舞い散る写真の一枚が、私の足元にふわりと落ちた。
それは、中学の制服を着た私と、少し幼い朔夜くんが、並んで登校している姿だった。
「これ……嘘よ。私は中学のとき、朔夜くんと同じ学校じゃなかったはず……」
「それは、僕がそう『書き換えた』世界の記憶だよ。君を一人にしたくなくて、無理やり転校の手続きを過去に遡ってねじ込んだんだ」
朔夜くんの声は、感情を削ぎ落としたように静かだった。
私は震える手で、棚に並んだ手帳の一冊を手に取った。
そこには、分刻みで私の行動が記録されていた。
『08:15 紬希、家を出る。信号待ちで犬を連れた老人に微笑む』
『12:30 紬希、購買のパンが売り切れで少し残念そうな顔をする。次は先に買っておくこと』
『17:45 紬希、雨に降られる。……失敗した。傘を持っていくよう、誰かを使って仕向けるべきだった』
「……怖い」
私は手帳を床に落とした。
紙が散らばる音が、静かな部屋に異様に大きく響く。
目の前にいるのは、私の大好きな恋人なんかじゃない。
私の人生というキャンバスを、何度も何度も塗り潰し、自分好みの色彩に書き換えてきた、孤独な独裁者だ。
「怖いのは当然だ。……僕だって、自分自身が恐ろしいよ。君の一挙手一投足に一喜一憂し、君の運命を支配することに、いつの間にか取り憑かれてしまった」
朔夜くんは、私の足元に散らばった写真を一枚一枚、愛おしそうに拾い集めた。
「でもね、つむぎ。……君が階段から突き落とされて、その瞳から光が消えていくのを、僕がどんな思いで見ていたか分かるかい? 君の体温が、僕の腕の中で、氷のように冷たくなっていくんだ。あの瞬間の絶望に比べたら、世界を壊すことなんて、僕にとっては容易いことだった」
彼は拾い集めた写真を、胸元に強く抱きしめた。
「君を生かすためなら、僕は君に嫌われても良かった。君をこの部屋に閉じ込めて、一生外に出さないことだって考えた。……でも、それでは君は笑ってくれない。だから僕は、100回もやり直して、君が自発的に僕を愛し、自発的に幸福を感じる『完璧なシナリオ』を模索し続けたんだ」
その時、部屋の壁にかけられた時計の針が、狂ったように逆回転を始めた。
ガチガチと、金属が悲鳴を上げるような音が響き、窓の外の景色が液体のように溶け始める。
空にある亀裂から、黒い泥のようなものが溢れ出し、マンションの庭にある木々を飲み込んでいく。
「……もう、保たない。僕が繋ぎ止めてきた100回分の時間が、今の君を飲み込もうとしている」
朔夜くんは、私の手を取り、部屋の中央にある巨大なモニターの前に立たせた。
そこには、今この瞬間、街のあちこちで起きている「バグ」が映し出されていた。
「見てごらん。君が知っている莉子は、今、別の世界線の記憶が流れ込んで混乱している。君の家族も、僕という存在を不審に思い始めている。……世界が、僕という異物を排除しようとしているんだ」
私はモニターに映る、ノイズ混じりの莉子の姿を見て、胸が締め付けられるような思いがした。
彼女は泣いていた。
私の名前を呼びながら、誰もいない空間に向かって手を伸ばしている。
「朔夜くん……もう、やめて。私のために、みんなを苦しめないで。……私が死ぬ運命なら、それを受け入れるから」
「……できない」
彼は、私の唇を自分の指で封じた。
「君を救うこと。それだけが、僕がこの呪われた能力を持って生まれた理由なんだ。……つむぎ、君に最後のプレゼントを用意した」
彼は、部屋の隅にある古い金庫を開け、そこから一本の、古びた懐中時計を取り出した。
それは、私たちが今まで見てきたどんなハイテクな機器よりも、重々しく、そして神聖な輝きを放っていた。
「これは、僕の心臓そのものだ。……この時計を壊せば、今までの100回分のリープはすべて無効になり、世界は『本来の形』に戻る。……君が事故に遭う、あの日の朝にね」
私は息を呑んだ。
「……そんなことしたら、朔夜くんは?」
「……僕は、もともとこの世界には存在しない人間なんだ。君を救いたいという強すぎる執念が、この時間に無理やり僕を繋ぎ止めていただけ。……時計を壊せば、僕は君の記憶からも、この世界の歴史からも、跡形もなく消える」
窓の外では、ついにマンションの壁が崩れ始めた。
無の色をした闇が、すぐそこまで迫っている。
「……選んで、つむぎ。僕と一緒に、この壊れゆく箱庭の中で心中するか。……それとも、僕を消して、君が生きるはずだった『明日』を、一人で歩き出すか」
彼は、私の手に、冷たい懐中時計を握らせた。
彼の指は震えていた。
100回分の愛を、100回分の絶望を、すべて私に託すように。
それは、中学の制服を着た私と、少し幼い朔夜くんが、並んで登校している姿だった。
「これ……嘘よ。私は中学のとき、朔夜くんと同じ学校じゃなかったはず……」
「それは、僕がそう『書き換えた』世界の記憶だよ。君を一人にしたくなくて、無理やり転校の手続きを過去に遡ってねじ込んだんだ」
朔夜くんの声は、感情を削ぎ落としたように静かだった。
私は震える手で、棚に並んだ手帳の一冊を手に取った。
そこには、分刻みで私の行動が記録されていた。
『08:15 紬希、家を出る。信号待ちで犬を連れた老人に微笑む』
『12:30 紬希、購買のパンが売り切れで少し残念そうな顔をする。次は先に買っておくこと』
『17:45 紬希、雨に降られる。……失敗した。傘を持っていくよう、誰かを使って仕向けるべきだった』
「……怖い」
私は手帳を床に落とした。
紙が散らばる音が、静かな部屋に異様に大きく響く。
目の前にいるのは、私の大好きな恋人なんかじゃない。
私の人生というキャンバスを、何度も何度も塗り潰し、自分好みの色彩に書き換えてきた、孤独な独裁者だ。
「怖いのは当然だ。……僕だって、自分自身が恐ろしいよ。君の一挙手一投足に一喜一憂し、君の運命を支配することに、いつの間にか取り憑かれてしまった」
朔夜くんは、私の足元に散らばった写真を一枚一枚、愛おしそうに拾い集めた。
「でもね、つむぎ。……君が階段から突き落とされて、その瞳から光が消えていくのを、僕がどんな思いで見ていたか分かるかい? 君の体温が、僕の腕の中で、氷のように冷たくなっていくんだ。あの瞬間の絶望に比べたら、世界を壊すことなんて、僕にとっては容易いことだった」
彼は拾い集めた写真を、胸元に強く抱きしめた。
「君を生かすためなら、僕は君に嫌われても良かった。君をこの部屋に閉じ込めて、一生外に出さないことだって考えた。……でも、それでは君は笑ってくれない。だから僕は、100回もやり直して、君が自発的に僕を愛し、自発的に幸福を感じる『完璧なシナリオ』を模索し続けたんだ」
その時、部屋の壁にかけられた時計の針が、狂ったように逆回転を始めた。
ガチガチと、金属が悲鳴を上げるような音が響き、窓の外の景色が液体のように溶け始める。
空にある亀裂から、黒い泥のようなものが溢れ出し、マンションの庭にある木々を飲み込んでいく。
「……もう、保たない。僕が繋ぎ止めてきた100回分の時間が、今の君を飲み込もうとしている」
朔夜くんは、私の手を取り、部屋の中央にある巨大なモニターの前に立たせた。
そこには、今この瞬間、街のあちこちで起きている「バグ」が映し出されていた。
「見てごらん。君が知っている莉子は、今、別の世界線の記憶が流れ込んで混乱している。君の家族も、僕という存在を不審に思い始めている。……世界が、僕という異物を排除しようとしているんだ」
私はモニターに映る、ノイズ混じりの莉子の姿を見て、胸が締め付けられるような思いがした。
彼女は泣いていた。
私の名前を呼びながら、誰もいない空間に向かって手を伸ばしている。
「朔夜くん……もう、やめて。私のために、みんなを苦しめないで。……私が死ぬ運命なら、それを受け入れるから」
「……できない」
彼は、私の唇を自分の指で封じた。
「君を救うこと。それだけが、僕がこの呪われた能力を持って生まれた理由なんだ。……つむぎ、君に最後のプレゼントを用意した」
彼は、部屋の隅にある古い金庫を開け、そこから一本の、古びた懐中時計を取り出した。
それは、私たちが今まで見てきたどんなハイテクな機器よりも、重々しく、そして神聖な輝きを放っていた。
「これは、僕の心臓そのものだ。……この時計を壊せば、今までの100回分のリープはすべて無効になり、世界は『本来の形』に戻る。……君が事故に遭う、あの日の朝にね」
私は息を呑んだ。
「……そんなことしたら、朔夜くんは?」
「……僕は、もともとこの世界には存在しない人間なんだ。君を救いたいという強すぎる執念が、この時間に無理やり僕を繋ぎ止めていただけ。……時計を壊せば、僕は君の記憶からも、この世界の歴史からも、跡形もなく消える」
窓の外では、ついにマンションの壁が崩れ始めた。
無の色をした闇が、すぐそこまで迫っている。
「……選んで、つむぎ。僕と一緒に、この壊れゆく箱庭の中で心中するか。……それとも、僕を消して、君が生きるはずだった『明日』を、一人で歩き出すか」
彼は、私の手に、冷たい懐中時計を握らせた。
彼の指は震えていた。
100回分の愛を、100回分の絶望を、すべて私に託すように。



