100回目の『初恋』、君が知らない甘い嘘

透明なゆりかごの周りで、私たちの意識は静かな波のように寄せては返していた。


肉体を持たない私たちは、もはや重力にも時間にも縛られない。


赤ん坊が眠る病院の窓の外には、かつて私たちが「終わらせた」はずの街が、新しい息吹を纏って広がっている。

「ねえ、朔夜。この子の瞳、さっき一瞬だけ、あなたの色に見えたわ」

『……そうかな。僕は、君が笑った時の目尻の優しさが、この子の口元に宿っている気がするよ』

私たちの対話は、音にならない祈りの重なりだった。


一秒一秒、赤ん坊が呼吸をするたびに、私たちの自我の断片はさらに薄れ、世界の一部へと還元されていく。


それは、ろうそくの火が消えるような寂しい終焉ではなく、海に溶ける一滴の雫のような、満ち足りた融合だった。


私たちは、この子の成長を「時間」として追うのではなく、この子が触れる「世界」として支え始めた。

例えば、この子が初めて公園で土に触れるとき。


私たちは土の温もりとなり、生命の力強さをその小さな手のひらに伝える。


例えば、この子が初めて誰かに恋をして、胸を痛めるとき。


私たちは夜風の優しさとなり、彼女の熱い頬を冷ます。

『つむぎ。……不思議だね。あんなに必死に君を縛り付けようとしていた僕が、今は、この子が僕たちのことなんて一切知らずに生きていくことを、こんなにも誇らしく思っている』

「……それが本当の『守る』ってことだったのね、朔夜くん。支配することでも、先回りして不幸を取り除くことでもない。……ただ、彼女が自分の足で歩けるように、世界を整えてあげること」

かつて、朔夜くんの愛は鋭いナイフだった。


私を守るために、周りのすべてを切り刻み、私を透明な箱に閉じ込めた。


けれど、今の彼の愛は、広大な大地そのものだった。


踏まれても、汚されても、ただそこにあって、すべてを育む。


私たちは、一瞬だけ意識を広げ、かつての友人たちの姿を探した。

莉子は、別の高校で新しい友達と笑い合っていた。
彼女の記憶から「私」という存在は消えているけれど、彼女がときどき空を見上げて、「なんだか、大切なことを忘れている気がする」と呟く瞬間、私たちは彼女の肩を叩く陽光になった。

私の両親は、どこか遠い街で、穏やかな日々を過ごしていた。
娘を失った悲しみさえも、再構築された世界では「最初からいなかった」という平穏に書き換えられている。


それは残酷なことかもしれない。
けれど、彼らが涙を流さずに済むのなら、それが私たちの選んだ「最大の愛」だった。

「……みんな、幸せそうね」

『ああ。……僕たちが消えた空白を、世界が優しく埋めてくれている。……それでいい。……それがいいんだ』


やがて、病院の窓から、まばゆいばかりの朝日が差し込んできた。


その光に打たれて、私たちの意識はついに最後の一線を越えようとしていた。

赤ん坊が、パチリと目を開ける。


その澄んだ瞳に、私たちの「最後の輝き」が反射した。


その子は、見えない何かに向かって、ふふっと無邪気に笑った。

「いってらっしゃい。私たちの、一番新しくて、一番普通の……女の子」

『……幸せに。……僕たちが愛した、この世界で』

私たちの自我が、朝の光に溶けて消える。


「紬希」も「朔夜」も、もうどこにもいない。


けれど、窓の外で鳴く小鳥の声の中に、揺れる若葉の影の中に、そしてこれから成長していく少女の、何気ない鼻歌の中に。


私たちの100回分の絶望と、たった1回の「真実の愛」は、永遠に刻み込まれている。

世界が、初めて完成した音がした。


運命に抗い続けた二人の物語は、今、名もなき風の音となって、どこまでも続く未来へと吹き抜けていった。