100回目の『初恋』、君が知らない甘い嘘

眩い光が弾け、鼓膜を突き破るような轟音が響いた次の瞬間


――世界は、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。

「……あ……」

ゆっくりと目を開ける。


そこは、あのマンションの一室ではなかった。


見上げた空は、濁った紫色と朱色が混ざり合い、沈まない夕陽が地平線のすぐ上で静止している。
風はなく、空気は甘く、重い。


私は、アスファルトの上に座り込んでいた。


辺りを見渡すと、そこは見慣れた通学路のようでありながら、どこか決定的に違っていた。

電柱は奇妙な角度で折れ曲がり、民家の窓にはすべて、あの「懐中時計の文字盤」のような模様が浮かび上がっている。


そして、何よりも異様なのは――。

「……誰も、いない」

莉子も、先生も、道ゆく車も。 生き物の気配が、一切消えていた。


100回分の時間が衝突し、混ざり合った結果、世界は誰一人として存在しない「空白の物語」へと反転してしまったのだ。

「つむぎ」

背後から、低く掠れた声がした。


振り返ると、そこには朔夜くんが立っていた。


けれど、その姿はもう、人間の形を辛うじて保っているだけのように見えた。


彼の指先からは、常に黒い砂のようなノイズが溢れ出し、空気に触れては消えていく。

「……どうして、時計を壊したんだ。僕を消せば、君はあの日、青い空の下で目覚められたのに」

彼は絶望したような、けれど救われたような、複雑な表情で私を見つめていた。

「……言ったでしょ。あなたを忘れて生きる『明日』なんて、私には必要ないって」

私は立ち上がり、彼の元へ歩み寄った。


一歩踏み出すたびに、足元の地面が「かつての記憶」を映し出すように明滅する。


ある歩幅では中学の廊下になり、次の歩幅では血に染まった駅のホームになる。

「ここは、どこなの? 101回目の世界?」

「……いいえ。ここは、どの数字にも属さない『物語のゴミ捨て場』だ。僕が書き換えて、捨ててきた、100回分の絶望が積み重なった場所。……君が僕を選んでしまったから、僕たちはこの閉じられた円環の中に、永遠に閉じ込められてしまったんだ」

朔夜くんは、震える手で私の頬に触れた。


彼の肌は氷のように冷たく、けれど彼が流す涙だけは、火傷しそうなほど熱かった。

「……莉子も、パパもママも、もういない。この世界には、僕と君の二人しかいないんだよ、つむぎ。……これが、君の望んだ結末なのか?」

私は彼の胸に顔を埋め、その不確かな鼓動を聞いた。


遠くで、世界が崩壊し続ける音が聞こえる。


空が割れ、巨大な歯車が天を覆い、時間が物理的な重さを持って私たちを押し潰そうとしている。

「……ええ。これでいいの。誰の目も気にせず、誰の運命も背負わずに、ただあなただけを愛していられる」

私は彼を見上げ、微笑んだ。


その微笑みは、かつて朔夜くんが100回かけて追い求めた「理想の少女」のものではなく、彼と同じ「狂気」に染まった、一人の女の顔だった。

「……ああ、つむぎ……」

朔夜くんは、私の肩に顔を埋めて、獣のような声を上げて泣いた。


その瞬間、世界の反転が完了した。


静止していた夕陽が、ゆっくりと黒く染まっていく。


私たちの周囲に、かつて彼が集めた数千枚の写真が、雪のように降り積もる。


それはもはや「記録」ではなく、この二人だけの箱庭を彩る、唯一の装飾品だった。

「……ねえ、朔夜くん。物語を聞かせて」

私は、彼の腕の中で目を閉じた。

「あなたが、私を救うために戦った、100回の孤独な旅の話。……時間はたっぷりあるわ。……永遠に、ね」

反転した世界で、時計の針が止まった。


私たちは、誰にも見つからない「幸せな地獄」の王と王妃になったのだ。