100回目の『初恋』、君が知らない甘い嘘

路地の行き止まり。
湿ったコンクリートの匂いと、行き場を失った風が私の足元で渦巻いている。
目の前に立つ朔夜くんの影が、夕闇に溶けて巨大な怪物のように見えた。

「……世界が、削れる?」

私の掠れた声に、彼は肯定も否定もせず、ただ私の耳元にかかった髪を指先で優しく払った。
その手つきは、熱烈な求愛のようでもあり、あるいは標本を整える剥製師のようでもあった。

「そうだよ。時間は無限じゃない。一人の人間が強引に巻き戻せる回数には、限界があるんだ。最初は些細なことだった。道端の花の色が変わったり、聞こえるはずのない音が混じったり。でも、最近はもっとひどい。君が今感じた既視感――それは、世界が君を『この時間の住人』として認識しきれなくなっている証拠なんだよ」

「……どうして、そんなになるまで……」

「決まっているじゃないか」

彼は私の頬を両手で挟み込み、逃げられないように固定した。
彼の瞳が、至近距離で私の視線を射抜く。

「君が、死んでしまうからだ。僕が目を離した隙に、君は何度も、何度も僕の手を零れ落ちていった。ある時は病気で、ある時は事故で、ある時は通り魔に襲われて。……神様がどうしても君を連れて行こうとするから、僕はその度に、世界ごと君を奪い返してきたんだ。100回、君が冷たくなるのをこの腕で感じて、その度に僕は地獄から這い上がってきた」

彼の告白は、もはや純愛の域を超え、呪詛のような響きを帯びていた。


100回の死。


100回の別れ。


彼が私に向けるこの過剰なまでの甘さと献身は、その凄惨な記憶を塗り潰すための、必死の防衛本能だったのだ。

「朔夜くん、もういいよ。もう、やめて……。そんなに苦しいなら、私はもう……」

「ダメだ!」

彼が叫んだ。
路地裏に彼の鋭い声が響き渡り、驚いたカラスがバサバサと羽を鳴らして飛び去る。


彼は、泣きそうな顔で私を強く抱きしめた。
私の骨が軋むほどの、痛みを感じるほどの抱擁。

「『いい』なんて言わないでくれ。君がいない世界で、僕が一人で生きていくなんて……そんなの、死ぬより残酷だ。……いいかい、つむぎ。世界が壊れるのが先か、僕たちが一つになるのが先か、……もう、賭けなんだ」

彼は私の肩に顔を埋め、子供のように肩を震わせた。


完璧だった彼の仮面が剥がれ落ち、中から現れたのは、ただ一人の少女を失うことに怯えきった、孤独で脆い少年の姿だった。

「ねえ、約束して。何があっても、僕から逃げないって。たとえ明日が来なくても、僕の手を離さないって」

彼の熱い涙が、私の制服の肩に染み込んでいく。


私は、震える手をゆっくりと持ち上げ、彼の広い背中に回した。


怖い。
この人は狂っている。
私の日常を奪い、私を運命の檻に閉じ込めようとしている。


けれど、それ以上に――。


100回もの絶望をたった一人で背負ってきたこの背中を、突き放すことなんて、私にはできなかった。

「……約束するよ、朔夜くん。私は、どこにも行かない」

私がそう呟くと、彼は顔を上げ、濡れた瞳で私を見つめた。


そして、夕闇の中で、彼はこれまでで一番、甘くて悲しいキスを私に落とした。


その瞬間、遠くでかすかに、ガラスが割れるような高い音が響いた気がした。


時計の針が、また一つ。狂い始めた音だった。