100回目の『初恋』、君が知らない甘い嘘

意識が溶け合う感覚は、深い海に沈んでいくのに似ていた。
けれど、そこにあるのは水圧のような苦しさではなく、母の胎内に戻ったかのような、圧倒的な全能感と安らぎだった。

『……つむぎ、君の鼓動が僕の鼓動になる。君の涙の理由が、僕の悲しみとして流れ込んでくる……』

朔夜くんの意識は、すでに個人の枠を超え、この世界の「理(ことわり)」そのものへと変質し始めていた。
彼の苦悩、100回分の絶望、そして私を救おうとした狂気。
そのすべてが、私の意識というフィルターを通るたびに、不純物を取り除かれた純粋な「祈り」へと濾過されていく。

私たちは今、再構築された世界の空を舞う風であり、地を流れる水だった。


視界はもはや二つの瞳に限定されない。


私たちは、新しく芽吹いたばかりの森のざわめきを同時に聞き、遠くの街で灯り始めた一番星の瞬きを同時に見つめていた。


意識の海を漂う中で、一際強く輝く記憶の塊があった。


それは、朔夜くんが100回のループの中で、どうしても捨て去ることができずに抱え込み続けてきた「幸福の断片」だった。

『見て、つむぎ。これは32回目のリープ。君と一緒に、雨宿りをした神社の軒下だ』

目の前に、セピア色の情景が広がる。


激しい夕立の中、肩を寄せ合う私たち。
若かった彼は、私が濡れないようにと無理をして傘を差し出し、自分の右肩がびしょ濡れになっていることにも気づいていない。

『そしてこれは、76回目。僕たちは喧嘩をして、一週間も口をきかなかった。でも、君が僕の誕生日に、黙って机の中に手作りの栞を置いていってくれた時の記憶だ』

かつての彼は、それらの記憶を「失敗した過去」として切り捨て、上書きしようとしていた。
完璧な結末に辿り着くための、不十分なデータとして。


けれど、今の彼は、その不完全な断片こそが、どれほど愛おしい宝物だったかを理解していた。

「……綺麗ね、朔夜くん。どの世界の私もしあわせそう。あなたがいたから、私はどの世界でも、たった一人にはならなかったのね」

私は、彼の意識の奥底にある「罪悪感」を優しく撫でた。


君を壊してしまった、君の時間を奪ってしまったという彼の呪縛。
それを解き放つのは、今の私の全存在をかけた赦しだった。


意識の融合が進むにつれ、言葉は次第に意味を失っていった。

「私(つむぎ)」と「僕(さくや)」という言葉の壁が崩れ、一つの巨大な「私たち」という意志の渦が形成されていく。

『ああ……意識が、薄れていく……。つむぎ、僕はもう、自分の「名前」を思い出せなくなりそうだ……』

「いいのよ。名前なんて、誰かに呼ばれるための記号だもの。ここにいる私たちは、もう誰にも呼ばれる必要はない。ただ、ここに在るだけでいいの」

私たちは、世界の隅々にまで広がっていった。


新しい世界で、一人の少女が階段でつまずきそうになる。


私たちは「運命」という風になって、彼女の背中をそっと支える。


一人の少年が、孤独に押し潰されそうになって空を見上げる。


私たちは「希望」という光になって、雲の間から彼を照らす。


かつての朔夜くんが、時間を巻き戻すことで「個人」を救おうとしたのなら。


今の私たちは、世界の一部になることで「すべて」を肯定しようとしていた。

『つむぎ……これが、君が教えてくれた「自由」なんだね。……誰かを支配することのない、ただ、世界に寄り添うだけの……穏やかな……愛……』

彼の声が、遠ざかる。


それは消滅ではなく、拡大だった。


一滴の水が大海に落ち、その波紋が世界中に広がっていくように。


私たちは、最後に残った「個」としての最後の欠片を、互いの中心へと押し込めた。


それは、一番最初の出会いで交わした、あの半分壊れたビニール傘の色。


そして、一番最後に誓った、あの101回目の約束の熱。

暗闇に包まれたはずの世界が、私たちの融合によって、かつてないほど鮮やかな色彩で塗り替えられていく。


空にはオーロラが走り、大地からは生命の歌が響き渡る。


私という存在が、彼という存在に溶け、最後の一滴が消える直前。


私たちは確かに、永遠という名の「一瞬」を掴み取っていた。