100回目の『初恋』、君が知らない甘い嘘

私たちの「体」は、もう半分以上がこの世界に溶け込んでいた。


足は地面と一体化し、指先を動かせば空気に波紋が広がる。
痛みはない。
ただ、自分が自分でなくなっていくような、恐ろしいほどに穏やかな喪失感だけがそこにあった。

「……ねえ、朔夜くん。聞こえる?」

声を出したつもりだったけれど、それは空気の振動としてではなく、直接彼の意識に流れ込む思念(おもい)となって響いた。

『聞こえるよ、つむぎ。君が今、少しだけ寒いと感じていることも、僕を愛おしいと思ってくれていることも……全部、僕の心の中に流れ込んでくる』

目の前に立つ朔夜くんの姿は、もはや光の輪郭に過ぎない。
けれど、彼が私を見つめる視線の熱さだけは、肉体があった時よりも鮮明に感じられた。

周りの景色は、もう特定の「場所」を指し示してはいなかった。


春の桜が舞ったかと思えば、次の瞬間には真夏の入道雲が湧き上がり、秋の枯葉が冬の雪へと変わる。


100回分のリープで巡った「季節」たちが、整理されないままに溢れ出し、この名もなき場所を彩っている。


私たちは、再構築された世界の「中心」にいた。


そこには、あの懐中時計の巨大な歯車が、錆びついた音を立てて積み上げられている。
彼が時間を止めるために使った「力」の残骸だ。

「……これが、私たちの世界の心臓なのね」

『そうだね。でも、もう動く必要はない。時間はもう、誰にも縛られずに流れていけばいいんだ。僕たちが消えた後、この世界がどうなっていくのか……それを決めるのは、僕たちじゃない。新しく生まれる「何か」だ』

朔夜くんの光の手が、私の頬に触れる。


その瞬間、私の意識は彼の中へと吸い込まれた。


彼が見てきた100回分の「私の死」が、モノクロの映画のようにフラッシュバックする。


血の匂い。冷たい雨。遠ざかるサイレン。


彼がどれほどの恐怖に震えながら、その度に時間を巻き戻してきたのか。


彼がどれほどの孤独の中で、私を救うための数式を組み立ててきたのか。


その地獄のような記憶のすべてが、今、私の愛という熱によって浄化され、真っ白な光へと書き換えられていく。

『……つむぎ、苦しくないかい? 僕のこんな、泥のような記憶を……』

「苦しくないよ。……だって、この泥があったから、今の私たちはここにいられるんだもの。……ほら、見て」

私が彼の意識を包み込むように願うと、彼の暗い記憶の沼から、色とりどりの感情の花が咲き乱れた。


それは「執着」が「献身」に変わった瞬間。 「支配」が「信頼」に昇華された瞬間。


不意に、強い風が吹いた。


私たちの境界線が、さらに曖昧になる。


私の右手が彼の左腕と重なり、一つの光の筋となって空へ伸びていく。


もはや、どこまでが私で、どこからが彼なのか、その区別すら無意味になっていく。

『つむぎ。……怖くないと言ったら、嘘になる。僕という個体が消えて、ただの「概念」になってしまうことが……君を抱きしめる腕を失うことが、僕は怖いんだ』

「大丈夫。腕がなくなっても、私はあなたの鼓動を感じられる。目がなくなっても、あなたの光を見つけられる。……私たちは、消えるんじゃない。この世界そのものになるのよ」

私は、彼の光の核に向かって、最後の一歩を踏み出した。


それは、101回目の告白よりも深く、残酷なほどに純粋な、魂の統合。


世界の各地で、止まっていた「音」が再生され始める。


川が流れ、風が鳴り、生命の産声がどこか遠くで響く。


私たちが消える代わりに、死んでいた世界が息を吹き返していく。

「……さようなら、朔夜くん」

『さようなら、じゃないよ。……「いってきます」、だ。つむぎ』

光が爆発した。


視界を覆い尽くす白光の中で、私は最後に、彼が私の名前を呼ぶ声を聞いた。


それは、100回のリープの中で一度も聞いたことがないほど、優しく、穏やかな響きだった。


私という「紬希」は消えた。


彼という「朔夜」も消えた。


けれど、新しく生まれた世界の風の中に、確かに二人の息遣いが混ざり合っていた。