100回目の『初恋』、君が知らない甘い嘘

図書室が、校舎が、そして街のすべてが光の粒子となって溶け去った後。


私たちが辿り着いたのは、上下も左右も、時間すらも存在しない「真っ白な虚無」だった。

どこまでも続く無色の空間。
そこには、朔夜くんが守り抜こうとした「100回分の過去」も、私たちが恐れていた「残酷な未来」も、何一つ存在しない。

「……終わったのかな」

私は、自分の声が形となって空気に溶けるのを感じた。


隣には、朔夜くんが座っていた。
ノイズは消え、彼の体は確かな輪郭を取り戻している。
けれど、その瞳からはかつての鋭い執着が消え、まるで嵐が過ぎ去った後の凪のような、穏やかで空っぽな光が宿っていた。

「ああ、終わったんだ。僕が100回かけて繋ぎ止めてきた『時間の鎖』は、つむぎ、君が時計を壊した瞬間にすべて霧散した」

彼は、白一色の地平線を見つめながら、静かに告げた。

「ここは、物語の『裏表紙』のさらに外側だ。神様も、運命も、ここまでは追ってこられない。……でも、引き換えに、僕たちはもう、誰の記憶にも戻れない」

「……それでいいよ。もう、十分頑張ったんだから」

私は彼の肩に頭を預けた。


彼の体温が、今はとても心地いい。


100回分の記憶を共有した私の頭の中には、今も数え切れないほどの「私」と「彼」が息づいている。


ある世界での私たちは、もっと早くに別れていた。


ある世界での私たちは、もっと残酷な形で傷つけ合っていた。


その無数の分岐点の果てに、ようやく辿り着いたのが、この何もなき場所。

「ねえ、朔夜くん。……ここなら、誰にも邪魔されずに、新しいお話を書き始められると思わない?」

「新しいお話?」

「そう。101回目の、誰にも決められていない私たちの物語」

私は、真っ白な地面にそっと指先で触れた。


すると、私の指がなぞった場所から、一滴の絵の具を落としたように、鮮やかな「青色」がじわりと広がり始めた。

それは、私たちが初めて出会った日の、あのビニール傘と同じ色。


続いて、朔夜くんが私の手の甲をなぞると、そこから「金色」の光が芽吹き、小さな名もなき花が咲いた。

「……これは、僕たちの『意志』が、この無を塗り替えているのか」

朔夜くんの声に、驚きと微かな希望が混じる。


そうだ。
ここは、すべてを失った場所ではない。


100回分の愛と絶望を飲み込んだ私たちが、今度は「自分たちの色」で世界を再構成していくための、巨大なキャンバスなのだ。

「次は、雨の日じゃなくて、晴れた日に出会おう。……私が、忘れ物をして困っているところに、あなたが偶然通りかかるの」

「……それなら、僕は君に、とびきりかっこいい挨拶を用意しておかなきゃいけないな」

彼は、少しだけ照れくさそうに笑った。


その笑顔は、これまでのどの世界でも見たことがない、不器用で、けれど一点の曇りもない「本物」の笑顔だった。

私たちは立ち上がり、真っ白な世界を歩き出した。


一歩進むごとに、私たちの足元から新しい世界が生まれていく。


緑の草原、澄んだ川、遠くに見える山並み。


それらはすべて、彼がかつて無理やり作り上げた「偽物の完璧さ」ではなく、歪で、不確かで、けれど愛おしい、私たちの「願い」の形。

「……でも、つむぎ。世界を再構築するには、大きなエネルギーが必要だ。……僕の魂も、君の記憶も、いつかはこの世界そのものと同化して、個体としての『僕たち』は消えてしまうかもしれない」

「いいよ。……私たちが世界そのものになれば、私たちは二度と離れることはないでしょ?」

私は彼の、少し冷たい指先をぎゅっと握りしめた。


空がゆっくりと色づき始める。


それは、夜でも朝でもない、淡い菫色の夜明け。

私たちは、自分たちの手で作り始めたこの新しい箱庭の果てを目指して、歩みを止めることはなかった。


背後で、かつての100回分の悲劇が、静かに光の塵となって消えていく。

「……さあ、101回目のページをめくろう。……朔夜くん」

この真っ白な世界が、私たちの愛で満たされるまで、あとどれくらいの時間がかかるだろう。


永遠のような一瞬の中で、私たちは「初めて」の恋を、もう一度始める。