せないから。でも、この二人なら安心できる。言葉に詰まっても待ってくれるという安心感と信頼が、この短期間で築かれていた。
話したいと思えるようになったのはこの二人と、なにより瀬野くんのおかげだ。
俺が二人の元へ戻ると、長谷川は何も置かれていない机の上にドカッと座り、横で立っていた横井がそれを咎めていた。
「拓実、行儀悪い」
「いいだろ誰も見てないんだし。なあなあ、原田といるときの彰人ってどんな感じ?」
興味津々という様子で、長谷川が机の上から首を伸ばす。
「えっと、や、優しくて」
「うん」
「俺の話、ちゃんと待って、聞いてくれて」
「うんうん」
「あと、楽しそうに笑ってくれるから、嬉しい……?」
「おー」
「そっか〜」
微笑ましいというようにニコニコしている二人に、なんだか恥ずかしくなってくる。
「原田はさ、彰人といて楽しい?」
「う、うん、楽しいよ。なんというか、安心……する」
俺が思いっきり首を縦に振ると、二人はケラケラと笑った。
「うん、そっか、よかった」
「なんかあったらすぐ言えよ。俺らが彰人懲らしめるから」
「そうそう。いつでも告げ口していいからね」
「そ、そんな……」
瀬野くんがそんな変なことするとは思えないけど……。でも、これは俺を気にかけてくれてるということだと思うから、素直に「ありがとう」と返事をした。
ふと腕時計を見ると、そろそろ学校を出ないとまずい時間だった。このままだと電車に間に合わない。
「あ、その……」
「あ、バイト?」
「うん……」
「ごめんな引き止めて。ほら、行ってこい」
二人は笑顔で手を振って送り出してくれた。
教室を出る直前、最後にもう一度「ありがとう」とお礼を言うと、「もういいってば〜」と笑われた。
校舎を出る前に瀬野くんのカーディガンを丁寧に畳んでカバンに入れて、俺は駅に向かって走り出した。
指先がだんだん、ジンジンと痺れてくる。
腕がプルプルと震えてきたが、まだ廊下の半分しか来ていない。資料室は一番奥の教室なのだ。
一番下のノートをギュッと持ち直す。これ以上手が限界になる前に、怒られない程度に小走りしようと考えたのだ。
スゥっと息を吸って、駆け出したその瞬間、
「あれ、原田?」
前から名前を呼ばれ、驚いて急ブレーキをかけてしまう。持っていたノートがぐらりと揺れた。
「あっ!」
「っと……あぶねー、セーフ!」
「拓実が急に呼び止めるから」
「長谷川くん、横井くん……」
前に倒れたノートを長谷川が咄嗟に受け止めてくれてなんとか事なきを得た。横にいた横井は呆れた表情で安堵のため息をついている。俺の名前を呼んだのは長谷川だったらしい。
「えっと、ふ、二人とも、どうしたの?」
「いや、居たから声掛けただけ」
「あと大変そうだったから」
なんと、用事もないのに『居た』というだけで俺に話しかけてくれたらしい。こんなこと瀬野くん以外にしてもらったのが初めてで、混乱しつつも喜んでしまう。
——なんか、友達っぽい!
友達っぽいことにテンションが上がっていると、長谷川と横井がそれぞれ十冊ほどノートを持ってくれた。クラスの人数は三十二人だから、俺の手元にはさっきの三分の一しか残っていない。急に軽くなったせいで全く重さを感じなかった。
「い、いいの?」
「ん? あぁ、これくらい全然いいって」
「困ったときはお互い様、ね?」
柔らかく笑う横井とバッチンとウインクを決める長谷川に、思わず泣いてしまいそうになる。神様・仏様・長谷川様・横井様だ。
「あ、りがとう」
「大丈夫だって。これ、資料室だよね?」
「う、うん」
「じゃ、パッパと運んじゃいますかー!」
軽やかに歩き出した二人の後を慌てて追いかける。
廊下で三人は並べないので、なぜか一列になって歩く。もちろん、俺が一番後ろだ。
何も考えず二人の後ろを歩いていると、妙に視線が突き刺さるのを感じた。周りを見渡すと、なぜか廊下にいる生徒のほとんどから見られ、真ん中に道が開けられていた。
周りはきっと前の二人を見ているんだろうが、どうしても一緒にいるのでこちらにも目線が来るのだ。
ジロジロとこちらを見る多数の熱い目が怖くて、前にいた横井にそっと話しかける。
「ね、ねえ」
「原田どうした?」
「な、なんか俺ら……見られ、てる?」
横井は目をパチクリと瞬かせ、周りを見渡す。その前にいた長谷川にも会話が聞こえていたらしく、「あー」と言いながらこちらを振り返ってきた。
「それな、たぶん原田だぞ? 見られてるの」
「え……!?」
——長谷川くんと横井くんじゃなくて、俺!?
なぜだ、二人みたいに目立つイケメンではないはず……それどころか、俺は教室の端っこにいる陰キャだというのに。そこまで考えて、あっと声が出た。
——そうか、だからだ。二人の後ろにこんな地味陰キャが歩いているから目立ったんだ! なるほどなるほど……。
俺が一人で納得していると、長谷川と横井の目線が俺の顔の下を捉える。
「そのカーディガン、彰人のだろ?」
長谷川に言われて、自分の上半身を見下ろす。
そう、俺はまだ瀬野くんのカーディガンを借りたままだった。
放課後返すと言ったのだが、「自分は今から部活でもうカーディガンを使わないから、明日返してくれたらいい」と言ってくれたのだ。有難くそのまま貸してもらっていたが、この、カーディガンのせいで……?
というか……
「な、なんで、瀬野くんのって……」
最近はずっとカーディガン着ているし、今日カーディガンを忘れたことも借りてることも、誰にも言っていない。ドンピシャで瀬野くんのものと言い当てられて、びっくりしてしまう。
「いや、原田のより大きいし」
「なにより『瀬野』って書いてあるからね」
「へ?」
二人はさも当然というように答えてきた。
——書いてある? どこに?
俺は慌ててカーディガンを見下ろすが、どこにも『瀬野』の文字は見えない。俺がキョロキョロと目線を彷徨わせていると、長谷川と横井が声を出して笑い出した。
「原田、左腕のところ」
「カーディガン買った時に縫い付けられたやつだよ」
そう言われて、春の制服購入の時を思い出した。
確かに、カーディガンを注文した時に用紙に名前を記入した覚えが……ある……。
左腕を捻ってよーく見ると、学年カラーである青い糸で確かに「瀬野」と刺繍されていた。意識しないと自分では見えない位置のため、刺繍されていたことをすっかり忘れていた。
こんなデカデカと書かれていたのに俺だけ気づいてなかったと思うと、恥ずかしくてたまらない。
——てことは俺、今日ずっと瀬野くんのカーディガンを着てたことバレてたってこと!?
じんわりと頬が熱くなってくる。
「まあここで立ち止まってても邪魔になるし、とりあえず資料室に行こうか」
「う、うん……」
横井の言葉で、俺たちがずっと廊下の中心で立ち止まっていたことに気がついた。俺たちはまた一列になり、そそくさと資料室へ向かった。
***
校舎の端っこにある、薄暗い資料室。
机の上には別の学年のノートも大量に積まれていた。資料室の存在は知っていたが入るのは初めてのため、キョロキョロと見渡してしまう。その間に長谷川と横井が一年用の机を見つけ、ノートを置いていた。
「……よし、これで全部だな!」
「二人とも、本当に、あ、ありがとう」
改めてペコリと頭を下げる。
「もう、いいって言ってるでしょ」
「これくらいで大袈裟だな〜」
なんとも思ってなさそうに笑う二人が神様に見える。やはり神様・仏様・長谷川様・横井様だ。
両手を前で組んで拝んでいると「……何してるんだ?」と長谷川に怪訝な目で見られた。解せぬ。
もう用も済んだので教室を出ようと扉に向かうと、横井に「ちょっと待って」と話しかけられる。
振り返ると、二人がちょんちょんと手招きしている。
「せっかくだからさ、ちょっと話そうよ」
「え?」
「彰人なしで原田と話せる機会全然ないからさ。たまにはいいだろ?」
確かに、クラスが違う二人と話す機会はそもそも多くないし、話すとなってもいつも瀬野くんが一緒だ。三人で話したのは、それこそ初めて会ったあの放課後一回きりだ。
たまにはいいかと、俺は踵を返した。
前までの俺ならきっと断っていたと思う。だって上手く話せないから。でも、この二人なら安心できる。言葉に詰まっても待ってくれるという安心感と信頼が、この短期間で築かれていた。
話したいと思えるようになったのはこの二人と、なにより瀬野くんのおかげだ。
俺が二人の元へ戻ると、長谷川は何も置かれていない机の上にドカッと座り、横で立っていた横井がそれを咎めていた。
「拓実、行儀悪い」
「いいだろ誰も見てないんだし。なあなあ、原田といるときの彰人ってどんな感じ?」
興味津々という様子で、長谷川が机の上から首を伸ばす。
「えっと、や、優しくて」
「うん」
「俺の話、ちゃんと待って、聞いてくれて」
「うんうん」
「あと、楽しそうに笑ってくれるから、嬉しい……?」
「おー」
「そっか〜」
微笑ましいというようにニコニコしている二人に、なんだか恥ずかしくなってくる。
「原田はさ、彰人といて楽しい?」
「う、うん、楽しいよ。なんというか、安心……する」
俺が思いっきり首を縦に振ると、二人はケラケラと笑った。
「うん、そっか、よかった」
「なんかあったらすぐ言えよ。俺らが彰人懲らしめるから」
「そうそう。いつでも告げ口していいからね」
「そ、そんな……」
瀬野くんがそんな変なことするとは思えないけど……。でも、これは俺を気にかけてくれてるということだと思うから、素直に「ありがとう」と返事をした。
ふと腕時計を見ると、そろそろ学校を出ないとまずい時間だった。このままだと電車に間に合わない。
「あ、その……」
「あ、バイト?」
「うん……」
「ごめんな引き止めて。ほら、行ってこい」
二人は笑顔で手を振って送り出してくれた。
教室を出る直前、最後にもう一度「ありがとう」とお礼を言うと、「もういいってば〜」と笑われた。
校舎を出る前に瀬野くんのカーディガンを丁寧に畳んでカバンに入れて、俺は駅に向かって走り出した。



