100回目の『初恋』、君が知らない甘い嘘

歪んだ街を抜け、私たちは朔夜くんのマンションに辿り着いた。


高級感のあるエントランスも、今は時折ノイズが走り、壁のタイルが生き物のようにうごめいているように見える。

「……入って。家族は、もういないから」

彼の言葉が「この時間軸では」という意味なのか、それとも「かつての世界で失った」という意味なのか、今の私には怖くて聞けなかった。


彼が重い扉を開け、私を部屋へと招き入れる。


室内は、不気味なほどに整頓されていた。


生活感が希薄で、まるでホテルのショールームのよう。
けれど、リビングの奥にある、頑丈な鍵がかけられた「その扉」だけが、異様な威圧感を放っていた。

「……朔夜くん、あの部屋は?」

私が問いかけると、彼は一瞬、迷うように視線を泳がせた。
けれど、すぐに観念したように自嘲気味な笑みを浮かべる。

「……僕の『執着』の記録だよ。つむぎ、君には見せないつもりだった。でも、世界がこれだけ壊れ始めた今、君には知る権利があるのかもしれない」

彼はポケットから古い銀色の鍵を取り出し、ゆっくりと回した。


カチリ、という重厚な音が、私の死刑宣告のように響く。


扉が開いた瞬間、私は息を吸うのを忘れた。


そこは、書庫のような、あるいは祭壇のような場所だった。

壁一面を埋め尽くしているのは、膨大な数のアルバムと、緻密な文字で埋め尽くされた手帳の山。 そして中央のテーブルには、数百枚、数千枚に及ぶ「写真」が、狂ったパズルのように敷き詰められていた。

「……これ、全部、私?」

写真の中の私は、笑っていたり、泣いていたり、怒っていたり。


見たこともない服を着て、見たこともない場所で、けれど間違いなく「私」として存在していた。

「1回目から100回目まで、僕がこの目に焼き付けてきた君のすべてだ」

朔夜くんは、一冊の古い手帳を手に取った。

「12回目、君は僕の知らない男と恋に落ちた。僕は狂いそうになりながら、君を遠くから見守るしかなかった。……45回目、君は僕を拒絶して、雨の中で僕に『二度と会いたくない』と言った。……82回目、君は僕を庇って、トラックの前に飛び出した」

彼は淡々と、けれど祈るような声で、私が経験したはずのない「私の人生」を読み上げていく。

「僕はその度に、君の死を、君の拒絶を、この部屋に持ち帰った。どうすれば君が幸せになれるのか、どうすれば君が死なないのか。……その答えを求めて、僕は100回、人生を書き換えてきたんだ」

私は、テーブルの上の一枚の写真に目を留めた。


そこには、今の私よりも少し大人びた私が、ウェディングドレスを着て、誰かの隣で笑っている。 けれど、その「誰か」の顔の部分だけが、無惨に爪で掻きむしられたように破れていた。

「……これは?」

「……それは、僕がいない方が君が幸せになれると信じて、僕が身を引いた唯一の世界だ。……でも、結局ダメだった。僕がいない世界でも、君は結局、20歳の誕生日に死んでしまった」

朔夜くんが、私の背後からそっと抱きしめてきた。


彼の体温はもう、驚くほど低くなっていた。

「僕は、君を救うためだけに生まれてきたんだ。君を失うくらいなら、世界なんて何度だって壊してやる。……そう思っていた。でも、つむぎ。……今の君は、本当に幸せかな?」

彼の問いに、私は答えることができなかった。


目の前に広がる膨大な「私」の残骸。


彼は、これだけの呪いのような愛を、たった一人でこの部屋に閉じ込めてきたのだ。

その時、部屋全体が大きく揺れた。


棚からアルバムが崩れ落ち、写真が雪のように舞い上がる。


窓の外を見ると、空には巨大な亀裂が入り、そこから「無」の色をした闇が溢れ出していた。

「……時間が、来たみたいだ」

朔夜くんは、舞い散る写真の中で、悲しく、けれどどこか清々しい顔で笑った。

「101回目は、もうない。……つむぎ、最後の選択をしよう」