100回目の『初恋』、君が知らない甘い嘘

昨夜、レストランで聞いた信じられない告白。


それがもし悪い夢だったなら、どんなに良かっただろう。


けれど、翌朝目覚めた私の手首には、彼に強く掴まれた時の指の跡が、薄っすらと青紫色の痣になって残っていた。

「おはよう、つむぎ。今日はいい天気だね」

校門で待っていた朔夜くんは、昨日までの「完璧な王子様」の顔に戻っていた。


彼の背後で、満開を過ぎた桜が風に舞っている。

「……おはよう、朔夜くん」

「顔色が悪いね。昨夜はあまり眠れなかった? 大丈夫、今日の授業は全部、君がノートを取りやすいように僕が先回りして資料を揃えてあるから。放課後は、君が昨日『食べたい』って言ってた、あの路地裏のパン屋に寄ろう」

私は息を呑む。


昨日、パン屋の話なんて、彼には一言もしていない。


……いや、待って。
昨日の夜、一人でベッドの中で、スマートフォンの検索履歴に残しただけだ。

「……朔夜くん、どうしてパン屋さんのこと……」

「言っただろう? 僕は君のすべてを知っている。君が何を考え、何を欲しがるか、手に取るようにわかるんだ」

彼は私の頬に手を伸ばし、痣を隠すように優しく撫でた。


その指先が触れるたび、肌が粟立つ。
愛されているという実感と、監視されているという恐怖。
その境界線が、どろどろに溶けていく。

教室に入ると、奇妙な感覚に襲われた。


隣の席の男子が消しゴムを落とす。
窓の外を、一羽の白い鳥が横切る。
先生がチョークを折って、苦笑いしながら舌打ちをする。

(……知ってる。これ、全部、見たことがある)

それは単なるデジャヴではなかった。


次に誰が何を言い、どのタイミングでチャイムが鳴るのか、私には「分かって」しまうのだ。


まるで、すでに一度観た映画を、もう一度最前列で見せられているような、不気味な感覚。

「紬希、どうしたの? ぼーっとして」

親友の莉子が声をかけてくる。

「ねえ、莉子。……今日、なんだか変じゃない? 前にも同じことがあったような……」

「えー? 疲れすぎじゃない? あ、そうだ! 今日の昼休み、購買の焼きそばパン争奪戦、一緒に行こうよ!」

その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に鮮明な映像が浮かんだ。


人混みに押されて莉子が転び、膝を擦りむいて泣きべそをかく姿。

「……行かない。莉子、今日は購買に行っちゃダメ。転んで怪我しちゃうから」

「えっ、予言者? なにそれ、怖いよー」

莉子は笑って取り合わなかったけれど、昼休みが終わった後。


莉子は、私の予言通り、膝に大きな絆創膏を貼って教室に戻ってきた。

「ちょっと、紬希! なんで分かったの? 本当に転んじゃったよ……」

莉子の怯えたような、でもどこか面白がっているような声が、遠くで響く。


私はガタガタと震える手で机を掴んだ。


分かったんじゃない。
私は、朔夜くんが見ている「景色」の一部を、共有してしまっているのだ。

放課後。
朔夜くんに連れられて路地裏のパン屋へ向かう途中、私はわざと、彼が示したルートとは違う道を選んで走り出した。

「つむぎ! そっちは……!」

背後で、朔夜くんの焦燥に満ちた声が響く。


私は角を曲がり、細い路地へと飛び込んだ。


彼が「正解」だと決めたルートから外れれば、この狂ったシナリオから逃げられると思ったのだ。

けれど、路地の突き当たりで私を待っていたのは――。

「……どうして」

そこに、先回りした朔夜くんが立っていた。


息一つ乱さず、彼は壁に背を預け、冷めた瞳で私を見つめていた。

「つむぎ。あっちの道を行けば、君は野良猫に驚いて、足首を捻挫することになっていた。だから、僕は君をここへ誘導したんだ」

「……あなたは、神様なの……?」

「いいえ。僕はただの、君を愛しすぎて壊れてしまった人間だよ」

彼は一歩、また一歩と私に近づき、行き止まりの壁に私を追い詰めた。


逃げ場はない。


見上げれば、ビルの隙間から見える空は、不自然なほど青く、どこか偽物の書割のように見えた。

「ねえ、つむぎ。知ってる? 100回も繰り返すとね、世界が少しずつ削れていくんだ。君の記憶が混濁し始めたのは、その証拠。……もうすぐ、この『時間』自体が、耐えきれなくなって壊れてしまうかもしれない」

彼は私の首筋に鼻先を寄せ、深く息を吸い込んだ。

「だから、その前に……終わらせようか。二人だけの、永遠の中で」

彼のポケットの中で、カチリ、と時計の針が止まるような音が聞こえた。