——笑顔……笑顔って、なんだ?
そんな問いが頭の中をグルグルと駆け巡る。
昨日の瀬野くんの言葉が、あれからずっと脳内から離れない。
『もっともっと俺に慣れて? それで、もっと俺に原田の笑顔見せて?』
見つめてきた色素の薄い茶色い瞳を、頬を撫でてきた指の細さと熱さを、綺麗な口から静かに零れ落ちた言葉を思い出して、なぜか胸がドキッと高鳴る。
「……っ、ふぅ……落ち着け、俺——」
立ち止まり、パンっと両頬を思いっきり叩くと、近くを通っていたおじさんが驚いたようにこちらを振り返った。ジンジンと痛む頬に、冷静さが戻ってくる。
——暑くて、頭が火照ってるからこんなこと考えるんだ!
まだ五月だというのに、空からは燦々と日光が降り注ぎ、地面から蒸し暑い熱気がムンムンと漂う。
首筋と背中にツーっと流れる汗を感じながら、俺は無心で学校に向かった。
***
——汗とクーラーって、なんでこんなに相性悪いんだろ……。
入った瞬間天国だった教室は、数分経つ頃には極寒地獄へと変わっていた。
今年の異例の暑さに、学院は異例の早さで教室でのクーラー使用を許可した。しかし、涼しいのはいいのだが、いささか涼しすぎるのだ。
汗で濡れた制服がクーラーの風になびき、身体が冷たくなる。今日に限ってカーディガンを忘れてしまったのだ。この暑い中ブレザーなんて持っているわけもなく、今日一日シャツ一枚で過ごすことが確定されてしまった。
ブルリと身体を震わせ腕をさすっていると、後ろからポンと肩を叩かれる。
「原田おはよ。大丈夫か?」
「せ、瀬野くん……」
汗をかいていてもかっこいい男こと瀬野くんが、爽やかな笑みを浮かべて立っていた。それを見て、俺はまたしても昨日の言葉を思い出してしまった。
——あ、笑顔。
俺は昨日の夜練習したとおりに頬と口角を上げ、目を細めて挨拶した。
「お、はよ、瀬野くん」
ちゃんと笑えているだろうか。顔が引き攣っているのをどこかで感じながらも、笑えていると信じて瀬野くんの返答を待った。すると、
「……っく、ふはは!」
瀬野くんは口元に手を当てて笑い出した。
昨日かわいいと言われたことは不満だったが、確かにもっと笑ったほうがいいかもとも思った。そしたらもう少しは友達もできるかなと、思ったのだ。
入学式前のように少し鏡で練習してみたのだが、やはりそんな簡単に上手くはいかなかった。
「原田、あのっ……あのな、無理に笑わなくて良いんだぞ」
瀬野くんは未だにくふふと笑いながら、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「あっ、汗が……!」
「んー? 俺は気になんねぇよ?」
「俺が、気にするっ!」
椅子ごと引いて無理やり距離を取ると、瀬野くんは更に笑ってくる。
「ふはは。……そういえばさっき腕さすってたけど、寒いの?」
「うん。ちょっとクーラーが効きすぎてて」
「あれ、いつも羽織ってるカーディガンは?」
「…………忘れた」
「あららら」
うーんと顎に手を当てて何かを考えたあと、瀬野くんが着ていたカーディガンを脱いで俺に「ん」と渡してきた。
「えっ?」
「俺べつに寒くないからさ、貸すよ」
「いや、悪いよ……」
「いいから! 風邪引かれたほうが困るから」
ほら、と言いながら俺にカーディガンを押し付けてくる。
「でも……」
「でもも何もないでしょ。ほら、着る着る」
瀬野くんが俺の後ろに回ったと思ったら、肩にパサッとカーディガンをかけてくる。ずり落ちそうになるそれを咄嗟に掴むと、瀬野くんは満足そうに笑った。
「はい、原田カーディガン掴んだな。俺今日一日それ受け取らないから」
「へっ!?」
カーディガンを返そうとしても腕でばってんを作って一向に受け取ってくれない。本気で今日一日俺に貸す気だ。
「……ほんとに借りていいの? 寒くない?」
「ん、へーき。ほら」
長い指で胸元のボタンを二つ開け、長袖をまくっているその姿は、確かに寒そうではない。
気遣いを無下にはしたくないので、俺は恐る恐るカーディガンに腕を通した。ジャスミンの香りがふわりと舞う。いつもの瀬野くんの匂いに包まれているようで、変な気分だ。
瀬野くんのカーディガンは俺のよりひとサイズ大きくて、袖が指先まである。完全に萌え袖——というやつになってしまっている。
恥ずかしくなって袖をまくろうとしたその時、俺の前に瀬野くんが王子様のように片足を立ててしゃがみ、袖をクルクルと巻き出した。
「瀬野くん、ひ、一人で出来るからっ!」
「いや、片手だとやりにくいだろ? やってやるから、ジッとしてて」
有無を言わせない真剣な眼差しに、俺はビクリと固まった。そうしている間に瀬野くんはカーディガンを優しく折っていく。
クルクルと二・三回巻くと、いい感じに手首辺りに袖が来る。それを両腕分してよくやく瀬野くんは満足したのか、うんと頷いて立ち上がった。
「あ、りがと……」
「うん。それ、放課後渡してくれたらいいから」
「いや、洗って返すよ」
「ただのカーディガンなんだからそこまで気遣ってもらわなくても平気だって」
「あったかい?」と瀬野くんが聞いてくる。
俺は自分の上半身を見下ろした。学校指定の、クリーム色のカーディガン。
先程まで瀬野くんが羽織っていたそれはまだ彼の体温が残っているようで、とても温かかった。
「うん、あったかい」
俺が頷いて返事をすると、瀬野くんは少し目を瞬かせた。
「なんか、瀬野くんに、抱きしめられてるみたいで——」
「………………」
瀬野くんが何も言わずに天を仰ぐ。それを見て、俺は今自分が言った言葉を反芻した。
——ん? 俺なんか、めっちゃ恥ずかしいこと言ってなかった!?
「いや、その、今のはっ——!」
「……ッスゥー。笑いながらそれはずるいだろ……」
「え、俺、笑ってた……?」
思わず顔に手を当てて確認してしまう。もちろん、触っただけではわからなかったが。
「原田はそのままが一番可愛いんだから。変に意識しなくていーの」
「意識っていうか、その、ちゃんと笑ったほうがいいかなって、思って。……というか、俺は可愛くない!」
「いーや、可愛いね」
「ぐっ……ちょっと瀬野くんより、身長低いからって!」
これでも一応平均身長はあるんだぞ。ちょっと俺より身長が高いからって……!
大変不服で、思わず唇が尖る。
ふんっ、と机に突っ伏すと、瀬野くんは俺の髪をわしゃわしゃと撫でたあと「別に、そういう意味じゃないんだけどな……」と意味深な言葉を言い残して離れて行った。
そっと顔を上げる。瀬野くんは自分の席に行ったようだ。俺から少し離れた席の周りに、一気に人が集まってゆく。つくづく、俺とは住む世界が違うなと実感させられる。
――俺とは違って、瀬野くんは友達も多くて……。
そこでふと、いつかの放課後に長谷川と横井に言われた言葉を思い出す。
『彰人、人の懐に入るのは上手いけど、自分の懐に全く入れないというか』
『昔から顔とか親とかが原因で、その度に嫌な思いして』
『だから、ありがとう。彰人のことちゃんとわかってくれて』
行儀が悪いなと思いつつ、机に腕を立てて頬杖をつく。
そういえば俺は、瀬野くんのご両親のことをちゃんと知らない。
気になってはいる。でも、それで瀬野くんが今まで嫌な思いをしてきたのなら、無理に聞きたくはない。
――いつか、瀬野くんから話してくれる日が来たら……。
もしそんな日が来たら、いいなと思った。
だってそれは、瀬野くんが俺に『話していい』と思ってくれた、信頼の証だと思うから。
なんとなく、髪に触れる。
今日はなぜか頭を撫でられまくった。
汗かいてないと良いんだけどな、なんて、明後日の方向に思考を飛ばしながら、触れられた大きな手の温もりを思い返した。
◇◇
優輝も少しずつ、言葉に詰まらず普通に瀬野くんと会話できるようになってきました。
1話や2話を見返すと、成長がわかりやすいかもしれません(笑)
優輝が思い出していた長谷川と横井との会話の全容は、第5話で読めますよー!
後編は近日中に公開予定です。
7話の投稿が遅れ、申し訳ございませんでした。
そんな問いが頭の中をグルグルと駆け巡る。
昨日の瀬野くんの言葉が、あれからずっと脳内から離れない。
『もっともっと俺に慣れて? それで、もっと俺に原田の笑顔見せて?』
見つめてきた色素の薄い茶色い瞳を、頬を撫でてきた指の細さと熱さを、綺麗な口から静かに零れ落ちた言葉を思い出して、なぜか胸がドキッと高鳴る。
「……っ、ふぅ……落ち着け、俺——」
立ち止まり、パンっと両頬を思いっきり叩くと、近くを通っていたおじさんが驚いたようにこちらを振り返った。ジンジンと痛む頬に、冷静さが戻ってくる。
——暑くて、頭が火照ってるからこんなこと考えるんだ!
まだ五月だというのに、空からは燦々と日光が降り注ぎ、地面から蒸し暑い熱気がムンムンと漂う。
首筋と背中にツーっと流れる汗を感じながら、俺は無心で学校に向かった。
***
——汗とクーラーって、なんでこんなに相性悪いんだろ……。
入った瞬間天国だった教室は、数分経つ頃には極寒地獄へと変わっていた。
今年の異例の暑さに、学院は異例の早さで教室でのクーラー使用を許可した。しかし、涼しいのはいいのだが、いささか涼しすぎるのだ。
汗で濡れた制服がクーラーの風になびき、身体が冷たくなる。今日に限ってカーディガンを忘れてしまったのだ。この暑い中ブレザーなんて持っているわけもなく、今日一日シャツ一枚で過ごすことが確定されてしまった。
ブルリと身体を震わせ腕をさすっていると、後ろからポンと肩を叩かれる。
「原田おはよ。大丈夫か?」
「せ、瀬野くん……」
汗をかいていてもかっこいい男こと瀬野くんが、爽やかな笑みを浮かべて立っていた。それを見て、俺はまたしても昨日の言葉を思い出してしまった。
——あ、笑顔。
俺は昨日の夜練習したとおりに頬と口角を上げ、目を細めて挨拶した。
「お、はよ、瀬野くん」
ちゃんと笑えているだろうか。顔が引き攣っているのをどこかで感じながらも、笑えていると信じて瀬野くんの返答を待った。すると、
「……っく、ふはは!」
瀬野くんは口元に手を当てて笑い出した。
昨日かわいいと言われたことは不満だったが、確かにもっと笑ったほうがいいかもとも思った。そしたらもう少しは友達もできるかなと、思ったのだ。
入学式前のように少し鏡で練習してみたのだが、やはりそんな簡単に上手くはいかなかった。
「原田、あのっ……あのな、無理に笑わなくて良いんだぞ」
瀬野くんは未だにくふふと笑いながら、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「あっ、汗が……!」
「んー? 俺は気になんねぇよ?」
「俺が、気にするっ!」
椅子ごと引いて無理やり距離を取ると、瀬野くんは更に笑ってくる。
「ふはは。……そういえばさっき腕さすってたけど、寒いの?」
「うん。ちょっとクーラーが効きすぎてて」
「あれ、いつも羽織ってるカーディガンは?」
「…………忘れた」
「あららら」
うーんと顎に手を当てて何かを考えたあと、瀬野くんが着ていたカーディガンを脱いで俺に「ん」と渡してきた。
「えっ?」
「俺べつに寒くないからさ、貸すよ」
「いや、悪いよ……」
「いいから! 風邪引かれたほうが困るから」
ほら、と言いながら俺にカーディガンを押し付けてくる。
「でも……」
「でもも何もないでしょ。ほら、着る着る」
瀬野くんが俺の後ろに回ったと思ったら、肩にパサッとカーディガンをかけてくる。ずり落ちそうになるそれを咄嗟に掴むと、瀬野くんは満足そうに笑った。
「はい、原田カーディガン掴んだな。俺今日一日それ受け取らないから」
「へっ!?」
カーディガンを返そうとしても腕でばってんを作って一向に受け取ってくれない。本気で今日一日俺に貸す気だ。
「……ほんとに借りていいの? 寒くない?」
「ん、へーき。ほら」
長い指で胸元のボタンを二つ開け、長袖をまくっているその姿は、確かに寒そうではない。
気遣いを無下にはしたくないので、俺は恐る恐るカーディガンに腕を通した。ジャスミンの香りがふわりと舞う。いつもの瀬野くんの匂いに包まれているようで、変な気分だ。
瀬野くんのカーディガンは俺のよりひとサイズ大きくて、袖が指先まである。完全に萌え袖——というやつになってしまっている。
恥ずかしくなって袖をまくろうとしたその時、俺の前に瀬野くんが王子様のように片足を立ててしゃがみ、袖をクルクルと巻き出した。
「瀬野くん、ひ、一人で出来るからっ!」
「いや、片手だとやりにくいだろ? やってやるから、ジッとしてて」
有無を言わせない真剣な眼差しに、俺はビクリと固まった。そうしている間に瀬野くんはカーディガンを優しく折っていく。
クルクルと二・三回巻くと、いい感じに手首辺りに袖が来る。それを両腕分してよくやく瀬野くんは満足したのか、うんと頷いて立ち上がった。
「あ、りがと……」
「うん。それ、放課後渡してくれたらいいから」
「いや、洗って返すよ」
「ただのカーディガンなんだからそこまで気遣ってもらわなくても平気だって」
「あったかい?」と瀬野くんが聞いてくる。
俺は自分の上半身を見下ろした。学校指定の、クリーム色のカーディガン。
先程まで瀬野くんが羽織っていたそれはまだ彼の体温が残っているようで、とても温かかった。
「うん、あったかい」
俺が頷いて返事をすると、瀬野くんは少し目を瞬かせた。
「なんか、瀬野くんに、抱きしめられてるみたいで——」
「………………」
瀬野くんが何も言わずに天を仰ぐ。それを見て、俺は今自分が言った言葉を反芻した。
——ん? 俺なんか、めっちゃ恥ずかしいこと言ってなかった!?
「いや、その、今のはっ——!」
「……ッスゥー。笑いながらそれはずるいだろ……」
「え、俺、笑ってた……?」
思わず顔に手を当てて確認してしまう。もちろん、触っただけではわからなかったが。
「原田はそのままが一番可愛いんだから。変に意識しなくていーの」
「意識っていうか、その、ちゃんと笑ったほうがいいかなって、思って。……というか、俺は可愛くない!」
「いーや、可愛いね」
「ぐっ……ちょっと瀬野くんより、身長低いからって!」
これでも一応平均身長はあるんだぞ。ちょっと俺より身長が高いからって……!
大変不服で、思わず唇が尖る。
ふんっ、と机に突っ伏すと、瀬野くんは俺の髪をわしゃわしゃと撫でたあと「別に、そういう意味じゃないんだけどな……」と意味深な言葉を言い残して離れて行った。
そっと顔を上げる。瀬野くんは自分の席に行ったようだ。俺から少し離れた席の周りに、一気に人が集まってゆく。つくづく、俺とは住む世界が違うなと実感させられる。
――俺とは違って、瀬野くんは友達も多くて……。
そこでふと、いつかの放課後に長谷川と横井に言われた言葉を思い出す。
『彰人、人の懐に入るのは上手いけど、自分の懐に全く入れないというか』
『昔から顔とか親とかが原因で、その度に嫌な思いして』
『だから、ありがとう。彰人のことちゃんとわかってくれて』
行儀が悪いなと思いつつ、机に腕を立てて頬杖をつく。
そういえば俺は、瀬野くんのご両親のことをちゃんと知らない。
気になってはいる。でも、それで瀬野くんが今まで嫌な思いをしてきたのなら、無理に聞きたくはない。
――いつか、瀬野くんから話してくれる日が来たら……。
もしそんな日が来たら、いいなと思った。
だってそれは、瀬野くんが俺に『話していい』と思ってくれた、信頼の証だと思うから。
なんとなく、髪に触れる。
今日はなぜか頭を撫でられまくった。
汗かいてないと良いんだけどな、なんて、明後日の方向に思考を飛ばしながら、触れられた大きな手の温もりを思い返した。
◇◇
優輝も少しずつ、言葉に詰まらず普通に瀬野くんと会話できるようになってきました。
1話や2話を見返すと、成長がわかりやすいかもしれません(笑)
優輝が思い出していた長谷川と横井との会話の全容は、第5話で読めますよー!
後編は近日中に公開予定です。
7話の投稿が遅れ、申し訳ございませんでした。


